日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

保守政治の保守すべき時代と経済第一主義が目的となる経済的覇権主義 〜大きな経済は守るが、歴史や文化や小さな経済の生活者は守らなくなる保守の捻れ【福田恆存『保守とは何か』 】

 

前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/04/190003

 

政治的保守と経済的覇権主義 〜大きな経済は守るが、歴史や文化や小さな経済の生活者は守らない?

保守の立場 〜自らで明確化、歴史的文化

保守の立場が難しく自らで守るべきものを明確にしなければならないのと同時に、日本であれば日本の伝統や文化を踏まえていることが重要である、と前回お話してみました。これは日本という範囲での歴史ですね。

 

今の政治的保守とは

そこで今の保守政治というものがどこまで保守なのか、ちょっとよくわからなくなります。というのも本来保守というものが見ている歴史の射程は平安時代くらいから続くものであって、かなり長いものです。それに比べると今の政治主導している保守というのは高度経済成長からバブルくらいの歴史を範囲として考えている、と小林よしのりですら述べていたことがあります。当然本来の保守からすれば近視眼的すぎるわけですね。保守の持つ恣意性がここで問題になっているわけです。

 

経済第一主義の保守 〜もしくは経済的覇権主義

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そのため今の政治的保守というのは高度経済成長からバブルを保守するのであり、経済第一主義の保守と言えるわけですね。こうした経済成長ががむしゃらな戦後復興にあったことは確かですが、もう一つ戦前からの目的を違う形で果たした側面もあります。すなわち覇権国家としてかつてのヨーロッパ諸国のように植民地をたくさん持ってる大国になることです。ですがこれは敗戦と共に挫折してしまいました。その代わりとして経済では負けないぞ、と一時期はアメリカを越して世界一になりました。ふた昔は今の中国のような位置に日本はいたわけですね。

 

経済第一主義にとっての歴史や文化 〜非効率な金にならないもの

そんなわけで高度経済成長からバブルを保守するというのは、ある意味では政治的な覇権国家として挫折したが経済的には世界制覇した、すなわち経済的覇権国家としての日本を保守するという意味でもあるかもしれません。となると日本の歴史はどうなるのか。多分そんなことは考えていないのだと思います。というのも経済効率をよくするためにはそんなもの踏まえていたら非効率だからですね。ですから歴史的な観点を重視する保守とは本来相入れないはずなのです。

 

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たとえば大阪ではなんばのど真ん中に廃校になった小学校が残されていました。地元の人々にとって思い出の残る大切なものであり、かつての大阪商人たちが寄付によって建てた建築としても由緒ある価値のあるものでした。そのため一等地であるにも関わらず長年放置され開発されていませんでした。しかしそんなもの無駄だと今では潰されて複合商業施設が建っています。この場合地元の人が残して欲しいもの(伝統/文化)を経済第一主義で切り捨てたわけです。

 

経済第一主義が保守の理由 〜国民の生活を守るためには経済を守る

ではなぜ経済第一主義が保守なのかといえば、国民生活を豊かにするためには経済が良くないと成り立たないからです。つまり国民の生活を守るために経済を重視している、というわけですね。これは敗戦後のような窮乏期には当然の考え方でしょう。松下幸之助の水道哲学とも一脈通じそうな態度ですよね。

 

大きな経済を守る

しかし今は物の足りない生産中心の経済システムの中にいません。消費中心の経済です。となるとイノベーションによって新しい商品を生み出してもらわないと経済も活性化しません。そのためイノベーションを起こしてくれそうな大きな会社にばかり援助します。いわゆるGAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)みたいな会社が起これば消費圏自体が生まれてくるようなことになるのでその経済的影響は甚大です。

 

小さな経済は切り捨てられる

ですがここで福田恆存の保守の考え方を思い出してみましょう。保守とは横丁のそば屋を守ることである。こういうものでしたね。しかし横丁のそば屋は個人経営の小さな店舗です。それは町の常連には愛されているかもしれませんが、経済圏を生み出すことはしません。そのため経済第一主義の考えではそんなもの守りません。イオンやガストやセブンイレブンに潰されるのがオチです。国民生活を守るはずの経済第一主義の保守が、生活者を押し潰す方に協力しているわけです。

 

消費社会にも関わらず生産中心思考?

しかも既に消費中心の経済であるにも関わらず、どうも生産中心の経済の考え方から抜けてないのかもしれません。先の学校だって観光資源として使ってもいいはずですが、商業施設を選んでしまいます。物を売る方が重視されるわけですね。ですが以前見たように消費社会は既にある物を差異化することによって新しい価値を生み出すことにあります。あるものはなんでもいいのです。使い方次第です。それなのに人を呼ぶのに商業施設といったハコモノを作ったり、イベントを開いたりとなにか新しく手を出してしまいます。考え方まで高度経済成長のままなのかもしれません。しかし今はそんな景気のいい時代ではありません。きっとあるもの使うより新しく作ったりやったりする方がお金かかるんじゃないでしょうか。

 

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大きな経済を守って零れ落ちてゆくものたち

そんなわけで経済第一主義の保守は歴史や伝統や文化を守ってくれません。守ってくれるのは経済だけです。それも大型の経済だけを守ってしまうので、小さな経済で生きている人は守ってくれません。結果、得る者は得て、得られぬ者は得られぬ、といったことになって格差が生じてしまっているのかもしれませんね。でもそれを国民は支持しているとみなされるので、これを日本の考えだと国内外共に理解するしかないのでした。

 

欠乏した自力と野心の経済的覇権主義

そこでもうひとつやっかいなのは、経済第一主義、いえむしろ経済的覇権主義なのかもしれませんが、どうも自力で世界一の経済大国になろうと野心を持っているのではなく、大国にくっついて一緒に金持ちになろう、といった姿勢のようにも見えてしまう気がすることです。ある評論家が自虐史観からの脱却って、ジャイアン史観からのび太史観に変わっただけで、いじめっ子(侵略)だったのがいじめられっ子(東アジア諸国での孤立)に気分が変わっただけじゃん、そしてアメリカをドラえもんにしてる、なんて言ってた気がしますが、案外スネ夫(ゴバンザメ)なのかもしれませんね。それなのに日本は偉い、と言っているのはちょっと二枚舌もいいとこな気もします。せめて政府に逆らった前川喜平元文科事務次官みたいに面従腹背で、いざとなったらいいとこ掴んでアメリカ出し抜くくらいのこと考えて牙でも磨いておいて欲しいですけどね。もしくは黒田如水が関ヶ原の決戦のあと、家康に右手をとって褒められた、といって喜んだ子の長政に対し、その間左手をどうしていた(その間に刺せ)、といった気概でしょうか。今なら如水じゃなくて長政になるかもしれませんね。江藤淳なんてアメリカに逆らえないそんな日本を嫌いで批判していたはずですが、今そんなこと言ったら、日本でていけ、って言われちゃうんで保守とはなんぞやというのは大切な問題なのかもしれません。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/06/190050

 

気になったら読んで欲しい本

福田恆存『保守とは何か』 

私は読んでないんですが、生活者からの保守という観点はやはり福田恆存に依るのが一番いいかと思います。

 

江藤淳『成熟と喪失』 

江藤淳は戦後の日本がアメリカ化していくことによっていかに多くのものを失ってきたのか、ということを同時代の日本文学の中に探って批評にしました。それがこの本です。江藤淳の立場も自分のノスタルジックな過去を理想化していると批判もされますが、アメリカ化をグローバル化として捉えれば今となんら変わりませんので、案外今の方が切実感を持って読まれるかもしれません。もしくはこうしたアメリカ化の屈託が一切なくなってしまったからこそ、経済第一主義が保守でありえるのかもしれませんね。

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/06/190050

前回の内容

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お話その140(No.0140)

保守の立場の困難性:明確な基準なき保守思想の思想的立脚点の意味とはどこにあるか 〜政治勢力として左翼反対によるまとまり、自らで明確化、日本文化/歴史的踏襲【福田恆存『保守とは何か』 】

 

前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/03/190057

 

保守の立場とは

新興勢力への反対としての保守のまとまり

保守という立場はある意味ではとても難しいものです。というのも過去の一地点を理想化しているわけで、10人いれば10人の保守の在り方が成り立ってしまい、そうなると保守なんていうひとつの思想は存在しないといってもいいくらいです。そのためマンハイムは保守主義というものは新しく現れた勢力に対する反対でまとまっているだけであり、それ以前の状態の方がいい、ということを思想にしただけだ、と分析していたような気がします(間違ってるかもしれない。よければちゃんと読んでみてくださいね)。

 

日本の場合 〜共産主義や左翼への反対というまとまり

日本の場合であれば革新、すなわち共産主義や左翼に反対することによって保守としてまとまっていたわけですね。敵が一緒だから敵の敵は味方なわけです。そんなわけでソ連が崩壊して左翼が散り散りになってしまうと保守内部で意見の対立が明確になり、結構揉めたり分裂したりしていたそうです(誰が書いてたかなぁ。評論家だったと思うけど)。マルクス主義者がマルクスの解釈の正当性を巡って内ゲバしてるのと同じように、保守でも揉めてたりするんですね。

 

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なんでも結構揉めていたのがアメリカに対する態度で、保守の中にも親米と反米というものがあるのだそうです。私は戦後の日本はアメリカに負けてペコペコしてるもんだから、保守は負けて悔しい今に見ておれ、と歯軋りしてるんだと思っていたのですが、案外そうでもなく戦後の成長がアメリカの支援あってのものでしたからアメリカ様々、という立場の人も多いようです。阿川佐和子のお兄さんである阿川尚之は法学者でアメリカを研究していてアメリカ評価らしく、戦後最大の文芸批評家である江藤淳などは戦後の日本があまりにアメリカ化されすぎていてそのことを非常に問題視していました。これが両方とも保守になってしまいます。どっちかっていうと戦後のアメリカ化は大橋巨泉なんかが喜んで受け入れたように、戦前の軍国主義に疲弊したリベラル的な価値観だったと思うのですが、今では政治主導しているのはアメリカ化の保守のような気がしますね。

 

保守勢力と政治権力 〜敵か権力によってまとまる類似

こうして見てみますと、保守がなんで政権勢力と仲がいいのかもわかる気がしますね。自民党は戦後いくつもあった保守勢力の集まったものでした。もしかしたらそれぞれの間では意見の相違もあったかもしれません。ついでに言うと旧民主党は意見が割れて小池百合子の策略もあり分裂してしまいましたが、自民党だって元々は派閥政治で意見なんて一致してなかったと思います。タカ派とハト派では随分違ったはずです。ではなぜ分裂しなかったのかといえば、政権与党であるから権力を持っていたから分裂しなかったのだ、なんて言われてた気がします。つまり政権与党が意見の一致しない烏合の衆であったかもしれないが、権力でまとまっている。同じように保守勢力も意見は一致してないかもしれないが、敵が共通していることによってまとまっている。似ているんですね。

保守の基準その① 〜自らで明確にする

こうした保守主義ですので、保守といっても何を保守するのか、どのようなものを自分は保守と思うのか、それを自らで明確にしなければなりません。いくら保守、保守、といっても徳川幕府再興とは言えないわけです。天皇を持ってきて明治維新を起こしたのを反転させて、徳川家の末裔を持ち出し幕藩体制に戻したいといっても他の保守から認められるということはないかと思います。

 

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たとえば日本で保守の考えにとても貢献した劇作家/文芸批評家の福田恆存は保守とは横丁のそば屋を守ることだ、と述べたそうです(直接読んでない)。これは保守とは生活実感の中から生まれることだ、という意味も含まれているかと思いますが、同時に福田恆存は自身の考える保守というものをどこに基準を置くか自らで明確にしているわけですね。こうした態度がないと保守とは明確にならず、ただ自己弁護のために保守を持ち出すことだってあるわけです。たとえばジャイアンがのび太を殴っても、俺は織田信長に倣ってやってるんだ、と言って保守を名乗ったって、ジャイアン本人はそのつもりかもしれないからです(でもこれってナポレオン=英雄に憧れて人殺ししたラスコーリニコフみたいな気もしますね)。

 

保守の基準その②  〜日本文化を踏襲する

しかしやっかいなのが政治体制ではなく文化として捉えたなら、こうした大昔の価値観を持ってきてもおかしくはないということです。むしろそれこそが保守として正しい基準としてみなせる可能性もあります。というのも日本は相応に歴史のある国であり、政治はその時々で激変し価値観を一致させることは出来ませんが(徳川幕府再興、といったそばから、いや豊臣だ、なにを足利幕府だ、といくらでも過去に相対化されてしまう)、それと同じように日本の文化というものも続いてきているとみなすことも出来るからです。

 

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いわゆる伝統とか、日本らしさ、日本人らしさ、というものなのですが、これを歴史の中に見出し踏襲した上で考えるのが一応日本における保守とみなされているかと思います。

 

次回のお話

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気になったら読んで欲しい本

バーク『フランス革命の省察』 

バークの本。今回はみすず書房にしてみました。たしかみすず書房はバークの著作集を出していたはずです。でも値段が上がっています。

保守というのはバークから誕生したので、今の世の中で保守、保守、とあちこちで聞いて、なんじゃらほい、と思っていらっしゃる方は、その原点であるこの本を読んでみるのもいいかもしれませんね。上に述べたように保守とはかなり曖昧なもので、下手をすれば自分のいいと思っているものを勝手に保守として振る舞ったり出来てしまうのでかなり注意が必要なものです。そのため時として原点に戻ってみるのも必要な気もしてきますね。

マンハイム『保守主義的思考』 

マンハイムの本。マンハイムのこの本は特別保守主義とは何か、というような主義主張について書いているのではなく、マンハイムの持つ知識社会学という立場から保守主義というものを明確にしたものです。

知識社会学というのはどういうものかといえば、過去のある時期に現れた思想が、当時の社会/思想状況のもとどのようにして生まれたり優位になっていくのかを研究するものだそうです。多分。あまり私はわかっていませんので、マンハイム先生がどう知識社会学を説明しているのか是非直接お読みください。私には満足のいく説明は荷が重すぎます。簡単に言えば歴史の思想版…って言ったら、思想史になっちゃってちょっと違うのかな。難しい。

福田恆存『保守とは何か』 

福田恆存の本。私は読んでいませんが、きっと保守ということについて大きく示唆されることが書いてあるかと思います。

 

ドストエフスキー『罪と罰』 

そうそう、忘れてました。ナポレオンを意識して人殺しを決断し実行してしまったラスコーリニコフ君はこの作品の主人公です。そしてドストエフスキーは保守ということを考えるにも大変重要な作家のはずです。ついつい保守なんていいますと日本のことばかり考えてしまいますが、当然外国にもその国の保守はいるわけですし、歴史的/世界的大作家だって保守的な考え方してる人もいるわけですからね。

ハインライン『宇宙の戦士』 

ついでにアメリカの超有名作家で右派というハインライン先生を載せておきましょうね。これはSFの意匠を借りた軍隊小説ですけど、巻末の解説でつい訳者が政治についてハインラインに尋ねてしまったところ、アメリカ北部がいかにカナダに狙われていて軍事侵略されるか、という危険性を蕩々と語ったそうです。トランプ大統領はなにも急に生まれてきたわけではないことがよくわかるエピソードかもしれません。



次回の内容

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前回の内容

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お話その139(No.0139)

【まとめ】大衆の歴史的変遷 ~田舎から都市、土地/農業から生産/産業、庶民と大衆【40】

 

現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。

 

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まとめ40 大衆の歴史的変遷 ~田舎から都市、土地/農業から生産/産業、庶民と大衆

このまとめの要旨

大衆がどうして近代という時代に生まれて私たちの当たり前の現象になったのか、という推移について書いたもののまとめ。

 

書いたものの一覧

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www.waka-rukana.com

富の源泉が土地から生産へと変わることによって、土地に縛り付けられる生き方から無理やり集められる生き方へとも変わり、生きる世界も共同体から都市へと変わっていった、ーというようなお話。

 

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共同体から都市へと生きる世界が変わることによって共同体の時にあった価値観の縛りがなく自由になったが、代わりに自由の裏返しとして犯罪も増えた、ーというようなお話。

 

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共同体から都市へと人間が大移動することによって、価値観もまた変化して行かざるを得ず、一致した価値観も見つかり辛くなりアノミーとなりやすくもなる、ーというようなお話。

 

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そして共同体に生きていたと思われる庶民は都市へと移ることによって大衆と化した、ーというようなお話。

 

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ベルンシュタイン(独 1850-1932) 本【著作(翻訳)ブックリスト一覧/リンク(Amazon)】

エドゥアルト・ベルンシュタイン(Bernstein, Eduard)

 

 

ベルンシュタイン著作リンク一覧

 

修正派社會主義論 (新人會叢書 嘉治隆一 譯. 聚英閣, 1920)

マルクシズム批判(金原賢之助 訳. 岩波書店, 1926)

マルキシズムの改造(世界大思想全集 松下芳男 訳 春秋社, 昭和3)

マルキシズムの修正 (社会思想パンフレット 栗原美能留 訳 中央報徳会, 昭和7)

社会主義の過去及現在 : 過去及現在に於ける社会主義の論争問題 (社会文庫 上田肇 訳. 日本評論社, 昭11)

修正派マルクス主義 (社会思想新書 新明正道 訳著. 鱒書房, 1947)

社会主義の諸前提と社会民主主義の任務 (現代思想 佐瀬昌盛 訳. ダイヤモンド社, 1974)

 

注1:似たタイトルの本が多いが、同じ本の別訳かどうかよくわからない。

注2:『マルクシズムの改造』はカウツキーの『マルキシズム修正の駁論』と併録。

 

ベルンシュタイン著作一覧

 

戦前の出版

修正派社會主義論
マルクシズム批判
マルキシズムの改造
マルキシズムの修正 
社会主義の過去及現在 

戦後の出版
修正派マルクス主義
社会主義の諸前提と社会民主主義の任務

 

Wikipedia

ja.wikipedia.org

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保守の立場とその恣意性とはどのような意味か ~保守とは何を保守する思考・思想・立場なのか。明確な基準なき保守主義の困難と不一致や対立【マンハイム『保守主義的思考』 】

 

前回のお話

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保守の立場について 〜新しいものに反対するから保守なのだ

保守の原点 〜市民社会と封建社会

保守という立場はエドマンド・バークという人がフランス革命に反対したことによって現れました。バークがなにを保守したのかといいますと、市民革命以前の社会です。それは封建社会、つまり貴族によって支配されていた社会ですね。

 

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しかしです。それはバークにとっては守るものであったかもしれませんが、後々の歴史に照らしてみると貴族社会に戻れということはかなり無茶な要求であるかと思えます。たとえば日本であれば保守といったからといって江戸時代に戻れ、とか、徳川家再興、なんていう人はいません。なぜならば現代の時点からそういうことを言えば、今享受している自由等々の価値観を捨てることになってしまいますからね。もし今政治の世界で重要なポストを占めていたとしても、社会制度まで江戸時代に戻してしまえば徳川家の者しか政治的決定権は持てないでしょうから、いくら保守といってもそれは江戸時代を指さないのです。

 

保守の守るものとは 〜その難しさ

となると保守の守るべきものとはどうなるのでしょうか。実はこれこそが保守という立場の難しいところです。

 

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というのも、バークがそうであったように保守とは現在の時点から見て過去の社会秩序を理想化して評価するものだからです。そして現在の社会状況に対してかつてあった理想像を復活させることが正しいと考えるからです。

 

対立する保守すべき過去 〜理想の過去は一致しない

しかし、ではAさんとBさんとではそれが違えばどうなるでしょうか。たとえば今の日本で考えてみましょう。Aさんは高度経済成長期を理想とします。Bさんは戦後まもなくを理想とします。Aさんは最も日本が豊かだったからで、Bさんは最も日本が一丸となっていたからだ、と考えるとしましょう。そしてそれに比べて今の日本の姿は情けない。こう考えているとします。

 

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2人の意見で一致するのは今の日本の状況に対する不満です。しかしその現状認識に対して評価するものは違います。Aさんは結果として日本経済が世界トップクラスになった時期を理想化しますが、Bさんはそうした日本の経済復興を成し遂げる原動力をもっていた戦後まもなくを理想化しています。求める理想像は結果と原動力で結構違います。ですがこれが保守として一括りにされます。

 

明確な基準なき保守主義 〜新しいものへの反対とその正当性

というのも保守とは明確な基準がないからです。マンハイムという人が述べていますが、保守主義とはこうした新しく現れてきたものに対する反対によって自らの立場を位置づけるものだからです。これがマルクス主義的な左翼であれば違います。なぜならマルクス抜きにしては成り立たないので、必ずマルクスに依拠して説明しなければならないからです。代わりにマルクス主義的左翼では誰がそのマルクス主義の見解で主導権を握るかで大揉めします。おそらく共産党などで内ゲバが起こるのはそのためで、必ずマルクスに依拠しなければならないとすればその正当解釈を握った者が全権力を握るのは日の目を見るより明らかだからですね。邪魔者は異端として追い出しちゃえばいいんです。

 

それと比べると保守は簡単です。自分でよかったと思う時代を思い浮かべて、それと比べて現代が間違ってるといえばいいからです。しかしここで大きな問題があります。保守する人がある特定の時代をいいものだと仮定しても、それがなぜいいものなのか、また現在と比べるだけでなくそれよりも前の時代と比べてもなぜその時代がいいものなのか、またまた長い歴史の中でなぜ特定の時代だけを理想化できるのか、などなど、保守すべき時代の正当性というものが明確にならないばかりか、人によっていくらでも変わってしまいますし、基準すらないということになってしまうからです。

 

そのためバークの時代と違い現代では保守を名乗る人は自分の保守する立場がなんであるのか、自らで明確にしなければならないのでした。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/04/190003

 

気になったら読んで欲しい本

バーク『フランス革命についての省察』 

バークの本。今回は中公クラシックスにしてみました。

とりあえず保守というものは立場が明確ではなく曖昧なものです。そのため一度そうした考えの生まれた原点を見直してみるのもいいかもしれませんね。

マンハイム『保守主義的思考』 

これはマンハイムという社会学者が自らの切り拓いた知識社会学という分野で行った保守やバークの分析かと思います。

マンハイムによりますと普通庶民は昔から続いていたものをそのまま続けるのであって、それを伝統主義とします。一方保守主義はその1地点を切り取って絶対的価値に置きます。しかしそれは人によって違うので、実はそれぞれの保守主義者たちの間では齟齬があるといいます。それなのになぜひとつの立場になりえるのかといえば、新しく出てきた社会勢力(市民階級やマルクス主義)に反対するということによってひとつになるのだ、といいます。つまり新しいものに反対することによって立場の違う者が一体になってるわけですね。

多分こんな感じだったと思うのですが、他の人たちの意見も読んだりしてごっちゃになっている可能性も大きいです。興味あればこの本読んでください。結構薄い本です。でもバーク知らないとちょっとよくわかんないかも。

そういえば昔若かりし日の宮台真司は、朝まで生テレビでマンハイムの考え方をまくしたて保守思想家の西部邁を1分で退席させたという逸話があります。

 

呉智英『封建主義者かく語りき』 

で、保守っていうのが恣意的なものであることをついて、わざと封建社会を評価するようなことをした評論家の呉智英の最初の本です。内容は忘れてしまいましたが、目的としては当時の保守に対する批判、もしくは揶揄やからかいだったと思います。呉智英は当時権威ある学者や知識人に批判を繰り返していましたが、もしかしたら今のネットでツイッターを使って行われていることの先駆けだったのかもしれませんね。そういうといくらなんでも呉智英を悪くいいすぎてしまいますが、でもやっぱり学者や知識人を批判するなら呉智英のように対抗できるだけの知識や教養を身につける必要はあるかもしれませんね。

『サクラ大戦』(セガ) 

ふと思い出したのですが、昔『サクラ大戦』という作品がゲームでありまして、その一作目の第一部のボスが天海大僧正でした。そして天海の目的は徳川幕府の再興で、今思い返してみますと保守のパロディみたいなものでしたね。新作も出るらしい(当時)ですから、懐かしがって載せてみることにします。


次回の内容

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前回の内容

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お話その138(No.0138)