猫が死ぬ

もうすぐ猫が死ぬ。
顔が大きくて、足が短く、甘いものを盗み食いしてはウマイウマイと言っていた猫。入ってはならないと言われている寝室にもぐりこみ、ごろんごろんとするのが好きだった猫。

彼は毛づやも悪くなり、食事をとれなくなり、排尿することもままならなくなった。よたよたと歩き、たまに悲痛な声でひとつふたつ鳴く。まだ若いのに、おじいちゃんみたいな姿になった。

死なないかもしれない。でも、たぶん、もうすぐ死ぬ。

私は彼の痛みを知ってあげることも、和らげてあげることもできない。まだ赤ん坊だった彼を抱き締めながら言った、守ってあげるからね、は、できないままだった。

私を食ってでも、百年千年生きてほしいと思っている。尾が二つに割れ、躍りをおどるようになり、油をなめて、生きてほしいと思っている。
それでも、どこかで死ぬのは仕方ないことだとも思っている。

私は生き物を飼う資格がない。父が昔「最後まで責任がとれないのならば、生き物なんか飼うべきではない。それがたとえ捨て猫だったとしても、責任がとれないのならば拾って飼うことなど、猫にとって何の救いにもならない。」と言った。私はまだ、最後まで責任をとるということがどういうことか、わからない。

彼は幸せだろうか。どうしてやればよかったんだろうか。もっと幸せになれる方法があったのだろうか。例えば一年前に戻ったとして、私は彼に対する態度をかえるだろうか。彼にとって生きるとはどういうことなのだろうか。

ねこがしぬ。しなないでと私はなく。なくばかりで、私はいまだに何一つわからない。

降ってきた雹の中に何か混じっていたので、拾って持って帰り、机の上に置いて溶けるのを待ちました。
中にいたのは大変小さなひとでした。
小指の爪程もありません。
私はレゴブロックで家をこさえてやりました。
小さなひとは赤だの青だの灰だのの色のブロックの家を見て、さも絶望したというふうに雹が溶けたあとの水に浸かっています。
どうやら、暑いらしいのです。
ためしに製氷機に水と小さなひとをいれてやり、冷凍庫の中にいれてやると、水の中で両手をあげて跳び跳ねていました。
表情や声などはわかりませんが、多分、喜んでいるのです。
喜んでいるのなら仕方ないので、私は黙って冷凍庫の扉を閉めました。
本当は小さなひとを耳の中で飼いたいと思っていました。

仕事から帰ってきた恋人に、小さなひとの入った氷を見せると、彼は飛び上がって私を叱りました。
何てかわいそうなことをするんだ!!!
そうはいうけれども、と困る私を放っておいて、彼は50度くらいのお湯に小さなひとの入った氷をチポンといれました。
小さなひとは、氷と一緒に溶けてしまいました。

恋人はしばらく悲しそうにお湯を見つめていましたが、私のことをぎゅっと抱き締めて、ペットの亀にエビをやり、ドリトスのタコス味をパキパキと食べてベッドで眠ってしまいました。

ドリトスのにおいのする恋人の横に寝転がり、小さなひとは何が好物だったのかな、と思って少し泣きました。

ブログをはじめました

何度目の挑戦か知れません、おもしろい文を読むとそこを目指して文を書きたくなります。
毎日更新するぞ!などと意気込むとまた三日坊主でおわるので、書こうと思ったときに書こうと思ったことだけ記録していこうと思います。何年か後に見直してフムフムとするのが好きです。