改めて

改めて文字にして読み返すと、自分自身の全てを、自分自身が否定することは、当然良いことではない。しかしこう考える人は、現代では珍しくもないだろう。だが「生きる」ということの根底は、生命を繋いでいくことだ。人間として命を授かり、そして現代の特徴を踏まえたとしても、いやいつの時代に生まれたとしても、「自分という存在を確固たるものとし、後世に残していく」ことが最も優先される事項である。自身を否定することは、自分自身の生命を批判すること、つまり遺伝的関係にあるすべての人への否定とも捉えられるのである。それは、どう解釈しても良いことではない。

そんなことは、たらたらと書かなくても、本来は本能的にわかっているはずなのだ。私にももちろん、無意識のうちに、本能的に生を謳歌している。すべての生命に平等に訪れる死は、確かにいつ来るかはわからない。しかし、自ら自分の生に終焉をもたらす必要は、どんな理由があっても許されることはない。例えそれが死刑囚であろうとも、死刑という判決を受ける責任があるのであれば、その制度に最後まで従うべきであって、そうなれば自分自身で自身の生を終わらせることではない。罪を、制度により償うという理由が、他からの審判によるものだからだ。

それがわかっていても、私は生命を有する存在でありながら、その基本的理念に絶望しているのだ。こう考える原因は間違いなく病という背景もあるだろう。しかし前述したとおり、仮にこれが「甘え」だとしたら、私は完全に一寸先は谷底と知っていながら、無謀な突進を余儀なくされている感覚に支配されるのだ。誰かに宣言されずとも、そう考えただけで、まさに絶望するのである。

やはり

やっぱり思うのだが、過去を振り返り文章にしてみても、結論現実は変わらないのであるのだが、心の持ちようは全く違う。たった23年間であるが、23年しか生きていないということもあるのかどうかはわからないが自身の脳だけで物事を考察し、結論付けるのには限界があるのだ。

現実とは変えられない事柄のことを主に指すが、時に残酷なもので人はそれぞれの主観で、その時々の感情を一つ一つ処理していく。怒りならば、そのエネルギーを内面もしくは外部に排出するだろうし、喜びならば、それこそ人々との共感を望む場合もあるだろう。すべての感情には、その感情が原動力となって、行動に起こされるわけだ。

しかし漠然と、何が原因で怒りなのか、何が原因が悲しいのかは全くわからないときはどうだろう。その負のエネルギーは、どこにもぶつけられず、ただ内部で蓄積されていく。しかし、それが原動力になり、誰かに助けを求めるのだが、原因がわからないと説得力にかけ、他者はその負の感情に否定的である場合が多い。何故なら、その人が負の感情を目の当たりにするときには、必ず明確な原因が存在しているからである。よって、原因がわからない場合の負の感情に対して、総合的な評価で「甘え」と認定される場合が多いわけである。もちろん、一般的な人の場合だが。

 

その総合的な評価を真摯に受け止めることを、正として、過去の「甘え」ていた自分に見切りをつけて、再スタートを切っていくことが、既に私にとって過ちの第一歩だったのだ。段々と自分という存在、自分の意志に対して全否定することが、人生の正となっていく。

一念発起した

勝手な判断ではあったが、断薬した後は、一心不乱に職務に邁進した。アルバイトとは言っても、誰かの役に立ちたいという気持ちは誰にも負けないということもあったし、何よりも家族から白い目で見られている現実から逃れるため、一刻も早く社員として実家を出たいという気持ちもあったのだが、やはり一番大きいのは、店舗の改革をしたい、いやしなければならないという決心であった。

素人目から見ても、私の職場が限界なのは間違いなかった。人手不足、上長と部下達のコミュニケーション不足、そして店長代理の経験不足から、率先垂範し店舗を引率する者は誰もいなく、退職を常に念頭に置きながらただ「作業」をするだけであった。

恐らくは、現代社会において当然のことなのであろうが、私は当時(とは言っても2年前だが)21歳ながら、この状況を変えたい、改革したいと思い、店長代理に仕事を振ってくれと懇願した。

しかし後で確信したのだが、この店舗を貶めている最大の癌は、この店長代理のプライドなのであった。

店長は当時、兼任店長かつ地域統括本部長的な役職であったため、とても1つの店舗にかかりきれなく、確かに管理能力も問われるだろうし、店長代理も初めての経験であるのは間違いないのではあるが、やはり個人的な感情があってか、店長代理に諸悪を収束してしまうのだ。なにより、店長はその多忙な中でも、しっかり店舗に顔を出し、適切なアドバイスをしてくれていたし、個人的な悩みなども時間を作って聞いてくれて、本当に尊敬できる人だったのだから、店長代理と比較してしまったのかもしれない。今考えれば、店長代理が適う相手のわけがないのだ。

私は店長のために、職場の退職者を減らすために、店舗を守るために、代理に仕事を振ってくれとお願いした。しかし振ってくれることはなかったので、自分から仕事を見つけ、職務に邁進したのだ。

これから

これから、社員登用のチャンスを掴みきり、社員となるにあたり、恩師から指示されていることがある。やはり、体調を復活させることが第一だ。

自分ではわかっているのだが、恐らくは2月末に間に合わない。

しかし、この病が本当に私に該当するとして、これは病が惑わせているのか、それとも本当に脳の疾患として、間に合わないのが妥当なのかは判断できない。

やはり一度、再度受診をし、正しい知識の元判断をしたほうが良いのはわかっているのだが、私が最も怖いのは、これが病ではなく性格によるもので、病はもう寛解しているとの診断だ。

勝手な判断で断薬したので、再発するのもやむを得ないと思うのだが、いやむしろ、調子が良いと感じ断薬したあの時も、病的なサイクルの一つで、いわゆる軽躁状態だったのではないか、とも思うし、しかし本当に調子が良かったために、寛解期だったのでは、とも思う。

 

結論から、今現在調子が悪いのは間違いないので、再発もしくはサイクルの一つであることは体調を判断する当事者として、病院に行っておくべき状況であることは間違いないのだが、

病を患ったとされる4年間の中で、最高潮に希死念慮があったときに比べると、ブログも初めて気持ちの整理もしているし、このように長文をつらつら書けていることから、軽いことは言うまでもない。それが逆に、病院から遠ざける要因となっているのだ。

多分

恐らくは、三日坊主になるだろうと思っているのだ。今までが現実にそうであったから、今回も例外ではないだろう。

私は幼い時から物事を継続的にすることを苦手としてきた。野球少年団も一年後に退団、中学校では部活動が強制であったから所属はしていたが、練習もさぼり気味であった。

高校では、中学校の部活を継続しようと意気込むも、ある挫折から退部し、アルバイトの道を選ぶ。ちょうどそのとき両親が離婚したこともあって、携帯代くらいは自分で支払おうと思ったのだ。

 

やはり最初のうちは、何度も失敗した。自分の存在がストレス過ぎて、責任者が私のミスを叱った後、嘔吐したこともあると、後に言われたこともある。

だが私の人生において初めて、物事に真剣に取り組み、そして自らの成長を実感することができたのがアルバイトであった。

それからというもの、高校2年から卒業まで、一心不乱にアルバイトに邁進したのだった。学生の本業は勉学であったが、私としては初めて自分が認められ、頼られている実感が、なによりも生きていると感じることができた。長所などないと、自らを蔑んでいた頃より、自分に自信を持つことができたからだ。リーダーシップを発揮できます、と当時、長所を伺われた際は必ず即答していた。

 

だが社会に出てから1年半程で、精神疾患を患うことになる。

私はこの精神疾患が、本当に自分に当てはまるのか、現在も確信を持てきれない。

双極性障害と呼ばれるこの病は、感情が高ぶる躁状態と、極限まで低下する鬱状態を行き来する病で、完治はないらしい。

当初は抑うつ状態などと言われていたが、別の病院で診察を受けた際にそう診断された。

何よりも、私はこの病と診断されて、絶望することなく、むしろ「これで辛く苦しい現実から一旦離れることができる正当な理由ができた」嬉しく思ったこともあったが、

今は全く嬉しくないし、むしろ絶望が私を支配していると感じているのであった。

開設

日々の生活には当然、ストレスは付き物である。それはプライベートから、仕事、はたまた恋愛に至るまで幅広く、人間が生きていく上で、必要とされるストレスもまた

少なくない。それは自分自身が、自分の人生を生き、自分のために、親、子、恋人、また関わりあう人々との関係のために、自らの成長が必要不可欠だからである。そして、その成長は人間として命を授かった時点から、意識的に、時として無意識のうちに、成長し、実感していくのだ。この慢性的に続いていく流れを、人は「生きる」と呼ぶ。

 

しかし私は今、人間が「生きる」ということに対して疑問を抱かざるを得ない心境にいるのだ。

 

理由は単純にして明快で、「自分が何者で、何をしたいのかわからない」からであり、社会に身を投げ出してたった5年であったが、その中で目まぐるしく変化し、また自らと何度も対話した際に自分という存在を見失ったことが私を大きく変化させた原因と思う。

 

だが上記のように大きく「生きる」ということに疑問を抱く。などと見栄を張ったものの、自分で自身に決着をつける勇気があるわけではなく、例えあったとしても、恐らくは自分の中で何度も自問自答し、生きなければならない理由を適当に作り出すに違いない。私は間違いなく、生きたいのである。しかし、生きることに対して疑問を抱き、死にたい、いや、死ななければならないという思考が私を支配することがあるのもまた事実である。

 

新卒就職後、一年で精神疾患を患い、半年休職後に依願退職。後にバイトを短期間で転々とし、現在は高校でバイトをしていたところに戻り2年が経過し、社員登用の声がかかった今、もう1度、自らと対話をすることとし、ブログを開設した。