シン・エヴァンゲリオンについての個人的考察・評論
初めに
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の公開によって様々な考察や評論がなされてきた。
しかし、納得いかないものも多かったので、自分なりの考えをまとめてみたい。
筆者は、エヴァ世代ではなく、大学時代にエヴァ(TV+旧劇)を観て感銘を受けたが、ドハマりすることは無かった。セカイ系なら「イリヤの空」「なるたる」といったものに触れていたからだろうか、少し自分に失望したことを覚えている。幼少期よりアニメは宮崎駿くらいしか見ておらず、小説とゲームが好きで、筒井康隆、小島秀夫の信者であった。
新劇場版に謎は無いということ
「イスカリオテのユダ」「カヲル司令」といったのは物語の謎というよりは、作劇上の味付けであり、物語の本質とは無関係である。
エヴァンゲリオン新劇場版が、何の物語であるかは、所信表明に全て表されている*1
抽出すれば、エヴァンゲリオンとは①疲弊する閉塞感を打破したい、②生きていく心の強さを持つという願いを具現化し、③何度も同じ目にあいながら立ち上がり、④わずかでも前に進もうとし、⑤曖昧な孤独に耐え、他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の物語である。
技術的には、①監督の正直な気分をフィルムに定着させ、②アニメーションの本来の面白さを伝達させ、③停滞したアニメ業界に志を示し、④中高生のアニメ離れを止める、という4つの目標を掲げていた。
物語の主題は5つであり、技術論的なテーマは4つとなる。
技術論的なことは筆者の範疇では無いので、本稿では扱わない。脚注にて、参考になるサイトを提示しておく。*2
次章では、新劇場版で扱うと宣言した5つの主題について考えてみる。
閉塞感からの解放-TV版EDについて-
庵野監督が用いる閉塞感の意味とは、ラジオ*3を手がかりに考えていけば、自分で決めた限界から外に出ず、内なる世界に閉じこもることである。その点でTV版では、セル画というアニメーションからの解放とともに、碇シンジが自らを肯定することに気が付くことで物語が終わる。
旧劇場版では、人類の終焉にあっても、他者をおそれ、拒絶しようとして、アスカの首を絞める。その時、アスカに頬を撫でられることで、他者の存在を肯定して泣きだしてしまう*4。
旧劇場版では、「他者は存在しても良いのかもしれない」という漠然とした観念にたどりつき、視聴者には現実に帰れというメッセージを突きつける事で物語は終了した。
自我と他者 マリの正体について
エヴァンゲリオンにおいて、主要キャラクターは全て庵野監督のアルターエゴである事は指摘されてきている。そして、マリはカラーのスタッフによって創造されたキャラクターである。マリ=安野モヨコであるとの指摘もユニークではあるが、もっとシンプルに、マリ=カラーのスタッフ達と解釈する方がより自然であろう。
エヴァンゲリオンという庵野監督の自我=自意識の物語に、空から乱入してきたのがマリであり*5、その存在が無ければエヴァンゲリオンを完結させることが出来ない存在だったのである。
なぜ、マリがシンジを導くのかと言えば、これ以上の答えはないし、作劇上に2人が接近する理由が明らかではないので、多くの人が混乱したのは無理からぬ事ではないだろうか。その意味では、結局のところ、エヴァンゲリオンは最後まで作劇では破綻していたと言える。
現実か虚構か、二者択一を超えて
多くの人が混乱をしながらも、ラストシーンで一種の解放感、卒業感を持って終われたというのは、演出の巧みさと言わざるを得ない。一部の解説では現実へ帰れというメッセージは変わらず、それどころか結婚をしたリア充からの説教として、批判するものもあったが、果たしてその批判は妥当だろうか。
マリ=安野モヨコ説であれば、結婚して満ち足りたリア充がお前も早く嫁でも見つけろという暑苦しいメッセージにしか見えなくなってしまうだろう。しかし、マリ=安野モヨコ説であれば、重い鬱を患っていた安野モヨコ自身のキャラクターと、過度に楽天的なマリというキャラクターは重なるだろうか。また、庵野秀明の実家付近ではなく、自身が安野モヨコと出会った場所などをラストシーンにしても良いはずで、自身のルーツを出す必然性はない。
むしろ、自我の物語が庵野秀明の生誕地で終わり、そこから並走してくれる他者=カラーと共に駆け出していくという方が、整合性があるだろう。
旧劇場版に引っ張られて、現実に帰れとのメッセージを受け取ろうとした人も多かったようであるが、そもそも実写でありながら、現実には存在しない列車、建物が存在する宇部新川なのである。虚構でも救済され、現実と虚構が入り乱れた世界を駆けだしていく事で、現実に帰れというようなメッセージではなく、現実も虚構も内包しながら軽やかに閉塞感から解放される可能性を示唆しながら物語は幕を閉じたのである。
エヴァンゲリオンは繰り返しの物語である。とすれば、物語からの離脱以外に結末はあり得ない。かくて、碇シンジはループの世界=エヴァンゲリオンから解脱し、庵野秀明の自我の閉塞を巡る物語は、現実と虚構の二項対立を乗り越えたのである。
*1:全文はリンク参照。
庵野秀明総監督『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』所信表明 : みんなのエヴァンゲリオン(ヱヴァ)ファン
*2:②アニメーションの本来の面白さという点について、作画監督へのインタビューがある。https://www.tbsradio.jp/575053
③特撮との融合については、ジブリ会報での氷川さんの「Q」の評論も参考になる。
https://www.ghibli.jp/shuppan/np/007842/
④新劇場版が中高生のアニメ離れへの対応となったのかは不明である。「序」「破」を通じて、公開当時の中高生に対して、エヴァンゲリオンという作品を広めたのではないかと推察できるが、決定打のような影響を与えたかは疑問である。Netflixのような配信サイトで気軽に見れる環境の方が大きいかもしれない。
*3:
庵野秀明監督による「閉塞感からの解放」「自分を認めるということ」の説明 文字起こし - 日記
*4:以下のサイトの解説がわかりやすい。
栞:エヴァ支援・或るエヴァの唄の話 - livedoor Blog(ブログ)
*5:シンの冒頭で歌う「真実一路のマーチ」で、幸せは空から降ってこないと歌いながら、実際には、空から降ってきたマリに救われるのである。一度目は出会いの時にS-DATの曲数が増え、2回目はイマジナリーに取り残された時である。
庵野秀明監督による結婚とエヴァンゲリオンについての見解 文字起こし
トップランナー 2004年5月9日放送
映像追加😅
— 道産子エンジン (@dosankoengine) 2021年3月23日
監督に意地悪な質問をしなくてもいいのに…w🤣
トップランナーの放映日は2004/5/9。
シン・エヴァが完成した事自体、奇跡だったのかも知れないですね😂 pic.twitter.com/1CJTOkLten
「僕の中では新しいとこに行けて良かった」
— 道産子エンジン (@dosankoengine) 2021年3月23日
確かに😆
庵野監督の結婚はエヴァを作り直す動機の要因の一つかも知れませんし… pic.twitter.com/aM5fJ3iXj4
観客:数年前のインタビューで クリエイターは結婚するとダメになるっておっしゃってたと思うんですが ご自身が結婚なされて その言葉は当てはまると思いますか?
庵野:芸風変えてなんとかなります。(会場笑い)
もうああゆうのは作れないと エヴァンゲリオンみたいなのは
庵野秀明監督によるエヴァの「現実に帰れ」の説明 文字起こし
林原めぐみ Tokyo Boggie Night 19996年放送4月21日放送
林原めぐみのTokyo Boogie Night ゲスト 庵野秀明 210回 1996年4月21日放送 - YouTube
4分30秒ごろから文字起こし
お便りコーナーにて
林原:庵野さんに質問 アニメに逃げ込んでるのではなく、現実に帰れ、という一言。あれはどうゆう意味だったのでしょうか。現実に立ち返るといのは世間を知るということなのでしょうか。自分にもわかるように嚙み砕いて説明してください。 ということで頂きましたねー
庵野:うーん
林原:先週ねぇ ずばっとねぇ 君たちは現実に帰れというようなことおっしゃいましたが
庵野:はい
林原:どうゆうことでしょうか ということです
庵野:もうちょっと まぁ 言ってしまうとですね なんていうのかなー あれ 自分の世界の狭さを知れってことなんですよね
林原:うんうん
庵野:まぁアニメに それで自分は逃げているんだと気が付いている人はまだオッケーなんですよ
林原:うん そうですね
庵野:それもわからずに ただそこに逃げ込んでて まぁおれは自分のアニメーションというのが ただの避難豪になるのが嫌だったんだよね
林原:うーーん
庵野:そこに行って 現実になんか戻る 何か力みたいなものがそこにあって そっからまたじゃあ現実世界に帰ろうか という気になるものがあればよかったんだけど
なんかねー なんていうかなー アルコール依存症みたいに なんかこう そこが気持ちよすぎたので そっから抜け出せなくなってる人が なんか周りに増えてきたんすよ それが嫌で とにかく 水かぶせて目を覚まして なんかこう現実に戻れっていうことだったんすけどね
林原:あー なるほどねー
庵野:つまりなんていうかなー 自分の物差しの小ささを知るには 他人の物差しとあててみないと 自分がこんなに持ってる物差しが小さいんだ で おまけにその物差しの1cmと思っているのが他人の1cmと感覚が違うっていう このズレ、ギャップっていうのは 実際に他の世界を見てみないと理解できないんだよね
林原:そうだねー
庵野:そこのことなんすよ まぁアニメばっかり見ていてもだめだと
林原:そうですねー
庵野:これは純粋なアニメファンで もう20年以上アニメファンをやってて それで行きついた 監督というところまである程度 自分でアニメを作るところまでいきついた人間が言うんだから まず間違いない
林原:ところがあると
庵野:だから言えるんだよ
林原:あーなるほど
庵野:ここまで来てるから俺は言えるんだよ
林原:うーん
庵野:これを全然アニメーション知らないが言ったら バッカでぇお前って言う 俺だって言う
林原:はっはっはっ
庵野:俺が言ってるんだから聞いてくれって言うんだよ そこをわかってくれよ もう
林原:声が裏返ってますけれども(笑い) ねぇ アニメーション愛してるからこそ言える 愛してきたからこそ言える
庵野:あれは自分に言ってる言葉でもあるんですよね
林原:んー なるほどねー
庵野:もちろん そうっすよ
林原:よくこの番組でも 時々言うことでもあるんですけど もし私の言葉でそれを言うとしたらなんですけど 現実ってじゃあ何っていう気持ちになるんだけど 現実というのはやはりその いま自分の身の回りの状況だと思うのね 身の回りの人だと思うですよ で たとえば親でもいい 先生でもいい あのー 人のせいにしちゃうっていうのが
庵野:そうそうそう
林原:結構 ほら こいつがこうだから 親がこうだから 人のせいにしちゃうと 少し何かこう つらいんだけど どっか楽なところに
庵野:楽なんだよね
林原:でもそれを わかってくれないじゃなくて わからせるにはどうしたらいいんだろうっていう風に あのー みんなわかってくれないじゃなくて 一人でも二人でもわかってくれる人を増やすためには じゃあどうしたらいいんだろうってことを考えていくと 一個プツンって 階段がその時に登れると トントントントンって行けたりすることもあって
庵野:そう とにかく 自分の部屋から外に出ようと
林原:そうですねー
庵野:自分の部屋にこもっててパソコン通信やってると 危ないっすよ
林原:うーん 危ないですかねー でもその中にいる人たちにそうゆうことを言ってみた時に なぜって言われたときに なぜここにいちゃいけないんだいって言われたらどうしようっていう気持ちにもなるんですけどね わたし
庵野:うん それを全否定してるわけじゃないんすよ この間のやつも 一切見るなって訳じゃなくて アニメだけにすがるなって言ってるんだよね
林原:うーん なるほどね
庵野:他の事もやってみたら?というね
林原:うーん そうするともっと新しいものだったり 良いものだったり 全然違う幸せな感覚だったり
庵野:そう アニメだけが 世の中で幸せを与えてくれるものじゃないんだよね
林原:うんうん なるほどねー ということです 少しはわかっていただけたでしょうかねー
庵野:私も最近わかりました
林原:そうゆう方もいるんです 安心してゆっくりわかってください(笑い)
庵野:30過ぎてやっとわかったバカもいますから
林原:自分でバカって言わないでください
庵野:おれバカだよ
林原:そうですかぁ?
庵野:うん
林原:まぁでもあんだけのね作品を作ってるんですから みなさん
庵野:だからバカだよね
林原:あーいたいいたいいたいもう もう一週ありますからちゃんとついてきてね
庵野監督 どうもありがとうございました。
庵野:ありがとうございました。
林原めぐみ Tokyo Boggie Night 19996年放送4月28日放送
https://www.youtube.com/watch?v=Aly2ba0ceFI
2分35秒ごろから4分45秒ごろまで文字起こし
林原:続いてですね これちょっと考えちゃうのよねー えっとー 福島県のですね ペンネーム カルボナーラさん 林原さん 庵野さん こんばんは。僕はアニメに逃げている奴を無理矢理現実に帰らせると言いましたが、無理矢理という言葉は使わなかったかもしれないが、僕はアニメに逃げている人は、そのままそっとしておいてあげたほうが良いと思う。それは現実に帰されて、自分の目標とかが見つかった人は良いけれど、もし現実の世界で仕事も出来ない、自分の悩みを打ち明ける親友もいないなんてことになったら、もう一生アニメの中に入っていってしまう。だから、自分たちで気づくまでそっとアニメに逃げさせておいてはどうでしょう。という これは別にアニメでなくても言えることよね
庵野:まぁそうなんだよね
林原:あのーあのー 言いましたよね 両親かもしれない 母親かもしれない あのー 本かもしれない 何らかのスポーツかもしれない 何でもいいんだけど とりあえず逃げている場所ということなんですけど
庵野:そうなんすよね まぁ自分で気づけば良いんだけど なんか まぁつい言っちゃったっていうのはあんすよね
林原:まぁでも私が思うのは そのー 無理矢理 庵野さんは別に手を引っ張って こっちへ来い おらおらってやってるわけじゃなくて その気づくきっかけになりたい作品だったわけじゃないですか
庵野:まぁね なんかね なんか 本当に 提示してるわけじゃないよね
林原:そう
庵野:こうしろとかそうなってるやつじゃなくて
林原:そうそうそう そうなの
庵野:なんかきっかけになればいいというやつだね 何か結びつく 何か関係の ちょっとした 何かこう触れ合いみたいなものがあれば それで良いと思うんすよ そうゆうものになれば良いなというね だから俺みたいになれとか 全然言ってないんだよね
林原:言ってない 言ってない
庵野:こうなれとかね
林原:全然言ってない
庵野:そうゆうのじゃないですよ どっちかっていうとなっちゃダメだって言ってるような気が(笑い)
林原:どうだろうか それは なんとも言わないけど(笑い) でも要するに 私なんかもー 良く自分の曲 たとえば 例を挙げると「頑張って」という曲があるんですよ それを聞いて すごく頑張れたという人もいるし これ以上何を頑張れっていうのっていう気持ちになる人もいるし
庵野:うん 人それぞれ
林原:でもそれはこちら側から色んなボールを投げるけども 受け取るのはあなたたちで
庵野:そう
林原:感じるのはあなたたちというところなんですよね
庵野:そこに嘘はつかないで欲しいし なんかねー あの それを自分で認める行為っていうのはやって欲しいんすよ
林原:なるほどねー
林原:自分で自分に嘘をつき続けると これはつらいから まぁ それを自覚してれば
それで良いっすってことっす
は:なるほどねー じゃあここで会報*1のテレビサイズバージョン 第26話 Fly Me To The Moon
*1:意味不明なので聞き取りミスか
エヴァンゲリオンTV版最終回についての庵野秀明監督の説明 文字起こし
林原めぐみ Tokyo Boggie Night 19996年4月14日放送
林原めぐみのTokyo Boogie Night ゲスト 庵野秀明 209回 1996年4月14日放送 - YouTube
2分ごろから文字起こし
庵野:えっとねーエヴァンゲリオンっていうのは 僕のライブなんですよ ライブ感覚で作っているやつだから、今思っていること 今感じていること 今の気分っていうのをフィルムに定着していこうというのが最初のテーマというか 僕の中のテーマだったのね
林原:うん うん うん
庵野:それは正直にできるだけやっていこうと まぁ中には一般論とか他の人の意見とか まぁこうしなきゃといけないという あのー
林原:制約?
庵野:そう そうゆうのもあるんだけど あとは自分のモラルに従って物事を作っていく 要するに あのー 自分じゃない部分というは全部排除するというのが最初にあったんすよ
林原:はぁ はぁ はぁ
庵野:最終回は ああゆう形にテレビのほうはなっちゃったけど まぁそれで一回終わって もう一回作り直す まぁ作り直すっては変なんだけど 最初にあがってたシナリオに戻すだけなんだけど それをやるときにまた 今のシナリオまた多分書き直しちゃうと思うんだけど 今の気分というのが そのまま反映されるんでね だからもう2か月か3か月たった時の気分っていうので エヴァンゲリオンのラストを考えるとどうだろうというのが
林原:はぁーー
庵野:これがビデオの時に一緒についてくるというやつですね*1
林原:すいません 気分というのはそんな急激に変わるものではないです それとも 変わるんですか 庵野さんは
庵野:いやー
林原:根底にあるものというのはきっと変わらない
庵野:変わらないんだろうね でもね
林原:表現したいものとか・・
庵野:思っているものとか 見たいものとか 考えてることっていうのは変わると思うんですよ
林原:ああー そうです あと方法が変わってくるかもしれないですよね
庵野:そうそうそう
林原:例えば 簡単な話だけど 林檎がありますとしたら これを例えば 美味しいと表現する 赤いと表現する 熟れてると表現する 色んなこう 一つのものを表現するのにも色んな形があるじゃないですか
庵野:そうそう 角度が違うものだよね
林原:最終的に林檎を言いたくても あのー 言い方や表現の仕方や伝え方が変わってくると 受け手側も変わってきますものね
庵野:うん まぁテレビの25、26に関しては なんていうのかなー うーーんとね まぁ諸般の事情っていうのが 一番手っ取り早いんだけど
林原:あーーー ありつつ そして庵野さんの中での あのー ライブな自分っていうのを ビデオで表してゆきたいという感じなんですね
庵野:そうそうそう まぁもう一回 時を得てできるんだったら その時の気分というのがまた新たな25,26にも出るでしょう だから 今あるあれを あれは今の気分だから否定する気持ちはまるで無いんすよ
林原:うん うん うん という感じなんでですね この辺でちょっと 曲が流れてきました 5月28日2つできたということなんですけども*2
庵野:そうですね
林原:諸般の事情というのは制約的なことなんでしょうかね
庵野:こうゆうのはもうなんていうのかなー 一切しゃべんないか ばぁーっと全部言い訳してしゃべってしまうかのどっちかなんですけど 黙ってるとねー なんかこのまま なんか落ち着いてつまんなくなるんで折角 半ばわざとああゆう風にしてるわけだから なんか このままとどまってしまうのも つまんないなぁと思って ばぁーっと色々としゃべっちゃいます
林原:うえぇっ! そうですか まぁあのあまり問題のないように(笑い)
庵野:まぁまぁ(笑い)
林原:まぁでもばぁーっとしゃべっちゃいますと言わなくても まぁ全部全部細かいことを言わなくても やはりそのー ほら アニメーションという媒体であるとか それから放送の時間であるとかを考えたりとかしたときには 制約ということが やはり世の中にはあるわけじゃないですか
庵野:まぁあるけどね
林原:それで うーんと なんていうのかな 済むことっていうことでもないのかしらね
庵野:やることをやっていって とにかく どこまでできるかやってみようと 最初にあったんすよ
林原:なるほどね
庵野:テレビシリーズのアニメーションていうカテゴリーから考えるたら とてもできないことだったんだよね この企画自体が そっからもうスタートした時に 崩壊はもう見てるんすよ
林原:ええー
庵野:始めたときに もう成功とか失敗とかそうゆうのじゃなくって どこまでできるだろうっていうのがスタート地点なんだよね
林原:自己なり社会なりへの挑戦
庵野:そう どこまで自分たちができるんだろう そうゆうことでスタートしてるから 26本 一本も落とさずにできたというのはまず快挙というか奇跡に近い それがストーリーをもった あのー 本来の形で24本まで続けられたというのも これも奇跡に近いんすよ これもう それだけでオッケーなんですよ 1話と2話がでたときにもうこれでいいと思ったから あとは ねぇ 他の5話とかー 要するに 7話とか8話とか まぁそうゆうあの 僕の中で あぁよくできてるというのがどんどんどんどん増えていってそれが24本まで出来てるっていうのは凄いし 25、26は僕にとってはあれでオッケーなんですよ
林原:うんうんうん
庵野:十二分にオッケーなんです
林原:でもこれだけあのー ある意味でそのーオリコンでねー なんていうの LDが1位になっちゃったり すごいあのー 数字を残したりとか 結果が出てるということ は こうゆうことを待っていた人達が 望んでいた人達っていうのが やはりいたということですねー
庵野:アニメファンに今 一番足りないのは 僕 プライドだと思うんですよ
林原:ほえーー はぁ
庵野:だから アニメファンっていうのは不安材料でしか生きてない人たちだから
とにかく 自分の中でモノが欠けているだけど 何が欠けているのか 全然自分でわかってないんですよ
林原:ほえぇーーはっはっはー
庵野:だから救いを求めてアニメーションに逃げ込んでるんだよね アニメ見てる間は自分は安心できるから とにかく 安心したい
林原:それはシンジ君なのかしら
庵野:いや まぁー 他の人もあると思いますよ それは女に逃げるとか サッカーに逃げるとか 野球に逃げるとか 逃げる先は色々あんだけど その中で一番アニメーションっていう なんつーのかな 母親のお腹の中に近いようなもの? なんかそうゆうのを選んでるわけなんだよね まぁその分 心が 心が弱いというのは変な言い方かもしれないけど そうゆう人たちなんすよ
林原:そう ですかー はぁ はぁ
庵野:その中で僕がやったのは 最後の26話は これはもう自分の言葉というより一般論に近いんだけど 26っていうのは 君たちが 要するに 本来見たい 予定調和的な終わり方じゃなくって それは多分 大多数の人が 見たかったことだと思うんだけど じゃなくって あれに対する僕のメッセージ性っていうのは なんてのかなー 君らが見たいものじゃなくて 君らに必要なのは これなんだよっていうのが ラストなんすよ
林原:それは逆に 言ってることは なんつーのかしら 驚かされるような事なんですけど 一つのやさしさですね 私はそう思う
庵野:いやー わかんない 突き放したところで出たものかもしれない
林原:突き放したところで初めて あのー 動物ってさー 動物っていうか あのーなんていうの あの キリンでもさ 何でも 立つわけじゃない
庵野:うん
林原:突き放すっていうのも一つの愛のカタチであり優しさだと思う
庵野:だからね アニメに逃げ込んでるわけじゃなくて 現実に帰れっていうのが最後なんすよね まぁものすごく なんていうのかな 余計なお世話なんだから そうゆう人はかなり怒ると思うんだよね 余計なお世話だと
林原:いやいやいや そんな
庵野:でもどうしようかなぁと思っている人は一度現実に立ち返ってみるのも良いかと思うんですけどね
林原:はぁー なんか濃い3週になりそう
林原めぐみ Tokyo Boggie Night 19996年4月28日放送
https://www.youtube.com/watch?v=Aly2ba0ceFI
45秒ごろから2分30秒ごろまでを文字起こし
林原:林原さん 庵野さん こんばんわ。唐突ですが質問をさせてください。エヴァンゲリオン26話って写真やペン書きの絵を使ったシーンが多かったように思えましたが、あれは全て意図的にやったことなのでしょうか。効果を狙ったように感じられたところもありましたが、制作が遅れたんだと受け取った人の声を聞くので、そこんところ教えてください。ということなんですけど どうでしょう
庵野:えっとですねー あのー セルアニメーション至上主義っていうのかな セルアニメ以外はアニメにあらずっていう考えが嫌だったんすよ
林原:あーもう あーもうそう はじまっちゃった ははは そうなんだ
庵野:そうそうそう セルで描かれているもの以外はアニメーションではないみたいなね だから それ以外はキャラクターとして認めないってゆうところがまずおかしいと思うんすよ
林原:なるほどね
庵野:表現というのは自由なはずだから
林原:(拍手)なるほどね
庵野:まぁ もっとね ただ セルというのも記号の一つだというところで
林原:うん うん うん
庵野:線画だってなんかアニメーションにはなるんすよ 線だけでも十分
林原:要するに 色がついてないということだよね
庵野:そうそうそう 10年以上前に流行った実写アニメーションっていうのがブーム
まぁ小さいブームだったときに
林原:うんうん
庵野:要するに 計算用紙に レポート用紙にね なんかこう ペンだけで描いて それをあの タップというものも付けずに あのー それをただ8mmで撮って それで動かしてみるという もうそんだけで十二分な快感があったんだよね
林原:あー なるほどね
庵野:セルというものにこだわる必要はないんですよ
林原:はー なるほどね
庵野:まぁ それは意図的にやっとると
林原:それをわざわざ26話というのもなんか
庵野:そうそう セルアニメーションというものからの解放も願ったんだけど 方法論としてはもうちょっとうまくやり方 なかったかなーとは思う
林原:レイの心の解放とともにって感じで
庵野:そうそうそう なんだよね
林原:まぁー 憎いじゃありませんか あぁ そうゆうことだったんですね
庵野:そうっす
林原:まぁあのー 遅れてだったらああゆう形にはしなかっただろうしっていうところよ みなさん
庵野:そうそうそう
林原:噂がもしあるならね うん
庵野:間に合わないくらいだったら もっと間に合わない方法論ってものがあるよ
林原:そうですよね
庵野:わざわざああゆう風にしてるっていうことだよね
林原:なるほどねー とゆうことですー
庵野秀明監督による「閉塞感からの解放」「自分を認めるということ」の説明 文字起こし
林原めぐみ Tokyo Boggie Night 19996年放送4月28日放送
林原めぐみのTokyo Boogie Night ゲスト 庵野秀明 211回 1996年4月28日放送 - YouTube
4分50秒ごろ10分5秒ごろまで文字起こし
林原:私の選んだはがきを一枚 ほとんど全部庵野さんには読んでいただいて 庵野さんが選んだハガキなんですけど 私が庵野さんに見せてないハガキ えーこれ本名OKなんですよ ####くんなんですが どうもこんばんは。この間の放送聞いてみて、僕は何故アニメを必要とするようになったかを考えてみました。
小4の時、よく先生に叱られていた僕は、少しでも叱られまいとするようになり、なぜ怒られたのか、何が悪いのかを考えるようになりました。または嫌いな人を少しでも良く考えようとし、悪いことを悪いと決めつけず、なぜそんなことをしたのかなど、多くのことを考えるようになりました。
そのうち、自分が人に嫌なことや迷惑をかけることを恐れるようになってしまいました。その頃からものすごく緊張したり、心配したりするようになったのです。そんな訳で、段々自分を出すのが怖くなり、人と話すことも少なくなりました。
しかしこのままではいけないと思っていたとき、ぼくとは全く逆の性格を持つ人に出会ったのです。それがたまたまアニメの主役だったのです。それは僕に自由を教えてくれました。人生に逆襲されちゃうよ。一度しかない人生だもの他人に振り回されないで、自分の好きなことをやってみるエトセトラなどなど、これらの言葉はいまでも僕の支えになっているセリフです。
僕はこういった言葉や主人公の(録音とび)自部自身にかけていたプレッシャーに気づきました。だから僕にとってのアニメは、決して逃げ込む場だけではなく、現実の世界で、完璧だけを目指そうとしていた僕、ロボットになりかけていた僕に、じゃあ君はだれなの?と問いかけてくれたものだったのだと思います。
というハガキなんですけどね。
庵野:うん
林原:どうでしょう
庵野:いや、良いと思いますよ
林原:うーーん なるほどねぇーという感じではありませんか あのー その逃げ込んでることに気づいたりとか あー これに頼ってる これに あのー 甘えてるってゆうとこにも気づいた時点で片足 半分体出てんですよね
庵野:うん だから閉塞感からは これでもう出てんすよ ある程度 開かれてんだよね あとはそこから外に出るかどうかっていうのは 別の問題なんだけど
林原:そうだね
庵野:少なくともドアは開いてるってのは確認できるわけでしょ
林原:そうですね
庵野:でもドアが無かったらどっから出て行っていいかわかんないんですよ そうゆう状況だけは出来うる限り避けといたほうが良い
林原:そうだね
庵野:だから どっかドアがあれば そっから出てくことは可能なんだから でも まぁ 出てったら ねぇ 外は崖かもしんないし 空かもしんないし すごく気持ちの良い所かもしんないけど それはその人が外に出てみないとわかんないわけでしょ 出る前にあれこれイヤなこと想像して 出ないっていうのは
林原:絶対あの外は崖なんだ 崖に違いないって思って出ないよりは
庵野:思い込むのだけはやめといた方が良いよっていうね
林原:まぁそうだよねー
庵野:まぁ出てみてひどい目にあうのもそれもまた良しなんですよ 人生だからね
林原:うんうん そうなのー
庵野:それを恐れていたら 何も出来ないということなの
林原:うん でね 崖だったんだけど 痛い痛い 崖崖 痛いと思ってドンって降りて 崖から降りたら すんごい気持ちの良いとこかもしれないわけよ
庵野:そうそう 下にはクッションが広がってるかもしんないし 途中で木の枝があるかもしんない
林原:うんうん だから痛いから怖いから そこは なんか絶対つらいに決まっているっていう風に決めて あのー 出ないでいるよりは ちょっと痛い思いも みんなするじゃないですか そんなこと
庵野:ねぇ
林原:ねぇ それで初めて 人の痛いところもわかるわけだし だからそうゆうようなことです
庵野:まぁ針の山かもしんないけどね(笑い)
林原:またそういっていじめる(笑い) いじめるって(声色を変えて)て感じですかね まぁそんなとこですねぇ
まぁじゃあ ラスト一枚です。$$$$さんですね。この前監督が言っていたことは、私にとっては当たっていたと思う。最近思うのですが、私は他人に合わせることが当たり前になってきているようなのです。あの人が機嫌を損ねないようにしたり、その人が赤だと言うものを赤だと言ったり、それで顔色を気にしつつ、心のどこかで嫌われたくないと思っているようです。
直した方が良いとは思うんだけど、どんどん自分が嫌になる。こうゆう時、めぐ姉や監督の場合はどうしますか。このことで自分も現実から逃げているのかもしれません。お願いします。意見を聞かせてください。ということですけどねぇ。
庵野:私もそうなんですけど 結構
林原:あっそうですか この監督がそうだっつーんだから 皆さん自信もってください
庵野:いやだってー 罵詈雑言のハガキが来て 俺が全然いたんでないと思う?ってやつなんですよ すっげー傷ついてますよ もちろん でもそうゆうのはね
林原:庵野監督なにごとじゃーってゆうようなハガキでも傷ついてるんですよね
庵野:いやー 傷ついてます もちろん
林原:うんうん
庵野:でも そうゆうのは なんてゆうのかな 恐れててもしょうがないんだけどね
でもそうゆうのが嫌なのは 本当によくわかるんすよ
林原:嫌われたくない んですねー
庵野:でも嫌われたくないと思ってると 誰からも好かれないよっていうことなんだよね
林原:うわぁー 深い それそうだわ そうだね
庵野:こう思ってる限りは好かれないんですよ だからなんかねぇ 自分の中にねぇ 何か必ず一つは良いものがあるはずだから それを見つけて それをアピールするようにしていくのが
林原:それをかわいがってあげるのよね
庵野:そうそうそう 自分の中でかわいがって 何か あっいとしい って部分が 誰か 何かあるはずなんですよ
林原:あるあるある
庵野:それを見つけて そっからなんかスタート地点に立つのが まぁ良いんじゃないかなってのが これが私の人生論ですけどね 僕の場合はそれがアニメーションだったんですけど
林原:あーなるほどね 周りにさ 周りからどう見られるか 周り周り周りってことよりも まず自分を探してみると良いですね
庵野:万人から愛されるってのはまずないですね
林原:それはそうですよ
庵野:うん
林原:うんうん
庵野:でも万人から嫌われるっていうことも無いんですよ
林原:まぁー 良いこというじゃないですか 優しいですねこの人結構ね (笑い)
庵野:俺にもまだ人の心が(笑い)
林原:(笑い) なんだか素敵な
庵野:そうゆうことっす
林原:そうゆうことっす みなさんちょっとは思うところはありましたでしょうか