中島愛 『green diary』 レビュー
緑」をテーマにしたいって決めた
中島愛 『green diary』★★★★★
おすすめトラック
1. Over & Over ☆
2. GREEN DIARY
3.メロンソーダ・フロート
7. 窓際のジェラシー
8. ドライブ ☆
9. 水槽 ☆
『green diary』 レビュー
なんじゃこら。
楽曲のクオリティの高さや、豪華な作家陣、そして中島愛の歌唱力・表現力に度肝を抜かれた。正直買いです。
私は、中島愛という人間の存在をほとんど知らない。一人の声優、くらいの認知度である。
声優が出すアルバムはほとんど聞いたことがないし、聞くこともない。今回、中島愛の『green diary』を聞いたのも、偶然だった。
そしたら、とんでもないアルバムだった。まず、鳴っている音の音質の良さに気付かされる。
ここ何日もずっとリピートしているが、聞き疲れることが全くない。上質な脂のお肉を食べても、次の日にもたれないのと似ている。のかもしれない。
次に、作曲陣の豪華さに驚かされる。口ロロの三浦康嗣、清竜人、元Galileo Galileiの尾崎 雄貴、tofubeatsなど、豪華すぎる。これで良いアルバムができないほうがおかしい。
中島愛自身、楽器の良さが9割とインタビューで答えているが、あながち間違いではない、と思う。
しかし、最も重要なのは、最後の1割を担う中島愛の歌唱・表現だ。そして、中島愛は無事にその責務を果たした。
中島愛のために作られた楽曲を、中島愛自身が自分の色に見事に染め上げた。コンセプチュアルでカラフルなアルバムに仕上がっていると思う。
1曲目の「Over & Over』。日記や物語が、これから始まるような、不安と期待と、切なさが込められた鍵盤の一音から、口火が切って落とされる。
その音は、奇しくもMy Chemical Romanceの「Welcome To The Black Parade」の始まりの鍵盤に似ている。
『The Black Parade』もコンセプトアルバムだし、「黒」と「緑」という、色の共通点もある。
歌詞を詰め込んだポエトリーリーディングのようなヴァースを越えて、サビで一気に弾ける。
テンポの変化は目まぐるしく、かといってリスナーを混乱させない。内と外の目線が交互に交わり、中島愛という人間を歌で編み上げているような曲。
2曲目の「GREEN DIARY」は、デビューから今までのロードムービー的な楽曲。過去の自分を、客観的に見つめて包み込み、新たな中島愛自身をなぞっていくようである。
赤や青など色彩的な表現や、光と陰などの陰陽的な表現も見られ、中島愛が歩んだ人生を的確に表している。
また、「青臭い意味での緑」と「豊かさを表す緑」が、うまく表現されている。2曲目らしいテイスト。
3曲目の「メロンソーダ・フロート」は、ポップでキャッチーで爽やかなトラック。
実は、ポップでキャッチーな曲は、全10曲のうち、この「メロンソーダ・フロート」と「ハイブリッド♡スターチス」くらいしかない。
ストリングスやピアノのアレンジも相まって、楽曲だけで新緑や世界が、弾けている景色が目に浮かぶ。
それにしても「メロンソーダ・フロート」ってタイトル、いいよね。
7曲目の「窓際のジェラシー」は、なんか、懐かしい。この曲で聞ける音作りやアレンジは、中島愛の趣味である80年代90年代のレコード漁りが影響してそう。
ベースラインがうねうねで気持ちいい。シンセサイザーがいい意味で古臭い。が、気持ちいい。結果、気持ちいい。
ちなみに、嫉妬の眼指を意味する「green eyed monster」はシェイクスピアのオセロが由来する。
8曲目の「ドライブ」は、初期の宇多田ヒカルのアルバムに収録されていそうな、R&Bテイストなトラック。
悲しいでも寂しいでもない、ただ虚しいという気持ちを歌っている。「心に張った藻」も緑色。緑は、そういった「ただある感情」をも包括する。
チルいビートに、中島愛の淡い声が乗っかってて至高の楽曲に仕上がっている。メロディラインに呼応するように、ピアノが流れる。中島愛に寄り添うように。必聴。
9曲目の「水槽」はすでにシングルカットされていたもの。「green diary」の曲順で聞くのと、シングルで聞くのでは、聞こえ方や想起される情景が、全く異なる。心に張った藻を纏いながらも、その藻を受け入れて、より大きな緑に膨れあげていく、中島愛自身を、そんな巨大な「水槽」に喩えているのかもしれない。
「オールオッケー」「問題なし」などの意味を持つ「All Green」でラストを飾る。「水槽」で上昇してきた気持ちを、最後にポップに纏めあげて、中島愛の『green diary』は、ページを閉じる。
インタビュアーの人も書いていますが、8曲目「ドライブ」からラストの「All Green」までのの流れは秀逸。そしてまた、「Over & Over(何度も何度も)」へと戻っていく。
いやーーー、こんな完璧なアルバム、しばらく出ないのではないか。久しぶりに、完璧なアルバムを楽しませてもらいました。
是非下記の最高のインタビューも併せて読んでみてください。
DIR EN GREYの「懐春」から見える女性像と太宰治 –女は誰を待ち続け誰を愛したのか– 歌詞解釈・分析・意味
人非人(にんぴにん)*1でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ
太宰治 『ヴィヨンの妻』
「壊春」概要
DIR EN GREYの「懐春」は、9枚目のアルバム『ARCHE』に収録されています。
比較的にメロディアスな曲が多いアルバムの『ARCHE』の中でも、異色な曲。
原曲はDie、作詩は京です。
結論から云うと、かなりど好みの曲です。
どこか歌謡曲を匂わせるような楽曲で*2、動くベースラインやキラキラしたアルペジオと、重いバッキングのリフが対比されています。
サビではShinyaのスネアがマーチのように演奏されて、ギターは細かい音がピロピロなってます。京はファルセットで歌っているので、ギターとなんとなく音域が被っていますね。
全員が前に出てきていて、グシャっとしているなという印象。全てがミスマッチしてるというか。でも矛盾しているように聞こえますが、そのミスマッチさのなかに調和があるように感じます。〈バランスをとらない〉というバランスをとっていますね。
正直、キャッチーかと言われたら首を傾げますし、DIR EN GREYっぽいかと問われたら肯定はできません。しかし、「和」の世界観は確立されていて、聞いていると近代の日本の風景が浮かんできます。戦後って感じ。
DIR EN GREY好きの中でも、評価が分かれると予想される曲ですが、ぼくは『ARCHE』の中でぶっちぎりで好きです。DIR EN GREYの全ての楽曲の中でも一番好きかもしれない。
何度も言いますが、決してキャッチーな曲ではないので、ハマれない人も多いと思います。スルメ曲。あと、2曲目っぽい。なんでこの位置に「壊春」があるのかよく分からない。
「壊春」の歌詩に見える女性像
—その夜は、雨が降っていました。夫は、あらわれませんでしたが
太宰治 『ヴィヨンの妻』
さて、「壊春」の歌詞の解釈に移りましょう。「壊春」は、女性の儚さや脆さがテーマのようにみえます。しかし京は女性の「弱さ」を描ききることによって、女性の「強さ」を浮かび上がらせようとしたのではないでしょうか。
また、和の世界観も相まって、京の詩はどことなく太宰が描く女性像に通ずるものがあります。
ぼくは太宰の有名な作品をチラホラと読んだだけの人間ですが、後期太宰の、諦観を描ききって光を浮かび上がらせるような文章が好きです。
DIR EN GREYの「壊春」も、女性の儚さや脆さを描くことで、逆説的に女性の強さを描こうとしたのではないかと解釈できます。
「壊春」の歌詩分析・解釈・意味
観てはいけない 貴方の園は 誰かの季節へ
ただ怖い この先へ 畦道 帰りを待つ
もはや「私」は「貴方の園」ではない。「貴方の園」は「誰かの季節」(おそらく「春」、すなわち「私」よりももっと若い「色」を知ったばかりの他の女性)へと移っていく。
「貴方」は今日も帰って来ず、「私」はただ「畦道」から「貴方」が「誰かの季節」から帰ってくるのを待っている。待っていることしかできない。
「貴方の園」を「観てはいけない」から。「怖」くて「観て」いられないから。
流れた星に目もくれず手を合わせ
蛍が刻を照らす
このシーンにおいて「蛍」はきっと「私」でしょう。
「蛍」は儚い光を放つことから、詩(うた)において暗闇を際立たせる効果や、絶望の中の希望を醸し出す効果があります。
星が流れる夜、願いが叶う迷信に頼らず、しかし「貴方」が帰ることをひたすら祈る「私」。一体何に?「貴方」です。流星などに目もくれません。「私」にとって「貴方」がすべて。
しかし、「貴方」が帰ることはなく、無情に流れる「刻」を「蛍」が照らします。
流星のような荘厳で烈しい光でなくとも、「貴方」が帰るときに暗くても迷わぬよう、「蛍」のような儚い「私」がその帰り道を、手を合わせながら、祈りながら、小さいけど確かにここで、照らしているのです。
「星」と「蛍」の光の対比(「星」は「貴方の園」である別の女、「蛍」は「私」。「星」のように強い光は放てないけど、全身で光を放ち、「貴方」を待っている)も素晴らしいですし、「刻」が流れる早さを「流れた星」で表現しているあたりも文学的な美しさを感じさせます。
ぼくが「壊春」の歌詩の中でいちばん好きなフレーズです。
眠る貴方だけの色に染まれれば
人知れず抱え込む苦しみから逃げ出しそうな私の夜
眠っている「貴方」だけの女になれたらよいのに。
密かに抱え込んでいる苦悩から逃げ出したくなる、「私」の孤独な夜。
冬、雨に抱かれ 憂いを浴びて 春に変われる日、誰を待ってるの?
冬、雨に抱かれ そんな日々を過ごす私はね 息をし…冬、雨に抱かれ 憂いを浴びて 春に変われる日、誰を待ってるの?
冬、雨に抱かれ そんな日々を過ごす私がね 愛した…
雨の冬の夜、見ず知らずの若い男に抱かれて「春」を知った「私」。
そんな「私」は未だ帰らない「貴方」を待っているのか。それとも、こんな生活から掬い上げてくれる「神」を待っているのか。
「貴方」が帰ってこないのは、「私」が「貴方」を愛しているから?いや、「貴方」が帰ってこない日々が重なれば重なるほど、「貴方」への「私」の想いも募っていくのです。
でも、本当は「私」が愛したのは「貴方」ではなく、「貴方」を待つ「日々」のほうだったのかも知れません。
私は格別うれしくもなく、
「人非人(にんぴにん)でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
と言いました。
太宰治 『ヴィヨンの妻』
L'Arc〜en〜CielのSTAY AWAYは「皮肉」がテーマ 歌詞解釈・意味・分析
「NEO UNIVERSE」の次に発売された20枚目のシングルで、作曲はtetsu(ya)。
tetsu(ya)自身もボツになると思っていた*1ようで、個人的にはその理由がなんとなく分かる。
あんまり好きではないですね。
「finale」なんかは暗さの中にも聞きやすさとか、ポップさが感じられるので、tetsu(ya)っぽさも伝わります。
しかし「STAY AWAY」はあまりそれがない。
いやあるにはあるんだけど、キャッチーさと尖った感じが、悪い意味で混ざり合っていて、いまいちピンとこない。
yukihiroはこの頃から叩き方(主に手癖)を変えようと意識していたらしく、100回くらい叩き直したようですね *2。
その意識改革はよく曲に表れていて、yukihiroっぽいフィルはあまりなく、決めるところは決めるだけのシンプルなフレーズを叩いていると思います。
hydeは歌詞について、
アメリカって自由な国っていうけど、何だかんだ法律いっぱい作って裁判とかしまくってるでしょ? 細かいことまで。
だからなんにも出来ない状態。アメリカ大陸を人と考えて歌ってるようなものですね。
(『B-PASS』、シンコー・ミュージック、2000年8月号)
と語っています。
自由自由と叫びながらも、現実(「REAL」)は全然自由じゃない、「自由」という名の鎖に縛られている(「なにもかも壊し自由のもとに生まれた」=価値・鎖・しがらみ・ルールをぶっ壊したのにまだ自由に縛られている)ことを皮肉ってる曲ですね。
抜け出した大地で 手に入れたのは自由
レールの上に沿って どこまで行けるかな
Maybe lucky, maybe lucky, I dare say I'm lucky
しがらみやルール、生まれてから死ぬまであらかじめ決められていたようなレール、
そういった自分を縛り付けていたものから抜け出して、手に入れたのが「自由」
焼き増しの世界には惹かれないから
君の未来はあっち さぁ
trying, trying in yourself
「焼き増しの世界」とは、レールから逸れなかった人、レールに沿って歩くことしかできなかった人の人生です。
そんな世界に魅力があるものか。
お前はお前の人生をせいぜい楽しんでな。じゃ。
という皮肉たっぷりのhydeの歌詞が突き刺さります。
実はこのセクション、「STAY AWAY」の歌詞の中で、
ものすごく重要なセクションなんですね。
この皮肉、実は「レール側の人間」から「外の人間」に向けられたものなのではないか、と解釈できるんです。
(自分が特別な人間だと思っている人間ほど、普遍的な存在はない、という皮肉)
レールから逸れなかった人間は、意図的にその人生を歩もうと決めていた人です。
つまり、レールを逸れることができたけど、あえてそうしなかった人ですね。
ここで坂口安吾の「日本文化私観」から引用したい一節があります。
彎曲した短い足にズボンをはき、洋服をきて、チョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をすてて、安物の椅子テーブルにふんぞり返って気取っている。
それが欧米人の眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。
(中略)我々がそういう所にこだわりを持たず、もう少し高い所に目的を置いていたとしたら、笑う方が必ずしも利巧の筈はないではないか。
坂口安吾『日本文化私観』(1943)
この安吾の一節を「STAY AWAY」の歌詞に置き換えると、
「レールから外れた人間」が「レールに沿った人間」を嘲笑うのは、果たして「正しく嘲笑できているのか」という解釈につながります。
むしろ嘲笑っているのは「(意図的に)レールに沿った人間」の方ではないか、ということですね。
「STAY AWAY」は皮肉たっぷりの歌詞ですが、この視点で皮肉を書いていたとしたら、やはり日本の音楽シーンにおいて、これほど優れた作詞家はhydeの他に少ないでしょう。
続いてサビの歌詞です
causes stain stay away
causes stain stay away
「汚れるから、あっちに行ってくれ」という訳ですかね。
これはレール側か、外側か、どちら側の人間の発言か。
それはおそらく、お互いが、お互いの思想を受け入れられず、拒絶し合っているのでしょう。
浮かぶ雲のように だれも僕を掴めない
何もかもを壊し 自由のもとに生まれた
一見すると、ルールやしがらみから解放され、自由になったように感じる歌詞ですが、hydeの皮肉はここでも止まりません。
何もかも、つまり、自由ですらぶち壊そうとした「レールの外の人間」ですが、結局「自由のもとに生まれ」てしまうんです。
ルールのない自由などは、言語構造の性質上あり得ないのです。だって、「自由からも解放された自由」ってなんのことだかわかりませんよね?
結局、自由を求めた「レールの外の人間」は自由というレールから抜け出せず、むしろ「レールに沿った人間」の方が、自由を知っていた、という皮肉ですね。
L'Arc〜en〜CielのNEO UNIVERSEは〈現実〉と〈夢〉がテーマ 歌詞分析・解釈・意味
※以下、映画『翼のない天使』のネタバレを含みます。
2000年1月にリリースされた両A面シングルです。
tetsu(ya)は六弦ベース(高音側に二弦足している)で演奏していて、極上のベースソロが聴けます。yukihiroはスネアも叩かず、ひたすらハイハットを16分で叩き続けます。
サビのハモリはてっちゃんかと思いきや、どうやら「THE NEPENTHES」でもコーラスをしてるkという女性っぽいです。しかし、いい声ですねえ。
曲の最後のhydeのファルセットも美しい。アート性の高いシングル曲です。
曲は最高ですが、演奏自体はかなり攻めているかと。ボーカルとベースが常にメロディを引っ張り、電子音も用いています。さらにPVもかなり近未来的な世界観で2000年らしい曲ですね。シングルの中ではトップクラスに好きです。
歌詞は非常に難解ですが、hydeはこの曲が『REAL』というアルバムを象徴していると言い、さらに
夢を追いつつ現実はこうなんだなっていう部分が一番よく出てる。
(『WHAT's IN?』2000年9月号)
と語っています。
ざっくりとした一般的な解釈は「(ノストラダムスの大予言などを超えて)新世紀の幕開けだから、さらにいい世界になっていくだろう」という感じですかね。
私的解釈ですが、ぼくは「NEO UNIVESE」とは〈夢〉と〈現実〉の二項対立を飲み込み、織り合わせた世界のことを指していると思っています。
傾きかけた天秤の上へ
築き上げてく天よりも高く
天秤とは二つの重さ(〈夢〉と〈現実〉)を量るもの。その天秤の均衡が崩れてしまいそうな状況でも、構わずにその上へと築き上げていきます。「積む」のではなく、「築き上げて」いるのです。
〈夢〉は今、〈現実〉の重みに負けてしまっているけれど、なおそれでも、〈夢〉のイメージや世界を築き上げているのでしょう。いや、〈現実〉が厳しく、ツライ時ほど、〈夢〉の世界は反比例して「綺麗なもの」を描いてしまうんです。
ぼくはこの「天よりも高く」という言葉を聞いて「バベルの塔」も連想せざるをえません。
「バベルの塔」のあらすじは神に近づこうとする人間に対し、神が人間の言葉を乱して塔の建設を放棄させるというもの。
hydeは皮肉っぽく人間を描いたのかもしれませんね。
神に近付くことがエゴや自惚れだったとしても、もしそれが〈夢〉への憧憬だったとしたらそれはロマンスに変わります。
また、タロットカードの「塔(バベルの塔がモチーフになっている)」は、正位置で破壊や破滅、崩壊を表し、逆位置だと再生や解放、復活を表します。
破壊と再生を繰り返し、高く高く人間としての誇りや希望を築き上げていくのでしょうか。
そんな飛べない無邪気な天使にも
朝は届く鮮やかに
天使のイメージは「フランダースの犬」でネロがルーベンスの絵を見た後の、あの名シーンに見られるような、羽を生やしラッパを持った裸の子どもたちですよね(神学者の中には天使には翼はないと唱える人もいるようですが)。
しかし、「飛べない(無邪気な)天使」とは翼をもがれた天使、あるいは翼がない天使=人間と解釈することもできます。あるいは、翼のない天使とは、堕天使ネフィリムやルシファーのことを指すかもしれません。
(余談ですが、「フランダースの犬」でネロが最期に観た絵はルーベンスの『キリスト昇架』と『キリスト降架』)
hydeの背中にも羽のタトゥーが入っているので「飛べない天使=自分自身」という解釈もできます。「夢を追いかける純粋な人間(hyde)=飛べない無邪気な天使」として捉えているのかもしれないですね。
また、タロットカードで「太陽」の正位置は成功や幸運を意味します。「太陽=朝」と解釈するならば、「無邪気な天使=hyde」に「成功」が訪れる、ということでしょうか。
ちなみに『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン監督の二作目『翼のない天使』には(以下ネタバレ注意)、翼のない子どもの天使が出てきます。
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その映画の中では、主人公が死んだ祖父のために、神を探し回りますが、見つかりません(〈現実〉に打ち負ける〈夢〉)。
しかし、全ての困難乗り越えて「今までの僕は眠っていて、今目覚めたんだ(〈現実〉に目覚める)」と語り、映画の最後に「翼のない天使」に出会うことができます。今作のテーマの〈夢〉と〈現実〉を表象した映画だと言えるでしょう。
そんな翼のない子どもの天使にも〈現実〉を享受した主人公にも、平等に「朝」が訪れます。
「朝」という言葉には希望、新しさ、夢などのイメージが個人的には張り付きます。つまり、「朝は届く 鮮やかに」とは希望が訪れる、夢が叶う、再生するという解釈ができると思います。
その手を放さないで
目覚めるこの世界を感じて
サビの歌詞には二通りの解釈が可能です。
一つは、「夢はいつか叶うから諦めないで。その夢がすぐそこにあるのを感じて」という解釈です(こっちがオーソドックスな解釈かな)。
もう一つは、夢を追いつつも現実に足をつけておかなければいけない。だってその先に(〈夢〉と〈現実〉を横断していくに過程のみ)「NEO UNIVERSE(〈夢〉と〈現実〉の均衡を超越した世界)」があるから、という解釈ですね。
ひび割れそうでも透明なままで
昨日眠らず待っていたんだね
ノストラダムスが「1999年に人類は滅亡する」と言った大予言は人々に大きな影響を与えました。大多数の人間が「どうせあたりっこない」と思いながらも、「本当に終末がきてしまったらどうしよう」という気持ちだったでしょう。
そんな人々の心境を描写した歌詞と取れますね。
個人的には、〈夢〉は〈現実〉に殺されそうだけど、その〈夢〉から抜け出せず、興奮と不安で眠れずにその時を待っていた、という解釈が面白いかなと。
夢を見ていた奇跡はもう来ないけど
遠い空が導いて
ノストラダムスの大予言を回避できるような奇跡は起きなかったけど(何事もなく、その予言は外れた)、21世紀という「空(希望の象徴か)」がぼくら導いてくれた、という解釈ですかね。
「遠い空」という表現がhydeらしくて良いですね。『マトリックス』的に解釈すると、遠い空は、ネオたちが目覚めた〈現実〉の方ではないでしょうか。〈夢〉を見ていた奇跡はもう来ないけど、〈現実〉が待っている、という解釈。
仮想世界を生きていたという”〈夢〉の視点”には、もう決して戻れないけど、〈現実〉(トリニティやモーフィアスという解釈かな)が導いてくれる、という解釈です。
あなたは風のように優しく 鳥のように自由に
この世界をはばたく 恐がらずに neo universe
見逃すことができないのが、ここで初めて「あなた」という二人称が出てくることですね。この「あなた」は一体誰を指しているのでしょう。
そしてもう一つ。あの世界じゃなく、「この世界」をはばたいているんです。ここも見逃せません。
先ほどの歌詞で、〈現実〉に導かれるという解釈を提示しました。
その〈現実〉のことを「あなた」と呼びます。〈現実(に目覚めた人。トリニティやモーフィアス)〉は、〈夢〉から怖がらずにはばたいていく、というものです。
悲劇だとしてもあなたに巡り会えてよかった
「NEO UNIVERSE」をラブソングと解釈する人には 、別れの切なさを歌っているように感じますね。
実はこのフレーズが「NEO UNIVERSE」の中でも核となる歌詞です。
ここのメロディーや雰囲気だけが、妙に張り詰めていて、曲のイメージを少しだけシリアスなものにしています。下がっていくピアノの音も合わさって、そこはかとなく悲しい印象。
〈現実〉は〈夢〉とはほど遠い世界だったけれど、〈現実〉に目覚めてしまったんだけれど、〈現実〉に目覚めてしまったのは悲劇だったけれど、それでも〈現実〉に目覚められて良かった、というのがぼくの解釈です。
背中合わせの絶望をゆだねて
信じていたい いつまでも
ここも核となる歌詞。「背中合わせの絶望」 を一体「誰に(何に)」「ゆだねる」んでしょうか。ぼくの解釈では、背中合わせなのは〈現実〉と〈夢〉の二つ自身。
ノストラダムスの大予言ルートで解釈するなら、「人類が滅亡する」という絶望を、ひとまず未来へと「ゆだね(無視する)」て、この世界が続くことを「信じていたい いつまでも」という感じですかね。
ここからはぼくの解釈。
〈現実〉は〈夢〉に対して”そうあることができなかった”ことへ絶望し、〈夢〉は〈現実〉に戻ってしまうこと・目が覚めてしまうこと、”「実は」そうじゃなかった”ことへの絶望を、”互いに”背中合わせで感じているんですね。
その絶望をお互いに委ね、それぞれの世界での幸福を「いつまでも信じる(「いつまでも」とはすなわち終わりがない、永久的なという意味)」ことで「NEO UNIVERSE」に到達することができます。
この辺の解釈はメーテルリンクの「青い鳥」の解釈にも通ずるものがありますね。
きれいな花のように笑って 星のように輝いて
この世界をはばたく 恐がらずに neo universe
生まれ変わる季節よ 切なすぎた季節よ
空のように一つに 結ばれよう neo universe
隠喩を得意とするhydeが珍しく「ように」を多用しているのが面白い。
「生まれ変わる……」のパートからは、〈未来〉と〈過去〉をも飲み込んで行こうとする「NEO UNIVERSE」の凄まじさや力強さを感じることができます。
そうして、全ての二項対立を「空のように」、雲も太陽も飲み込むが如く、一つにしていくんですね。
「NEO UNIVERSE」をもっと詳しく味わいたいという人は、『マトリックス』や『フランダースの犬』、『翼のない天使』を観賞ください!
KISS(2007)L'Arc~en~Ciel レビュー・感想
2007年にリリースされた11枚目のアルバムです。
当時中3だったぼくは、友だちとカラオケに行き、その友だちが『Hurry Xmas』を歌いました。
そのPVの衝撃は凄まじかったです。
!!なんて楽しそうな世界なんだ!!!
クリスマスイヴ(nochebuena)生まれのぼくはそれはそれはクリスマスイヴが大好きなのです。
クリスマスイヴ、聖夜の夜の、呆れかえるほどの幸せで満ちているあの街。否が応でも心が温かくなります。
だからクリスマスを題材にした作品はやはり心がザハザハするんです。
『Hurry Xmas』も例外ではありませんでした。
その後PV付きの『Hurry Xmas』を買いました。PV見たさに。そこからPVフェチになるのにそう長くはなかったです。
その大好きな曲が収録されているこのアルバムのレビューです。
1. SEVENTH HEAVEN
★☆☆☆☆
シングル。hyde曰く、カラオケで歌える曲。シングル嫌いなぼくにはちょっとキャッチーすぎました。
知り合いの方が、この曲のてっちゃんのコーラスがイマイチと言っていましたが、ぼくはあまりそう感じませんでした。ちなみにカラオケでは歌えませんでした、笑
2. Pretty girl
★☆☆☆☆
ドラムイントロで始まる曲。kenちゃんが花札やってる時にできた曲だった気がします。たしか。
全然悪くなく、非常にキャッチーで疾走感もあるんですが、ぼくのツボには入りませんでした。シャッフルしてたら飛ばしてしまう曲です。
サビが低いところから入るので、カラオケで歌えるかも!って思いやってみたらダメでした、という苦い思い出付き、笑
shout at the devilやdriver's highなどが好きな人は聴いてみてもいいかもしれません。
3. MY HEART DRAWS A DREAM
★★☆☆☆
車のCMにもなった曲。当時中3だったぼくは、ラルクがCMで流れるだけでもテンションが上がったものでした。
ライブでも定番の曲で、ラストの
夢をえ〜が〜く〜よ〜
のところはオーディエンスとシンガロングするのがお決まりになってますね。
タンスの引き出しからまたタンスが出てきたってkenちゃんが言ってた曲です。たしか。
メロディーラインも綺麗で、PVも子どもたちが歌っているシーンが好きです。
ただやはりシングル嫌いのぼくにはキャッチーすぎる。飽きちゃうんですよね。
久しぶりに聴いたらいい曲でした。
多くの人にオススメできる曲ではあります。一部の変わった(?)人はあんまり好きじゃない!って人もいるのではないでしょうか。
4. 砂時計
★★☆☆☆
「大切な人を守るために何かを傷つけている」ことがテーマの曲。
まんま歌詞がそんな感じです。
てっちゃんの歌詞はストレートなので、hydeの歌詞を好まれる人は、てっちゃんの歌詞苦手っていう人、いると思います。
個人的にはKISSの曲の中でも、なかなかいい位置にいます。
サビのコーラスが特にお気に入りで、
ipodで聴いているとついつい上を口ずさんでしまいます。
ただやっぱりキャッチー。2回くらいでしばらく聴かなくていいやぁってなっちゃいます。
5. spiral
★★★★☆
個人的にKISSの中で一番好きな曲。
なんでこの曲なんだよ!!!!!
とか
サビけっこうキャッチーだろ!!!!!
とかツッコまれそうですが、まぁ好きな物には理由がなくて、常に理由は後付けされていくもんですよね。逆もまた真なりや。
Aメロの流れていくようなラインから、
淫らに舞え
の締めまでバッチリです。途中の
"トゥ ダンス ディス ウェーイ"とかの
英語詞が強いて言うならあまり好きじゃないくらいですかね。
Bメロの表拍のツービートとラインの噛み合いとか、コーラスが入ってくるタイミングがぼくの心を掴んで放しません。
ラルクの中の曲でもトップ10に入るくらい好きです。よろしくぅ!
淫らに舞え
のメロディーライン!必聴でございます!
6. ALONE EN LA VIDA
★★★☆☆
aloneが英語であとはスペイン語。人生において孤独。
孤独と聞くと、坂口安吾をぼくは思い出します。また恩師の先生が孤独はいいが、孤立はするなと仰っていたことも思い出します。
この曲についての解釈をどこか他のブログで目にして、いい解釈だなぁと思ったのでよかったら探してみてください。
歌詞は結構好きです。
結局のところ人は本当の意味で孤独で、それでも歩いていかなければならない、
というなんとも遣る瀬なくなるものですね。でも、そういう歌詞だからこそ、ポジティブさが備わっているとぼくは思いました。
KISSの中で2番目か3番目にすきです。
7. DAYBREAK’S BELL
★★☆☆☆
イントロ・Aメロのドラムがトンデモナイかとになってる曲。
ゆっきーも最初大変だったそう。
シングル嫌い発病で、イマイチ。
ダークな曲好きな人は好きになれると思います。
現に従来のファンでもこういう暗いの求めてたんだよ!っていう人いると思います。ダークな曲はシングルにできないものだとぼくは思ってますけど。a silent letterとか。
キャッチーダークだからシングルにできたんだと思います。
ここまで来てわかった方が多いと思いますが、ほんとにぼくのレビュー当てになりません、笑
趣向が合う方は是非見ていってください。
8. 海辺
★★★☆☆
DAYBREAK'S BELLよりも重い曲。
ALONE EN LA VIDAと同じくらい好きです。
ズズッ ズズッの2番のギターとドラムのユニゾンが大好きです。
サビも気持ちいいいいかんじにハイトーンが抜けていきますねぇ。
硬く重い幕は降りたよ
の部分がメロディーでは好き。
夜に海を見ながらしっとり聴きたい曲です。オススメ。
かなりのスルメ曲でぼくは5年くらい経ってから好きになりました。
9. THE BLACK ROSE
★☆☆☆☆
珍しくアルバム曲であまりツボに入らなかった曲。
イントロの音の感じはすごい好きなんですけどね。
hydeお得意の不思議な曲とゆっきーが言っていました。サスペンスとかスパイっぽいんだけど、
それならPortisheadの『Dummy』聴くわ!ってなっちゃいます。
全然ちげーよ!ってな、知ってます。
10. Link-KISS Mix-
★★☆☆☆
ポップでキャッチー、さらに爽やかでPVもお気に入りです。
モヒカンのhydeよりも
無邪気にハイテク次世代三輪車みたいなやつに乗ってるてっちゃんが好き。あとプールの中で飛ぶところのてっちゃん。
シングルですし、聴き易いので人気も高いのではないでしょうか。
ぼくは、安定のパスで。たまにでいいです。
シングルVer.とアウトロが変わっています。ライブだとこちらのVer.が演奏されますね。
11. 雪の足跡
★★★☆☆
クリスマスといえば雪。
そんなぼくですから、雪がテーマのこの曲もとってもお気に入りです。
海辺や砂時計あたりといい勝負。この辺は日によって変わりますね。
hydeもお気に入りの曲らしいです。
君がいるから今でも前を向いて進めるんだ
あたりの歌詞が、とても素敵で好きです。冬の、乾燥して綺麗な空気が浮かんできます。早く来ないかな。冬。
冬を彼女と歩きたくなります。バラード好きは聴いてみてください。
ぼくもバラード大好きなんですが、
この曲は何かが足りないです。
よって星5にならず。
12. Hurry Xmas
★★☆☆☆
あんだけハリクリハリクリ騒いどいて2点かよ!とツッコミが聞こえてきますねー。
シングル。だけど、挑戦した曲らしいです。
曲云々ではなく、とにかくPVを見てください。すごく幸せな気分になれます。
クロニクル4で是非!
最後のクリスマスタイムハズカムトゥタウンのところはkenが歌っているようです。
アルバム全体
★★★★☆
あんだけシングル云々言っといて、結構全体は評価高いです。
全体的に聴くとバラバラだけどまとまっていて、不思議な一枚になっております。ただシングルとかで切り取られると、一回でいいやってなります。
初心者からオススメできる一枚。