Psychic experiences 2 前世からの赤い糸?①
物心ついた時期から、不思議な事や 偶然とは思えない体験は 誰でも一つや二つ あると思います。そういう私も、霊感がそんなに有る訳ではありません。
でも、後から考えても 何故だか心に残っている不思議な事を時系列は関係なしに、思い出した事を綴るシリーズ『Psychic experiences』
【前世からの赤い糸?①】
小学校の時は、そこそこ勉強は出来ていたので、親の考えで中学受験をすることに。
その当時、公立中学は荒れた時代で、生徒が学内で暴れたり、教師に暴力を振るったり、またちょっと悪い感じがカッコいいような風潮だった。将来の可能性を考えると しっかり勉強して、良い仕事をして、食べていくのに困らない生活が出来るパートナーと結婚させるには、どんな親だっていろいろ考えてベストな道を選びたいもの。
堅実にその第一歩を踏み出す為に、両親はいろいろな学校を調べ始めた。当時の私学で共学というのは、少なくてあまり学力的なレベルで期待はなく、男子校や女子校はハイレベルな試験で難関な学校も多かった。全国学力テストの結果だと、某有名なお嬢様女子校には楽々クリア出来ていた。ただ、そちらは女子校の中でもグンと学費が高いのでも有名であった。
そんなに高い学費は普段の生活を圧迫してしまう。一つランクを上げれば、比較的学費がお手頃価格な学校もあるからという事で受験対策の勉強が始まった。有名中学の過去問の反復や、傾向と対策が功を奏し、結局は2ランク上の仏教系女子校が志望校に決定した。
小学生の頃、親の仕事や その他諸々の事情で いつも注目されていた私。目立ちたくないし、大人しくしているのだが、おっとりした物腰や母が選ぶ洋服は洒落ていて、否応無しに目立ってしまう。私のあだ名は『お嬢様育ち』だった。そういう風に呼ばれるのが嫌で嫌で仕方なかった。普通に接して欲しかったが、妬みやっかみが酷かった。
なので公立中学に行かずに、全く私を知らない環境に入るのは大賛成であった。
そして2ランクを上げたにもかかわらず、余裕で合格出来たのだった。
「運が良い」と思った。また自分は特別に選ばれた人間だと根拠のない自信で溢れていた。
そして、あっという間に春。
方向音痴で1人で出掛けられない母は、私をとっても心配した。12歳で1人満員電車に乗って、駅から20分くらい歩く。電車の乗り換え、間違えないのか?道を迷わないだろうか?
私は方向音痴ではない。地図も見て、間違えない。なんといっても記憶力は良いのだ。
私が一つだけ気になるのは、住んでいる地域よりも治安が悪い場所に学校がある事ぐらいだろうか。
通学路の辺りには考えられないぐらいにホームレスが多かったし、風俗営業で有名な一帯も近かったので、要らない災いに巻き込まれないだろうか?って事の方が心配だったのを覚えている。
入学式は母と2人で行った。
明日からは1人で片道1時間の通学だ。
通学電車の満員電車、学生の殆どが高校生である。
中学生とは思われず、他人からは高校生と思われる自分に何か特別なことが起こるように思っていた。
8時に始業のチャイムが鳴る。なので、ほとんどの生徒は早くても7時30分頃に登校して来た。
私は7時にはもう到着している。毎日がクラスで一番のりであった。
仏教系の学校だから、通常の授業の他に仏教の教えを取り入れたカリキュラムや行事がある。
入学して2週間目くらいに一番最初の行事、本山参拝があった。教育理念の一番大事な教えについて、知識を持つ為の基本のキである。本山は長い歴史の中で派閥争いや思想の枝分かれがあり東と西に分かれているのだが、母校は東の方だった。広い境内を2列になって300名がお詣りする。他にも団体様が何組か、農協のツアーみたいに旗印を持ったバスガイドに連れられた参拝客など広い境内も大混雑するくらい人が多い日だった。
ちょうど全国のお寺から、代表のお坊さまが集まる行事と重なっていたようで、ご案内してくださるお坊さまが「普段は、こんなに混雑することはないのですがご迷惑をおかけして申し訳ない」と学年主任の先生に仰っていた。
御影堂から阿弥陀堂へ移動している時に、全国から集まったお坊さまの大集団が通って行った。
12歳や13歳の子供がお坊さまなんぞ、何の興味もないので(もちろん、お寺の参拝なんかも面白くないので、早く終わってくれるのを待っている状態)だから、100名以上のお坊さま達の事なんか見てもいない。
そんな時、頭の中に直接誰かの声が響いた。
「あの人だよ!」
ふと見上げた時に目に入ったお坊さま
小柄で、眼光鋭く、痩せ細った中年男性
私の好みは筋肉質で、顔は少女漫画に出て来る甘いマスクのイケメンなのに、あんな小柄でガリガリで全然イケメンじゃない人なんて有り得ない。それも、中年じゃないか!
「好みじゃないし、絶対にあり得ない‼︎」って、頭の中で響いた声に向かって強く返事した。
「絶対にあり得ないから‼︎」憤慨して何度も何度も、繰り返し 心で言った。
何故だろう?何故?って、頭に響いた声に対して、質問を何度となく繰り返したが一向に答えは出てこない。そして、頭の中に聞こえた声は二度と話しては来なかった。
Psychic experiences 1 特殊な体験は遺伝するの?
物心ついた時期から、不思議な事や 偶然とは思えない体験は 誰でも一つや二つ あると思います。そういう私も、霊感がそんなに有る訳ではありません。
でも、後から考えても 何故だか心に残っている不思議な事を時系列は関係なしに、思い出した事を綴るシリーズ『Psychic experiences』
【特殊な体験は遺伝するの?】
私の母は、小さい頃から病弱で 何かあるとすぐに熱を出して寝込んでいたようです。
ある日の事。顔の真ん中にデキモノが出来たそう。まだ学校に入ったばかりの歳。面疔というのは、本当に怖いもので 気になって触ってばかりいると 大きく腫れてしまい、傷から細菌が繁殖して膿んでしまったそう。
そこから高熱が続いて意識も朦朧とした日が続き、お医者様が家族に『今晩が山かもしれないです』と 言ったそう。
本人は意識朦朧なので、生死を彷徨っている自覚は無かったそうです。
ふと気が付くと、天井の隅っこから 寝ている自分を見下ろしている事に気付く。
『あれ?なんで寝ているんだろう?みんな なんで集まって、寝ている私を見てるんだろう?』そう思ったそう。
次の瞬間、身体(魂?)が凄まじい速さで どんどん どんどん 空に向かって昇っていき、パッと視界が広がると 綺麗なお花畑へ着いていた。
とっても とっても綺麗な景色で、サラサラ小川のようなせせらぎが。
(えっ、それって三途の川なんじゃあ。)
河原では子供達が歌いながら石積みしていて、 なんとなくうっとり眺めて居たら『あれ、貴女はまだ来るの早すぎるんじゃない?』と声を掛けられたらしい。
お花畑の向こうに『あっ、何か建物あるな』って思った瞬間、もう その建物の中に居た。建物の中も 綺麗な調度品の数々があったそう。
そして、なんだか怖そうなおじさんが居た。直感的に閻魔大王って分かるんだって。
名前と歳、どこの出身か聞かれて、閻魔帳をペラペラめくって『まだ早過ぎるから、ダメだよ』と言われた瞬間!
布団の中で、目が覚めた!
急に布団の中に居て、ビックリしたと言ってました。
母は戦争孤児なので、祖父母が親代わり。
涙流して、生還を喜んでくれたそうです。
母は、生死を彷徨って、幽体離脱してたんですね。
70もとうに過ぎて、お婆さんになった現在でも、あの時に見た景色は瞼に焼き付いてるそう。
母は、祖母から聞いていた《死んだら行くところ》の話は、本当に存在していたと言う。
なので、いい歳になった私達は今でも 事あるごとに言われる。
『正直に 人間として正しい生き方をしないとダメだよ』
幽体離脱を経験してからというもの、不思議体験がたくさん起こるようになり、そんな母には いろいろなエピソードがあるが、それは追々、話をしようと思う。
母に 変な能力がついてしまったからなのか、母の胎内に宿った私にも 何故か 不思議な能力が受け継がれたのかもしれない。
赤ん坊の時の記憶はさすがに無くなってしまっているが、物心ついた頃に 赤ん坊 それも胎内に居た時の記憶が鮮明に蘇った事があった。
2歳頃、周りの大人達は 『あなた、よく泣くから お母さん 大変よね』と私に言う。
私は夜泣きの酷い赤ん坊だったという事だが、『そんな事無いのにな。みんな、大袈裟。泣き虫なんかじゃないよ』って思っていました。
だって起きてる時は、しっかり記憶があり、よっぽどでないと泣かないので。
そして ある晩、自分の大きな泣き声で目が覚めてビックリした事があった。
そう、夜泣きを自覚した瞬間‼︎
えっ‼︎ 私、夜泣きするんだ‼︎
知らなかった〜〜‼︎‼︎‼︎
そして何故、夜泣きをするのか意味がわからなかった。無意識の出来事は 自分でコントロールできる事では無くて、それも2歳くらいの幼児には 訳がわからない出来事だったのです。
そして、またまたある晩
夢か現か、とても息苦しい、そして 精神的な重圧を感じて 心が不安で押しつぶされるようなストレスを感じていました。
その様子が頭の中で映像として映し出され、未だにはっきり覚えている映像の一つなのです。受精卵が細胞分裂をし始めて、出来上がったばかりの簡素な心臓と最低限の機能を持つ腸とが一つの管で繋がっていて、それはあたかも乾電池の並列つなぎのように形成されたばかりで、ドクンドクンと脈打ちながら、血流が流れていく様子。
リズム良く動いているようで、それが時たま 緩慢な動きになって止まりそうになる。
頑張れ!って思っていたら、また普通に脈打つ。そしてまた、止まりそうになる。
止まりそうになる度に、心の不安定さが増して、それが恐怖を増幅させる。
止まったら死んじゃう。
恐怖に屈して、たまらなく叫ぶ。
最高潮に達した時、目が覚めた。
あっ‼︎ 大きな泣き声で、、、私、夜泣きしてるやん‼︎‼︎‼︎
そして、自分の夜泣きの原因もやっと理解できました。
母の胎内に居た時、母の不整脈に不安とストレスがかさんで居た体験が、不規則なリズムが身体に刻み込まれて、産まれた後もずっと、ストレスで苛まれていたんだと。
それが、夜泣きという 現象を起こしていたんだと分かったのです。
その日を境に、私の夜泣きはピタッと治りました。
きっと、夜泣きされるお子さんは私のように、何かストレスになる体験があるんだと思います。そして、原因が分かれば治るんです。
2歳くらいで、胎内に居た記憶があるのを まだ覚えている私も凄いなぁ。
そして、私が3歳くらいの時は、母方の親戚のお姉ちゃん姉妹が泊りがけで遊びに来てた事がありました。お姉ちゃん姉妹は、小学校高学年くらいで、2人だけで新潟から大阪まで来てました。ちょうど 大阪万博が開催されていたので、母方の親戚は 母に任せたら安心だと預けたのでしょう。
お姉ちゃん達は、良いトコの娘さんらしく 賢くてお行儀良かったと記憶しています。
日中は、私は祖母と一緒か幼稚園に行っているので、お姉ちゃん達の万博見学には同行せず別行動になります。
そして、小さい幼児は、眠たくなくても《お昼寝》を毎日強要されます。
必然的に一緒に遊べる時間は、ほんのすこしだけ。お姉ちゃん達が、キラキラしていて 眩しい存在だったなぁ。
その日も、せっかくお姉ちゃん達が早く帰って来たのに《お昼寝》しなさいと無理やり タオルケットをかけられて、眠たく無いのに眠ったふりをしてましたっけ。お姉ちゃん達は、楽しかった話をしたり 買ったお土産や 万博記念品のおもちゃなどで はしゃいでいました。
い〜なぁ〜楽しそうで。
お母さんったら、私には怖い顔で『寝なさい!』って睨むのに、お姉ちゃん達には笑顔で楽しい話を聞いててさぁ〜なんか、不公平。
と、目をつむりながら 文句や愚痴で頭がいっぱいで、余計に寝れない。
我慢出来ずに、タオルケットをはね飛ばし『お姉ちゃん、お姉ちゃん‼︎』と寄って話しかけるが何故か無視される。
あっ、お母さんがこっちを見た!寝てないのが見つかったらヤバイ、怒られる⁉︎って、、、
えっ⁈無視⁉︎
なんだ、バレてないなら おもちゃで遊んじゃえ!って、部屋の中 何故か空中遊泳していて、気が緩むと天井まで 上っちゃって大変‼︎
なんだろう、なんかフワフワ良い気持ちで あっちこっちと早いスピードで動けるんですけど!
お母さんが『あれ⁈かっちゃんは⁈』
お姉ちゃん達『あっちで、ちゃんとお昼寝してるよ』
私『えっ⁈ここに居るよ』って、タオルケットの方を見たら、あれ⁈寝てる。
なんかこれってヤバイのかな 元に戻れ〜〜‼︎
と思ったら、自然にスッと戻れて、寝たふりしているみたいに『何?どうしたの?』って。
子供心に、なんとか取り繕わなければと感じてました。
そして、その時は寝てないのがバレなくて良かったとしか思わなかったけれど、思春期くらいになって《幽体離脱》という言葉を知ってから、あの時のあれが そうだったのかもしれないと気付いたのでした。
そういえば、母が生死を彷徨っている時みたいに、私、浮かんでたなぁと。。
後にも先にも、その日だけ そんな事が起きたのは、次は死ぬ時に経験するんだよね、きっと。
人 見るもよし 人 見ざるもよし 我は咲くなり
一生の間には、人様が見て下さる時期もあります。
一年の間にも、一日の間にも、人様が見て下さる時期があります。
でも、人から捨て置かれ、無視されて、寂しく咲かないといけない時期もあります。
その時にも 同じに咲く。
人様が見て下さったら 確かにもっと生き生き咲くかも知れません。
しかしながら、人様が見ていらっしゃらないから咲かないのではなくて、「人見ざるもよし」
人様が見て下さらなくてもかまわない、「我は咲くなり」