5月1日

日記を書かなくなってからなのか、元々の知性の限界がそれまでなだけなのか、正直どっちなのかはわからないけれど近頃の私は上手に喋られていない。その実感をこの半年、よく抱くようになった。こんなもんだったのだろうか、半年よりも前の自分のことがあまり鮮明には思い出せない。男友達と一軒家をシェアして暮らしていて、毎日退屈で、魔法にかかりたくて遊ぶことに必死で、オーバードーズに似たような快楽で何かをごまかしていたことは間違いない。なんだか遠い国の別人のことのように感じられるので、自分の過去にしてはイマイチリアリティを伴わないのだ。

 

自分と向き合う時間が減ったことは間違いない。毎日幻想の中に暮らしているのだから。とにかく日記をまた書こうと思った。

一人でPCを前に、パチパチと心を無にして文字を打つのは久々に快感だ。こうして吐き出されたものが本当の自分のように感じられて心地良い。排泄物がチャポチャポと便器の中に落とされ沈んでゆく。これはその確認作業なのだ。

 

久しぶりに実家に帰ってきた。どうせ退屈なのはわかりきっているので、金井美恵子著『愛の生活・森のメリュジューヌ』とF・サガン著『ブラームスはお好き』を持ってきた。実家にサガンの他の本もあった気がしたので探したのだが見つからず。

そういえばだいぶ前に買った作者不明で1970年代に書かれた日記を書籍化した『創造』をパラパラとめくって読んでみると、詩や本の引用がところどころなされていて浅はかながらもカッケーなと思ったので自分も真似したいと思った。特に詩には最近興味が出てきている。なるべく昔のものが読みたいから、調べてみようかな。ま、その前に今読んでる小説をさっさと読み終えないといけません。

 

最近、どこか遠くへ行きたい欲求に駆られています。やはり手っ取り早い目的地として候補に挙げられるのは京都でしょう。京都に1週間ほど滞在したいなぁ、と思い色々とホテルを見ました。お金出してビジネスホテルにするか、ケチりながらも最低限の環境は確保したいので個室タイプのカプセルホテルみたいなところにするかで迷った結果、以前泊まったところはトイレシャワー共有ではあったものの共有スペースが便利だったのでまた同じところに泊まろうと思った。

思っただけなので、まだ実際に京都へ行くかはわかりません。今は仕事部屋を近場で借りたいとも考え始めているところなので、そうしたら京都に行くのは当分無理だろう。悲しい。いい物件をちょうど見つけたので近々内見したいところ。がしかし初期費用を払える財力は今ない。還付金は税金をまとめて支払うのに使いたいし、困った。6月の収入がそこそこあるので、まあそっちで税金の支払う分を取っておけばいけるかもしれない。悩ましい。バイトでもしようか?などと、また無駄なことを一瞬だけ考えた。漫画を本気で頑張るためにも、もっと自分を本気にさせるためにも、部屋を借りたい。

 

私は努力が全然できていないなぁ。本も読まない、映画も全然観てない、絵も全然描く頻度が減った。デッサンを習うために教室には通うことにした。勉強が必要すぎる。自分と向き合う時間が必要。私はこの先の人生、何がなんでも絵で食い続けなくてはいけない。高卒で職歴なしのまま30歳になっていよいよ、「フリーランスやめて就職しようっと」がそうは簡単にいかなくなる年齢に突入した。本気でかからないと私なんてすぐ消えてしまいますよ。頑張ろう。今日は本を読んで、絵の練習して、余裕があったら落書きもする。