幸せは自分で決めれる。何才からでも潤う人生研究所

感じる 踊る 表現する。気ままに発信するブログです。

弟は閉鎖病棟で亡くなりました

しばらく更新できませんでした。

 

勿論、匿名で書けばいい事なのですが、万が一誰かに見つかる事も怖かったです。

 

普通では無い話し、ですから

 

弟は中学二年生の時から、様子がおかしくなりました。

 

ストーブの前に何時間も座りニヤニヤしていたり

 

学校にも行かなくなりました。

 

 

この時に既に発病していたのだろうと思います。

 

当時、この病気の名前は別の言い方をされていました。

 

不安神経症

 

確か診断された記憶があります。

 

後々、弟は統合失調症であると診断されたのでした。

 

 

今まで他人に優しくて繊細な弟は人が変わった様になりました。

 

意味不明に突然起こり出したり、急に暴力的になり殴りかかったりしてきました。

 

私も殴られた事があり、その時は目の上がお岩さんの様に青く腫れ上がり、その顔で大学に行くのがとても恥ずかしかったです。

 

 

弟の事

私には弟がいた。

 

いた、と過去形なのは、

今年の1月5日に亡くなったからだ。

 

彼は精神の病を患っていた。

 

元々は、とても他人の事を思いやる、神経細やかなとても優しくて繊細な人間だった。

 

そして見た目も二重のパッチリとして鼻筋の通った可愛らしい顔をしていた。

 

 

誰が見ても可愛らしい赤ちゃん

 

私はよく彼に嫉妬していた。

 

私は目も小さいし、顔も丸顔で典型的な地味顔だったからだ。

 

見た目も違うし、5歳歳の離れた兄弟

 

私はお兄ちゃんに間違われ、弟は妹に間違われた

 

 

そりゃ、親だって赤ん坊の彼につきっきりになるのは当たり前だ

 

 

今まで親から愛される対象は私だけだったのに、急に私以外に親から愛される対象が増えたのだ

しかも、見た目に美しい存在

 

まぁ私は彼に嫉妬して、赤ん坊の彼をこっそりつねったりしてた事もあったな。

 

今考えたら何て事してたんだって思うけど

今まで両親からの愛を一斉に受けてた一人っ子で蝶よ花よで育てられて来た5歳児の幼稚な時代の私だった。

 

いつから彼は病気になったのかと言うと

 

私が知る限り、小学生までは楽しい子供時代を送ってたはずだ

 

口数が多い方でも無いし内向的な性格だったので、全てを話してた訳では無いと思うけど

 

中学生に入ってから、父親から運動部に入れと言われて本人が気が進まないのに剣道部に入る事になったのよね

 

あの優しい子が、人の頭を叩いて戦いの世界に入るなんて、

今考えたら本当に無理で無謀な事をやらせたんだよな、うちの父親って、、、

 

 

この話は後から母親から聞いたのだが

中学一年の体育祭も、当日になって泣きながら行きたくないと訴えてたらしい。

 

母は、行かなくていいと言ったのだが

 

休みだった父親がそんなのは絶対ダメだと言いだし、無理矢理に弟を中学校に連れて行ったのだ

 

その後父親は体育祭を見守る訳でもなく、家に帰ってきて寝ていたそうだ。

 

母一人で体育祭を見に行ったのだが、

その気持ちを思うととても見ていられなかったそうだ

 

 

そんな事があったなんて、、、

私はその当時、自分も大学やらバイトで忙しく詳しい事までは知らなかった

 

ただ、

男は厳しく育てればいい

 

という信念の元に弟にやたら厳しくしていたのは覚えている

 

 

弟がおかしくなった原因で

決定的だったのは、弟が中二の時に、今まで仲良い友達もできて楽しく通っていた近所の個人塾を無理矢理に辞めさせて、進学塾に入れた事だ。

 

以前の個人塾では、少人数で和気藹々と

皆で受験まで頑張ろうね

ととても良好な人間関係で

その当時実は学校でイジメに遭っていた弟は、唯一の救いの場だったのかもしれない。

 

 

進学塾では授業についていけなかった様だ。

 

その頃から

よくストーブの前で何時間も動かずに座り続ける弟の姿を見るようになった。

 

 

〜続く〜