考えの発露

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映画レビュー② 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 ネタバレあり

この映画、やたらいろんなところで評判が悪くて、逆に気になってたりでもやっぱりつまらないなら観ないでもいいかなと思ったりと、しばらく迷った末についに観ました。いやー観てよかった。ラストの解釈を視聴者に委ねることで様々なメッセージ性を感じられたのが良い。

「シーンを区切らない手法から、拳銃自殺未遂のところで主人公は死んでいたのでは。この映画は大衆向けのハッピーエンドへのブラックジョークだ」って解釈を見かけてなるほどありそうだなぁと思ったけど、それだと主人公がかわいそうなので主人公が救われるほうの解釈を考えました。

 

主人公の超能力は、主人公の持つ自信の暗喩

主人公は若いころにバードマンという映画で一躍有名になりましたが、その後はパッとせずに演劇を続けながらかつての名声へ縋っており、また大成したいと思っている人物。バードマンへの執着で、「お前には才能がある」と囁いてくるバードマンの幻覚を度々見ている。サイコキネシスのような超能力がある・・・?

 

ちなみに主人公役のマイケル・キートンは『バットマン』の主演で、バードマンもバットマンがモチーフ。この他にも実在の映画や役者の名前がポンポン出てきてリアリティがあるのがこの映画の特徴。このリアリティがあるからこそ、主人公のサイコキネシスがすごく浮いてます。そしてこの超能力の描写を見てみると、

「事故をみせかけて三流役者の頭にライトを落とす超能力を使ったが、三流役者は主人公に対して訴えると言ってる」「空を飛び回ったあと、タクシー代を請求されている」

というシーンがあります。つまりこの超能力とは主人公の妄想で、実際は

「三流役者の頭を主人公が殴った」「タクシーで街中をうろついた」

というのを主人公が超能力があると思い込んで解釈していたのです。超能力は他人に見えてないし、超能力のことを人に話しても当然「何言ってんだこいつ」という顔をされてます。

ここで視聴者も他の登場人物も「超能力なんてあるわけがない。主人公はおかしい」と思うわけです。この「特別な才能への嘲笑」を視聴者にも抱かせるのが上手い。

超能力の思い込みとはつまり、主人公が抱いている「自分の特別さへの信仰」を表しています。

主人公は売れない役者となってしまいましたが、それでもまだ「自分はできる奴だ」「評価されるべき人間だ」「特別な才能がある」と思っています。このことを「誰もお前なんて見ていない」「また売れようなんて思うな」「特別な才能なんてない」などと登場人物たちに貶されまくります。まさに超能力を嘲笑う構図と同じ。主人公が健気に頑張ってる姿だけ見せられていたら視聴者は「どんなに貶されてもきっと大成するはずだ、頑張れ!」という気持ちになるかもしれませんが、頑張りつつも超能力なんて妄想を抱いてる姿を見せられたので「頭のおかしいやばい奴だ、現実がわかってない、大成するわけない」と思わされるわけです。これにまんまと引っかかった自分はラストに「良い意味で裏切られた!」と思いました。

 

演劇により殺される「バードマン」。そして「無知がもたらす予期せぬ奇跡」。

登場人物たちに(そして視聴者からも)見放され一度自信を失いますが、一部の同僚や妄想のバードマンに鼓舞されて主人公は頑張ります。

酷評をしてくる評論家に「リスクなしに行動しやがって」と悪態をつき、三流役者や道端で演劇をしている人の「演技に幅を持たせたんだけどやりすぎたかな」という言葉は鉄拳制裁もしくは無視によって否定をしています。

主人公は名声を得るために「やりすぎたかな」なんて保守的な考えを持たず、人々に酷評されるリスクを自覚して行動しているのだとわかります。酷評に怯え一度は自信をなくした主人公ですが、最後にはしっかり決意を見せたのです。

演劇の直前には「20頭のヒョウが2頭のライオンを笑った」と何度も呟いています。「大勢の弱いものが少数の強いものを笑ったからって気にすることはない」という意識の現われだと思います。

いつも通り「名声を得る」という目的のために、しかしいつもとは違う熱意を持って主人公は舞台に立ちます。

 

映画の終盤。大勢の観客を前にした演劇のラストで、主人公は妻を間男に寝取られた男の役を演じます。

「なぜいつも私は愛を請う側なのか」と述べる主人公に妻役は「あなたは愛される価値がある」と一度は優しい言葉を投げかけます。「君の望む俺になりたかったが今は俺以外の誰かになりたい」と述べると妻役は「もう愛していない。これからも愛することはない」と本音を言います。主人公は「俺は存在しない。ここにさえ」と台詞を言ったあと小道具の拳銃で自殺の演技をして幕切れ。・・・という段取りのはずが、主人公は事前に小道具の拳銃を本物と入れ替えており、演技をしながら本当に自殺をしようとします。頭から血を吹いて倒れる主人公を迫真の演技と勘違いした観客たちは戸惑いながらも絶賛の拍手。(賞賛を得たいがために、自己愛のために自分を殺そうとする行いは「愛は人を殺そうとしない」という三流役者の台詞への否定なんでしょうか)

その後、銃弾が鼻を掠めただけで一命を取り留め入院している主人公の元に新聞が届きます。そこには「無知がもたらす予期せぬ奇跡。彼は無意識に新たな劇の形を切り開いた」と評論家から主人公への絶賛が。本人が拳銃を入れ替えたことは一部関係者しか知らず「主人公は銃が本物だと知らなかったからこそ素晴らしい結末になった」と評論家は考えたのでしょう。テレビをつけると大勢のファンが主人公の復帰を待ってる姿が。バードマンの幻覚は何も言わず、主人公はその幻覚に別れを告げます。そして病室の窓から身を乗り出す。直後に病室に入ってきた娘は部屋に誰も居らず窓が開いてるのを見てまた自殺かと思い下を覗きます。そのまま上を向き何かを見てにっこりと笑いエンドロール。

 

演劇の台詞を主人公になぞらえて考えると、

「なぜいつも賞賛を得たい気持ちでいなきゃいけないんだ」(なぜいつも私は愛を請う側なのか)という疑問の芽生え、

それに対して「賞賛される価値があるんだ」(あなたは愛される価値がある)という甘い言葉、

「観客の望むように演技していたが今はそうしたくない」(君の望む俺になりたかったが今は俺以外の誰かになりたい)という今までの自分の否定、

「賞賛されていない。これからも賞賛されることはない」(もう愛していない。これからも愛することはない)という現実の認識、

「賞賛を得たかった今までの自分はもう存在しない。舞台の上でさえ」(俺は存在しない。ここにさえ)という演劇に居場所はないという悟り。

最後には「名声を得たい自分」を撃ち殺したのだと思います。名声を得るために始めた劇のラストシーンで。

(主人公のライバル的存在に「舞台の上でならどんな自分にもなれる」という名役者がいますが、舞台の上で自分をなくす主人公への伏線というかヒントだったのかな)

 

病室のシーンで、主人公が有名になって大興奮した同僚は「望みどおり有名になれて嬉しいだろう。なんで黙ってるんだ」と問いかけ、主人公は淡々と「ああ望みどおりだ」と答えます。

嬉しそうじゃないんです。賞賛なんてどうでもいいという態度。

主人公は賞賛を求める自分を殺したことで賞賛を得ました。バードマンの誘いに屈したことでバードマンと決別をしました。主人公は無知とも言えるがむしゃらさで、予期せぬ奇跡の結果を得たのです。バードマンを演じたあの頃のように。

タイトルの「バードマン」とは名声の味を知ってしまい成長を止めてしまった状態、無知がもたらす予期せぬ奇跡」とはがむしゃらさによる名演技で名声を得た状態、「あるいは」とはそのどちらか片方でしか成りえないという意味。「バードマン」によって名声を知ってしまった主人公は「無知がもたらす予期せぬ奇跡」は中々起こせなかったし、拳銃自殺未遂というがむしゃらによって起きた無知がもたらす予期せぬ奇跡」で名声を得た主人公は「バードマン」のように名声を喜ぶことはできないのでしょう。

顔の上半分に包帯を巻いた入院中の姿はバードマンの仮面姿にそっくり。主人公は名声を得たことで「バードマン」になれたのです。しかし主人公はその包帯を自分で外します。このシーンこそ、「バードマン」になれたのにそうであろうとしなかった主人公の内心をわかりやすく表してたのかなと思います。

最後に娘は空を飛ぶ主人公を見たのだと思います。主人公があると信じていた超能力(特別な才能)は妄想ではなく本当にあったんだという示唆です。

 

かつての栄光にしがみつく甘えと、才能を信じることや評価されることへの恐れ。それらを乗り越え、行動に至る勇気と熱意の大事さが伝わる映画でした。

 

 

 

 

余談ですけど、最近『嫌われる勇気』って本が流行ってるらしいじゃないですか。「嫌われるリスクを恐れて行動しないより嫌われるリスクを犯してでも行動すべし」みたいな内容って聞いたんですが、まさしくこの映画の主人公(それとライバルの役者)みたいじゃないですか。その本と合わせてこの映画を観たら中々面白いんじゃないでしょうかね。

 

さらに余談ですが、その本は読んだことないけども「嫌われる勇気」って言葉は前々から常々抱いてた言葉でして、

4年ほど前にツイッターを始めてすぐに「フォロワーが多い人は大胆な発言をする人が多いなあ」と思ったんですよ。そして大胆な発言をする人に対して「いいぞもっと言え」と味方する人たちや「何言ってんだ恥を知れ」と敵対する人たちが同じくらい居て、「人から好かれようとすると好かれた人数と同じくらいの人に嫌われるんだなぁ」と思ったんです。当時は人から嫌われたくなかったから、好かれようとしてると思われそうな発言というか人に影響を与えそうな発言は控えてました。人に影響を与える発言って自分の中でほぼの全ての発言が該当してて、挨拶するのすら「返事を求めてる承認乞食だ」と思われそうだし、「カップ麺おいしい」と発言するのすら「普段はジャンクフードを食べない小金持ちアピールだ」もしくは「退廃的な生活をしてることをアピールしてクズぶってるんだ」とか思われそうだし・・・とか、とにかくなんでも深読みされてるだろうって深読みしてて。でもやっぱり危険がないように振舞ってると楽しいことも何も起きないんですよね。人が人を悪く言うときって自分の不利益に我慢できないときで、人から悪く言われない努力というのは他人の利益を追求して自分は損をし続けようとする努力になると思います。楽しいはずがない。なので最近はガンガンいろいろアピールして人から嫌われてやるぞという気持ちでなんやかんやしてるつもりです。ブログを始めたのもその一環。まずは「何をしてもどこかで誰かに嫌われてそう」という考えから脱しようと思います。

 

 

 

漫画レビュー①『聲の形』 ネタバレあり

青春モノっていうんですかね。そういうの好きです。青春モノという括りの定義を今ざっくり考えてみたけど、心や考え方が社会に染まりきってない若い登場人物たちが、本音をぶつけ合ったり、人との関係に悩んだり、割り切り方を知らない感情に戸惑ったりするジャンルという認識です。たぶん。

建前や社交辞令に疑問を感じないような、感情よりも利益や打算を取れるような、いわゆる大人では青春モノは成り立たないでしょう。たぶん。

聲の形は作者の言葉を借りると「『人と人が互いに気持ちを伝える事の難しさ』の答えを作者自身が見つけ出せなかったため、『読者に意見を聞いてみたい』という気持ちで描いた」そうです。本音をぶつけ合うことの難しさや人との関係の難しさを説いてるので、この作品は青春モノと定義できると思います。たぶん。

 

大今良時『聲の形』

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聲と書いて「こえ」と読みます。声です。全7巻。

あらすじ:小学生の頃に、耳が聞こえず言葉をほとんど話せない転校生・西宮硝子をからかっていたガキ大将の石田将也。周りも便乗してからかっていたのに度が過ぎたせいで大事に。その途端に周りは手のひら返しで石田を責め、いじめるようになり、硝子はまた転校してしまう。石田はそれがトラウマとなり人間不信に。友達もいないまま高校生になった石田は人生を悲観して自殺を決意する。どうせ死ぬならやり残したことを片付けようと考え、硝子に会い、己の罪を清算しようとする。しかし、会って罪を認めたことを話してもまだ死ぬために罰が足りないと思った石田は、硝子の友達になって硝子のために生きようと決意する。それが硝子のため、自分のためと思いながら…。

 

硝子は言葉が話せないため手話やスケッチブックで会話をしますが、いつも優しい言葉を使います。何をされてもニコニコしています。優しい子なんです。でも独白はありません。というか石田と、硝子の妹の結弦以外独白がないです。基本的に登場人物たちは言いたいことをズバズバ言っていくので独白がなくても大体の本心は掴めますが、硝子だけは手話やスケッチブックを使って間接的に言葉を述べる。きっと、声を一度形にして思いを伝えるせいで感情的に思いを伝えられず、理性的になってしまうのでしょう。だから優しい。本心を隠してしまう。石田は泣いたり怒ったりしない硝子が気になって、このままいじめ続けたら何か反応があるのではと期待していじめを始めます。

彼女が内心で何を考えてるかわからないので、手話やスケッチブックを鵜呑みして彼女の内面を判断するしかない。なので彼女の本心を勘違いする訳です。読者も登場人物も。ここが上手い。途中まで完全に騙されました。石田が幸せになってきたところで硝子が自殺未遂を起こします。読者は今まで石田の独白と共に読み進めて来た訳だから、石田だけでなく読者も完全に不意打ち。硝子は自分のせいで石田が不幸になっていると思っていたので自殺未遂をしてしまったのです。ここで「人と人が互いに気持ちを伝える事の難しさ」を痛感する訳です。

硝子を庇って石田が頭を打ち意識不明になったところで登場人物たちの独白が始まり、彼らが何を考えて何を抱えていたか分かります。まずはその周りの登場人物たちについて整理していきます。

 

西宮結絃

硝子の妹。硝子のことをずっと近くで見てきたので、石田と同じく硝子を守りたいと思ってる。しかし、硝子は自分のせいで結絃がいじめられた過去を気にしており、結絃がいじめられないようにみんなと同じであろうとして無理に優しく振舞っていたことを終盤で知る。生き物の死骸を写真を撮り部屋に貼る趣味があるが、これはかつて硝子が一度だけ「死にたい」と言った際に硝子が死にたくなくなるにはどうすればいいか考えた結果。死骸を見れば死にたくなくなるだろうという気持ちは硝子に伝わっておらず硝子は自殺未遂を起こす。初めから「死なないで」と言葉で伝えていれば良かったと後悔する。

石田と同じく硝子の気持ちを理解しきれておらず、硝子と同じく声を形にしたことで思いを伝えられなかった人物。「人と人が互いに気持ちを伝える事の難しさ」を石田と硝子以外にも表してる人物。

 

佐原みよこ

石田の小学生の頃の同級生。小学生の頃に硝子に味方しようとしたことでいじめられ不登校になる。中学生になり自分を高めよう、自分を変えようと躍起になる。背が高いことを自信の源にしており、ハイヒールまで履いている。自分をいじめてた植野と中学校で再会して最悪だと思うも、このままではいけないと植野と仲良くしようとする。高校生になり偶然にも石田と硝子と再会し友達になる。石田は佐原を「自分より硝子のためになる存在なのでは」と思い硝子のために何をすべきか考えるきっかけにする。対して佐原は、偶然再会するまで硝子と会おうと思っていなかったため、硝子に会いに行った石田を「石田君は変われた。じゃあ私は?」と意識し自分も変わろうと再び強く思うきっかけにしていた。今も昔も硝子の助けになりきれなかったことを気にしている。最後には「石田君が大変だったっていうのに私まるで変われてない」と自信を無くすが、石田の「変われないことは俺だってあるよ。変わろうと足掻いてる時間のほうが大事だと思う」という言葉に救われる。

自分の弱さを認めて、変わろうとし続ける人物。石田と似た境遇から、石田と高めあっている人物。硝子を助けようと思いつつも行動し切れなかった人物。

 

真柴智

石田と同じ高校。イケメン。かつていじめられていた過去から、正義に熱く、初対面の相手だろうと悪と思えば容赦なく非難する。石田はそんな真柴を見てかつての罪の重さを意識したり、「正直、怖い奴だと思った。けど少し羨ましくも思った。俺が我慢してたこと(悪への非難)をやってしまったからだ」と思ってる。将来の夢は学校の先生。理由は「同級生の子供たちの先生になれたら幸せだと思って」と石田に話すが、実際にはかつていじめてきた同級生の子供たちがどんな罪を犯すか間近で見ることでモヤモヤした気持ちを昇華しようという魂胆がある。「自分は普通ではない、変わっている」という考えと「普通だ」という考えの間で揺れている。石田や硝子を「変わっている」と評価し、変わっている石田の側にいれば自分が普通だと実感できると思ったから石田と仲良くなったが、石田の硝子に対する献身さを見たことで自分は普通どころか愚かだと思うようになる。そんな自分への保身のためか「やっぱり石田君は変わってるなぁ」と考えるが、硝子のために手助けをし竹内から「さすが石田の友達だな。どーしようもない愚か者だ」と言われた際には微笑んでいる。川井に好意を持たれてるが意に介してない。

石田を普通=正しい奴だと思ってるが認めてしまうと自分が変わってる=間違ってることになってしまうから石田を間違ってる扱いしようとしたけど、やっぱり石田が正しいことは事実で、硝子の手助けをして石田のような奴と言われたことで自分は石田と同じ=正しい奴だと実感を得て微笑んだのでしょうか。自分は普通だと思いたい気持ちと実は変わってるのではと思う気持ちがごちゃ混ぜになってる気持ちはすごくわかるし、間違ってると思う人を身近に置くことで自分が正しいと思いたい気持ちもよくわかる。自分が正しいと思いたいから彼は堂々と正義を振るうんでしょうね。いじめをする人も、それを見て見ぬフリしていた人も、いじめが露呈したことがきっかけでいじめをしていた人が罪を着せられることに責任を感じない自分も、みんな勝手だなぁと考えているあたり、作中で一番感情移入しました。何が正しいかわかってて正義を貫きたいけど、正義を貫くと自分が損をすることもわかってる。だから悪い面も持ってるんだけど悪でいることはつらいからより悪い人を身近に置いて比較的自分は善と思いたいのでしょう。

 

川井みき

石田の小学生の頃の同級生。委員長。自分が可愛いと思ってるし一番正しいと思ってる。小学生の頃、自分が硝子のいじめを見て見ぬフリして間接的に加担していたのを棚に上げて石田にすべての罪をなすりつけた。石田が川井も加担してたと話したときは被害者面までした。高校で意識不明になった石田に千羽鶴を届けようとクラスに提案した際、クラスメイトたちに気持ち悪がられてることを知って「こんなに努力してるのになんでこんなことを言われるの?西宮さんや佐原さんもこんな気持ちだったのかな。小学生の頃は気づかなかったけどあれはいじめだった。でも石田君はちょっとだけ許してあげるべきかな」と独白の中でも徹底した罪のなさ具合。しかし、クラスメイトから気持ち悪いと言われた事や石田に「心底気持ち悪いと思う」と言われたことを意識しており、「自分の駄目なところも愛して前に進むの。自分をかわいいって思うの。そうじゃないと死んじゃいたくなる・・・」と述べてることから自分の駄目さを理解しながらも気づいてないフリをして自分が正しいと思い行動してる様子。

登場人物それぞれの独白でみんなが自分の弱さを見つめてる中で「本当は気づいていた・・・」と始まるから「おっ己の邪悪さにか?」と思ったら「私が実はかわいいってことに」と続いてドン引きしたし、そこから心底自分を善人と思ってる独白が続いたときはヒエ~となったけど、根っこでは自分は間違ってることに気づいてて、それでもそういう生き方をしないと死んでしまいそうになるので自分を誤魔化して生きてたことが分かり、彼女も可愛そうな弱者だったと判明した。彼女に同情できるか意見が別れそうだけど彼女を非難できるほど僕は強くないので同情してしまう。いじめを止めようとするのはすごく勇気が要ることだし、正しいことをしてる自分に酔いたいために委員長の責任を果たそうと頑張っていた彼女は、委員長でありながら硝子のいじめを許容してたことに曲がりなりにも罪を感じてたんではないでしょうか。そんな罪のある自分を許すためには考えを歪めてまで自分は善人であると思い続ける必要があったのでしょう。彼女がまったく善悪がわからない人間ではないということは、真柴が川井の本質を見抜くエピソードを話したときの反応でわかります。「いじめられたことがクラスで問題になったとき、自分は悪くないと言う人が現れ罪のなすり合いが始まった。いじめられた僕のせいでみんなの関係を壊してしまった。そんな僕は責任を感じるべきかい?」と問われ「そんなことないよ!あなたをいじめたクラスが最低なのよ」と答え、「自分は悪くないと言った人も?」と問われ「絶対その人ウソついてる!」と答える。真柴の問いは川井が石田に責任を求めたこと、川井がいじめに加担してないと嘘をついたことを暗に非難してるのですが、川井は気づいてません。何が正しくて何が悪いか本質はしっかりわかってるのに保身に走って考えを歪めていることがわかります。いじめた側の葛藤を持ってる人物です。

 

植野直花

石田の小学生の頃の同級生。その頃から今も石田が好き。石田が好きなので石田と一緒に硝子をいじめてた。石田が責められていたときは石田と共に罪を被ろうとしたが川井によって石田だけが悪者にされた。石田がいじめられ始めてからは周りに同調して石田をいじめていた。硝子が石田がいじめられるきっかけを作ったと考えている。そんな硝子が石田を庇っていたことから硝子を「許せない。ハラグロ」と思うようになる。高校生になってからも、硝子のせいで石田が不幸になってると決め付け硝子を責める。

「石田は私を選んでくれるだろうか。きっと選ばない」と感じていることから、硝子への当たりの強さは自分と石田の関係を壊したこと以外にも石田を取られる焦りがあるから。石田が好きなのにいじめに加担したことを負い目に感じていて、石田と硝子のために間接的に協力した際は「結局・・・私は見ていることしかできない・・・」と感じてます。川井と同じくいじめた側の葛藤を持ってます。

 

登場人物たちはそれぞれ様々な性格ですが、人が誰しも内面に抱える気持ちを表してると思います。みんな人間らしさがあるのです。それらの気持ちが硝子や石田と互いに影響を与え合います。

 

最後に、石田と硝子を見ていきます。

石田が硝子に罪を感じてると告げるところから物語が始まります。石田からしたらトラウマと向き合うつらいことで、前向きに生きていくには大事なことですが、硝子からしたらたまったもんじゃないですよね。いきなり自分のトラウマがやってきたんですから。でも硝子は石田を受け入れます。自分が悪いと思ってるから。自分が加害者だと思ってるから。硝子が弱者であることを盾にして強気に振舞えば石田を追い返せただろうけど、そうはしなかった。そんなことを出来るほど硝子は強くないのです。そんな硝子も石田がきっかけで罪と向き合おうとしていきます。では硝子の罪とは何か。本人が手紙にして書いています。「みんなと同じようになりたくて普通の子達と一緒にいたかった。でも同時にクラスのみんなに迷惑がかかってしまった。二つの気持ちで葛藤するうちに、作り笑いを続けることに精一杯になってしまった」。硝子が作り笑いだけでなくもっと物事を主張できていれば、石田が反応を期待していじめようと思うことはなく、みんなの関係が壊れることもなかった。自分が強くなかったことを気に病んでいたのです。硝子は中盤で自殺未遂をします。石田は硝子と向き合うことで罪を償うことが出来ていましたが、硝子の目には石田は自分と関わるほど不幸になってるように写り、石田と向き合うほど罪を重ねていく思いだったのです。そして罪に向き合え切れず逃げようとしたのです。

石田に庇われた硝子は今度こそ石田に頼らず罪と向き合い、自ら行動して自分が壊してしまったみんなの関係を直そうとしていきます。

 

この作品は、残酷なことですが、いじめに関わった主要人物みんなが被害者であり加害者でもあることを現していると思います。

結絃は硝子によっていじめられかけ、硝子に振り回された被害者であり、硝子の本音を理解できなかった上に硝子を苦しめるきっかけを作った加害者。

佐原はいじめの被害者であり、硝子を助け切れなかった加害者。

真柴もいじめの被害者であり、間違ってる人を正そうとしなかった加害者。

川井はいじめに間接的に関わった加害者であり、そんな自分を認めたくなくて自分を偽り続けた被害者。

植野もいじめに間接的に関わった加害者であり、石田との仲を壊された被害者。

石田は一番いじめに加担してた加害者であり、一番罪に苦しみ死のうとも思った被害者。

そして一番の被害者であるはずの硝子もみんなの関係を壊す最初のきっかけを作った一番の加害者であり、死のうと思うほど、石田と同じほど罪を感じていたのです。

 

しかし、彼ら、彼女らは作中でそのことに向き合ったことで成長していきます。

結絃は硝子に依存せずいられるようになり、学校も真面目に行く気に。

佐原はモデルや衣装作りの才能を活かし自分を高め続けるため東京へ。

真柴は不純な動機で先生になることをやめ、過去のクラスメイトと対話しに。

川井は自分を偽ることをやめて、「これがやりたいことだよ。これが私」と言えるように。

植野は石田に謝罪し硝子との関係を応援して、佐原と共に東京へ。

 石田と硝子は死にたいと考えなくなり、共に同じ将来の夢を抱き、それに向けて過去とさらに向き合えるように。

この物語は、彼ら、彼女らが罪と罰を自覚して生きてきて、成長し、これからも生きていく物語なのです。

 

 

 

 

 

 

 

映画レビュー① 『ナイトクローラー』 ネタバレあり

『ナイトクローラー』(Nightcrawler)
監督・脚本:ダン・ギルロイ

出演者:ジェイク・ジレンホール、レネ・ルッソ、リズ・アーメッド、ビル・パクストン

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あらすじ:貧乏で職なしコソ泥人間が、犯罪や事故の現場を撮影しテレビ局に売り込む仕事に出会う。持ち前の非情さと機転の良さを活かして非道徳的な手段でいくつもスクープを掴み出世していく話。

 

 

非道徳を肯定してしまう社会の仕組みと、そこに付け込むサイコパスの物語

主人公の特徴

・人当たりの良い笑顔とトーク。

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・頭が良く機転が回る。自分を売り込む文句もスラスラ。

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・利益のためなら眉ひとつ動かさず平然と不法侵入や信号無視など犯罪を犯すし、道徳を踏みにじって他人を犠牲にする。高く売れる映像を撮る為だったら死体だって勝手に動かすし部下も死なせる。

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これらの特徴から主人公は明らかなサイコパス

サイコパスってなに?って人へ、僕の考えるサイコパスの定義と合ってるものをまとめたサイトがあったので貼っておきます。

サイコパスとは何か?-私たちが知っておくべき善意を持たない人々- | 私たちはどんな悪人にも少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しないサイコパスと呼ばれる人間が存在しているのです。 

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主演ジェイク・ギレンホールのこのギョロ目が怖いのなんの。

 

 

この作品の面白いところは、ただ恐ろしいサイコパスを見せて怖がらせるだけではありません。恐ろしい社会の仕組みが身近にある怖さと、そんな身近に居場所を見つけたサイコパスの怖さを映してる点だと思います。

主人公は、『羊たちの沈黙』のレクター博士みたいに人間の内臓を食べて投獄されてる訳でも、『SAW』のジグソウみたいに人を閉じ込めて狂気的なゲームを始める訳でもない。他人の真似をしてスクープ映像を撮って、映像を欲しがるテレビ局に売り、お金をたくさん貰えてニッコリし、実際に放送される自分の撮った映像を見てまたニッコリ。視聴者は過激な映像でニッコリするし、視聴率が上がってテレビ局だってニッコリ。

社会の一部として需要と供給があり、身近な存在でもある報道業界という場に潜むサイコパスは、常識離れしたサイコパスたちとはまた違った怖さがあります。社会の仕組みそのものがサイコパスに活躍の場を与えてしまったという感じ。

良心に従って考えれば、視聴者が過激な映像で喜ぶこともテレビ局がその需要に応えようと過激な映像を買うこともおかしい訳ですが、社会の仕組みとして許容されてしまっている。だから過激な映像を撮る職業が生まれてしまうのも仕方ないのです。資本主義ってこわい。

現実に、過激な報道に一瞬でも目を奪われたことがある人は大勢いるはずです。過激な映像を求める気持ちを秘めてる人はたくさんいるはず。そんな自分を顧みてしまうと、良心に基づいてこの社会の仕組みを批判できる人間はそう多くないはずなのです。そういう人たちは、この社会の仕組みを身近な存在と認めざるを得ない。その点が、この映画を「ただのフィクション映画だ」と対岸の出来事で終わらせない、身近な恐怖として感じさせる所以です。

 

主人公が元々まともな人間なら、過激な映像を撮ることで儲かってしまうという社会の仕組みのせいで犯罪者・非道徳者になっていってしまう悲しい物語だったんですが、この主人公ならこの仕事に出会わなくてもどっか別のとこで非道徳的に活躍してたでしょうね・・・最初はコソ泥だった訳だし。

 

ぱっと見だとサイコパスが出世するハッピー?エンド、見方を変えれば順風満帆なサイコパスの破滅の始まりを匂わせるバッド?エンド

最後にはあまりに過激な手段を用いたせいで警察に目を付けられ事情聴取をされる主人公(利益を求めて犯罪に手を出してボロを出すあたりもサイコパス。序盤でも捕まりかけてたしね)。

取調室の監視カメラを見てワイドアングルだとウンチクを垂らす余裕ぶり。飄々と嘘を吐きごまかそうとするけど、警察はそんな言葉を信じず疑惑の思いで胸いっぱい。それでも証拠がないから主人公は堂々とした態度。部下の死体まで撮るなんて!と激昂する警察に対して「それが僕の仕事だ。人の破滅の瞬間に僕は顔を出す」と言ってのける主人公。画面はその瞬間だけ監視カメラから見た主人公を映している(ここ重要)。

聴取を終え外に出た主人公は、警察に目を付けられるほどの過激な手段で得た儲けを使って会社を作り報道車2台と新人部下3人をゲット。目をキラキラさせる部下たちに対し「最初は研修期間だから正社員を目指して頑張ってくれ。成功の秘訣は指示に忠実に従うこと。時には不安に思うことがあるだろうけど、僕がしないような危ないことは君らにやらせない」と激励を送る。前の部下に対する扱いを踏まえると、研修期間中の給料は無しor激安だし指示は人を人と思ってないような無茶振り。最後の言葉なんて、銃を持った犯罪者の目の前に部下を騙して誘導し部下が撃ち殺される映像を撮った人の言う言葉じゃない。完全にブラック企業そのもの。主人公と部下たちが車に乗り込み夜の街に消えていくシーンでエンディング。

 

外道な主人公が人生において成功して、これからも成功し続けるだろうと匂わせて終わるすごく胸糞の悪い終わり方です。こういう胸糞の悪さ大好き。

 

でも、「もしかしたらこのあと主人公の転落人生が始まるんじゃないか」と思わせる演出がありました。

それは取調室で「人の破滅の瞬間に僕は顔を出す」と言う主人公を監視カメラの映像から見せているシーン。

作中において、カメラに映される映像は人が事故で大怪我したり犯罪に巻き込まれて死んだりするものばかり。まさに主人公が言ってるように「人の破滅の瞬間」。

主人公は作中最後の仕事によって警察に目を付けられています。これまで通りに、より過激な仕事をしていこうとすればすぐ疑われて今度こそ証拠を掴まれて逮捕されてしまうでしょう。

カメラに映された主人公というシーンは、警察に目を付けられた時点で主人公にとっての破滅が始まっていることを暗示していたのではないかなと思います。

主人公の破滅の瞬間に、主人公は顔を出している訳です。

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僕がなぜブログを書こうと思ったのか。

はじめまして。名前は和産です。挨拶はこんにち和産です。みなさんこんにち和産。

 

さて、僕がなぜブログを書こうと思ったのか。

僕は漫画、映画、アニメ、ゲームなどを消費していろいろ考えるのが好きです。その反面、何かを生産することが苦手です。音痴で絵が下手で作文も駄目。だけど生産することに憧れがあります。作品を消費していろいろ考えることが好きな自分が向いてそうな生産行為は何か。考えてみた結果、作品に関する考えを文章にしてアウトプットすることでした。なのでブログ書きます。作品の好きなとことか、自分の解釈とか、オススメしたいとことか、書きます。

 

目的は他にもあって、自分の考えを知った人が同じ考えや違う考えを持ってると教えてくれることに喜びを感じるからその機会が欲しいとか、自分の好きなものを人に薦める場、何か面白そうな物を人から薦められる場が欲しいからとか、そんな感じ。

 

どんな些細なことだろうと人に影響を与えたり人から印象を持たれることが恐怖で、今まで恐る恐るツイッターとかに文章載せてましたが、ここでははっちゃけて好きなものを好きなだけ書いていきたいです。