書いて自分を整理する

人と話しながら自分の考えが整理できる、自分が思っていたことに気づける。

のと同じように、文章を書くことで得られる効用は大きい。

 

話して自分の考えを整理するのと文章を書きながら考えを整理することの違う点は、

・文章は筋道を立てて書く必要があるのでよりはっきりしやすい

・文章は後で見直せる

・文章は論理、主張が一貫しやすい

・会話は、思わぬ方向に話が飛んで思わぬことに気づけることが文章に比べて多い

 

などがあるだろうか。

 

あと、自分の書いた文章をあとから見直すのは意外と楽しい。普段の生活では内側からしか見ることのできない自分だが、書いた文章を時間を置いて読んでみるとまるで外側から自分を見ているような気分になれる。昔の俺はこんなことを思っていたのか!と驚いたり、意外と文章読みやすいしわかりやすくね、と思えたり、その時の精神状態がふと蘇ってきたりする。

 

僕は今、WordPressでブログを運営している。そちらははっきり言って収益目的の運営だ。だからなるべく収益につながりそうな記事を書くし、結果として自分が書きたいことはあまり書いていないし、ブログや日記っぽい文章は皆無に近い。でもそんなブログの運営には物足りなさをずっと感じていた。自分の考えを整理するために毎日ブログを書いてみたかった。ブログは日記とはまた違う文章になる。ほんの少しの見てくれと承認欲求が乗っかっている。

 

それは匿名でやっていてもそうだ。実名でやったらそれは度を行き過ぎてしまう。そういう人間である。匿名だから好きなように書ける。

 

だいたい毎日1000文字くらいを目標にしようと思っている。今日はもう、なんの筋道をも立てず思いつくがままにキーボードを打っているだけだけど、明日からはほんの少し構成を練った文章を書きたい。ほんの少しずつ、アウトプットの練習をしていきたい。

 

普段自分から話題にすることはないけれど、自分にも前向きで意識の高い部分や経済・社会に関する関心はある程度はあるのだ。そういうこと、平凡な大学生が仲間内で話すのは少し恥ずかしいけれど、かといって全くアウトプットしないのはもったいない気がしないでもない。

 

いい時代だなと思う。自分が何者かを晒すことなく、好きな言葉を世の中に吐き出せる。それは責任も見栄もほとんどなくて、でも一応さらされているから人からの反応が来るかもしれないという期待も持てる。そんな感じ。1000文字いきそうなのでまた明日。

書く

ネットで文章を書く上で、人の目を意識せずに書くことはできない。それでも匿名で誰も見ていないようなところでなら、ある程度自分の心の底に迫った文章が書けるのではないか。

 

自分の本音を言葉にしたいなら、誰も見ないノートにでも書けばいいじゃないか。それはまた違う。人の目を意識しない文章は思考の流れが続かない。

 

現在の私。大学三年生。文系。サークル・バイトなし。ブログでバイト代くらい稼いでいる。全てに迷っている。自分と向き合う時間が長すぎる。おかしい。

 

このブログは、自分の成長過程を記録するとともに思考の癖やパターンを認識する手段として使っていきたいと思います。モラトリアム感満載で嫌になるねえ。