メタル人間の怪と対話の花
なんでか知らんが、「ダブルオーガンダム」のことを考えていたんだが、あの映画のモチーフっていうのはどう考えても『機動戦艦ナデシコ』の映画を踏襲しているというか、意味付けがあるように思える。周辺事情としての接点とか、あるのかは知らん。
なんちゃらっていう生命みたいなのが理解し合えない対象としての究極系だとしてさ、それを踏破したところにマリなんだっけ、マリーナに会いに来るという象徴ってのは裏を返すと、性別や身分でもないが役割というか言ってみれば立場の違う人間同士の分かり合いみたいなのってのは宇宙人と交流する以上に難しいんだよという感じだ。
このままだとナデシコ関係ねーな。
うろ覚えだけど、アキトが去る必要ってのがよくわからんのだが、何らかの事情で男女が、いや別に男女じゃなくてもいいんだけど、すれ違っていく人間たちというのは、どうしてメタルなのか。メタルって言いたいだけだよ。
メタルクウラというのが居たが、つまるところメタルな人物像というのは、ある程度の疎通のなさを象徴するイメージが少なからず多からず共有されているように感じる。ターミネーターだろうか。
ダブルオーガンダムに返せば、そういったメタルな人間を最後に再び交流の場に立たせるというのは、なんちゃらリズムでいうと異化効果を狙ってると言えるだろうか。この異化効果を吟味しないと味わえない味わいがダブルオーガンダムの映画のラストにはあったと言えるか。
しかし、対話といえば花なのか。これはいやらしい。
終わり。
『新世界より』を読んだ。
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弾さんの書評みたいなのも読んだが、確かにサイキックもののSFというのは減っているのではないの。ファンタジーだものな。海外の作品は知らんけど、超常的な戦闘というのだって、サイキック能力というよりは何らかのうんちゃらで情報処理能力が人外な規格になって反応速度がうんぬんというばかりだ。それはそれで好きだけど。
『新世界より』なんだが、ネタバレ含むというか、瞬くんのいざこざで描かれる異形の風景みたいなのにはグッときたね。これは『ゴルディアスの結び目』に迫るものがあった。じゃぁ最終章は『渚にて』か『復活』かといった感じになるのだが、そんなことばっかり言っていても仕方ないな。
真里亞のエピソードの顛末の処理がなんか奇妙だった気がするんだが、そんなもんかね。どうでもいいんだけどさ。
同種族を殺すのは人間だけ、というのはアレがアレで貴重っぽいテーマらしいが、それを一周回って禁止にするというのが考えつかないよな。
だから一方で、寿命というのを無視するという禁断についても肉薄するかと思ったけど、そこはスルーされてた、というか必然的に無視するかたちになって決着をとったのだと思ったほうが納得できるかな。
しかしナンタラ機構そのものの改変だって可能だろうに、そのへんはなんだろう。よっぽど難しいのか、なんなのか、説明すっ飛ばして読んだかなぁ。
俺はこの秀吉が好きだよ
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コレナンダ
いゃあ、風が強くてすごい天気です。九州のほうはたいへんみたいだ。
小沢さんの新党、色々とネタにされてるのもナンツーカどうしようもないけど、小沢さんがこれこれこうだから政治家として信用ならねーみたいな文を幾つか読んだ。
しかし、これこれこうだから信用できる政治家というのがそういう論者にいるのかなと思う。いたらいたでいいし、結果的に信用のできない人物だって話なのは分かるが。
結果的に信用できない人物ってのはなんだろうね、信用とはなんぞやというのは避けるけども。たとえば野田さんをば、みなさま信用されてるんですかね。
それはこれからの彼次第ってか。
えー
しりぎれトンボ
追記ついきー
信用だか信頼だかってのには壁が大きくあると思うんだが、信用できないってのなら論点は実はひとつだったな。
当人物に当てこんだ資金が目的に見合って還元なり消費なりされたかを考えればよいのだった。