熊野牛王神符
「くまの ごおう しんぷ」
本ブログは御朱印は収集しても神札、神符を収集することはない。
以前は地元近くの富岡八幡宮に初詣で昇殿し、その折に神札をいただいていた。
昇殿しなくなった現在はシンプルなものを求め、それだけで一年の神札としている。
しかし熊野三山を訪れた時は各社でそれぞれの神符を求めてしまった。
カッコイイからだ。まったくのミーハーだ。
さらに何を表しているのか全く意味不明な摩訶不思議なデザインだったからだ。
▼本宮の神符が入れられていた封筒。
▼その裏に神符の説明が記されていた。
「牛王宝印」「お烏さん」とも呼ばれる熊野独特のこの神符の起源は不詳。
神代の故事に由縁するとも伝わり、
のちの時代には誓約書の役割も担ってきたそうだ。
吉川英治の「私本太平記」に、北条高時が足利尊氏にかけた言葉に
こんなセリフがある。
「わが祖廟、北条氏にたいして、ちかって異心をはさみ奉らずというむねを、熊野牛王の誓紙にしたためて差出せい」
現在はカンタンな言葉にしてしまえば、主に厄除けのお札とも言えるようだ。
▼本宮大社の神符。
本宮の神符は88羽の「お烏さん」で構成され、文字は「日本第一」の四文字だけだが、
「カラス文字」が表しているのは「牛王宝印」の四文字と云われている。
よく分からないがデザイン構成を縦に3つに分けると、右側は「熊野」の文字を意識したようにデザイン化されたと見えなくもない。
▼だが速玉大社の神符になると「熊野」の文字は見失う。
速玉大社の神符は48羽の八咫烏で描かれている。
三社の神符のうち「お烏さん」が一番少ないから数えられる。
数えてみると確かに48烏だった。
右上の位置にある四角いメガネのような形状の囲み二つに眼を引かれる。
「日本第一」は「日本第一大霊験所」。
3本足の八咫烏は、神武天皇を熊野国から大和国へ道案内をしたとされている。
そして神符ではその烏たちが宝珠らしきものを囲んでいるようだ。
理由はともかく、ここまでは誰でも易しく理解できるかもしれない。
▼那智大社の神符。
朱色の宝珠らしき印は本宮は一つ、ほかは三つ捺印されている。
神符には「日本第一」のほかに、唯一那智大社には「吉」の文字がある。
宝珠も三社のうちで一番多く、印を加えれば18個ある。
烏は72羽。
三社の神符は一人の人間のデザインなのか、あるいは三人なのか?
そろそろ、そもそも分からない事ばかりになる。
「牛王」を「ごおう」と読ませるのも一般的には無理がある。
知らなければ誰しもが「うしおう」か「ぎゅうおう」と読む。
「牛」は音読みでは「ギュウ」が一般的。
「牛車(ギッシャ)」などは「ギュウシャ」が変化したものかもしれない。
「牛」ではなく「午」だったら「ご」と読める。
だが「牛」も音読みで「ゴ」と読ませるようだ。
また、なぜ「牛」なのか? なぜ「王」なのだ?
少量の脳を格納するアタマが痛くなってくる。
それは「うしおう」ではなく、
八坂神社などに祀られる頭上に牛の頭を持つ
祇園精舎の守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」が元々かもしれない。
「牛頭天王」は素戔嗚尊(すさのをのみこと)と同体ともされてあり、
▼「牛頭天王をつかんで食べる天刑星」だそうだ。(photo=wiki牛頭天王)
萬の神々を信じ、仏教も受け入れてきた日本人が長い歴史変化の中で、
神仏をそれぞれの時代に、それぞれに都合の良い姿、言葉に変えてきた結果の
「牛王」なのかもしれない。
だから神符は熊野に限らず、八坂神社や東大寺、東寺など、他の多数の寺社でも授けられているのかな?
「ごおう」の迷宮を誰しもが理解できるように易しい言葉にするには無理のようだ。
ここまでに記してきた「ごおう」に関する内容は、
部分的に個人的見解の「誤報(フェイク)」になるかもしれないから
賢明な皆さんは自らファクトチェックです!