Uyo.x,x,x

kaabii, segway

240513

 プラットフォームに詞をばら撒いたほうがいい。もしくは走らせること。煌きを知っている人, のことだが、しかしそれに関係なく申し訳なかった。愛ではない。遅効していてそれはあまり関係なかった。戯曲に手をつけることができなかった。7日ごとに切り替わる天体が一周するまでが限度だろう。分霊箱モデルはいまだ継続している。しかしそれは弟子の恥ずかしい姿を悪戯に知らせるお師匠さまと同じなのかもしれない。

240426

 日中に日記を書こうと決意したからその約束のために書いている。でも今こうやって、パソコンのキーボードを打って文字を並べるのは、起きてから今までについてを記録するのに(今の私に)よい方法だとは思えない。文字、それが脳に流れる速度は手で書くスピードよりずっと遅い。しかしだからといって、キーボードも脳よりは遅い。結局脳に一番早いのは口だ。これは遅い。

 わたしの日本語は変だ。修飾が変なところにいる。文章の練習試合をずっとやっていたころは、主語がないと言われつづていた。流れる文字に主体などいないからしかたない。それらは流星に似ている。流星を見たことはないけれど。というか、見たことがないからわたしはそれを流星に例えられる。

 明かしたくないものを媒介させるのに、同じ手段は使えないという話かもしれない。文章で、あるフレーズとして報告したいことがあったとき、それを伏せて文章をつくるのは、(よくこの例えを使う)蜂蜜に砂糖をかけるのと同じ。

 日記を書こうと思った理由を聞いてほしい。去年のことをわたしはすっかり、すっかり忘れていてなにをしていたか一切思い出せないのだが、日記を読むと、伏せる前の出来事があったことだけわかる。伏せる前について、何の出来事へ言及しているのかわからないこともある。.......わかった、聞いてくれ、つまり要は、区切りを毎日の入眠部分に置く、そこに線を引くのじゃ断絶の強調にしかならないということではないだろうか?もっとこう、1つの授業に対して予習と復習があるように(予習と復習と受講はすべて違う世界にいるのだが)、そういう、パッケージの種類をわたしは分別すべきなんじゃないだろうか?好き勝手書いている。わたしが好きなテクストとははちゃめちゃでよかったはずだ。

 全然今日の話してないね。

 書くことで忘れることがあると思う。書くことで忘れる。忘れるために書く。どっちが先かわからない。一度考え出したことなら忘れてもきっと沈んだだけだからまた浮かんでくる、と友人に伝えたが、では一度考え出したことをどこかにおいてきたとき、じゃあそれは釣った魚なのか?キャッチ&リリース &リリース

 

 

240414

 考えることが多い。大きな看板が外されてから時間がすこしだけ経った。沢山起こったし、でも早かったとは思わない。言われたことだけは覚えていて、これからもきっと思い出す。

 陳腐な言い方になる。知、っていることだけが仕事だと思う。自分で守りたいのに不安が機動してしまったかもしれない。静かな場所で考えればいい。

 考えることが多い。早かったし、いつもどう話したらいいかわからなくなる。話すのはすきだから、人と話したい、のだとは思う。譲歩しかない。わたしが話すことには。

 そういえば、怱忙の間に日記の更新をやめてそのまま書かずに放って置かれていたが、気がついたことがある。備忘録は呪いに似ていて、本来去るはずのものが留まっている沼である。時間的に遅延しているだけじゃない。存在自体の遅延がへばりついていて、不気味だった。ただし、書いている間も、数時間から数十時間後に読み返しているのも楽しい。

 嘘をインストールされるところである。自衛プログラムが侵入を防いでいるが、繰り返されたらきっとわからない。7 母はとてもしたたかな人で、わたしはそれに対して申し訳なく思っているのだと思う。

 暗いことを共有したい? YES  なぜだろう 検閲

240207

 今日は日記を書こう、と掲示板に紙を貼りながら決意したのを覚えている。掲示板に貼れることと、日記に書くことと、それから他のものは違って、それぞれ違う鍋を用意しておくのだ。

 なにがそんなに恐ろしかったのか。わたしが泣くときは、把握ができないときだと知っている。無量空処的に、情報が完結しないとき、それが喜ばしかろうとなんだろうと、届かないところに反射があって、掴めないと無条件で涙が落ちる。だから、それはただ驚いてるだけなのだ。

 わたしに教えられたこと、に基づいて行動を行おうとしていたつもりだった。しかし、断固として拒否された。もっとうまく話せればよかった。捻くれていて、反抗していて、なにがしたいの?狡い。ずるいことは醜いことなのか?(なにも覚えていない。ここを書こうとして、すぐに視界の画面が切り替わるのだ、テレビのチャンネルを迷っているときみたいに。そう、複雑で、因果は複雑で、一つの道から遡ることはできない)

 ひとりだけ、少しだけ物陰で待っててもらえればいいと思った。ここの文章も、もっとまっすぐでいいだろうに、と言われたことがある。いつかそう言えたらいい。いつかの時間を早回しする必要がある。糸車みたいに。エーン

 日記書くの時間かかる忘れてた

 味噌書いてないのに

 パタム

240131

 このまえ日記を書きにきたのは意外にも5日前だった。単純な計算式を組むと800年くらいが凝縮する場所があって、険しい顔をして歩いたが、そもそもそういう場所であるのかもしれない。それならば、そっちのほうがいいと思う。うん、そっちの方がいいと思う。少しズレたサーカスではなくて、お店屋さんの想像力が発揮されていたこと。どこで生きていてどこで存在しているのか。どこだと不安なのか、どこでやっと落ち着くのか。なんのために棄却したのか。さっさとねるブーン

240126

 刻むね!日にちがよ!

 今もまた、こくこく(飲み物を飲む時に用いられる擬音)と寝ていた。さっき起きてお風呂に入ってきた。変な時間の昼寝で、しかし浅い息継ぎのようなもので、照明をつけたまま寝ているから目がしぱしぱする。波打ち際にいるようで、ふと目覚めた時も「これはこうかもしれない」と言いながら覚醒しかける。また沈む。ちゃんと寝れていなさそう。ショック寝込み(🫕)

 可視/不可視。そういえばわたしの背骨は15度程度湾曲しているはずで、いわゆる脊柱側湾症。小学校で検査があって、二度ひっかかった。そしておそらく中学校でも同じように検査があって、たしかそのタイミングで、精密検査をするために病院に行くことになった。なぜか学校に程近い病院で検査をしたときに覚えているのは、身長がこれから伸びるかどうかを医者が骨の様子から判断していたこと、それから学校の通知からずっと苦しく、罪悪感に似た感触に苛まれていたこと。本当に脊柱側弯の健診は嫌だった。とにかく申し訳なかった。何に対して?誰に対して?。身体が不純なかんじがしたのかもしれない。もうマジで手に負えない、と思った。思い返せばずっと、身体はわたしにとって手に負えないことばっかりだった。手や足の先まで神経があるとは思えないし、手の摩擦がないことを疑うほどものを落とす。あと高2くらいのときに不可抗力で撮影した自分の姿が思っていたよりもずっと大きくて卒倒するかと思ったのも同じ話だろう。手に負えない。最初から手に負えないんだから、まだ病原菌が入ってきてくれた方がわかりようがあったのかもしれない。服薬によって把握される身体の話をしたら、むしろ病原菌によって侵されて自分のものじゃなくなる身体についての方が適切ではないだろうか、と返答されたことがあるが、はじまりからわからないのだ。離れられれば糸口があるのかもしれない。大体の方法論は

 逆位置からの照射。