白玉楼。

 詩人は死んだらどこへ行くんだろう、と書いたら「詩人は死んだら白玉楼へ行くんですよ。」と友人の詩人が教えてくれました。白玉楼へ行けるようにささやかに詩を編んでいきたい。

夢うつつ。

マジでヤバい話で今、私が最も愛する人は俳優さんなのですが

自粛期間が始まって夜毎に配信があり、ついていくのは必死だったけど

お顔を見るのは諦めて家事をしながらスマートフォンでお話を聞いていた。

 

飾れない

嘘をつけない

 

とっても優しいのにすごく厳しくて

自分のこと特別凄いとは思ってないけれど全力で生きていて

ほんま凄いなって思う。

 

もちろん顔もスタイルもいい。そりゃ好きになりますわ。

私のせいじゃない。

 

それで私は実は今週重大な試験があるのでこんなの書いている場合じゃ

ないのかもしれないんだけど、それこそ雨のように突然書きたくなる時は

やってきてそれが今。

 

波と同じで逃すと乗れないのだ。

 

で、昨日早めに配信から脱落して寝る前にまたアプリケーション開いたら

お話していらした。

 

朗読をなさってる。

 

なんだろう…音楽とはまた違うんだけど強弱のあるセリフ回し

めりはりがあって特有の個所が心に引っかかってく。

内容はまったく…意味が分からない。

 

困った状況にある主人公が理不尽な目に遭ってわけわからないまま終了、なんだけどなんだろう...。

 

やっぱりこの人の舞台観たいなぁ、なんて思っていたら眠ってて

朝、スマートフォンを見るとバッテリーが17%になっていた。

 

やっぱり朗読聞いてたんやな。

どんなお話やったんやろう?

白玉楼って。

詩人李賀の臨終の時、天帝の使いが表れて

「白玉楼が完成したのでその由来を書かせる」と言ったという。

だから詩人が死ぬことを白玉楼中の人となる、というそうだ。

 

…白玉楼はどんなところやろう。色はきっと白くて輝いててオパールみたいに

虹色だったりして。

 

きっと西行リルケもいて庭があるんやわ。

 

庭には薔薇が咲いてて山桜の樹があって有名でない詩人も歌人もうろうろしてる。

井上靖パパもいて加藤周一さんも遊びに来てて石牟礼道子さんが

微笑んでいるに違いない。

 

詩はすべての文学の母にして最古の文学。

 

でも褒め称えるだけじゃなくてまるで家具みたいに馴染んで過ごしたい。

 

凍てつきそうな冷たい空気がなにか目覚める前の気配を感じさせて予感だけが騒いでる。

 

アウュビッツ解放の日とラジオ番組。

仕事でパッツパツでなかなかに大変な日々...。

しかし急に休みになって、そしたらもらった大量のじゃが芋に芽が生えていくのを

黙って見ていられない。

 

結果、ポテサラ作り。

手羽元があったのでお酢とお酒とにんにくとお砂糖と醤油で適当に煮ながら

ポテサラをせっせと作る。

これは3月のライオンのあかりおねいちゃんのせいもあると思う。

責任取って。

 

そうしていつも台所に立つときはラジオをかける。

大好きな番組が今は2つあるのでそれを聞くためにラジオが録音できる

機械を買った。

機械を買ったのはまだスマホになる前だったのでラジコも使えなかったし。

今も使えてないけど。

 

大好きな番組の一つパナソニックロディアスライブラリー。

 

作家小川洋子さんがパーソナリティになって毎週本を一冊紹介してくれる。

 

今週(1/26日曜日)紹介してくれたのは

マグダ・オランデール=ラフォン作
『四つの小さなパン切れ』
みすず書房

 

当時16歳だった少女がアウシュビッツで体験したことがつづられている。

 

毎年アウシュビッツが解放された1月27日に近い放送日はアウシュビッツ関連の本が紹介される。

アウシュビッツが解放されたのは1945年で今から75年前。

 

まだ広島にも長崎にも原爆が落とされていない。

 

でもドイツではもう既に多くの人が苦しんでいたんやな。

 

収容所では灼熱の太陽が照り付ける中、ブラームス(?)だったと思うけど

演奏会が開かれて久々に芸術に触れられることに喜んでいたらだんだん

ひとり、またひとりと

暑さに耐えきれなくなって音楽を聴いている人も演奏者も倒れて死んでいったという

お話が壮絶で...。

 

ほんまにね~抵抗力弱まって栄養失調の人なんてすぐに死んじゃうんだから、

どれほど過酷やったんやろう...。

 

アウシュビッツを経験した話の中で忘れられないのはエリ・ヴィーゼル

「夜」という本。

たった16歳の少年が「見てはならぬものを見」てしまったアウシュビッツ

 

ある日見せしめの絞首刑で天使のような幼い少年が体が軽いために

死までの時間がより長く苦しむ姿を見て

「神様はどこにいらっしゃるのだ」という呟きに

 

どこにだって!?神様はここにいらっしゃる!今ここで絞首台で殺されているー

そう胸中で絶叫する声が魂に響いて離れない。

 

私が聞いた最初で最後のエリ・ヴィーゼルの言葉はテレビで国連で演説する姿

だった。

「世界は何を学んだのだろう。」と。

 

今月23日、エルサレムで開かれた追悼式典でドイツのシュタインマイヤー大統領は

「ドイツ人は歴史から学んだと言えたらよかったが、憎悪が広がる中、そう語ることはできない」

とスピーチしたそうです。

 

イスラエルだって酷い国だと思うけれどそれは置いといて

ホロコーストホロコーストで今は語りたい。)

 

本当に憎悪は広がるだけだろうか。

確かに私にも消えない憎しみはある。

 

でもそういう人とは距離をとってもいいから争わないでいたい。

 

ポテサラを作れて食べられる日常に感謝。

 

www.tfm.co.jp

 

春秋問答。

春と秋、くらべてどちらの季節が素晴らしいか万葉集の頃から繰り返し問われている。

額田王は春と秋の両方の素晴らしさと口惜しいところを長歌で述べて

「秋山ぞ我は」

と言い切っている。

 

どちらが素晴らしいかはさておきどちらが好きかは答えられる。

源氏物語光源氏の養女になった秋好む中宮は「決めれませんがお母様の亡くなった

秋はことに心惹かれます。」と答え

以来、秋好む中宮と呼ばれている。

 

紫の上は春が好きと言い、源氏物語の作中でも秋好む中宮とお互いに贔屓の季節の

素晴らしさを言い合う遊びをしている。

 

更級日記の作者、菅原孝標女の娘は秋を褒める人が多い中春の味方をして

「あさみどり花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月」

 

と詠んでいる。

 

萌黄色の空に桜の花も一緒にかすんでおぼろに見えている春の夜の月よーと。

 

くだんの源氏物語では春の美しい情景も秋の美しい情景も(夏も冬も美しいけれど)

繰り返し述べられている。

 

殊に春を褒めて忘れられないのは初音の帖 「春の御殿〔おとど〕の御前、とりわきて、梅の香〔か〕も御簾〔みす〕のうちの匂ひに吹きまがひ、生ける仏の御国〔みくに〕とおぼゆ」

の生ける仏の御国〔みくに〕とおぼゆ、というこの世の極楽浄土のようだという表現。

 

釈迦の誕生日だとされる花祭りは春。

 

紫式部は仏教の考えをここでも取り入れてたのかな、と思ったり。

 

紫の上は仏教のたしなみも深かったけど最愛の夫と出逢ったのも春だったから

春が好きなのかなあ、と思ったり。切ないね。

 

私自身はアレルギーからくる呼吸器の病気を患っていたので

長いこと春に調子が悪くなり苦手だったのですが手術してからだいぶ良くなりまして

以来春を平穏に過ごすようになり春も好きになりました。

 

西行も桜が好きやったし殊に春を喜んだでしょう。

 

しかし、私も「秋山ぞ我は」ですの。


 

詩のようなもの。

果たしてこれは詩なのか。

 

厳密にいえば違う気がする。しばらく過去作はのせず詩が書きたくなるまで

それこそ「心に移り行くよしなしごとを」徒然に書き綴っていこうと思う。

 

詩へのリハビリ。

 

昔々、厳密にいえば23年くらいまえ当時の恋人にクリスマスプレゼントに手袋を

編んで一緒に手紙も添えて渡したら

「詩が入っててびっくりしたけど嬉しかったよ。」と言われたことがある。

 

言われたわたしこそ驚いて詩じゃなくて手紙なんだけどって言えないままだった。

 

素直に気持ちそのままを書いたら詩にしてしまうのか。

 

まさかそれから8年くらい後に詩を書き始めるとは思わなかった。

 

そしてもりもり書いていたそれから10何年。

 

今は一回休みの前のマスの上で、足元の下の小川を私の詩になりそうな魚の影が

ほんの一瞬姿を見せては遠ざかってく。

 

 

おまけ。

 

魚で思い出した話。

 

大好きなラジオ番組の「パナソニックロディアスライブラリー」。

日曜の朝10時から30分間作家の小川洋子さんがパーソナリティー

本を一冊紹介してくれる。

 

年末にベストオブブックを決めてリスナーからの手紙も来るのだけと

とあるリスナーのラジオネームがカツオ・ノドグロさんで吹いた。

 

ラジオだから表記が分からないけれど絶対カツオ・ノドグロさんやろ。

 

今年こそカズオ・イシグロさんの本を一冊読みたいと思う。

西加奈子も読んだことない...。楽しみというより勿体なさ過ぎる...。

 

 

 

或る日記。

2019年4月23日火曜日 曇り

 

ピィーョピョ

 

鋭く鳴く声

 

あ、鵯(ひよどり)やわ

 

そういうと傍にいた友人が

よく鳴き声でわかるね、といった

 

だって鳴きながら自分の名前呼ぶんやもん

 

夜、家で鳥のことを教えてくれた母にそう言うと

笑いながら

 

オオジュリンはな、チーヨチヨって鳴くんやでと言った

 

オオジュリンオオジュリン...大寿林て書くんか

 

大寿林は私の名前を呼ぶと母が言う

                         千代

             

 

 

透明なドア。

詩人...そう名乗りながら実は長いこと書いてなかった。書けなかった。

随筆なら書ける、ショートストーリーなら書ける、俳句なら短歌なら詠める。

 

でも詩は...。

 

そう楽に書けない。定型もないから深く深く潜らねば...。

 

書かなきゃ、書かなきゃ...そう思ってもう六年。

 

凄いなって思う友達の詩人に「また貴方の詩が読みたい」

そう言ってもらってああ、あの世界に戻りたい、といつになく思った。

 

普段生活していると忘れてしまう、私は地球に住んでいるんだってこと、

ここは宇宙の中で私の住んでいる地は海の中だったであろうこと、

私はいつか死ぬこと、

青いものに食欲をそがれ赤いものに食欲をそそられるのは

長いこと熟れたものと熟れてないものを目で判断してきた動物の本能としての名残であること、

 

世界は平面でないということを一番思い出させてくれるあの世界へ。

 

目の前に開かない透明なドアがある。

あのドアを開けたいー。

 

そう強く思うのは毎朝見てるドラマの登場人物が創作しようと苦悩し創作して

喜び創作して苦しんでいる姿を見たからだろう。

巧みな演技で普段は見ることのない心そのままを演じてくれる俳優たち。

私も戻りたかった。

 

そしてー

 

ある雨の夜...Twitterで詩をつづっているブログを見つけた。

 

素直な言葉で。とても静かに綴られる言葉たち。

 

技巧はなく心そのままだった。

 

その囁きに耳を澄ませていたら...

 

ざあああっと詩句が降ってきた。

 

まだまだ詩に綴れなくてそしてまだブログを持ってなかったから

掬えなかった詩句たち。

 

不思議なのは私はまだ透明なドアを開けてない。でもドアの向こうと

こちらの世界は同じ雨が降っていて久々の雨にしばらくうたれた。

 

ーそうして...やっと今日ブログを編んだ。

 

よりによって1月17日に。

 

たくさんの人が亡くなった鎮魂のこの日。

 

何人かがおっしゃってることだけど文学は祈りに似てる。

 

ささやかに祈り続けていきたいと思います。