誰かさんの日常。

うりぼうちゃんの日記。

10月5日

今日はすごく気分が悪いです。

耳の調子も悪く痛いです。

誰かと話したい癖に誰とも話したくありません。

このまま声が出なくなればいいのにと思います。

誰かの中に自分が好意的に残ってる前提で「できない」状態になって残念がってくれないかと思います。

勝手だな。

 

勝手とやらのせいで私は随分人生を狂わされています。

自分を持っていない、弱いあなた自身のせいだよ、と言われたら何も返す言葉がありませんが。

 

機能不全家族と呼ばれる環境で育ち、まともに働くことも出来ず、社会経験も少ない。

結婚しても精神疾患をもつ配偶者と四苦八苦していたら自分もいつの間にか精神疾患を患い、精神障害者になっていた。

国の制度や市の制度、医療は生活の一部を助けてくれるけど救ってはくれません。

最終的には私はDV被害者となって結婚生活を終え、気づいたら1人。

親や兄弟以外には頼れる人もいません。

 

失っていくばかり。

要らないものは積み重なっていくばかり。

辛い経験もいつか支えになるとかそんなもの無い方がいいに決まってます。

この先もきっと過去に怯えながら、誰かの顔色をうかがいながら暮らしていくのでしょう。

 

信じられる人がいない、気のおける人がいない、というと決まって「そんなの当たり前だ、人を信じるなんて幻想」みたいなことを言う人がいますが、そういうレベルの低いことを話してるわけじゃないんです。

 

人と接するにあたって「信じられない」としても、一応は信じている、信用していますよ、ってていで接したいのにそれができない、疑心暗鬼になって嫌われてるとひとり拗ねてしまう。

そこの機能だけ5歳ぐらいまで戻ってしまったような感じです。

 

誰かと繋がっていると実感したくてネットの海をさ迷います。

今日はゲームも開かずに寝付くことが出来るでしょうか。

 

おやすみなさい。

色々ぼんやりした話

ちょっと前に、ある手続きの関係で、去年離婚の時お世話になった相談員さんと再び話す機会があった。

 

最近はどうですか?とか、あなたが最初にここへきてから何年経った?とか、他愛もない話をしながら必要な書類が用意されるのを待っていた。

 

人間関係がこちゃこちゃしてからというもの、「誰に」「どのくらい」「どんな」自分の話をするか考えすぎてしまう。

 

「誰が」「どのくらい」自分に話してくれたかはやはり自分も信頼関係の指針にするところがあるし、特段「どんな」というのは重要な気がする。

 

話の流れでぽろっと、「最近友人関係でひと悶着ありまして…」とこぼすとその方は自分の話を混じえて私を励ましてくださった。

 

私は少し驚いた。
名前も歳も知らなくてもこういう話できるんだな、今まで制度とかの相談とかしかしたこと無かったからなー、なんて事を思いながら、人って死ぬまでこんなような事で悩み続けるんだなって思うと少し憂鬱にもなった。

 

友人関係も波のように離れたりくっついたりするんだと思う、であればまたその友人と距離が近づいた時、私はその人の事を許すことが出来るのだろうか。

 

それを聞いた時、私は喉の奥が少し詰まったような感覚がした。

 

許すということはどういうことだろう。
-自分の受けた感情を一旦どこかへ置いて相手を受け入れなければならないのだ。

 

私は今、「誰か」たちのことをどう思ってるんだろう?
怒ってるの?悲しんでるの?絶望してるの?

 

「誰か」たちは私の事をどう思ってるんだろう?
怒ってるの?悲しんでるの?嘲笑ってるの?

 

私たちの距離がまた近づいた時、「それ」を一体どう消化できるのかな。

 

消化できるのならいいけど、ただただ横に置いとき続けて、うずたかく積み上がっていくんではないか…
とぼんやり考えながら私は帰途に着いた。

消費される友情

最近自分が管理をしていたコミュニティを1つ潰した。

 

ただ通話や日常会話のチャットをしてくっちゃべっていたグループ。
ちょっとプライベートが忙しい時や精神衛生上情報をシャットアウトしたい時は抜けても良いし、落ち着いたらまた入ってもいい、という前提の元、気楽で居心地がいいグループにしようと立ち上げた。


とても仲良くなってオフ会を開いたこともあった。

ただ、だんだん時が経つにつれて、管理することが難しくなった。

 

誰が誰のことを苦手で、誰かがこんな嫌がらせまがいのことをしていて、など、管理をしていればまず最初にその手の話を引き受けるのは私だ。

 

色々手を尽くしてみても、飽きたからとか、理由も告げずに仲間の前から去っていく人たちもいた。

知らず知らずの間に私が居心地の悪い状況を作っていたのかもしれない。


でも私もメンタルの病気を抱えていて今まさに状況が芳しくない時にグループで不穏な空気が流れると、頭を抱えざるを得なかった。

私自身も他のメンバーに主を任せてちょっと休む、などもしていたがさすがにもう休んで戻れる気がしないところまで来ていた。

 

楽で居心地の良いコミュニティにしたかったのに当の私は誰かに注意したり、諭すばかりだ。
本当に嫌になる。

 

グループをもう解散させたいと言った時ほとんどのメンバーがありがとうとか寂しいとか言ってくれた。
ただそうじゃないメンバーもいた。
(若干恐怖を感じるくらいの追い詰められ方をした)

 

みんなのために、と勝手に思って頑張って、自分の病気のこともわかりやすい様に話して理解を求めていたけど、何一つ伝わっていなかったことを感じた。
無力感たるや。

 

そこから私は人との関わり方がわからなくなってしまった。
今まで密に話していた人たちに、新しい場を設けても次第に発言することも無くなっていた。
すごく無意味だ。

そしてすごく不信感が募っていった。

 

“私のいない所でみんなで楽しくやってるんじゃないか?”

 

それならそれでいい、そうする自由はある。
ただ、私が新たに適当に設けたグループに、発言もしないその人たちはなぜいるのか。
気持ちが悪い。
何を思っているかわからない人たちと今まで通り交流を持てるわけもなく私は彼らが信頼できなくなった。

 

ゲームで見かけても声をかけるのが呼吸が苦しくなるほど気が重い。
グループのチャットで話をするのも何となく苦痛と思うくらいになってしまった。

 

このまま疑念を抱いたまま生活しているのはほんとにしんどいと思い1人の仲間に思っていたことを打ち明けた。
そうすると通話で話をする場を設けてくれたのである。

 

確かに彼らは新しいコミュニティを作っていた。
私に気をつかって黙っていたとの事だった。
解散させたばかりで違う人が主をやるからおいでよ、とは言えなかったと。
あなたはよくやった、誰もそれを(解散させたこと)責めてない。

 

私もみんなのことを信用できなくなってきたことや、そのグループは興味があるがどうしても関わりたくない人がいるため多分そこへ入ることは無いだろうということは伝えた。

 

彼らは「それでいいし、無理して信用してくれとも言わない。別に誰も悪く思ってないからまたゲームでも違うとこでも声かけてくれ」と。

 

そうだね、とその時は納得したのだが…
なんだか時間が経つにつれて違う感情が湧いてきた。

今までと変わらず仲良くしたい感情があると言いながらやってることは私だけはぶかれてる。
(自らの意思でそこに入ってない人もいるけども)


私のことを話題にあげたり元気かなー?と話したりしてるらしいが私のぐるにもいるくせになんで発言しないの?それで元気かなー?っておかしくない?

みんなのためにって思って色々やってみたりしても結局はこれなのか…


私のグルにいた人たち好きだったからみんなが離れるのやだったと新しくグルを作ったと無邪気に話されても、、、
私ではなくその人が主をやった方がいいグループでしょって言われてるようでいい気持ちはしなかった。
ほら、あなたは無理だったけどこの人が新しくやってくれるからもういいよって。

 

もうなんか別の世界だな、と心底思った。

自分が悪いのかも、私に欠陥があるから、と考えていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。
今まで信頼して話していた人たちの全てが白々しい。

 

人ってすごく残酷だ。
もう彼らには心は開けないだろう。
都合のいい人はやはり消費される運命にあるなと改めて思った。

傷ついたことの記憶

昨日久々に夢を見た。
みんなで出かけているのに私だけみんなの輪から離れたところで1人ぽつりと輪の中に入れず誰かを待っていた。
耐えきれず私はその人にに近づき車の鍵をくれ、と鍵を受け取りその場を去った。

 

私はこれと似た状況をどこかで経験している。

 

前夫と暮らしていた時、彼の友人たちの集まりに参加させられていくといつもこんな感じだった。
ついては行くけど前夫は気遣いの出来ない人だったので私の事はほったらかしであちらこちらの仲間と話す。

 

私がコミュ力の高い人間ならばどんな人たちかもわからぬその中へ突っ込んでいって関係を築けたかもしれないが、コミュ力芋虫の私にはなかなか難しい。

 

まだ嫁ぎ先が地元ならば「では私も友だちと出かけてくるね」などと言えただろうが故郷ははるか遠く…元々友だちの多いタイプでもないのでそもそも定期的に集まってうぇーいって感じでもなかったのである。

 

新しい地で友達が出来たらいいなとは確かに思っていたけど、それは頑張ってするものでは無いと思っていた。
実際に何人かお友達ができたけどそれは頑張ったからではなく共通の趣味でたまたまフィーリングがあって仲良くなったのだ。

 

私は前夫の友人たちとの集まりが本当に苦手だった。
(どんな集まりかあまり詳しく書けないけど山奥でBBQしたり音出してうぇーいみたいな感じのやつ)

 

どうしても行かなければならないか?と聞いたこともあった。
彼は体裁を気にして一人で行くことを嫌がった。
私の感情よりも、お飾りとしてそこに一緒に行くことを半ば強制されていた。


趣味も合わないし子どももいないので子供の話もできない。
何より前夫が私を人に紹介するようなタイプではなかったため、ひとりぽつんと佇む私を「誰だあいつ?」「めっちゃ浮いてるやん」と見られているだろうと思うとほんとに肩身が狭く生きた心地がしないのである。

ある程度顔を出し役目を果たすと私はいつも車の中に引きこもって時間を潰していた。

 

夢から醒めてふと気がついた。
離婚する何ヶ月か何年か前から不破が始まったと思っていたけど、離婚原因であった精神的DV(経済的なものもあった)は結構前から始まっていて、割と結婚当初の記憶であるこの出来事も既に「無視」という形で私は傷ついていたのだな、と。

 

もう終わった、解放された、と思いつつも私はまだ記憶に縛られている。
離れてもまだ終わってはいないのだ。

ご挨拶

少し前から感情の行き場がないと、吐き出す場所を探してTwitterやnoteを使っていました。

でもまあ、負の感情を知っている面子(知らない人も見るわけだけども)の前で話すのはちょっと都合の悪い部分もあり、日記書くならここかなと、舞い戻ってきました。

 

まあ、大した有益な情報もないけど、人の日常覗くの好きな人、見ってってや。