占いと内観
お正月からの忙しさが徐々に薄れ始めて、寒々とした景色に雪の降る2月は店が閑散としています。
そのせいか明日から、希望も出していないのに3連休をいただきました。
明日はまず歯医者へ行き、虫歯だと思われる痛みのもとを治療してもらい、夜はライブに行きます。
そし3日目には、知り合いのところで占いをしてもらう予定です。
占いって聞いてどう思いますか?
私は統計学としてある程度参考にしたいと考えています。
今後の運勢を占っていいことがあるならば、あえて自分の意思で信じて前向きになってみたいなとも思います。
雑誌のうしろの簡単な星座占いとか、ネットで簡単にできるものとか、ああいったものの中にはライターさんの作り話もあるのかもしれませんが。
私は占いは手相占いを、人生で一度きりしかしたことがありません。
今回のところではタロットカードか、長いスパンで占う占星術か、どちらかを選べるのですが、どちらがいいか昼間から悩んでいます。
そして現状をどう伝えようか考えています。
私は何に困っていて、何を知りたいのだろうかと。
こういった具合に、内観するという意味で占いという手段をつかってみることにしました。
そんなわけでコーチングにも興味があるし、カウンセリングも受けてみたいと思っています。
私は内観するのがとても好きなのです。
でも、自分のやり方では見えていない部分があるかもしれません。
もっと柔軟な問いかけ方を知りたいのです。
なので、せっかくのチャンスに占ってもらうことにしました。
占いって学問だとしても、どこか神秘性があって、少し違う色をしている気がします。
占いはたまたま、いいタイミングで紹介してもらいました。
私は数日前まで2つの職種のまったく違う仕事のことで、どちらを選ぶかの岐路に立っていました。
私が選べる状況だったのです。
そのことに対してもう決断をして、これまでの仕事を続けることにしたのですが、このことで私は、選択肢のどちらとも私の本当の願いではないのかもしれないなと思いました。
私はこれから咲くことができるのかどうか。
そのための手段は何になるのか。
今後生活を続けるうえで生まれる切迫感のようなものを携えて、占い師さんに向き合いたいのです。
打ち明けることは勇気がいることですが、打ち明けたり尋ねたりすれば、その人からその人なりの回答が得られるのです。
回答じゃないこともあるかもしれません。
わからない、と言われるかもしれないし、的外れなことかもしれません。
でもそのときにその人がどんな言葉を選ぶ人か知れるし、私はそれを受けて何を感じたか自覚することができます。
それだけでも私にとっては小さなことではありません。
でも今は、道しるべがほしい。
そんな思いです。
第一日目
あなたは器用な人ですか?
要領がいいですか?
仕事に満足していますか?
コミュニケーションが得意ですか?
お金で買えるもので満足ができますか?
私は2017年2月現在、人生も31年目を迎え数ヶ月が経ちますが、今のところ不器用でたくさんの不自由さを抱えながら暮らしています。
このブログには私の生活をほどほどに綴っていく予定ですが、とても地味なものになると思います。
私はお金にそれほど余裕がないし、正社員で働いたこともなく働くつもりもなく、いい年してもう2年近く恋人もおりませんが、故郷から遠く離れた街で自立した生活をし、さみしいけれども暖かいお布団で毎晩眠りにつき毎朝ぬくぬくと起き上がり、ご飯もしっかり3食食べているし、安物だけど服もたまに買っておしゃれもできていることから、いまいち悲劇のヒロイン的な悲惨な気持ちに見舞われることもなく(辛いことはたくさんありますよ)淡々と日々を送っている次第です。
ここには少女漫画的な要素やテレビドラマ的な要素のない、小説にするまでもない生活が綴られていくかと思いますが、もしも似たような形で、もしくはまったく別の形でも、何かを抱えたりしながらも懸命に生きている人に、いつか届くかな、というささやかな思いを込めてスタートを切りたいと思います。
今夜はひとまず、スタートの宣言というところまで。
それでは、またすぐに。