質問コーナー:勉強する意味って?

 

随分と間が空いてしまいました

今回は質問箱によせられたこの質問にお答えしたいと思います

 

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こんにちは
これって長年のテーマというか、日本人のほとんどの人がこの数十年で悩んできたギモンじゃないかと思います

僕もギモンでした
ただし、僕はある意味ちょっとタチが悪かったので
親や学校にとっていい子ではなかったです

そもそも勉強キライだったので
悩む前にとにかく学校の勉強を無視してました

でもなんの因果か塾・予備校・音楽教室などで
教える立場になってしまった立場から
なんで勉強(練習)するのか
に答えないといけないような機会が何度かありました

それで結局思うのは
究極的には勉強する意味というのは、
「普遍的には」存在しないということです

それはどういうことかというと
勉強というもの自体に
どんなに時代や環境が変わろうと
何か大きな意味が永遠不滅に内在している的な
ものではないということです

資本主義社会で、なおかつ学歴が社会的ステータスや収入などにとって意味を持つ環境下ならとりあえず一定の意味を持つとは言えると思います
つまり、勉強することで、学校の成績をいいものにして、内申点をあげて推薦で、もしくは一般受験を突破して、行きたい高校や大学に行く。
そして行きたい業種・会社に進み、社会的地位や収入を上げる
ということで自分の欲求を満たしたり自分の生活・生命を安定させることが可能、ということはありえると思います

より単純に言えば、よく言われる
「いい学校に行っていい会社に入れ」
というのをもうちょっと細かく表現したにすぎないのですが、
これは社会情勢が変わってきている現在では絶対のものではないですが、今でも全く正しくないものとまでは言い切れないと思います

つまり、勉強は自分の人生を安定させる、不安定な状態から自分を遠ざけるために役立ちうる、ということはこれまでの人類の歴史を鑑みて、学校誕生以来、現在まで当てはまることと言えると思います
(例えば、昔の中国でも科挙という試験で役人を採用していましたよね。歌人として有名な杜甫も受験していたそうです。勉強して役人の試験に合格すれば貧しい生まれでも安定的な生活をえるチャンスがある、というのは自分を守るために非常に大きな意味を持ちうると思います)

とは言え、「そんな理由だけじゃどうもしっくりこない」
「方程式とか日本史の知識とか古文とか、社会に出てから使うの?」
といったギモンや考えも出てくると思います

僕もそう思ってましたし、実際社会に出てから学校の勉強で与えられる知識がそのまま役に立つことはほぼないでしょう
(多分一番役に立つ可能性があるのは英語ですね)

結局、数学ができなくても英語ができなくても生きていくことはできます
それ以外の科目ができなくても同様に生きていけます
少なくともこれまでの日本ではそうでした

なので
「勉強は必要だ」
「数学(英語)くらいできないとあとで困るぞ」
というのはウソと言っていいです

これから先もそうだとは断言できませんが
これから先も学校の勉強ができなくても生きていける可能性は高いと思います

勉強する意味も
生きる意味も
結局はないんだと僕は思います

でももう僕たちは生まれてしまっているわけで
さらに自動的に教育を受ける社会システムの中に組み込まれてしまっています

意味はもともとないんだけど
自分で意味を作っていくのだという考えは一つ成り立つと思います

もうそういう社会に生まれちゃってるんだから
少しでもそれを自分の人生において役立てるように工夫する
ことが意味だと考えるのもありだと思います

勉強というのも結局自分のためにするのだと思います
自分のために全くならないものならば、する必要はないと思います
でも正直例えば10代の人たちに自分のために全くなならないかどうかの判別は難しいと思います
生きてきた時間の長さも50代とかの人たちに比べて圧倒的に少ないし
社会に出た経験もないから実感としてわかりようがないからです
(アルバイト経験とか、早い段階で起業してしまうとかそういう経験は早い段階で社会を知る機会であるとは言えますが)

なので、勉強が必要か、自分の人生にとって意味があるか、役に立つかと言った結論を出すのは、10代や20代前半という非常に若い時期ではほとんどの人には無理だと思います

ただ、一つ言えるのは、自分の可能性を広げることができるということだと思います
以前島田紳助さんも『深イイ話』という番組でおっしゃってましたが、紳助さんの娘さんがすごく勉強を頑張ってたくさんしていて、
「なんでそんなに勉強するんだ」と
紳助さんが尋ねたら、
「人生の選択肢が広がる」と
いう答えが返ってきて
「なんで自分はそのことに学生の頃に気づかなかったんだ」と
悔やんだと言います

「10000万円持っていれば、4000円のものを買ってもイイけど、300円のものを買ったってイイ。でも1000円しかなかったら300円のものは買えるけど、4000円のものは買えない」

という喩えもとてもわかりやすくて見事でした

それが勉強する意味だと考えてみてもイイと思います

そして「勉強する意味ってなんだろう」
というギモン・悩みは
結局、親・学校・社会に対するギモン・反抗心・不信感の現れであることが多いのかもしれないとも思います

つまり、誰もちゃんとした答えを返せないし、親だって学校の先生だってわかってないこといっぱいあって、いっぱいごまかしたりしてるのに、自分も英語ろくに喋れないくせに何言ってんだ、みたいな思い

あんまり意味ないことまで無理やり押し付けて、自分の声・気持ちに全く耳を傾けてくれないまま、上から押さえつけて、一個の人間じゃなく、人格のない所有物のように命令に従わせようとする
みたいな思いが何処かにあるケースは少なくないんじゃないかと思うんです

親が望むから、学校や社会に要求されるから、というのに反発しているということです

楽しく自分のやりたいこと得意なこと興味のあることに集中して取り組んで、それを自分のスキルとして蓄積できれば、そういうギモンは出てこないのじゃないかと思います

なので、勉強は自分のためにやるんだと思ってみてはいかがでしょう

親のため

学校や社会の要求に応えるため

世間体のため

人と比べて優越感に浸るため

そういった動機で頑張れる人もいるかと思いますが、それでエネルギッシュにやり通せる人って実はそんなに多くないんじゃないかと思ったりします

自分のため、自分のやりたいこと、自分の生きたい生き方のため、親や教師に文句を言わせないため、と考えた方が僕自身はしっくりきます

言われるがままにただ歴史の年号とか暗記してもクソつまんなくないですか?

社会の不条理

人間の愚かさ・罪深さ

歴史上の人物もこんな欠点があった・実はダメ人間だった

過去の出来事・先人の成し遂げたことや失敗からこんなことが学べた

偉人として語り継がれている人にもこんな失敗やダークサイドがあった

外国でも日本でも人間はこういうところはおんなじなのかもしれない

こういったことを歴史から学べる時、僕は楽しさやワクワク感などを覚えます

サイクリング・散歩・旅行を楽しむようになってから、地理も楽しくなりました

社会について、現実の自分の人生について、より真剣に考えるようになるにつれて、政治経済にも興味が出てきました

数学も日常のいろんなところに応用されています(知らなくても生きていけますが)

現代日本語や古語、伝統文化を学ぶことで、英語と比較して自分の生まれ育った国のことをより深く学ぶことができます。そしてそれを外国の人たちに伝えることもできます

自分の興味や個性に合わせて、できることからやっていくのがいいのじゃないかと自分では思っています

なかなかまとめるのが難しいですが、少しでもヒントになれば幸いです

 

質問コーナー:好きな人がいます

こんにちは!

では今日も質問箱にいただいた質問にお答えしますね。

 

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「好きな人がいるんですが、自分から積極的になった方がいいんですかね?」

とのこと。いいですね。青春!

そうですね、自分から積極的にならなくても相手の方から来てくれるという人もいるかと思いますが、そうでない限りは自分からアクションを起こさないと好きな人と付き合うというのは難しいかと思います。

・美女(もしくはイケメン)で、評判がいい・人気者
・お金持ち・有名・権力がある

などであれば、黙っていても相手の方から寄ってくると思います。
でもそういう人はごく一部です。


女性であれば受け身でも大丈夫な可能性は男性よりはるかに高いと思いますが、それでも近年は草食系男子やらさとり系やら、恋愛に消極的・オクテ・あんまり興味ない、という男子も増えてますから、男性より女性の方が受け身でも大丈夫な傾向にある、程度だと思います。

そして、それもいろんな条件によって変わってくると思います。
例えば理系の大学・学部とかだとほとんどが男子で、その中に女子が一人いるとメチャクチャモテる、とか、女性ばかりの職場で男子がたった一人だとやはり人気が出るとか、様々な環境などの条件で積極的になった方がいいか、というのも変わって来ます。
職場などの環境選び、服装も関わって来ますし、何より自分自身がどういうキャラクターで何が好きで、どういう人が好きか、どういう人と気が合いやすいか・仲良くなりやすいかなどを考えて、今好きな人はどんな人かをなるべく見定めて、これがベストかな、と思う方法を試していくのがいいと思います。


とは言え、あんまり思い悩んでもしょうがありませんから、あまり時間を使わずに、ささっと軽く自己分析などして、行動にとにかく移してはどうでしょうか。

 

積極的になるかどうかで迷っているくらいなら、「失敗してもしょうがない」くらいのつもりで、どうしたら「自分を偽らず、ムリしすぎず」に、「相手に喜んでもらえるか」を考えて自分の気持ちを表現していくのが一番いいのではないかと思います。

 

お待たせしてしまってゴメンナサイ。

少しでもお役に立てば嬉しいです。
応援してます。

 

 

質問コーナー:カナダ移住と発達障害

こんにちは!

今回も質問箱にいただいた質問にお答えしていきますね。

 

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質問ありがとうございます。

まず、僕はまだ永住者という立場ではなく、就労ビザでの一時滞在者です。日本に近々戻ることになるかもしれません。今自分の今後を考えるにあたって、日本から永住権の申請をするかもしれませんし、カナダへの永住を断念するかもしれません。

ですので、僕自身のケースに関しては移住が完了している訳ではないので、満足のいく回答はできないかと思いますが、僕の限られた知識・経験・ネットで少し調べてみた情報を総合してできるだけの回答をしたいと思います。

まず、僕の知人でカナダの永住権を得た人は日本人ではほとんどが女性です。(男性も何人かいます)

そのうちのほとんどがカナダ人と結婚してから永住権の申請をしています。やはり結婚をしてからだと永住権の取得は相当ハードルが下がるようですね。とは言え、それでも永住権の取得が100パーセント保証される訳ではなく、中には申請が受理されないケースもあるようです。

日本人以外で永住権を取得した人だと、結婚して取得、という人もいますが、数年の就労期間を経て永住権の申請という人が僕の知り合いには多いです。

カナダでの永住権の申請は現在はポイントに基づいたエクスプレス・エントリーというシステムを採用しているようです。

これは英語の技能(基本的にはIELTSという試験を受験します)と、自分の職種での職務経験年数を中心に、年齢や最終学歴などをポイントに換算して、総合ポイントが基準を超えていたら受理可能、のような形になっているようです。

こちらで簡易的に見ることができます。

https://www.canadavisa.com/comprehensive-ranking-score-calculator.html#gs.88ut32

 

障害がこれに対してマイナスに働くかというと、それは実際に移民局の職員と面談することがあれば、その際に申告して、判断が下される、ということかもしれません。あるいは、その前に書面で申告、ということもありえます。

実際にやってみないとわからない、というところではありますが、障害の種類にもよるのではないかと思います。

例えばADHDやアスペルガーでも、その特質を活かして自分にあった働き方ができている実績があれば、発達障害を持っていることはあまりマイナスにはならないかもしれませんね。重度でなければ、申告の必要もないかもしれません。

例えば、注意欠陥のために車を運転したり危険な機器を業務上扱えない、とかであれば、そういう危険性のある仕事につかないとか、車を運転せずに生活するとかでカヴァーできますよね。いずれにせよその辺はカナダに入国後、弁護士さんに相談したほうがいいと思います。

そもそも、なぜ障害が理由で永住権が降りないことがあるかという理由は、なぜ国が移民を受け入れるのか、を考えれば説明がつきます。

カナダの場合は世界第2位の広い国土を持ちながら、人口は日本の3分の1ほどしかありません。国の経済発展と活気のために、優秀な人を外からも迎え入れようというのが主な理由だと思います。基本的に優秀な人材が欲しい、人手不足を改善・解消したい、人的資源の流動性・多様性・豊富さを高めたい、というのが移民を受け入れるに当たって一番の理由かと思います。それによって経済をはじめ、文化など様々な面で活気を増し、発展を促進したいということだと思います。要は国益のためです。

思い疾患や障害を抱えた人がそういった意味で国家に利益をもたらせるかというと、実際には難しいと考えられてしまう可能性が高いと思われます。

国家は慈善事業・ボランティア精神を主軸に成り立っているわけではありませんので、誰でも彼でもウェルカム、という訳にはいかない、というのが正直なところだと思います。難民の受け入れは、人道的観点から受け入れに関して、世界各国に与える印象もあるでしょうし、移民受け入れとはまた別枠で考えられているのだろうと思います。

(不勉強で詳しくなくてすみません)

カナダの場合は、アメリカと違ってオープンで広くいろんな人を受け入れる国家ということで魅力をアピールしたい、という思惑もあるんじゃないかな、と感じています。

それもこれも結局は国益のためであって、100パーセント慈善・慈愛・ボランティア精神による移民受け入れ、というのは国家運営のためには基本的に不可能だと思うので、そういう判断になることがある、ということかと推測しています。

現実に、移住を希望する人の国籍も移住のしやすさに影響するようです。例えば、ウクライナ出身の友人は、ウクライナ国籍だと移住が難しい、といっていたのを覚えています。僕は実際にあらゆる国籍の人の移住に携わったとかではないので、はっきりとはわかりませんが、パスポート一つとっても、ビザ無しで滞在可能な国の種類や数というのは国籍によって変わってきますから、移住のしやすさ・待遇も国によって変わってくるというのは頷けます。

ちなみに日本はパスポートも現時点まででは強いですし(150カ国以上にビザ無しで滞在可能)、カナダとの関係も悪くないはずで、永住権申請も通りにくいということはないかと思います。

それでも移民受け入れ自体、国家側もコストを少なからず負担することになると思いますし、リスクは負うわけですよね。(一番わかりやすいリスクは、犯罪・テロなどでしょう)そうであれば、それ以上のリターンを望むことになるはずなので、やはり印象のいい・関係のいい国から来る優秀な人・国家に大きく貢献できそうな人から受け入れたいと思うはずです。

つまり、障害があっても、国家にとってリスクは小さく、これだけの貢献ができますよ、ということがアピールできれば移住が成功する可能性はかなり高まるのではないかと思います。(これは素人目線でのアイディアなので、もちろん弁護士やエージェンシーに相談していただきたいですが)

 質問者さんがどういう方か存じ上げないのでわかりませんが、まだ学生だったり、20代の半ばとかであれば、仮に日本に戻ってもまだ再就職もそれほど困難にならないかと思いますので、まず、最初から移住・永住と決め込まず、ワーキングホリデーで生活してみてはどうでしょうか? そのほうがより具体的にイメージも湧きますし、情報もさらに収集できると思います。女性であれば、男性より明らかにモテますし、移住もしやすくなるかと思います。(もちろん保証はできませんが・・・)

日本を出る前からすごく先のことばかり考え思いあぐねて悩んでいても前に進めませんので、30前であればワーホリがリスクも少なく、ちょうどいい経験になるかと思います。(30を過ぎている場合はまた別で考えた方がいいかと思いますが)

 

今僕がお答えできる内容としては、これがベストな回答になるかと思います。

 

お待たせしてすみません。

少しでもお役に立てば幸いです。

 

質問コーナー:トロントの治安・銃撃事件

こんにちは!

今回もいただいている質問にお答えしますね。

 

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まず、「銃撃事件が起きた際にトロントに僕も居合わせたか」ということに対する回答ですが、「はい、いました!」となります。

 

確かに怖いですよね。不安になるのはわかります。

トロントは去年は前年比で発砲件数は増えたみたいですね。僕が覚えているだけでも僕の4年間のトロント生活の中で、4件ありました。うち3件はその当時暮らしていた部屋のすぐ近くで起きました。ショックだったし、驚きました。

トロントは年に200から400くらいの発砲事件があるようです。ほとんどがおそらく個人間のもので、いわゆる乱射事件というのはそのうちのごく一部ではないかと思いますが。

実際に「トロント 銃 発砲 件数 2018」などで調べると多少出て来ますが、英語で"Toronto gunshots 2018"などで調べるとより参考になるかと思います。

対策としては、治安の比較的よくない方の地域になるべく行かない。行ったとしてもなるべく長居しない(特に夜中)。ガラの悪い人と付き合わない。それから、当然ですが、ギャングやマフィアはトロントにもいます(そういう人が全くいない国はおそらく存在しないですよね)

トロントには世界中から様々な人が集まって来ますから、マフィアのバックグラウンドも、中国やイタリアなど様々だと思います。彼らは日本のヤクザの人たちとちょっと違って、素性を隠していることが多いです(わざわざ自分からマフィアだと名乗らない)

ですので、危なそうな場所に行かない、危なそうな人と関わらない、深入りしない、というのが大切になるかと思います。

僕は今まで一人で夜中もほっつき歩いたりしていました。トロントでは夜更かしする人が多いです。(特にミュージシャンは夜更かしします。ライブが終わるのが午前1時とかっていうのもザラです。日本とは違いますね。)

その限られた自分自身の経験で言えば、トロントは治安は全体としてはとてもいいと思います。親切な人が多いですし、僕自身はすごく危険な場面に遭遇したことは今の所ありません。

僕がたまたま運が良かっただけかもしれませんが、人口が200万人以上いる都市で発砲事件の年間の数が200〜400をどう捉えるかだと思います。日本基準で考えると明らかに多いです。でもアメリカよりはマシだと思います。

 

慣れ親しんだ地を離れて言語も文化も人も違うなれない土地で暮らすのは、どうしても多少は不安がつきものだと思います。でもせっかく海外で暮らしたいという気持ちがあるのであれば、最初から永住・一生そこで過ごすと決めずに、まず数ヶ月〜1年住んでみようかな、くらいで暮らしてみるのもいいかもしれません。

犯罪のない国・地域は存在しませんから、どこに住もうとも何かしらのリスクはある程度あります。

決めるのは質問者さんご自身ですから、僕にはそれくらいしか言えませんが、あまり考えすぎず、でも最低限の下調べと用心をした上で、

「自分の人生の舵をとるのは自分だ」

「自分の人生は自分のもの」

「自分の人生の決断は自分でする。責任も自分で負う。それが自由ということだ」

と考えて、しばらく調べながら期限つきで悩み、決断するというのがいいかもしれませんね。

 

お待たせしてすみません。

少しでも参考になれば幸いです。

質問コーナー:トロントの交通機関について

こんにちは!

いつも質問いただいていて、感謝です。

お待たせしてしまってすみません。

 

今回はトロントの交通事情についての質問ですね。

 

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視力の問題があると不安になるかと思います。僕はADHDと言うこともあって、車の運転はアブナイと言うことでこれまで免許を取得したことはないのですが、なんとか生活できてます。

トロントは、TTCという会社が市内全域に地下鉄・バス・路面電車(ストリートカー)を提供しています。日本よりもUberも普及していると思います。

ですので、結論としては、車なしでもトロント市内で生活することは可能です。

ただ、やはりマイカーがあった方が便利なことも多いのは事実だと思います。

TTCは日本の鉄道と比べると割とフツーに遅れたり、全然バスや路面電車がこないと思ったら3台くらい連続で来たりします。それでももっといい加減な交通サービスを提供している国や地域はたくさんあると思いますが、かなり時間がかかってしまうこともあるので、マイカーやタクシーの方がはるかに速いことが多いのも否めません。

それでも市内はくまなく電車やバスが走ってくれますから、便利です。

さらに地下鉄は午前1時過ぎまで、バスや路面電車は24時間走っているラインも多いです。

なので、考えようによっては、日本よりも交通サービスは日本より行き届いていると言えるかもしれません。

ですので、そんなに心配しなくて大丈夫だと思います。

お待たせしてしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。

ぜひトロント生活を楽しんでいただけたらと思います。

 

質問コーナー:どんな人に惹かれる?

こんにちは!

いっぱい質問いただいちゃってるので、今回も質問箱の質問にお答えしたいと思います。

 

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これは異性、恋愛とかっていう意味でしょうか?

恋愛とかだけじゃなく、友情とか仲間とか、全般でいうと、

「(自分にとって)面白いと思うひと」

「刺激・学び・いいエネルギーをもらえる人」

にやっぱり魅力を感じますね。これは年齢とか性別とか一切関係なくそうですね。

 

結局魅力的な人に惹かれるのであって、魅力的な人というのはどんな人かと考えると、「自分の欲しいもの・求めるものを持っている人」だと思います。

人が求めるのは、大きく考えると、快楽・エネルギー・安心だと思います。

快感や安心感を与えてくれる、または苦痛や危険から遠ざけてくれるものは魅力的なわけですね。

 

僕にとってのワクワクだとか、面白さ、刺激、学び、そういったものが一緒にいて自然にもらえる人が魅力的だと感じるポイントの一つですね。

同時に、「この人といると安心するなあ」とか、気持ちが軽くなるとか、元気になれるとか、それも魅力のポイントの一つですね。

僕は人間関係・特に男女関係では、自分の性格的に、お互いフェアで対等な関係を持ちたいな、と思っています。(完璧に、というのはもちろんムズカしいですが)

なので、僕自身も、相手にとって何かいい刺激を自然にもたらせる、一緒にいて心地よいとか、面白いとか楽しいと思ってもらえるようでありたいと思っています。

だから相手だけに一方的に与えたいという風には考えていません。

例えば、日本では「お姫様扱い」を期待する女性が一定数いるかと思いますが、「守ってあげたい」「お姫様として一方的に尽くす」みたいなのは僕には合わない考え方だと思っています。それだと僕自身がムリをしなきゃいけないので、いずれ破綻することがわかっているからです。

 

そして、やっぱり波長・相性・好みっていうのがあると思います。

Aさんにとって面白い、心地よい、美味しい、美しいと思えるものをBさんも同じように感じるとは限らないですよね。

なので、本当に細かいところまでピッタリ一緒というのはないにしても、大枠で、一致でなくとも、うまく折り合いがつけられる、少なくともムリなく受け入れられるというのが大事だと思います。

性格・音楽や食、ファッションなどの好み・笑いの感ツボ・金銭感覚・人生の考え方など、色々ありますが、そういうのがだいたいムリなく受け入れられるというのは大切だと思います。

一言で言うと、「その人といると自然でいられる」という感覚がもてる人かな、と思います。お互いムリしないでいい、心地よい、そして刺激ももらえる。

そういう人に惹かれますね。

同じようなビジョン・視点を共有できる人と言ってもいいかもしれません。

ただ、基本的に感覚的なところなので、なかなか説明がムズかしいのですが・・・

 

読んでいただいてありがとうございます。

少しでも楽しんでもらえたら、また何かの参考になれば幸いです。

ツイートまとめ:日本の将来のためのぼやき

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ツイッターに書いたツイートを一つの記事にまとめてみました。

 

この空間で
この時期に
有名人
・権威じゃない人間が
こんなこと書いても意味ないと思うけど
このままだと日本はどんどん衰退していくと思います。

・悲
してネガティブになってる
・不安煽りたい
・誰かを攻したい

とかじゃなく、 
純に客的に考えた結果です。

僕らがわらない限りそうなると思います。

僕自身、めちゃめちゃ未熟で、そんな自分をえようともがいてる身です。
そんなザコ
カスな立場からだけど、いくつかヒントになりそうなことをシェアさせてください。

人間はみんな弱い。
 逃げる、ウソをつく、言い
をする、勢を張る、誤魔化す、自己中、自分勝手な生き物である。

結局は程度問題である。

それを踏まえた上で、自分はどういう人間か、どうなりたいか、そのためにはどうすればいいか、を少しずつ明らかにしていく。

「程度問題」という言葉も、ほとんどの場合、逃げや言いのために理屈として使われている。

言いをどこまで減らせるかは、自分の人生のクオリティに大きく影響する。その意味での「程度問題」である。

「インフルエンサ」「感謝」「自分らしく」などのキャッチフレズにとらわれ過ぎないほうがいい。

「コンテンツ」を作れる人、中身のあるものを提供できる人は、際は全の中で一部の人である。

背が高い人、見た目が特別いい人、金持ち、力者、トッププロスポツ選手もごく少である

その上で、自分には何があるか、何がどの程度できるか、何が絶向いてないか、などを断続的に分析しながら修正していくことで、一番自分に向いた自分になれる可能性が高まっていくと思われる。

全人類がコンテンツの提供者になった場合、需給はおそらく成り立たない。ファンや消費者は立派な存在

やってみなければわからないことがほとんどなので、色トライしてみること自は非常に大切だと思う。 そうすることで、「自分は何者か」がわかってくる。

その意味でも「失敗」は非常に値がある。もっと言えば、経験値がある。

自分を客的に見つめる、みたくないものでもみる(自分の弱さとか、現のイヤな部分とか)という姿勢は自分を成長させてくれる。

いい側面だけをみて、みたくないものはみない、臭いものにはフタ、はポジティブではない。(都合がいいものしか受け入れないので、正確には「ご都合主義」)

日本人は自己肯定感が低く、不安を感じやすく、臆病になりやすく、他者を必要以上ににしがち。際はそこまでにしたりむ必要はない。

とにかく自己ベスト更新を心がければいい。

日本の社には非常にムダが多い。それが日本人の才能や良さを殺している。

日本は化を恐れる、消極的になる、くなる傾向がい。原因の一つが(有害になってしまっている)老人が社に影響力支配力を持ち過ぎてしまていること。(政治・経済その他様々な領域で)

・教育をなんとかしないとマジでヤバい。

語をぶ、外に行って暮らしてみる、外の文化(音楽・芸術食など)にれてみることで、自分や日本を相的にみることができるようになる。マスタできなくてもにしなくていい。

日本人のや見えている範は現在すごくい。(盲点になってしまっている範い)

日本人の興味の象の代表例 流行、金、(と性)、物欲(現在は多化しつつあるが、車、家、ブランド品など)、テレビ、ディズニランド、アニメ、マンガ、ギャンブル(パチンコ競馬など)、ゴシップ、スキャンダル、話、ファッション、カラオケ、み (いいいが言いたいわけではないです)

いいいではないけれど、日本人の興味は
 即物的反射的一時的消費者的受動的
 ・他者の目をにしたもの
 (他者と比べてどうか、上か下か、自慢できるか、バカにされないか、仲間外れにならないか)になりがち。

この土では、自分の中に確固たる軸は持ちづらく、そういう人は潰されやすい。

にクリエイティブな人、尖った人、頭のいい人、センスのいいひと、ブッ飛んだ人は育ちづらい。 偏差値でいうと70、80とかそれ以上の人は日本では生きづらい。60くらいで周りにうまく合わせられる人がうまく行きやすい。

例えばもっと抽象的なことにれる機やすことで興味の幅、レベル、深み、人生のクオリティもわってくる 政治、経済、思想、芸術芸能文化、問、抽象思考などに1ミリずつれる習慣を作ると段々変わってくる 自分の空を破る、コンフォトゾンから出る、限界を攻める→

あるいはカベにぶちたるのをやめて、ちょっとにズレたらスルスルっと突破できることもある。(大愚和

八方塞がりなら、天井は空いてるので、レベルが上がれば上にけられる(藤一人さん)

有名かどうか、威があるかどうか、みんながやってるか、周りがどう思ってるか、は絶的な指標じゃない

完璧、常にしっかりしている、本になんでも知っているなんでもできる、欠点のない人間はいない。フリをしている、取り繕っているだけ。

人間はうっかりしている生き物(藤一人さん)だし、世の中はものすごくいい加減。僕は自分が欠点だらけでうっかりしてることを知っています。社は人間の集合なので、いい加減な生き物である人間が集まってできた社というものも必然的にいい加減になります。

…など。

なので、稼ぐとかインフルエンサとかクリエイティブとかが大事なのじゃないと思います 今の日本の社にある根本的な精神や生き方を、ファッションじゃなく、根本的に改善する必要が僕はあると思ってます ムズカしいことじゃなく、笑とか、親切とか、ちょっとずつぶとか、そんなのです

 

今すぐタダでできること

やす
表情を改善する
考え方を客的に反省して、ベタな方に自分をます
頭の中のい言葉、汚い言葉を減らして、いい言葉をやす
ちょっとしたプチ親切を一日1つ心がける
いいものがあったら他の人にえてあげる、シェアする

・悩みすぎ、考えすぎ、心配しすぎ、妬み、憎しみ、恨み、グチ、不平がえたら、深呼吸して、自分らしくない、そんなことしなくていいよ、などと自分にく語りかける 周りをあまりにしない ・悪口を言わない。口やグチなどを言っている人とはなるべくわらない。

スクワット、ストレッチ10回

・当たり前と思っていたものこと人にありがとうと言ってみる。(人からどう見えるかに基づいた、いい人アピルじゃなく、誰も見てないところでやってみる。結局誰かが見てる)

今まで敬遠してたことを分何も考えずやってみる(語学・読運動など)