さよならは別れの言葉じゃなくて
今次の留学経験から、私は他人から話しかけられただけで挙動不審になる、特に中国語、英語(お前はいったい何の為に1か月も…)は危険だ、場合によっては母語の日本語すら危ういというのが良くわかった
よって以降の私の語学学習優先順位は、1、中国語、2、日本語、3、英語と確定し、一層奮励刻苦スベシ、となった次第であります
というか、挙動不審の主原因は、自分の意志を伝える<自分の自尊心、となっている訳だから、改めて根治治療も必要かと!斯様に考える次第であります
あと、一か月も滞在すると帰路の空港に着いただけで半ベソ状態になるのもよくわかった
そして、ボーディングから離陸まで、ずっと窓の外を見(るふりをし)ながら、声をたてず鼻水啜るレベルで泣いてると、隣の客が大層気味悪がるのもよくわかった
しかし
お粥とチョコパンと味付け卵とフルーツというワケワカラン機内食を食べて
例の国の領空をビミョーに避けながら飛び続け
日本海を超えて緑濃い懐かしの島国が見えて
就这样!
この旅(つうか北京市からは一歩も出なかったが!)、
此の何処までも熱く、そして暑かった留学は全て終わった…
だが、俺たちの闘いはこれからだぜ!(第1部・完)
〜長らくのご愛読、ありがとうございました!
Zhongben先生の次回作に御期待下さい〜
我より他に我を知るものなし
スタンド売りの肉夹馍に7回も通って、ついに肉量2倍にサービスしてくれるようになったのに…店の兄ちゃんとも喋るようになったのに…
ウサギに勝手に餌やっていい場所も見つけたのに…
ロバ肉サンド、結局一回しか食べれなかったな…
”五道口駅前の「食を乞う人」は何故いつも綺麗な洋犬数匹と寝そべってるのか?”問題も解決してない…
北京はあまりに広くて、ひと月はあまりに短い
短期入国査証の期限まであと2日だ
ほんのひとかけらの勇気があれば
私が中国語で話したかったけど、語学力と勇気が足りなくて言えなかったたくさんの事
「これを描いた作家と会田誠の作品について話してみたいけど連絡は取れますか?」
「だから結局時給だと幾らなの?」
「先生!一昨日、昨日と新学期、新入生向けなのか校内に世界各国の旗が沢山掲げられていましたね。私は校内中を歩き回って、我が国の旗を探しました。だけどどうしても見つかりませんでした。
やはり北京で一番国際的で、日本の留学生も多いこの大学でも、日の丸を掲げるのは難しいんでしょうか?
大学とはいえ外部の人間も出入りするし、抗議されたり悪戯される可能性が有るからでしょうか?
私は全く怒ってはいません。ただ少しだけ悲しかっただけです」
「驢馬の肉は高いの?」
「オバちゃん!これが1元てなんぼなんでも安過ぎやで!儲けあんの?」
「ブランド名をアピールしたいのは充分理解できます。しかし中国に来る岡本さんに対する配慮はないのですか?名前を名乗るだけで中国人にニヤニヤされたりするんですよ?」
来た見た勝った
今思えば、スタート時のこの高尾山な感じは、まやかしだった
最短登攀を狙いたがるせいか、途中からほぼ階段が連続する
手持ちの紅茶は捨てて、道端の物売りから1本10元のペットボトルの水を買った 冷たかった
頤和園が小さく見える
息切れするとさすがの中国人も無口だ
そして遂に我々は勝った!
恐ろしい犠牲を払い、この北京の遥か西方に聳え立つ、時に邪悪そのもの、時に神々の慈悲深さを見せつけていた山嶺を我々は今、足元に踏みしめている!
(登頂時間2時間、海抜575m)
我々は外交問題に配慮し、心の中で日章旗を掲げ東方を遥拝し万歳を三唱した(ウソ)
しかし山頂の売店は、香山から手紙を出そう!ポスト、关东煮(おでん)や方便面(カップメン)を食べる家族、観光地御用達の木刀、あなたの名 は有るかな?ペンダント 、と、やっぱり高尾山感丸出しなのだった…
卫洗丽、你知道吗?
仮に、現在東京でしている仕事と同等の仕事をしてほぼ同等の生活が保証されるならば、期限なんか無しで北京で暮らしたいなあ…
例えテレビを点けるとクリストファー・ウォーケンが中国語(しかも繁体字)で喋っていても
本国と同じく、吉野家がメニューの選定に苦戦してても
地下鉄、バス内での仁義なき闘いにも10日もしたら慣れたし
釣り銭をチョロまかそうとする店員に指摘できるようになったし(10块!10块!とか連呼してるだけだが)
信号無視、一時停止違反の存在しない道路を、一切走らず、早歩きすらせずに渡る術も身につけたし
ワリカンで食べるとビックリするくらい安い豪華な外食に釣られてる訳じゃないけれど…
あと私の北京の生活に足りないのは、神の祝福とウォシュレットくらいかな…
All come to look for China
「小凯 僕は何かを無くしてしまった」
彼女が眠っているのを知りながら 僕は呟いた
「僕の中身はからっぽで 心だけ痛むけど
いったい何をすればいいのか 解らないんだ」
北京環状3号線の車の波を数えながら思う
彼らはみな中国を探しに ここへやって来たんだ
みんな中国を探しに ここへやって来たんだ
みんな中国を探しに ここへやって来たんだ
狂乱的な経済成長が一気に鈍化して、贅沢の中に空虚が透けて見え始めた昨今の北京にぴったりだなあ、と思ったのでSimon and Garfunkelの『America』の最期の部分だけを、勝手に中国版に意訳してみた
というか、夕焼けの中の渋滞した車列や、灯りがつき始めた家や街並みを一人で眺めてると、少し鼻の奥がつんとしちまうのは、東京でも北京でも変わらねえな…相変わらずおセンチな野郎だぜ…