万年筆のようにそばに

田舎の雑貨店を営む男の徒然の言葉

別のブログサービスを検討する

先日、下品といって差し支えない内容のブログを見かけて、青少年への影響をどう考えるかはてなの運営事務局に確認を行ったところ、多少の描写は致し方ない、フィルタリングは場合によって検討もするが、という回答であった。個人的にはあまり納得がいかない。ただ、それを是とするのが運営の方針であれば、それを無料で利用させていただきながら納得できないでいる自分の方が出ていくべきだろう。幸いにもまだ記事は少ない。
はてなブックマークは引き続き利用するが、ブログサービスは他を利用することにしよう。残念であるが。

続けるだけなら簡単だ

余所様の記事に対するブックマークへのコメントに言及してよいものかとも思ったが、考えさせられることがあったので。
何かの小説から引用したらしいが「続けるために続けてるんですか? 」という一節で、自分は続けるために続けてるものがあるのではないかと少し考えさせられた。

現状が辛くやめることが楽になるための方法であればやめることは簡単だ。習慣化されない運動などは最たるものだろう。やめたからといって即座に影響が出るものではないからなおさらだ。これは能動的な場合が多い。
一方で、続けることの方が楽で、やめるとその先の見通しの方がたたない場合は惰性で続ける方が楽である。これは受動的なものが多い。

続けるために続けてるんですか?と問われたとき、胸がいたいと思うのは後者の場合だけだ。なぜ自分がそれを続けているのかの解がわからなくて、考えるのをやめてしまっていたことを指摘されたからだ。
そうならないように、なぜ自分が続けているのか、考える必要があるのだろうな。

あやふやな寒さ暑さ

家族で出掛けるので手短に。
今週に入ってから寒い寒いと家族はいってたのに、母だけがそう?まあ少し冷えたけれどと不思議そうであった。あまり朝早く家から出ることがないし、地域の集まりはお昼の温まった時間が多いから実感は薄いのかもしれない。
それでも私や妻はまさかと笑って、でも母は娘の足を見て、
「あらでも素足で歩き回れるくらいなんじゃないの」
と笑い返して、言われてみれば確かに、とうなづいてしまった。娘の学校は、タイツでも良いらしいが制服とのバランスが悪いとかではかない。そのわりに、校内ではジャージをスカートの下にはかないと寒くて動けないらしく、確かに寒さ暑さはあやふやなものなのかもしれない。
自分も、店で接客しているときは寒さは感じないし。

例えおねだりとわかっていても、娘からの弁当が嬉しくないわけではない

朝、妻がにやにやしながら私のもとにやって来て、今日の弁当だ、と包みを渡してきた。正直最近はお昼をちゃんと食べる余裕もない有り様なので、おにぎりを二つ包むだけでいいのに、といっていたにも関わらずだ。
ただ、手間暇かけて用意してくれるのが嬉しくないわけではないので、ありがたく受け取った。
「あのね、それ」
にやにや笑ったまま妻は
「あの子が作ったのよ、なんかほしいものがあるんだって」
といった。
まあそれでも嬉しいに違いない。残念なのは、これを見せびらかす相手がいないことと、そんな時間的な余裕がないことだろう。しかし嬉しかったのは確かで、時間がないなりにも写メをとって保存した。
味はさすがに単純と言うか妻が作るより大雑把な味付けではあったが、十分美味しかった。美味しくないわけがない。

次の休日は家族で買い物の約束をしたため、娘が欲しがってるものを買ってやりたいなと思う。まぁおそらく、妻も何かねだるのだろうが、ちょうどまもなくクリスマスであるし、理由があるプレゼントはやぶさかではない。むしろ喜ばせる理由を作ってくれてそれにも感謝したいくらいだ。

賛同に伴う責任についての反省

昨日、あるブロガーの方が書いた記事が、新人ブロガーである自分にとって示唆のある内容だったのでブックマークさせていただいた。おそらく知らず使っていれば、自分も間違いを犯す可能性があった。

しかし、その後いろいろな過去のログを辿ったところ、事情が複雑であることを知り、また冒頭の記事も一方の当事者の意見でしかないことに気がついた。相手のブロガーはブログを閉じると宣言したのも見た。

気軽な気持ちでブックマークをしたが、もしかしたら自分は誰かを傷つける行為に数の暴力で乗っかってしまったのかもしれない。もし自分が、ホットエントリするようなブロガーから、そのフォロワーとともに批判され、反論が許されない状況になったと考えるとゾッとする。多数決は民主主義ではない。その切り札を切らないことが民主主義なのである。

これも結局はリテラシーの問題なのかもしれないが、拡散させる側が自覚なしに誰かを傷つけることは多いのだろう。自分がそうならないように、いいや出来るだけ不用意にその事態を招かないよう、気をつけてはてなのサービスを利用していきたい。

家族やペットを売る行為

おそらく自分が時代遅れなのだろうが、子供やペットの行動や言動をコンテンツとしてブログで稼いでいる行為に抵抗がある。自分は我が子の成長をやたらブログで書きなぐって、そしてそれでお金を稼ぎたいとは思わない。
ペットも同様で、Twitterのアイコンがペットのアイコンのように見えるものについて、声をあげられない動物を身勝手にあつかったように見えてあまり面白いものではない。
彼らは自分は匿名でブログを書き、稼ごうとしているのに、自分以外のものはネットにさらしてよいと考えてるのだろうか。

私は誰かを救える言葉が残したい

ブログを書こうと思いついたのは、今日お店のお客さんと話していて、自分の言葉でも役立つ瞬間があるのかもしれないと思ったからだ。
まだ具体的に何がかけるかはイメージできてないが、自分がこれまで経験してきたことがどこかの誰かの救いになれば幸いだと思う。

正直まだこのブログのフォーマットに慣れていないが徐々に文章に広がりを持たせるようになれば幸いだ。