特別お題「青春の一冊」

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
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 小学生の頃、好きな人に本をもらいました。
 『ダレン・シャン』でした。

 あの頃、私は本が好きで好きでたまらなかったし、カタカナだらけの題名を見るだけで自然と笑顔になれました。


 彼も本が好きな人でした。
 しかし、彼は外で遊ぶのも、ゲームをするのも悪戯をするのも好きだった。
 私は極端な性格をしていたのかもしれません。あらかじめ、どちらか一方と决めていなければ、うまく気持ちの切り替えができませんでした。
 そのせいか、器用にこなしてみせる彼をある意味尊敬していたし、そのくせ繊細で神経質な部分に惹かれていました。

 自分にないものを持っていて、羨ましかった。


 当時、『ダレン・シャン』は、それはもう人気でした。
 語るべくもありません。
 私は図書館で次巻を待っているのがもどかしく、本屋さんで買うことにしました。


 ある時、初冬の頃、彼はタイヤ飛びをする私に言いました。

「次の巻さぁ、買うー?」

 わざわざそんなことを聞いてこずとも買うわと思いつつ「お小遣い使いきっちゃったの?」と返しました。
 買ったら貸してくれと言われるものだと思っていました。

 彼は手をすりあわせて、真っ白い頬を赤くして言います。「買わないでね」と。

 はあ、と気のない返事を返したような気がします。
 ともかく私は首を傾げつつ、その約束を守りました。

 買わなかったけれど図書館で借りて読みました。
 後から彼はそれを知って少し落ち込んでいました。


 それからしばらくして、最新刊を読み終えてホクホクしていた私に彼はプレゼントをくれました。
「今日は、誕生日だから」
 色白だと赤面がすぐ分かるから大変だなあと人事のように思いました。
 家庭科室の前で、人目に付きづらい廊下で彼は私に本をくれました。
 同じように顔を真っ赤にした私を、いつものようにからかう余裕すらなかったようです。
「別に、お返しとか考えなくていいし、あげたかっただけだし、笑ってくれたらそれで良かった」
 私はただただ恥ずかしくて、顔を見られたくなかったので逃げました。彼も同時に逃げました。
 そういうところだけは似ていました。

 
 小学校から高校3年生まで付き合いました。
 たまに、金曜ロードショーで『耳をすませば』が放映されると、月曜日に彼は決まって私に言いました。

「〇〇っていう本を、この間読んだんだけど、あのね」

 図書室に行って、その当時はもう使われなくなっていたボロボロの貸出カードを引っ張ります。
 彼の名前がヘタクソな字で書かれているのが、どうにもムズムズしてしょうがなかった。
 その下に自分の名前を書くと、また彼はニヤニヤと授業中にこっちを見て笑いました。


 小学校、中学校は同じ学校でした。
 高校からは分かれました。
 彼には、たくさんの甘酸っぱい思い出と情をもらいました。

 今思い出しても恥ずかしくて悶えてしまいますが、私の青春はこんなかんじです。

『オゲハ』読みました

 

 『オゲハ』の1、2巻を読みました。 

 

オゲハ (1) (it COMICS)

オゲハ (1) (it COMICS)

 

 

 頭と胴体が人間ぽくて、あとは蝶々の手がついていて下半身はアリみたいな生き物と、それを見つけた男の子の話です。

 

 たぶんネタバレになると思うんですが、その生き物の下半身が本当に昆虫。

 そんな可愛い顔して嘘だろってくらい、虫。

 名前はオゲハです。

 この子の両親らしき2匹のイモムシは彼女のことをインフェルノと呼んでいました。

 

 このイモムシがすごく大きいです。

 5歳児が抱えて両腕がなんとか回りきるかどうかくらいの大きさに見えます。あと人間の言葉を話して、何でも食べます。

 人間とか残飯とか食べたり、触手みたいなもので遊具を溶かしたりと危ない虫たちです。

 どうして彼らがイモムシで、彼女の手が蝶々の羽なのかよく分かりませんが、オゲハはアリの女王みたいな存在なのでしょうか。

 そうだとすると偉いですね、幼虫の頃から働いて、女王を守ったり少年に攫われたら探したりして。

 働きアリになる前から働いて、のちのち燃え尽き症候群とかにならないんでしょうか。

 

 少年が繭に入っていたオゲハを引きずり出して持って帰ってしまうところから、お話は始まります。

 汚いアゲハ蝶みたいだから「オゲハ」と呼ぶようになります。

 彼は彼女に自分のことをキジと呼ぶように言います。

 

 多分、キジは生き物を飼ったことがないのでしょう。

 ごはんを与えなくては生き物は死ぬという当たり前のことを他人に指摘されてから気付きます。

 なんかその辺りから、キジは悪い人間から自分を守ってくれてる良い人間みたいにオゲハが錯覚しているように見えました。

 実際、彼女が恐れる自分を連れ去った「悪い人間」とキジは同一人物ですが、オゲハはすっかり忘れてしまっているみたいでした。その健気な様子が不気味です。

 2巻の最後で彼女はキジが誘拐犯だと思い出したみたいです。

 

 キジは受験生です。

 しかし、塾はサボっていて、だからといって不良になったわけでもありません。

 ただオゲハを見つけて、いつも通り学校に行って、帰ってきて家で音楽を聞いたりゲームしているだけです。

 ある日、塾をずっとサボっていたことが母親にバレてしまい、彼は家出しようとします。オゲハも連れていきます。

 コンビニでご飯を買って、どこで食べようかなんて言っているときに自転車が転倒して壊れます。

「お前重いしここで別れよーぜ」と彼は言いました。

 オゲハは一生懸命追いかけようとしますが、彼女は這うことしかできません。オゲハは飛べません。

 そのあとすぐに、何を思ったのかキジはオゲハを迎えに来て、土手で一緒にご飯を食べて家に帰りました。

 

 キジにとってオゲハはどういう存在なのでしょうか。

 ただのペットか、暇つぶしか、私には彼が彼女を受験からの逃避に使っているように見えます。

 あくまで私の思ったことですが、家出したときにオゲハを置いていけなかったのは逃げ道を完全に失ってしまうからではないでしょうか。

 彼は中学生ですが、それゆえの半端な家出、サボり、詰めの甘い反抗。

 学校の先生に幾度となく昆虫の飼育の仕方について質問していますが、オゲハのことを大切に思っているからではなく、そうすることによって勉強のことを考えなくていいからじゃないかなーと。

 違うかも。

 

 読んでいて不思議な、ぞわぞわする気持ちになるので好きです。

 2巻が発売したばかりですが3巻が待ち遠しいです。

 

今年もよろしくお願いします

 

 明けましておめでとうございます

 本年もよろしくお願い致します

 

 最後にブログを更新してから2か月近く経ってしまいました。

 創作活動をしていると言っても、ガチのインドアなので、コミケ等々のイベントに行ったことがありません。

 昨年末のコミケ89には行こうと思っても仕事があって行けなかったのですが、それまでの学生時代にどうして勇気を出して行ってみなかったのでしょう。

 時間はいくらでもあったのに……って、やらなかった後悔っていつまでも引きずりますよね。

 

 『小説家になろう』のほうでは『疑殆帯同』を大体月1くらいで更新しています。

 短編をちらほら出してみたり、『pixiv』で二次創作書いてみたり、正直今のペースの更新でもヒイヒイ言ってますが、アイディアが浮かばねぇという理由なので、もう少し更新頻度上げられるようにしていきたいと思います。

 

 小説を書くのはとても難しいです。

 文章力がないことと人生経験が浅いことが理由だと思うのですが、後々になって読み返すと、私の書く文章は中身がないです。

 テンションの上げ所がないというか、胸を打つ部分がありません。

 

 昔、ちょっとだけ演劇をかじりました。

 舞台の上では、体全体が観客に見られています。見られているところは全て「表」でなくてはいけません。

 頭の天辺から足の先まで、目線さえも演技しなくてはいけません。声も気持ちも雰囲気も目に見えないところも演じるべきです。

 

 何が言いたいかというと、文章を書くことにもこれと通じるものがあると私は思います。

 お正月のこの時期、年賀状を見ると、プリントされたサルやらHAPPYNEWYEARの下に一言手書きの文が入っているだけで少し嬉しく感じます。その文字が丁寧だとなおさら嬉しいですね。

 

 なんかどこかで聞いたことあるかもしれませんが、直筆って本当に感情が出ます。

 

 自分の字を見ていても、あの時そういえば悲しいことあったな、ムカついたな、楽しかったとか随分昔に書いたノートの字でも思い出します。

 文章の書き方や、止め跳ね払いに出てきます。

 もちろん、ネットでの文は明朝体やらゴシック体やら、綺麗で見やすい文字で表示されます。それでも人間の書いた文章です。感情が伴った文は見ている側にも伝わるのではないでしょうか。

 端々に滲んでくると思います。

 

 目に見えるところ、目に見えないところ、天辺から末端まで自分の物語に心を込めて、浸ってもらえるようなワナビになりたいです。

 今のところ全然ダメダメみたいですが、一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。

 

 

今週のお題「私のテーマソング」

今週のお題「私のテーマソング」

 

 私のテーマソングは『流星ミラクル』です。

 

 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、2006年から放送された『天保異聞 妖奇士』のオープニングテーマです。

 

 もちろん、このアニメを見て、この曲を知りました。

 

 2006年ということは、私が14歳の頃のアニメですね。

 全話見ました。

 全話見た割には曖昧な部分も多いですが、特に印象的だったのが、主人公のモミアゲと登場人物たちの目です。

 

 あのモミアゲはすごかったです。

 ルパン三世ほど整ったモミアゲではなく、本当に自然なモミアゲです。

 天を目指して伸びていっているのではないかというぐらい上向きです。

 

 それから、目もすごいんです。

 少女漫画のようにキラッキラしてます。

 主人公も39歳のダンディメンなのにキラキラです。

 初めて見たとき、嘘だろと思いました。

 ギャップ萌えどころじゃねぇよ、ギャグアニメかなと思いました。

 びっくりしすぎて若干興奮したことを覚えています。

 

  全話見たことから分かる通り、このアニメのことが大好きでした。

 さっきググったら打ち切りになっていたんですね。知りませんでした。

 内容はろくに覚えていませんが、当時の私は大興奮でした。

 

 ちょっと話は逸れますが、そのあとは確か『地球へ…』がやっていた気がします。

 3話あたりで、なんとなく教科書に載っていた『素顔同盟』を思い出したような思い出さなかったような気がします。

 この頃はちょっと勉強し過ぎて頭がパンクしていたので、記憶があやふやなんですけど。

 

  睡眠時間を減らして録画したアニメを見ていました。

 アニメって最高ですね。

 

 『流星ミラクル』を歌っているのは「いきものがかり」です。

 あまり歌に興味はなかったのですが、はじめてアルバムを買いました。

 アルバム名は今でも覚えています。

 『桜咲く街物語』です。

 『SAKURA』から始まって、6曲目くらいに『流星ミラクル』が入っていたと思います。間違っていたらすみません。

 聞いていると気分が上がってきて、がんばろうって思います。

  今では色々な歌を聞いたりしますが、落ち込んでいるときに本当に元気の出てくるのはこの『流星ミラクル』です。

 『天保異聞 妖奇士』のOPを思い出すせいでしょうか。

 OP時のワクワク感が今も染みついているのかもしれませんね。

 

 好きな歌はたくさんありますが、最も印象深いものを語ってみました。

 以上です。

 

 

『聖母』と『シンデレラの告白』を読みました

 

 『聖母』(秋吉 理香子 著)と『シンデレラの告白』(櫻部 由美子 著)を読みました。

 

 おかあさん強い、女の子強い、と思いながら昨日は寝たんですが、ふと思いました。

 「母親」って何でしょうね。

 

 

 いろいろな小説を読んでいると、たまに母親の口にするセリフが気になります。

 

「失礼ですけど貴女、結婚してらっしゃる? 子どもはいる?」

 

 この質問に「いいえ」と答えると、大抵の場合、「子どものいない貴女には分からないでしょうね」という言葉が返ってくるように感じます。

 

 反抗期を引きずっているので、わかんない! 子どもがいたらあなたの気持ちが分かるの? なんて登場人物に対して大人気ないことを思ってしまうわけですが、きっと、母とはそういうものなのだと勝手に想像しています。

 

 私は結婚も出産も経験のないことなので、伴侶や子に対する「無償の愛」というのが分かりません。

 見返りを求めない愛ってどういうものなんでしょうか。

 際限なく与える愛情に、いつか慣れが生まれて慢心してしまうのではないでしょうか。

 そうしたら、損してしまうのは自分のみならず、愛した相手も同様ではないでしょうか。

 

 どうしてか「無償の愛」というのが人を自堕落にさせてしまう甘い蜜に見えてしまいます。

 

 損なんてしないよ、だって愛は優しくて厳しいものだからという考え方もあると思います。

 無償の愛を与えた相手だって、同じように無償の愛を与えてくれるから大丈夫という考え方もあると思います。

 

 でも、愛って本当に、そんな両極端な性質を内包してるのでしょうか。

 相手のことを考えて厳しくするということは、誰もができることなのでしょうか。

 

 私は、もし自分の好意を吸い取るだけ吸い取って次の甘い蜜に移ってしまうような人を好きになったとして、相手が自分の元から去ってしまってから「ああ、よかった。あの人は幸せなんだわ」なんて穏やかな気持ちにはなれません。

 

 人によって持ち合わせている愛情の量みたいなものが違うのか、気持ちに余裕がないのか分かりませんが、誰かに十二分に尽くす自分というのが想像できません。

 

 でも、世の大半のお母さんたちは「我が子のためなら何でもできる」と「無償の愛」を注いでいると思います。

 

 つまるところ、その自分にはない無償の愛が羨ましいです。

 

 努力では手に入らないものでしょう。

 

 キラキラして見えて、とても魅力的です。

 

 もちろん私もその恩恵を受けて育ってきたわけですから、己の中に蓄積されてやしないかといつか愛情が爆発して存在をアピールする日を今か今かと待ち望んできたわけですが、もしかして、貰った愛情ってどっかにサラサラ流れてしまうんでしょうか。

 

 じゃあ、貰った分の愛情は、たとえ返さなくてもいいと言われたとしても返したい私の中に一切残っていないし、いくら待っても沸いて出てもくれないということでしょうか。

 

  私の母は私のせいで損をしてしまうのでしょうか。

 

 そこまで考えて頭がパーンしてしまったので、今日はここまでにしてやってください。

 

 おわり。

 

入社して約6ヶ月が経ちました

 

 他人とコミュニケーション取るのが苦手です。

 何を話したらいいか分かりませんし、どんな反応をするのが正解なのかも分かりません。

 

 高校生の頃の数学は、答えが決まってて、その答えが一発で当たるとすごい爽快感がありました。その爽快感が癖になるんですよね。何度も繰り返し問題を解いていたら、いつの間にやら数学が得意科目になっていました。

 受け答えに正しい解答なんてありませんし、臨機応変に変えていくものというのは重々理解しているつもりなのですが、どうしても後から後から後悔が沸いてきて頭から離れません。

 

 

 私の仕事は半分接客です。

 

 大学生のときは居酒屋でアルバイトしていたせいか、就活もそっちの方向に流れていきました。

 接客というとコミュニケーション能力カンスト勢がたくさんいるイメージでしたし、実際リア充がいっぱいいて、なんだかとっても自分が惨めになることが多かったです。

 

  でも、私にとって接客自体はコミュ力があんまり必要ない仕事のように感じます。

 もしかしたら私の経験が足りないせいかもしれませんが、自然な笑顔と適切な対応と、あとはお客様の要望に合わせていれば基本的にはOKなので、慣れればコミュ力関係ないなーと。

 慣れるまでがしんどいんですけど、それはどんな仕事も一緒ですし。

 

 いろいろなお客様がいらっしゃるので、あんまり言いたくありませんが、ちょっと理不尽な要求をしてくる方もいます。 

 そのせいか、職場の人間関係ではギスギスしたり悪感情を持ちたくないと、みんな気を遣っているように見えます。

 そういう相手のことを考えた気遣いみたいなこと(素敵な人? 人間的にできた大人? 優しい大人? うまく表現できないんですけど)ができる人が好かれますし、コミュ力あるなぁと。

 

 なんか頭の悪い文章になってしまいました。

 

 私は、コミュ力を上げるには慣れによる部分もあると思います。

 人の気持ちを想像する習慣をつけて……とか、幼稚園児でも知っていることを22歳の現時点で言っていることがおかしいのですが、繰り返し繰り返しやっていれば数学みたいに正解っぽいものが見えてこないかなと。

 

 愛想がいいね、笑顔がいいね、と褒められてきましたし、そのおかげで今の会社に拾ってもらえましたが、それが上辺のものっていうのは自分が1番分かっています。

  にこにこしながら淡々と優先順位をつけて、その通りに処理している自分は気持ち悪いです。

 

 人としての誠意を身につけることで、なりたい人間に近づけるのではないかと安易に思ったりしてます。

 誠意なんて身につけるものじゃなくて元々備わってるものなのかもしれませんが、どっかほじくりまわしてたらちょっとくらい出てくるかもしれないです。

 

 そんなかんじで人間的に成長してコミュ力ゲットしたいという話でした。

 

 

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」


 今週のお題「人生に影響を与えた1冊」 



 私は小学生のとき、図書館で本の虫になっていました。

 

 もちろん友だちと遊ぶことも楽しかったのですが、物語を読みふけって空想に浸る時間はそれにも増して幸せでした。

 

 『ダレン・シャン』や『サークル・オブ・マジック』、『セブンスタワー』、『ローワン』、『デルトラ・クエスト』、『バーティミアス』、『レイチェルと魔導士の誓い』等々、カタカナだらけのタイトルを見るだけでワクワクしたのを覚えています。

 

 小学校高学年になってくると、今でもそうなのですが、作者買いをするようになります。

 国内外問わず、お小遣いをほとんど費やして本を集めました。

 

 大学入学の際の転居にあたり、その大半は売ってしまいました。

 売らなかったものの中で、特に入手に時間がかかった1冊。

 それが私の人生に大きな影響を与えた『狐笛のかなた』です。

 

 図書館で一度借りて読んで、手元に置いておきたいとお財布を手に取ったはいいもののタイトルをド忘れしてしまったので、本屋さんで片っ端からあらすじを読んで探し、レジに持っていったらお金が足りず、次のお小遣いを待っていたら売れてしまい、なんやかんやで買うまでに6年ほどかかりました。

 当時、本の取り置きや取り寄せができると知らなかった私は、次の入荷はまだかと田舎の小さい本屋さんの【作者名・う】の前で地団駄を踏みました。

 

 この『狐笛のかなた』の感想を一言で極端に表すならば、一途な野火にキュンキュンする!!!です。

 注目していただきたいのは「一途」というところ。

 この年にもなってこんなことを言うのは本当に恥ずかしいのですが、恋愛に夢を見ているのでプラトニックな愛だの恋だの後ろめたいことが何もないキラキラした純情が堪らなく好きです。

 

 1つ前の記事で「小説家になろう」に投稿していると書きましたが、お話を書いてみたいと思ったきっかけの1つでもありますし、恋愛物を書くにあたっては目標というか憧れというか、そんなかんじで大好きな1冊です。


 幼いころ小説は読むだけで満足していたのですが、私もいつか、自分もそうだったように、人の心を揺さぶる物語が書きたいと『狐笛のかなた』を読んで思いました。こんなひたむきな恋がしてみたいとも思いました。

 なんか乙女チックなかんじになってしまいましたが、以上です。