我が足よ
女子高生のスカートからニョッキっと出没する足はどうしてあんなにも美しく見えるのだろう。
私はその光景を目の当たりにするたびに3秒、いや、5秒間は虜になる。
最近見た足というか、さっき見た足は、電車のホームに座っていて足を組んでいる足だ。
あのホームという無機質な空間に肌色という人間色が入り、どこか細いけど柔らかみを感じる様ないでたち。
どうしてあんなにも美しく見えてしまうのだろう、、、
考えてみれば、別に乳が見えているわけでもなければ、下の大事な部分がみえているわけでもない。
なんなら顔も見えていない。(5秒間の足タイムの後、顔を見ることもしばしばではある)
真っ先に足を見てしまうのだ。
女子高生の足を見るたびにそっから徐々に上昇してその人のなにか(助平なこと)を想像している可能性もあるが、
その可能性を肯定してしまったら単なる助平男児になるので違う仮説をなんとしてでも探したい。
電車乗車ナウであり、尚且つ隣が女性ナウなのでこの文をのぞき見されるのではないかという恐怖と戦いながら足早に私はある新しい仮説を立てた。
私はもしかしたら前世が
男性の足だったのかもしれない。
足の世界にも色恋沙汰があって、
足は自らの意思では動けないが恋をする。
意中の足に近づきたくても近づくことができない。
冬の間は長ズボンが多いためきっと暗く寂しい気持ちでいっぱいだろう。
そんな足の恋は甘酸っぱくて、
一年その足に密着してプロジェクトXを作ってみれば、涙なしではみることができない超大作を作ることができるだろう。
そうすれば全てが納得できる。
そんな壮絶な前世を送ってきた私だからこそ真っ先に足を見てしまうのだろう。
おそらく高校生の足が好みだったのであろう。
ああ、素直だな我が足よ。
ああ、愛しいなー我が足よ。
ああ、すね毛ぼうぼうで気持ちわるいけど愛おしいな我が足よ。
そう吟じてみた私は、すね毛ぼうぼうでなかなか愛することができなかった自分の足を前より好きになった。
そして、今夜はいつもよりお風呂で足を念入りに洗ってあげて、寝る前には特製(最近タイにいったからたぶんタイ式)マッサージをしてあげることを決意したのでした。
めでたしめでたし。
隠し事
ジムで汗をかくまではよかったのだ。
まさか替えのパンツを忘れてしまうとは、、、
汗で濡れているびしょびしょパンツを履く手段もあった。だが、せっかくシャワーを浴びたのだからまたMyジョニー(ち○○ん)に汗だくの刑を味合わせるのはなかなか心苦しい。
ジョニーのことを一番に思う私はノーパンを決意した。
ノーパン時に気をつけなければいけないことは社会の窓を閉め忘れることだ。
パンツ着用時と比べるとノーパンの社会の窓全開は致命的だ。
それはアマゾンのジャングルを、はたまた宇宙のブラックホールを私の社会の窓を覗いた者に連想させるだろう。
こう例えると広大で耳心地が良い。
だが実際は不愉快極まりない景色なのだろう。ノーパンの私でも分かる。
そんなことを考えながら電車に乗っているとふと一抹の疑問が浮かんだ。
この電車内に私の様にノーパンの人は何人いるのだろうか?
あの毅然な態度でスマホを見つめているサラリーマンも、、、
はたまたダメージジーンズを履いているややお兄系の長髪のお兄さんも、、、、
なにを話しているか私には分からないがかなりハイテンションのあのアラブ系の男性も、、、
そんなことを考えだすとみんながノーパンなのではないかと思えてきた。
考えてみればそうだ。
人というのはなにかを隠しながら生きているものだ。
笑顔で友達と話しているあの女子大生も、もしかしたら昨日彼氏に振られているかもしれない。
大きなスーツケーツを抱えているおばさんも、もしかしたら夜逃げ真っ只中ナウなのかもしれない。
かくゆう私もクールにiPhoneを操っているが、実はノーパンでMyジョーニーがジーンズの擦れに耐えてるナウである。
世の中の人が抱え隠している痛み、悲しみすべてを分かろうとすることは到底無理な話である。
でも自分が大切だと思う人の隠れた想いを気づき、理解
いや、少しでも同情できる人になりたい。
そんなことをMyジョニーがいつもより電車の揺れを感じながら考えている二宮であったとさ。
おしまい。