第六回ボン祭 終了

今年も諏訪太鼓やカラオケなどで、盛り上がりました。

今年は、1階でというか、ストリートで音のお遊びをやりました。
主にボン祭なので、盆踊りのレコードを回していました。


ボクの実家の近くのお寺で毎年盆踊り大会が開催され、
リアル80年代の歌謡曲と昔ながらの演歌、音頭がミックスされていました。
郁恵ちゃんのロボットや相良直美の二十一世紀音頭など
いわゆる脳に記憶が焼き付けられている訳です。
その記憶がなぜか今頃よみがえってきて、レコードを探し求めている次第です。

盆踊りの練習には青年団のお兄さんが、踊りを教えてくれたのですが、
ボクたちは、ケイドロで遊び、終了間際に戻って、
アイスクリームをもらって帰るという感じでした。
懐かしい昭和の時代ですね。

話を戻して、
若手djも参戦して、ボクのレコバックからの選曲で、ボクにはできない選曲で
新鮮でした。
wifiがつながる環境でしたので、iTunesのみでの選曲など、くくったら、
面白いねと話していました。来年は、若手djがエレクトロで盛り上げてくれるでしょう。

第六回 BON祭

今年もやります!
四日市祭りの帰りにお立ち寄りください。

日時:8月7日(日) 19時00分〜翌朝2時ごろまで
場所:ボンビル  四日市市安島1−7−15
内容:1階 DJブース (7inchレコードを中心に、音のお遊びをやります)
   2階 ビール ボンカレー 飲食物 おつまみ
      カラオケ 生演奏ライブ マジック(あじ川さん)
   3階 足つぼマッサージ(タムタムさん)
      ネイルアート(ドルチェさん)      
◆20時30分頃から神叫び太鼓保存会様の演奏◆

東日本大震災約二ヶ月後の現状 

2011年5月13日(金)

JR郡山駅から新幹線でJR仙台駅へ移動。
仙石線本塩釜まで移動し、コミュニティーバスに乗って、避難所の国際村に移動しました。
バスにはお年寄りの方々がたくさん乗っていました。
常連さんもいる様で、生活の足になっているようです。このようなバスは必要ですね。
国際村に行く途中、ものすごい光景が目に入ってきました。

宮城県 七ヶ浜の国際村前のバス停からの風景です。

七ヶ浜の海です。
コンテナが打ち上げられています。
天気が良く、波音が心地よいですが、光景は無惨です。

家が崩壊しています。
近くには、スティッチの時計やぬいぐるみが落ちていました。

なぜ、国際村に出向いたかというと、
5月8日から10日まで、四日市NPOコスモスという美容ボランティアの方々が、
ヘアカットをしにお邪魔した避難所なのです。
ボランティアのメンバーでもあり、実際にボクのヘアカットを担当していただいている、
ミラーブルーの小林さんに、現地での状況のお話や、行って観るだけでも良いという言葉に
促され、ボクも現地に行こうと決めました。かなり心動かされました。
やはり、行った方の話は説得力があります。

出張で福島県の郡山に行く予定だったので、翌日休暇を取得しました。
ボランティアに登録していないし、限られた時間しかない、ボクにできることは何か?考えました。
※ホテルで前日にテレビを見ていると、各地でボランティアの募集をしているのですが、
登録して一週間程度の期間が必要とのことで、動きが悪い印象を受けました。

子供に絵本を読み聞かせてあげようと思い、帰りにシェトワ(本屋)によって、
読み聞かせNo.1の本、”うんこ”を買いました。
だじゃれが多く面白いんですこの本。

あとは、なるべく荷物を軽くしようということで、iPadに絵本の電子書籍を10冊ほどDLして準備をしました。前日は朝4時まで寝れませんでした。

国際村前のバス停から10分くらい丘の上に歩いて登りました。
老人が急いで逃げて登るにはきつい傾斜です。
途中には仮設住宅を建設していました。

国際村付近は、海抜34メートルらしいです。

もう少しで、国際村です。

避難所の国際村は、静かでした。前に自衛隊の車が、2台停まっていました。
簡易温泉もあるみたいです。
外にはGIANTが無償で寄付した特別仕様のMTBがありました。
視認性の高いイエローで。キャリアが付いています。

あまりにも静かなので、少し躊躇しましたが、勇気を振り絞って中に入ると、
ロビーでおばちゃんたちが、4人おしゃべりをしていました。
こっそり、耳を傾けてみると、ため息が漏れていました。
挨拶をして、NPOの美容ボランティアのコスモスの話をしたら、覚えていてくれていました。
ボクもその人にいつもカットしてもらっていますよ(笑 と。

小さな子供たちは?と聞くと、
優先的に仮設住宅に入ったとのことでしたので、ここにはいないとのことでした。

残念でした。やはり、事前調査も大切ということが判りました。
避難所はどんな感じか聞いてみると、一階は会議室などの小部屋に分かれていて、
プライベートは確保できている様でした。
二階は、布団などが干してありました。
施設としては、大変きれいな場所で、震災がなければ、文化の交流の場ということです。
イベントなどするには、最高のロケーションです。
掲示板には、”勝手にライブ”などのチラシが貼ってありました。
復興を盛り上げるためにでしょう。
ロビーには、飲料水や食料、まんがなどがご自由におとり下さいと表示されてありました。

おばちゃんに案内してもらい、絵本が”うんこ”なので、少しためらいましたが、
ここまで来たのだから、勇気を振り絞って、事務所の方に声をかけて、絵本を渡しました。
あたたかく受け入れてくれました。来て良かった〜。

時間的にゆっくりできなかったので、
バス停まで降りましたが帰りのバスの時間が二時間後だったので、
行きの通りすがりに目に入った、電話番号でタクシーを呼び、本塩釜駅まで、戻ることにしました。

タクシーの運転手さん曰く、自分も家が流され、娘さんのお家のある仙台で住ましてもらっているそうでした。
自衛隊の方々が、大変頑張ってくれて、道もきれいになったそうです。
当日もメガクルーザーが、ずらりと並んでいて、作業をしていました。

まだ、国からの300万円は受け取れていなく、歯がゆい想いらしいです。
でも、ふっきれた様子で明るかったです。前向きな運転手さんでした。
孫にもこの震災を伝えていくために河北新報社が出した写真集を2冊買ったらしいです。

ボクも駅前の本屋さんで、2冊買いました。
一部は自分用、もう一部はミラーブルーさんでの閲覧用にと。

仙石線は、本来は仙台から石巻間の運行ですが、現在は、東塩釜までしか電車が通っていないので、
バスが東塩釜から石巻までています。電車料金で利用できます。
時間は約2時間くらいかかったでしょうか。かなり、体がむくんできました。特に手のひらです。
行きに、以前行ったことのある松島を経由して、石巻駅まで移動しました。
ここでも、壮絶な光景を目の当たりにしました。
駅前はかなり渋滞していたので、時間はあてになりませんでした。
ようやく石巻駅に到着しましたが、帰りのバスまで30分くらいしかありませんでした。
昼ごはんをまだ食べていなかったので、駅前の居酒屋のランチ500円に目がとまり、
入ったのですが、終わっていました。駅のコンビニでおにぎり2個を買い、
目的地は石巻漁港だったので、レンタサイクルを思いつき、カウンターで相談しましたが、
かなり距離があるし、今日は風もきついのでやめておいた方が良いとのアドバイスを受け、
断念しました。
せっかくここまで来たのだからと思い、タクシーの運転手さんに相談して、
約3千円くらいで、30分で帰って来れるということで、お願いしました。
タクシーの中で、おにぎりをほおばりつつ、しばらくすると惨い光景が視界の中に。
タクシーを止め、降りて撮影しました。なんか、ゆっくり揺れていました。

石巻の様子です。満潮時でしたので、地盤沈下している箇所は、冠水していました。
半端ない瓦礫の山。
錆びています。

反対側の風景です。

そして、ひきの画像。

UFOです。いや、石ノ森萬画館です。

行程:2011年5月13日
(8:06)郡山駅東北新幹線)→仙台駅(JR仙石線)→本塩釜(バス)→七ヶ浜国際村で、絵本を寄贈。(タクシー)→本塩釜(JR仙石線)→東塩釜(JRバス)〜石巻駅(タクシー)→石巻漁港→石巻駅(高速バス)→仙台駅(新幹線)→東京(N700系新幹線)→名古屋(近鉄)→近鉄富田(タクシー)→実家(23:30)

品質保証の基本の考え方で、3現主義ということばがあります。
現場、現物、現実を見ることが、問題を解決するために必要であると。
現実を確認、いろんな人の話を聞く(傾聴する)ことで、
解決策が見えてくるように思います。

この経験をもとに、いかに復興支援を継続していくかと思います。
GWを過ぎたら、ボランティアの数がめっきり減ったとも耳にしました。
半年経ったらどうなるか判りません。
何かしたい、できないかと思っている人はたくさんいると思います。
若くて体力のある者は、現地に出向き経験し、後世に伝えていけば良いし、
体力的に無理な方は、支援するだけでもよいと思います。
現地で光景を観て何かを感じれば、
きっと家庭のこと、地域のこと、国のこと、世界のことの考え方が
変わるでしょう。
行って良かった。