沼津・街頭紙芝居大会
暑かった!!
気温も暑いが、プレミア部門の出演者の熱いこと・・・
沼津の街頭紙芝居大会に出演してきました。
初参戦でしたが、存分に紙芝居を口演できました。汗が飛び散っているのをみて
女の子が「汗が・・・」っというほどの気温でしたね。
公演忘備録1/15
今年最初の公演は紙芝居師匠の「とどすずき」さんと一緒の2人会です。
場所は帝塚山にある「帝塚山 遊楽 | まちかど交流館」。
こちらは、「塩崎おとぎ紙芝居博物館」理事の大塚さんがオーナーのお店。
店内には「紙芝居・絵本cafeムクとチイ 」も併設しています。
こちらの2階で開演です。
「もっと大人に紙芝居」のご案内のチラシが開演時刻しか書いていなかったため
何時から受付をしているのかわからず、お客様もなんとなく30分前にはご来場いただきました。こういうことは実際にその日にならないと気がつかないものですね。
公演はとどさんの口上と街頭紙芝居の「正ちょうん」で幕開け。
私は「おけやのてんのぼり」
街頭紙芝居「おいとけ堀」、街頭紙芝居「名犬ホワイト」を演じました。
後半はとどさんが、すべて創作の「あまーいわな」、「たのしかったー」、「窓」、「赤ずきんに気をつけて」、「TARO STORY」、「にゃん2」を公演。
最後に私が「とどすずきの昔話バンザイ」を演じて終了。約90分の紙芝居ライブでした。
とどすずきさんの創作紙芝居をいくつか演じさせていただいていますが、やはり原作者の味はなかなか出すことができません。
3月18日にもまた二人会を行いますので是非お待ちしております。
街頭紙芝居
2016年から「塩崎おとぎ紙芝居博物館」の正会員として活動することにいたしました。
新年早々に博物館にお邪魔して、貸出規定などの説明を受けました。
15日の遊楽での公演用に何点かお借りすることに。
「おたのしみクイズ」2巻「チョンちゃん」2巻
「おいとけ掘」全3巻「名犬ホワイト」5巻
1巻が10枚、お楽しみクイズは7枚なので、合計で114枚です。
念のためにと持参したピギーバックがいっぱいです。
その分厚いこと、印刷紙芝居は16枚でも 1cmくらいですが、街頭紙芝居は10枚で3cmあります。
大きさも印刷紙芝居より少し小さいため、舞台もアジャスターが必要です。
街頭紙芝居という言葉から、屋外で演じるものというイメージですが、
現在の公演予定はほとんど屋内です。
バーやカフェでむしろ大人の人に楽しんでもらえるのではにかと思います。
今回お借りした、「チョンちゃん」巻数が「3650」です。全部で5300巻あるそうです。
全部演じるのに何年かかるでしょう・・・
「おいとけ掘」は本所(東京都墨田区)を舞台とした本所七不思議と呼ばれる奇談・怪談の1つで紙芝居に取り入れたものでしょう。
「名犬ホワイト」昭和32年から放映された「名犬ラッシー」がモデルでしょうか、
このテレビは私も見ていた記憶があります。
http://www.lassieweb.org
「名犬ホワイト」全9巻をざっと眺めたのですが、なんとまあ、奇想天外、ものすごいストーリーです。
なんでやねん、、うそ!、などという感想が出そうな内容です。
「名犬ホワイト」の初演は1月15日の帝塚山「遊楽」にて、行います。お楽しみに・・・
帝塚山 遊楽にて公演
「ーまちかど交流館ー帝塚山 遊楽」にて紙芝居公演を行いました。
遊楽にて偶数月に開催される「帝塚山文化情報サロン」のプレイベントとして
情報サロンの会員様に紙芝居を見ていただきました。
実は1月15日に「帝塚山遊楽」にて「とどすずき」と「ふじいはじめ」で紙芝居の二人会。「もっと大人に紙芝居を!」を開催します。
その宣伝も兼ねて公演させていただきました。
私はとどさんの「昔話バンザイ」と「さらやしきのおきく」
とどさんは「タロー物語」と「ニャン?2」を。
短い時間でしたが、楽しんでいただけたようです。
来月は街頭紙芝居を演じることができそうです。
子供ふれあい教室
奈良県平群町の子供ふれあい教室にお邪魔してきました。
M先生は街頭紙芝居の「チョンちゃん」と「お楽しみクイズ」を実演。
子供達は、やはりクイズが好きです。正解者には「型抜き」のプレゼント。
最近は見ることも少なくなった「型抜き」ですが、うまく型を抜ける子供と、抜けない子供と。
みんな、大騒ぎです。
交代して私は「とどすずき」師匠の「昔話バンザイ!!」
かぐやひめ、きんのオノぎんのオノ、ももたろう、ウラシマタロウ、など、、、
全部聞いたことのあるお話とちょっと違います。
一つ聞くと、内容が違うことに気づいた子供達が大騒ぎになってきました。
「なんでやねん」と言うツッコミや、「エーーー!」という歓声。
教室ではなかなか言うことを聞かないという子供達だそうですが、
約1時間、席も立たずに楽しんでいただけたようです。
お菓子をいただきました。
追悼ー水木しげる先生
水木しげる先生がお亡くなりになりました。・・・黙祷・・・
紙芝居屋にとって水木しげるという人は特別な人です。
紙芝居がマンガ文化に与えた影響は小さくありません。
1947年12月に、山川惣治・作画の「少年王者」が集英社から絵物語単行本化され大ヒットしました。また1949年に創刊された「おもしろブック」は現在の「週刊少年ジャンプ」の原点とも言えるでしょう。
多くの人気雑誌の出発点が、紙芝居だったようです。
紙芝居出身の人気漫画家も数多くいます。
白土三平氏、小島剛夕氏、そして関西出身の水木しげる氏です。
代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」もそのルーツは紙芝居だそうです。
水木さんが紙芝居絵かきになられたのは昭和26年に戦地から戻って、神戸でアパート経営をされていた頃です。
その頃紙芝居の「貸し元」という絵を扱う元締めがたくさんありました。その中の1社の「林画劇社」という貸し元に連れて行かれたそうです。そこで「売人」という紙芝居実演者の鈴木勝丸さんという方に採用されました。
その後、勝丸さんが独立して阪神画劇社を設立されて、貸し元になりました。
ここが水木しげるさんのホームグランドになったそうです。このペンネームも勝丸さんがつけたそうです。
本名の「武良 茂」という本名では難しすぎるので、当時アパートが水木通りにあって、「水木荘」という名前だったので「水木しげる」になったそうです。
本人は本名が良かったようですが、、、
紙芝居絵かきの仕事は分業制で、ストーリーを考える人、絵を描く人、色を塗る人、がいました。10枚が1組で、1巻。
水木さんは最初は色塗りからスタートして、「黄金バット」などで有名な加太こうじさんの色塗りを手伝われてたようです。
「ゲゲゲの鬼太郎」の誕生は戦前の紙芝居に「ハカバキタロー」というのを加太さんや勝丸さんから教えられたことがきっかけのようです。
昭和29年頃に「墓場の鬼太郎」という紙芝居を作ったら、子供達に受けたようです。
当時水木さんは、ストーリーも絵も描く希有な紙芝居絵かきだったのでずいぶんと重宝されたようです。
この頃から妖怪ものをたくさん書かれています。「猫娘」や、戦記物、時代劇、西部劇など。東宝の「ゴジラ」がヒットした時には、「巨人ゴジラ」という紙芝居も書かれたようです。
そしてテレビの登場で、紙芝居が下火になり、上京され、貸本漫画の世界に入られます。その後の活躍はご存知の通りです。
(大阪人2002年9月号、インタビュー「ぼくが紙芝居の絵描きだった頃」より抜粋)
水木さんはこのインタビューで紙芝居はテレビに勝てないとおっしゃっていますが、どうでしょうか?
テレビは絵が動くから、、
紙芝居はノスタルジーでしかないとも言われていますが、
現代は、テレビどころかファミコンやコンピューターゲーム、youyubeなどをスマホで見ている子供たちですが、
実際の紙芝居を見るときのワクワクした顔や笑顔を見ていると、全く新しいものとして感じているように思えます。
これからももっと、もっと、イマドキの子供達に紙芝居を楽しんでもらいたいと思います。
奈良教育大学ー輝甍祭
奈良教育大学ー輝甍祭に行ってきました。
H先生がOBでフリーマーケットに古本を出店しながら、紙芝居を演じるというので一緒に口演してきました。
大学の文化祭というものは何十年ぶりでしょうか、実行委員の学生さんがしっかりと運営されています。
雨模様のため、学生食堂の屋内でフリーマーケットが行われます。
フリーマーケッット内で、紙芝居のはじまり、、はじまり、、、
とどすずきさんの「昔話バンザイ」を
かぐやひめ、モモタロウ、キンタロウ、うらしまたろうなどのパロディ紙芝居です。
「え〜、、ちょっとちゃう」
「モモタロウ出てけえへんやん」
など、素直な反応です。
外人のお姉さんにえらい受けていました。
写真をたくさん撮っていただいたのですが、、、貰えば良かった。
H先生は街頭紙芝居のクイズを
街頭紙芝居の「お楽しみクイズ」はなかなか難しいトンチクイズです。
正解した子供には販売している本の好きなものもをプレゼント、
「コメント力」なんていう本を選んでいる子もいました。
びっくりです。
1時間おきに3回口演して、おいとまいたしました。