虚無

記録用です。需要はありません。

「無駄」にこそ、その人の価値が宿るのではないかという話

 

 

妙に好きなシーンがある。

 

「でもときどき、自分がなんで彼女を好きになったかで、悩むときがある。」

 

「私に恋愛の悩みを相談されてもね」

「私、たとえくんのためだったら、両目で針を突けるよ。その代わり失明しても、一生見捨てずに、そばにいてね。どう、これで美雪より私を好きになる?」

「ならないでしょ。だから思い悩む必要なんてないよ。」

彼は返事をせずに黙り込み、私は自分の席に戻った。

 

この作品が映画となって世に放たれたとき、思いの外、主人公に拒絶反応を示すひとが多かったのを覚えている。彼女の「素直さ」は「身勝手」と呼ばれ、「鋭い感性」は「暴力」と忌み嫌われた。

 

「だから思い悩む必要なんてないよ」

 

君に、この一言が言えるか。それくらい言えるさ、と答えるかもしれない。でも「言える」と答えた君のそれは、何の効力も持たない。身勝手さと暴力性にまみれた彼女が、言い放つ言葉だから、本当に、思い悩む必要なんてないと思える。

 

そろそろ、自分に何のメリットもないが、しかし、他人のためになる言葉だけを、扱う人間になりたいと思った。他人を救う言葉によって、自分にメリットをもたらすというのは、私の人生にとっては、ずいぶんと、意味のないことに思えて仕方がなかった。

自分らしく在ることの暴力性について

 

 

「好き」と言わずに、「好き」を表現する。

 

ー彼の瞳。

凝縮された悲しみが、目の奥で結晶化されて、微笑むときでさえ宿っている。本人は気づいていない。光の散る笑み、静かに降る雨、庇の薄暗い影。

存在するだけで私の胸を苦しくさせる人間が、この教室にいる。さりげないしぐさで、まなざしだけで、彼は私を完全に支配する。

 

ー彼だった。

 

ーやめてよと手を払いのけそうになったけど、でもどうしてもできなかった。

 

ー彼は風邪を引くと、筒状にした手を口にあてがい、ごほ、ごほ、と重い咳をした。その音が教室の隅の咳から聞こえてくると、耳をそばだてて、次の咳を待ちわびた。彼の存在を濃く感じられるのが、うれしかったから。

 

ー私は今、いらだっている。私がこんなにかき乱されているのに、彼は私にほんの少しの関心も寄せない。

 

ー彼の名前をノートに書いて、上からシャーペンで黒く塗りつぶす。

 

ーさっき塗りつぶした名前が一番、私の胸を焦がす。その独特の響きを、声には出さず、唇の上だけで発音して楽しむ。甘い響き。

 

ーささやかな粗を見つければ見つけるほど、彼の身体に愛着がわく。細部すべてに唇をつけて、味を、匂いを、ぎこちなさを、けずり取りたい。

 

「女の計算」と「敗北」について

 

ー少しでも彼の気を惹きたくて、さりげなくさまざまな小細工を試みる。数式を熱心に解くふりをして、指で髪を耳にかき上げる。耳たぶで揺れるジルコニアのピアスに透明に光りかがやく粒、手首の内側に塗ったコットンキャンディの甘い匂いがする香水、目尻のつけまつ毛。さくらんぼ色に塗った唇は、自然な赤みが差しているはずだ。解けない、難しいとぶりっこするのは封印して、全力で集中し教えてもらった通り数式を解いて、彼に頭の良さを認めてもらう。意味ありげな視線と控えめだけど確実にうれしそうなはしゃぎぶり、はにかみを込めた笑い声をもらす。

 

ー彼が表情を明るくして話にのってきたから、もっと盛り上げたくて私が笑顔でまた口を開きかけると、彼はまたちょっとこわばり、顎を引いてノートに目を落とした。彼は少しでも長く私と話していたいなんて、露ほども思っていない。

 

 

自分らしく在ることの暴力性について

 

ー「私を好きになってほしい。私のものになってほしい。おかしいって分かってるけど、もうどうしても止まらない。」

 

ー「おれは、おまえみたいな奴が大嫌いなんだよ。なんでも自分の思う通りにやってきて、自分の欲望のためなら、他人の気持ちなんか、一切無視する奴。おれが気づいていないとでも思ったか?」

 

ー私が気付いているのは、ちゃんと覚醒をしているのは、今しかない。今しかこの恋の真の価値は分からない。人は忘れる生き物だと、だからこど生きていられると知っていても、身体じゅうに刻みこみたい。

 

 

綿矢りさ著『ひらいて』より抜粋

 

さびしさは鳴る。

 

本の感想を書くのが苦手だ。

 

作者の言葉を濁しているみたいだから。
誰かの言葉を、さも自分の言葉かのように、振りかざして偉そうに語るのが嫌い。
だから、世の中のブログというものが、あまり好きではない。

 

できるだけ、彼女たちの言葉の輪郭を崩さないように伝えたくて、1ページ目だけでいいから読んでみてと言ってみたり、初心者を惹き付けそうな一文を作中からそのまま抜き出してみたりするんだけど、やっぱり上手く伝わらなくて、その場の興味と話題が、ビジネス書だったり、わかりやすいエンターテインメント作品に移ったのを確認して、私の手垢でぼろぼろになった、その「わかりにくい」本を、そっとカバンにしまう。ここまでがよくある風景。

 

どうしてこの本を読んでくれないのとか、読んでも何も思わないのとか、思うんだけど、きっとそれはみんなが学生時代「痛く」「孤独」でなかったからだ。さびしさの音が、聴こえたことのない人たちだ。

 

だからこの本を読んで、何とも思わなかったひとは、そのことをどうか誇って欲しい。上手に生きてきたんだ。私にはそれがひどく羨ましい。

 

見えてしまう現実や、聞こえてしまう音に、蓋をすることは、それに自覚することよりも、きっと遥かに難しい。

 

それでも、私みたいな人間は、流してしまえば楽に生きられる「何か」の正体を暴かずにはいられない。

やさしいひとを目の前にして、甘えるのではなく、そのやさしさの裏にある傷を、えぐりたくなる。

綿矢りさ作品の主人公も、また、正常な人が見逃したり、蓋をしたりする、現実や、言葉や、音や、空気に、敏感に、真正面から立ち向かうんです。

 

この本に出会って10年が経った。


こうして今感想を書くことも、初めてこの本を手にした当時の私の感じたことには到底及ばず、濁しているようで、上手く繕っているようで、いらいらする。

 

やっぱり、本の感想を書くのは苦手だ。

自己理解プログラムを終えて

自己理解プログラムを受けた理由

「自分の得意を見つけたかったから」

表向きはそうだ。

 

でもたぶん本心は違う。

心のどこかで、

「このプログラムを受ければ、コーチがまだ見ぬ私のとんでもない才能を発掘してくれて、あわよくば稼げちゃったりして、あわよくば今の仕事をやめられちゃったりして」とかそんな甘ったれたことを考えていた。

上手くいかない現実に嫌気がさして、大した才能も、優れた人間性もないから今の場所にいるのに、そのことを受け入れずに、ただ逃げ回っていた。そうして辿り着いたのが、このプログラムだったように思う。

 

過程のことは書いてもしょうがないので、結果だけを書くが、

「やりたいこと」は見つけられたが、

「やりたいこと」を仕事にすることはできなかった。

そして、今後、仕事にするつもりもない。

 

「言葉」が好きだった。文章を書くのも好きだった。

だから、周りからは、ライターになったら、とか、出版社に就職したら、とか、言われて、自分もそうできたらいいなと思いながら、まごついていた。

このプログラムが激推ししている発信にも、二の足を踏んでいた。

 

かつてメディアの仕事がしたくて、メディアの勉強ができる大学に入った。

そこで気付いたことがあった。

 

「情報」とは、発信する側の意図によって作られ、切り取られる。

嘘で塗り固められたものが、この世に出る。

私たちが受け取ることができるのは、真実なんかではない。

発信する側の都合のいいように操作された情報だけ。

 

「言葉」は好きだが、「嘘」が嫌いだった。

 

これが、実現手段の候補となるほとんどを、打ち砕く理由だったように思う。

なぜなら、せっかく自分と向き合って出した答えが、発信するための媒体にのせた瞬間に、「嘘」っぽくなるのを感じたからだ。「好き」の純度が濁る感じがしたからだ。(これは私の価値観で、みなさんがそうと言っているわけでは決してないです。)

 

そうして最後のセッションで、

 

「お金、稼げなくてもいいですか」

「いいですよ」

 

「発信、しなくてもいいですか」

「はい」

 

「ビジョン、他人に届けなくてもいいですか」

「りこさんがビジョンの中にいさえすれば」

 

すると、コーチが、【最初の実現手段】のところに「いろんな価値観に触れ続ける」と書いた。

 

私は「これなら、できそうです」と答えて、その日のセッションは終了した。

 

次の日、オンラインイベントで、実現手段について話してみたけれど、こいつは何を言っているんだという顔をされた。

お金はどうやって稼ぐんですか?とか、他人への価値提供は無視ってことですか?とか聞かれて、何も上手に答えられない自分が、おもしろくて笑ってしまった。

 

よくわからない答えが出てしまった。

でも、純度100%の答えが出たと思っているので、これでいい。

意味不明で在れ、他人にとって理解できなければできないほど、そこにはその人の大事なものが眠っていると、私は信じている。

春の雨

 

一日、どっと疲れた。

特に疲れた日は、仕事帰り、近所のラーメン屋で、明太子トッピングを頼む。明太子には疲れを麻痺させるパワーがある。

アパートの階段を登ろうとしたら、いい感じの水たまりができていて、「ぱちゃ」と音が鳴った。私のパンプスが、夜のありとあらゆる光に照らされて、黒く浮かび上がった。「愛してる」と思った。

この、どうにもできない現実を、愛してる。

最近うちの部署は業績が悪くて、存在価値すら問われるような部署で、上司は部下の私の前で平気で転職しようかな、とか言う。優秀な人はみんな外に出ていく。私の尊敬していた、かつての支社長も辞めたらしい。今日の商談も失敗した。

でも、水たまりが綺麗だった。
それは、かつて好きだった人の瞳に似ていた

私は、明日も会社へ行く。
頼れるものなんて、もう何もなかった。

多様性なんてクソくらえ【感想文】

「好きなことで、生きていく」

 

将来どんな大人になろうか、考えているようで考えていなかった、人生のモラトリアムで、あの目をつんざくような鮮やかな看板が渋谷のど真ん中に掲げられたあの日から、20代の僕らは「好きなことで生きていかなければならない」呪いをかけられたと思っている。

 

テレビとYouTubeのどちらがおもしろいかとか、義務教育を受けないで好きなことに熱中する子供とか、そのうち「多様性」なんて言葉が出てきて、誰が何をやっていようが認めなければいけない空気感をつくった。誰のせいだろう。

 

学歴も、収入も、中くらいの両親のもとに生まれた私は、両親のような生き方しか知らなかったから、中くらい努力して、中くらいの大学に入って、中くらいの会社に就職した。人生のモラトリアムを経て、数年が経つと、「やりがいのある仕事をしろ」「得意を活かせ」「多様性だ」などという同調圧力はさらに強まっていた。まるで、やりがいのない普通の仕事をしているぼくが悪者みたいに言わないでくれ。多様性はどこにいった。

 

ところで、多様性を認めるというのは、ずいぶん危険性を孕んだ都合のいい言葉だなと思う。

普通じゃない色を認める。

腫れ物を腫れ物扱いしない。

できないことを責めない。

昔は、会社の常識に、世間の常識に、矯正してくれる「大人」がいたが、今はもういないのだろう。ぼくたちはそういうチャンスを失った世界で生きている。自分を押し殺す術を教えられなかったサラリーマンというのは結構痛いなと思う。我ながら。

 

「何者」かにならなければ、きっともうこの世界では生きていけないのだろう。

「多様性を認める」の「多様性」のなかに

仲間入りしなければ、誰も認めてはくれないのだろう。

 

 

「どうにか、なる。」

・自分をコントロールするのではなく、コントロールできないときの受け皿を用意しておく。


上振れと下振れを理解する。

ここまでやったら疲れるな、→じゃあ休もう。

これくらいならできるから、→続けよう。

 

・謎のモチベーションで優しくしてくれる人はいる
 
「なんでこの人、こんな私によくしてくれるんだろう。申し訳ない。私も成果出さなきゃ・・・。」ってやるとドツボにはまるので(実際はまった)、
「なんでこの人よくしてくれるんだろう。謎のモチベーション(資質や価値観)があるんだろうな。」と流す。大丈夫。
 
 
・無能の烙印を押しても押さなくても仕事は進んでいません。
 
仕事ができていないと自分が無能な気がする→落ち込む→寝込む→さらに進まない。まじで意味ない。私が私に無能の烙印を押そうが、押さまいが、仕事は進まないし、できるようになりません。せっかくなら明るい気持ちで取り組んだほうが成果はあがります。
 
 

・今、ダイレクトに効果のあることをする。

 

目標を立てて努力できるのは、目標に近づいているという快感が得られるから。

目標に向かって努力するよりも前に、今、日常生活のなかで、資質の理解を通じて、アクションできることだって、もっとたくさんある。

「やるべきこと」が多すぎて血迷っていたので「今ダイレクトに効果のあること」(ストレッチやったら仕事はかどりそう、早く寝たら次の日仕事はかどるな)をする。タスクを削る。

 

自分メモ

できるようになりたいこと

・議事録ちゃんと綺麗にとれるようになりたい

・数字の処理能力あげたい

・先輩みたいに上手にお客さんと喋れるようになりたい

 

果てしなかった「できないこと」が、なんか意外と自分の資質使ってなんとかなりそうじゃんと思えた朝。