エルヴィス・プレスリー、生涯ただ一人の妻だったプリシラ。彼女とプレスリーの出会いから別れまでの物語。
私はプリシラのことはおろか、プレスリーに関しては曲こそは知っているが『くねくね踊る、暑苦しいもみあげおじさん』くらいの印象しかなかった。ただ「ソフィア・コッポラが撮るんだもの、ロマンティックで、そりゃあ切ない物語に仕上がっているんでしょうよ」との期待を胸に、映画館へ向かったのだった。
1959年。西ドイツに兵役のために駐留していたプレスリーとパーティーで出会うプリシラ。
この時のプリシラ、わすが14歳。橋本環奈のデビュー時を思わせるみずみずしく輝く美少女だったので、恋しい故郷を離れ、亡くなったママを想い続ける24歳のプレスリーには目も眩むほどのときめく出会いだったのだろう。(そうは言ってもロリコンだよね)
恋に落ちた二人は西ドイツの家で時々会う仲になるが、兵役が終わりアメリカに戻ったプレスリーは、16歳になったプリシラを邸宅グレイスランドに呼び寄せる。
優しいお手伝いさんや事務所の人たちに囲まれ、何不自由なく彼に会えるプリシラの豪邸生活。最初はバラ色だった。だが、唯一自由に外に行ける機会である高校では特別視され、友だちもいなく孤独だった。
一方、仕事の合間に帰ってくるプレスリーは、寝る時は睡眠薬が手放せない不安定な精神状態で、激昂するとプリシラに物を投げつける異常性も見られた。
そして彼の好みに合わせて濃いメイク、黒髪を大きく盛り上げるビーハイブヘアにし、外見もロックスターの彼女風に仕上がっていくプリシラ。
ああ、もう破滅への道しか見えなかった。
と、伝説のKing of Rock'n' rollとの恋物語だけあってスケールは大きい。だけどこういっちゃ何だけど、よくある話ではある。
ただ、スーパースターと恋に落ちる瞬間や恋する日々、彼の豪邸で過ごす甘い日々の描写は、インテリアやファッション全面においてソフィア・コッポラお得意のガーリーテイストが炸裂していた。
そこは良かった!コッポラ節を充分堪能できた。それだけの映画って言うと言い過ぎだろうか。
「プリティウーマン」でのジュリア・ロバーツのように高級ブティックで洋服を買ってもらうシーン。シャネルやヴァレンティノのドレスがずらりと並び壮観であった。ソフィアの作品「マリー・アントワネット」を思い出させる色合いだった。
ソフィアの夫のトーマス・マーズ(phoenix)が担当した50〜70年代のアメリカンポップスやジャズをアレンジした音楽も、映像にマッチしていて、そこもさすがだった。
幸せの絶頂、結婚式のシーン。
ウエディングドレスはシャネル、タキシードはヴァレンティノだそう。
この翌年、赤ちゃんを産み母になって成長したプリシラは自我を取り戻し、浮気を繰り返す夫に別れを告げてグレイスランドから出ていってしまう。
ここの流れ、ものすごくあっさりしていて「あらら?私、寝てないよね?ここでお別れなの?」と拍子抜けした。この状況のプリシラの心の中が描かれず唐突だったからだ。
ここ、もっとエモく演出してくれたら最後グッと感情が盛り上がったのに…残念だ。
どのシーンを切り取ってもスチール写真になりそうな、おしゃれなスライドショーを見ているような感じだった。全体を通して振り返ると薄味な印象が残る。
上映後、映画館に明かりがつくと、何人かの70代と思しき、地味な雰囲気のマダムたちの姿がちらほらと見えた。
失礼ながらソフィア・コッポラファンとは思えないし、なぜだろう?と考えてハッとした。
「プリシラと同じ時代を生きていた、ガチのプレスリーファンかもしれない」と。
私は可能ならばマダムたちを捕まえて、あることを教えてもらいたくなった。
この映画からは、あくまでもプリシラ目線のプレスリーの姿しか見えてこなかった。プレスリーの音楽や実像については彼のことを掘り下げた映画「エルヴィス」という映画があるそうだが、そちらも見るべきなのかもしれない。でも往年のプレスリーファンから直接聞いてみたかったのだ。
「プレスリーの魅力って、一体どういうところだったのでしょうか」と。