芸人が作る映画に足らないもの

 『板尾創路の脱獄王』を観に行ってきた。
 内容ネタバレは控えるけど、終わった後、客席から「疲れた〜」とか「眠かった〜」、「あ〜〜〜」って声がちらほら。兵庫三宮の映画館で観たんだけど、いや、こういう正直な感想を声にするのはなんとも関西だなって。それが面白かった(笑)違う、それはさておき映画、映画の話。
 客席からの「疲れた」「眠い」って声から分かる通り、『板尾創路の脱獄王』は映画として微妙。自分はなかなか面白いなって思ったんだけど、不満の声が客席からあがるのもわかる。
 さて、どうしてこうなったのか?と帰り道にちょっと考えた。なにが問題だったんだろう?と。どうも製作側が、映画とはどういうサービスで、お客さんにどういうふうに提供しないといけないのかをわかってないんじゃないかな、と。いや、disるつもりは全く無くて、先にも書いた通り自分はなかなか面白かったと思ってる。どうわかってないと思うかと言うと、映画における時間感覚がわかってないんじゃないかな、と。なんちゅーか、映画制作において大事なタイム感、いや、タイム勘、とでも言うべきかな。


 板尾創路は芸人出身で、ステージやバラエティ番組やコント番組の人だ。それら今までに培った経験や鍛えた才能は映画に通じるものが多いけど、時間感覚だけは全然違うんじゃないかと思う。ステージやバラエティ番組だと、お客さんを前にしてお客さんと同じ場の時間を共有しながらやる。同じ時間の流れの中にいるから、お客さんの反応なんかを確認しながらネタをやれる。タイミング次第でネタを生かすことが出来る。コントだと、演者は物語の時間軸のまま演じる。物語の中の時間の流れそのままに演じて、その中で演技や演出を考える。
 でも、映画だとそうはいかない。お客さんの反応をその場その場で感じることは出来ないし、撮影もシーンを行ったり来たりで物語の中の時間軸の通りでは無い。映画を作る上でものすごく難しいところじゃないかと思う。逆に言えば、同時性を気にせず、時間軸を好きなように出来るのが映画の自由なところかもしれない。編集・構成でセリフやシーンを効果的に並べ替えたり詰め込んだりすることが出来る。
 その編集や構成は、どれだけ制作に時間がかかってどれだけたくさん撮影しても、お客さんが座っていられる時間にまとめないといけない。そして重要なのは、その一時間半以上の長い時間をお客さんが飽きないようにすることじゃないかと思う。テンポというかタイミングというか。どこかのワンシーンが2〜3秒長いだけで、映画全体の印象がダラダラとしたものになるかもしれない。逆にシーンの移り変わりがはやすぎれば、お客さんはわけわからんまんまで置いてけぼりの気分になるかもしれない。
 要するに、制作者はお客さんが映画を観ている間、どう過ごしているのか想像しないといけないと思う。映画は出来上がって、制作者の手を離れて、いろんな場所のスクリーンで提供される。お客さんがどう感じるか、お客さんがどう反応しどういう顔をするか、ってところを想像して、勘を頼りに作品を編集するしかないだろう。この勘どころが先に書いた"タイム勘"ってこと。お客さん達の時間感覚を、スクリーンに反映させるための勘。
 だから、ステージやコントの仕事がほとんどだった板尾さんが映画制作をして、この"タイム勘"がはたらかなくてうまくいかないのはしょうがないのかもしれない。これは松ちゃん、松本人志の映画にも言えることで。そして、プロの映画監督はすごい、ってのも。


 続けさせてもらうと、その点、ハリウッド映画はすごいうまいと思う。もどかしさを感じさせるような時間を排除しながら、わかりやすく編集されてる。『アバター』も観たけど、2時間半以上の長い時間を感じさせないところにすごく感心した。3D映像のすごさと同じぐらい感心した。
 あと、テンポやタイミングと言えば、「南極料理人」はその点が奇跡的なぐらいうまくいってる映画だったかも。笑いも涙も考えさせられるところも、飽きさせずちょうどいい具合に、ちょうどいい順番でスクリーンに流れてくる。もうすぐレンタル始まる(2/17)ので、観て無い人には絶対おすすめです。

 それは僕が生まれた時に、僕と一緒に出てきた。母親のお腹から僕と一緒に、大きな塊として出てきた。産声をあげながら、僕はそれを大事に抱えていた。
 僕はその大きな塊といつも一緒だった。どこにいても、なにをしていても、誰といても、その塊は必ず僕のかたわらにあった。
 僕が小さい頃、その塊がどんな形だったのかはもう記憶に無い。玉でなかったのは確かだ。
 そして僕は成長し、その塊を削ったり磨いたりした。一生懸命なにかの形にしようとした。
 周りのみんなもそうしていた。それぞれ、自分のやり方で、自分だけの形に。時には見せあって語ったり、時にはお互いの塊をぶつけあったりもした。
 そうしてだんだんその塊は丸くなった。塊は玉になった。他人が見てどう思うのかわからないけど、とりあえず玉だ。もちろん完全な球体では無い。だけど、その丸み、いびつな感じ、不均一な輝き、満足してるところも不満なところも、それら全てがつまりは自分自身だから。
 大人になってその玉をいじることはあまりしなくなったけど、これまでの作業で結構いい形になったと思う。ポケットに収まる大きさになったので、今でもいつも一緒だ。時々取り出しては、現在の自分の姿を映したりする。

 だけど最近気付いた。この玉は、実は中空になっている。
 いや、でもおかしい。はじめから中空であれば気付きそうなことだ。僕は塊を玉にしようと最初から決めていたわけではないのだから。作業をやめてから、玉になにかあったのだろうか?中身が抜け落ちてしまったのだろうか?
 いや、そんなことより、なぜ中空なのだろう?なにかを入れるのか?なにかの容れ物にするのか?
 周りと見せあうことも無くなっていたので、気がつかなかったのか?そういえば昔の友達に、塊に何かを詰め込もうと躍起になってる奴がいたような気もする。
 僕はあわてて、どこかに口が開いてるのか探してみた。だけど、どこにも口が無い。よく探してみたけど、小さな穴すら無い。
 中身が抜け落ちたのならどこかに穴があるはずだ。容れ物ならばどこかに口があるはずだ。
 気付くのが遅かったのだろうか?塞がってしまったのだろうか?
 このままじゃ僕の玉は空っぽなままだ。

 なにかを流し込もうとしても、僕の玉には入れる口が無くてつるつると周りへこぼれてしまう。削る時についた傷に、少したまるぐらいだ。
 どうしよう。今さら捨てることも壊すことも出来ない。

民意を反映した選挙で選ばれた政治家が行う政治に対する不信により望まれた選挙が反映する民意

 選挙が終わった。
 結果に対する分析やら意見やらは詳しい方がたくさん出してくれてると思うので、特に書くことも無いし、あまり詳しくもなければ興味もないので書けないのだけど。
 ちょっと個人的なことを。


 自分は選挙に行かなかった。行けなかったというのが正しいのかな。引っ越して住民票を移した関係で行けなかったのだ。案内のハガキも来なかった。
 でも、それ以前に行きたくなかった。理由として、支持する政党が無かったのもあるけど、なんだか煽動されている感じがとてもイヤだった。別に、投票に行かないことや白紙で投票することが意思表示になる、とは思っていない。意思表示自体したくなくなってた。
 不信感で完全に麻痺しているのだ。投票に行くのは大事だとわかっていても、体も脳も意識も動かない。それぐらい不信感でいっぱいだ。
 この不信感は、政治に対する、と言うより、民意そのものに対して、なのかもしれない。


 当選した政治家が判を押したように言う。
「皆様のおかげです。」
 そうか。多数決で選ばれたことがそんなに大事か。いや、違うか。それが選挙というものだよな。そう言うしか無いよな。

民主主義とは国民が政治に参加する最悪の方法である. だが,それ以外に国民が政治に参加する方法を 人類はまだ発見していない

チャーチル

もしこれからヱヴァ破を観に行くつもりの人がいたら、その人のためのネタバレ

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、公開されて1ヶ月以上経ったと思うけど、まだやってんのかな?もうブログのネタになることも少なくってきてるところだけど。まだ観に行ってない人、まだ1回しか観に行ってない人、早いとこ劇場に行きましょう。
 いや、この映画は2回以上見た方がいい。確実に2回目の方が感動する。泣きそうになったし、2回目観て。
 もし、これから観に行く人は時間も無いので、ネタバレとか気にしないで情報を集めてから観に行くことをおすすめする。なんの予備知識も無しに行くと、絶対あっけにとられて、感動する暇とか無いから。


 なんか上からみたいになるけど、もしまだ観に行ってないけど観に行くつもりの人がいたら、その人のために知っておいた方がいいネタを。


1.いきなり新キャラが出てくる。
 冒頭から新しいキャラ、真希波が出てくるので、ここで驚かないように注意を。落ち着いて軽く流しましょう。ここで驚いてたらもたないから。


2.キャラクターの性格が変わっている。
 エヴァンゲリオンパイロット3人の性格が、前作とは全く異なっている。キャラへの思い入れが強くて先入観があるままだと、ストーリー展開についていけなくなる。
 どう変わったのか簡潔に書くと、

  • シンジ→積極的で芯が強くなっている。なぜかモテまくる。
  • レイ→寡黙だけど素直な性格で、周りを気づかう優しさも見せる。
  • アスカ→強気だけど、ちょっと暗くて内にこもってるところがある。加持さんとの絡みはほとんど無い。

 全くの別人だと思って登場人物の動向を追い、人間関係を把握するようにしよう。


3.エンドロールがはじまっても席を立たない。
 エンドロールが終わった後に、次回作へつながる予告みたいなものが。
 観終わった後、この部分のことだけで小一時間話が出来るぐらいの内容が詰まっている。


 この3つぐらいは押さえていて欲しい。


 あとは、全く別物なのでテレビシリーズや旧劇場版のことは忘れて、頭空っぽにして楽しみましょう。
 そう、今回のエヴァは楽しめるし感動する!


 そういうわけで(´ー`)

ナイツで笑ってはいけない。

 あのコンビがやってるネタは単なるダジャレか言い間違いで、ひとつひとつはたいしたことない。でも、独特の間と一定のペースで、似たようなことを繰り返し言うから成立している。はじめはなんでもないように感じてた似たようなギャグの繰り返しが、何か一つのギャグにハマるとそこから笑いが止まらなくなってくる。そんな感じで、発想が面白いのでは無く、手法がうまい。

 そんなネタがウケているけど、これは危険だと思う。なぜなら、この手法は洗脳のやり口に似てるような気がするからだ。いや、自分は洗脳を受けたことも洗脳をしたことも無いけど、あのネタと同じやり方で宗教の勧誘を受けたらハマりそうだ。同じやり方でセールスを受けたら、買いたいと思ってなくても買ってしまいそうだ。

 洗脳のやり口っぽいと思われるポイント

  • 低い声で話す。
  • 少し遅めの口調。
  • 似たようなことを繰り返す。
  • 自分が思ってることと同じことを間に入れる。

 ナイツのギャグは一つでも笑ったら負けだと思う。そこからナイツが何言っても面白いように聞こえてしまう。そのうち、ナイツが何を言っても受け入れたり同意したりしてしまう。そして説伏されてしまう。

 ナイツは危険だ。面白く無いことも面白いと感じさせてしまう。受け入れがたいことも受け入れさせてしまう。
 創○にアレルギーのある自分は、既にキモくてくすりともこないが、そうでない人に、「ナイツの話術にハマらないように気をつけましょう。」、と声を大にして言いたい。

iSubをLeopard10.5.7で使えるように出来たのでその紹介(PPCに限る)

 そういえばそろそろOSXの新しいのが出るのかなぁ。
 Snow Leopardだっけ?Snowなのに暑い時期に出て大丈夫なんかいな。
 あ、うちのG4(先代)はまだTigerのままだなぁ。
 PPCLeopardまでっていうことだし、Finderが落ちたりネットの設定変更が出来なかったりして調子悪いし、マジで導入するとしようかなぁ。


 と、ぼんやり考えてAmazonを検索したら、

Mac Box Set ファミリーパック

Mac Box Set ファミリーパック

が見つかって、すげーお買い得やん!と速攻買ってしまった。LeopardはG4に入れて、iLifeiWorkはmini(現役)に入れようかな、と。
 と言うわけで、今さらながらLeopardをG4へ導入することを決めた。


 軽い気分で導入することにしたのはいいけど、G4へLeopardをインストールするのにすごい苦労した。
 届いてすぐに作業に取りかかるも、まずHDの容量が足りない。なんとか中身を整理してインストール出来ても、今度はMailが固まる。しょうがないので10.5.7へアップデートしようとしたら、また容量が足りないとか言われたり。
 そんなこんながありつつ、もっとも大きな問題点にぶつかった。タイトルにあるiSubというサブウーファーが使えなくなったのだ。これには愕然とした。
 うちのG4はもう現役を退いて、ほぼiTunes専用機となっている。G4にはApple Pro SpeakerとiSubが繋がっていて、結構いい音が出る。とくにiSubから出る重低音は欠かせない。
 Tigerの時も起動時に認識しないものの、コントロールパネル>サウンドを開くか、USBコネクタを繋ぎなおせば使えるようになった。10.5.6をインストールした後も、同じ対処方法で大丈夫だった。しかし、10.5.7にした途端、うんともすんとも言わなくなったのだ。
 困り果ててネットを検索するとかなり絶望的な情報ばかり。iSubユーザーで、Leopardにした途端iSubが使えなくなって困ってる人は多いみたいだ。どうやらiSubをLeopardで使えるようにする解決方法を見つけたら、懸賞を出すサイトまであったようだ。やっぱみんなiSubを重宝してたんだなぁ。愛されてたんだなぁ。
 肝心の公式サイトには、わざとなのか、Leopardでの対応についてはふれられてなかった。


 困った困った。
 Pro Speakerだけじゃ全然薄っぺらいよ。
 今さらRとLだけじゃ全然グッとこねーよ。
 下半身にこねーよ。
 まじかよ。
 困った困った。


 と、どん底の気分で、でも諦め切れず、しつこくしつこく検索して、ようやく解決出来た。
 解決方法の参考になったのは↓
http://www.versiontracker.com/php/feedback/article.php?story=20090513194202915
 英語読めないんだけど、なんとか単語を追ってがんばって解読してみた。


 で、解決出来た証拠が↓

 アップ↓


 以下わかりにくいかもしれないけど、解決方法の解説を。
 もちろん、この解決方法を試すのは自己責任でお願いします。


1.古いAppleUSBAudio.kextを準備する。


 AppleUSBAudio.kextはシステム/ライブラリ/Extensionsにあるカーネル機能拡張。
 10.5.7の新しいAppleUSBAudio.kextはバージョンが2.6.4b10。
 自分が準備した古いAppleUSBAudio.kextはバージョンが2.5.8b13。
 どうやって準備したかというと、
http://www7.zippyshare.com/v/80744334/file.html
から落とした。
 本当は別のHDに新規インストールして、そこから抜き出そうと考えてたんだけどめんどくさくなって。検索したら見つかったので、それを使った。
 けど、ウイルスとかまぎれてた場合のことを考えるとかなり無謀…おすすめ出来ません。バックアップや新規インストールしたシステムから抜き出すのをおすすめします。


2.AppleUSBAudio.kextを別の場所にコピーしてバックアップし、古いAppleUSBAudio.kextをシステム/ライブラリ/Extensionsへ上書きコピーする。警告が出るけど、認証ボタンを押してパスワードを入れればOK。


3.「正しくインストールされていない」と警告が出るけど無視して、アプリケーション/ユーティリティ/ディスクユーティリティを起動。


4.システムの入っているディスクを選択して、First Aidタブにある「ディスクのアクセス権を修復する」を実行。
 修復が完了したら再起動。


5.再起動して、システム環境設定からサウンドを選択。iSubのスライダーが出てきたらOK。
 ただし、起動するたびに環境設定>サウンドを開く必要がある。
 ちなみにUSBコネクタは本体に直刺し。


 こんな感じ。
 重低音復活で、ばっちりノリノリです。
 イエーーーイ!!ディスコーーーー!!!

 でも、諦めたiSubユーザーの方々は、もう手放したかなぁ…

アーユー破ッピー?そして救?

※「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のネタバレなので、観に行くつもりでまだ観に行ってない方はご注意を。






























 「序」から2年、首を長くして楽しみにしてた「破」をさっそく観てきた。
 ものすごい人気らしく、満席状態。なんとかとれた席は最前列で、見上げる体勢のままで首がすごい痛かった。でも一時も目が離せなかった。それぐらい面白かった。「序」と違って、TVシリーズとかぶってるところがあまり無く、展開のテンポも速い。
 つーか、ほんとに全く違う話ですな。TVシリーズや前の劇場版とは全く違う。話の流れとか世界観は共通のところが多いけど。自分が気づいた違う点を整理してみよう。

  • キャラが違う。

 真希波というメガネキャラが追加。自分はメガネ好きなので、「好みのキャラが出たなぁ」と思ってたけど、まだ謎が多い。他のキャラとの絡みも少ないのでつかめない。


 今回はアスカがかなり変わってる。
 名字が惣流から式波に。綾波、真希波、式波というのはどれも駆逐艦の名前からきているらしい。惣流は空母の名前だったので格下げ?
 それと人間関係での立ち位置がかなり変わっている。これはヱヴァ全体としてもかなり大きい変更ではないだろうか。加持に憧れているという設定は無し。いつもゲーム機を持ち歩いてひとりで遊んでいるし、同級生から声をかけられても大げさに拒絶する。かなりアスカの孤独感が強調されている。
 そして「あんたバカぁ?」の台詞を連発。
 あ、後半のプラグスーツも…


 もうひとりのヒロイン、綾波レイもかなり変わってる。しょっちゅう顔を赤らめるし、素直だし、「ぽかぽか」「ぽかぽか」言ってるし。滑稽なまでにクールだったキャラは、かなり薄まっている。


 キャラクターの変更で一番大きいのは、やっぱり主人公シンジの変更か。
 まず、かなり積極的な性格になっている。決して前向きでは無いけれど、ゲンドウと衝突して"熱い"ところを見せるなど。なんだかうなだれる姿も、ただいじけてるだけじゃなく、ちょっとかっこいい感じがする。
 そしてモテまくり。なんだなんだ、どうしちゃったんだよ、って言うぐらいモテる。レイは頬を染め、アスカは横目で嫉妬し、加持さんがせまり、カヲル君のセリフもかなり意味深。

  • 話が違う。

 TVシリーズには無かったエピソードが矢継ぎ早に出てくる。ほぼ9割ぐらい全く違うお話しになっている。
 これは一緒に行ったやつから教えてもらったんだけど、どうも漫画や同人誌などの二次創作物から引用されているものが多いようだ。
 つーかヱヴァのオリジナル自体、いろんなアニメやSF、神話からの引用で成り立っていたのに、さらに自ずから派生したものをフィードバックというか回収というか。オリジナリティってなんだ?、というかなんと言うか。あまりにもゴチャゴチャですごい。

 「序」ではTVシリーズと共通の使徒が出ていたけど、今回は原形をとどめている使徒がいない。攻撃方法などの設定もかなり変わっている。出ていない使徒もいるみたいだ。
 キャラが増えたり話が変わってたりするのにあわせて、使徒も変わっているような気がする。


 他にもメカ(人造人間?)としてのヱヴァの設定も「裏コード」なるものが追加されたり、「赤い海」といった世界設定も変わってる。




 これらの変更によって、TVシリーズそのままだった「序」とは違う、面白くて楽しめる点はたくさんあるのだけれど、自分としては不安なところが多々ある。
 シンジがモテモテだし、アスカは意味の分からない露出の高いプラグスーツを着せられるし、ディープなファンが好きそうなエピソードやセリフが満載だし…


 もしかして目指してるエンターテイメントってこういうこと?


 つまり、新劇場版ではヱヴァのファンも、ヱヴァも、エンジョイしてハッピーになって大団円?


 そういうこと?


 それでいいの?


 それってヱヴァ?


 投影の対象である主人公がモテれば、ヒロインがエロければ、ヒロインが素直であれば、ヱヴァのファンは救われるのだろうか?だからここまで変えるのだろうか?これはファンにとってはいいことなのだろうか?
 アニメオタクを「気持ち悪い」となじり、裏切り、拒絶するのが、自分にとっての"エヴァ"なので…がらっと変わったヱヴァにものすごい不安を感じる。


 なんか、エンドロール後にある続編「Q」の予告の、妙な浮かれ具合にものすごい不安を感じる。続編にはアニメがあまり好きでない自分でも楽しめる余地はあるのだろうか…




 一緒に観に行ったダメオヤジと、映画について居酒屋でグダグダうだうだ語ってる様子を公開してます。
http://www.voiceblog.jp/dairokukikaku/
 よろしかったら聞いてみてください〜。
 (´ー`)