荒木孝文-そのまんま荘オーナーの呟き-

都内で地方就活生が無料で泊まれる「そのまんま荘」というゲストハウスを3年間やっています。

音声版Twitterの「clubhouse」をザックリやってみた

Clubhouseは音声版Twitterと呼ばれる音声ラジオアプリです

Clubhouseは、音声版Twitterとも言われている今話題の音声チャットアプリです。

2020年に製作された際、めちゃくちゃ話題になっていたアプリです。FBが100億円規模の調達をしたのが、500万人なのですが、Clubhouseはたった3000~5000人で100億円規模の調達をした、シリコンバレーで話題のアプリでした。

Clubhouseは、プラットフォーム上に作成したチャットルームで、世界中の人達とリアルタイムで音声のやり取りが可能です。映像が無いことで、より気軽に発信・参加ができそうですね。

ユーザーは好きなテーマの部屋を探して自由に出入りしながら、気になったテーマの話をラジオ感覚で聞けます!

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現時点では、以下のような様々な使い方が爆発的に同時多発的に行われています。

  • 社会的影響力のある人同士のプライベートな話

EX:2021.1.27では、元akatsuki創業者の塩田さんにFincで資金調達鬼のようにしていた溝口さんの対談が3時間ほど対談していました。

  • 対談や猥談などのトークイベントを開催

EX:2021.1.26では、港区女子がぶっちゃけます!的な話がバズっていたそうです!

  • 音楽ライブ、講義、セミナーなどを開催

EX:アーティストの友人がtwitterで言っていましたが、「ひたすら、chillい音楽を流しながら、感性が合う人たちが集まってくる会」とか

  • 1人や複数人から多数の聞き手への情報発信

EX:友人の社会起業家同士で「ぶっちゃけ社会課題に向き合うのってどう?」てルームを作っていました〜。

 

 

 

イケハヤ氏がtwitterで言っていましたが

「今後は2通りの人間に分かれる」

「Clubhouseを招待してもらえる人間と」

「招待してもらえない奴だ」

 

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2通りの人間

 

そういう時代が来てしまいました。

 

 

ちなみに、eBayではすでに

招待コードが取引されています!30ぐらいコードが出ていて、相場は3000円程度でした!

 

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eBayで招待コードは平均3000円で取引されています!

 

 

検証している友人たちの情報によると

ルームつくって参加者集めたり、アクティブな活動をすると招待枠が増えるようですね。具体的なルールは公になってないですけど。

 

だそうです。どんどんアクティブに動くコアなファンを大事にしているようです。

招待コードは、1アカウントにつき2名しかできず、招待されること自体が価値になっている状態です。

 

これらから見えてくる次の世界は

「自分の弱みや、ダメなところも認めながらオープンに、仲間と話せる人たち」

な気がします。

 

あと

シャワー浴びながら聞けるイヤホンの人気が高まる。Airpod欲しい需要が高まる。

 

 

 

起業家仲間や、社会企業家、Makersやトビタテ生とコラボしてclubhouseやってみたいです〜。 こちらのアカウント、よければフォローしてください!( @taka.talks)

今後も外に出ていない情報や生の話があれば、アップデートしていきます!

(2020.1.27)

 

追記1

溝口さんたちが話しているところに、界隈のトップランナーが雑談感覚で、サクサク入って来てて、夢の対談的なのがポンポン発生してて目が離せない‥!

 

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ベンチャーのゴッドマザー、岡島さん

 

Twitterのタイムラインで、友達に話しかける感覚で、

Clubhouseのルームで、友達同士の話にサクッと入れる。

 

追記2

友達をフォローすると、

誰がどの部屋の話を聞いているのか分かる。

 

共通の話題が、めっちゃ作りやすい。

 

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フォロワーの部屋がわかる

@taka.talks もフォローしておいてください〜

 

追記3

招待コードが取引されているのですが、大体1万円前後らしいです!

メルカリでは文字制限で出せないようですね‥!

 

価値高い!

(2020.1.28追記)

【夢が叶って飛べなかった、2020年】

【夢が叶って飛べなかった、2020年】
 
「飛躍の1年にしよう」
2020年1月に、そう胸に誓いました。
蓋を開けて振り返ってみます。
 
【仕事編】
頭からズッコケました。自分たちの目標設定や羅針盤に従うより、世の中の動きがカオスで、思うように飛べない1年でした。アプリのリリースを遅らせ、梅雨の時期には鬱っぽくなってしまっていました。
 
また途中、気負い過ぎて適応障害を診断されたり、気疲れと油断からタイミングに乗れず取るべき案件を2度3度と逃してしまい、前半特に失敗と学びが多かったです。
 
その分、後半にかけて平常時であれば目を背けて、蓋をしたくなる厄介ごと1つ1つに向き合いました。共同創業者とのベクトルの不一致や、音信不通になったメンバーへの対応、面倒な書類系の即処理など、苦手なことに正面からぶち当たってきました。
 
その結果自分たちが取り組んでいきたい、ど真ん中がアップデートされました。昔は「(自分が)欲しかった居場所を作りたい」だったのが、今は「(みんなが)拠り所となれる居場所を基に自由に生きて欲しい」にアップデートされました。
 
土台整備に取り組んだ1年だったと感じています。高く飛ぶためには、深く沈む必要があるそうです。もうしばらく、コロナの波が続くかと思われますが、必ず来る夜明けに備え、2021年こそ丁寧に仕込んでいきます。
 
関わって下さっている仲間やメンター、応援して下さっている皆さま。2020年は昨年と比べ、随分と大人しかったかと思います。守りに徹しましたが、今後はメンバーと協力しながら攻めへと転じます。引き続きよろしくお願い致します。
 
【プライベート編】
小・中学生からの夢が2つ叶いました。
「引きこもり気味だった自分を救ってくれた」ラジオのパーソナリティになることと「いつか絶対に演ってみたい!」と胸に秘めていたミュージカルの舞台に立てれました。
 
ひょんなご縁から、3月から渋谷クロスFMという、渋谷のど真ん中にある局でパーソナリティーをさせて頂きました。またそのご縁から、元宝塚やAKBの方々と共演でミュージカルで演じることができました。
 
エンターテイメントの方は、起業家の友人とは全く異なる価値観を持っていました。お客さん楽しませること至上主義だし、人間関係構築してナンボだし…。俳優や役者、ラジオに来るゲストの方々から、この9ヶ月間スパークリングな刺激を受けまくりました。
 
自分の実力不足と、現場の水準の高さから途中何度か辞めることが頭によぎりました。辞める覚悟で監督に相談しに行って「誰でも最初は出来なくていいんだよ。精一杯やりな」と励まされてからは、プライド捨てて人に演技とか発声法とか聞きまくりました。(吸収しきれなかったりツメ甘かったりしまくりましたが、、)
 
滑舌ミスして落ち込んだり演技褒められて有頂天になったりしながら、仕事を最優先にしつつ、合間合間に時間を作って取り組みづづけました。価値観がグーンと広がったし、身体の使い方も詰まりが取れて幅が広がりました。
 
結果、最後のラジオ放送では目標としていた「(今ボッチの)誰かを笑顔にする」パーソナリティに近付けた気がして自分自身を誇りに思えたし、ミュージカルの千秋楽では人間関係や表現自体の苦しさを乗り越えて舞台上でやり切れたことに思わず涙がポロポロとこぼれました。
 
小さい頃、言ってもバカにされるだろうから、誰にも言わなかったけど、胸に秘め続けてきた夢だったので、それぞれ叶って、自信に繋がりました。小さい頃夢は持っていた方が絶対にいいし、持ち続けていれば、必ずどこかでチャンスがきて掴めます。これ、マジです。
 
【番外編】
弟と住むことになりました。
小学校の時に喧嘩して以来、ずっと疎遠でした。
とても嬉しいです。
 
夏から同じ部屋にいるのですが、
当初は「器がちっちゃい」
「人間的にキャパが小さい」的なことを
ほぼ毎日言われ続けていました。
 
それが秋を経て、冬へと移るにつれて
お互いに成長していったので、喧嘩することは10分の1以下に減り
「まともに話ができるようになってきた」とまで言われるに至りました。(白目)
 
春にかけて、
願わくば「そんな生き方もありかもしれない」とぐらいには
思われるような兄で在れたらなぁ、、、と思う次第です。
 
 
 
 
 

【ボッチリスナーが、人気番組のラジオでレギュラーになるまで】

【ボッチリスナーが、人気番組のラジオでレギュラーになるまで】
幼少期、テレビが禁止でした。
小学生の頃やたら厳しい両親の方針で、クレヨンしんちゃん両津勘吉を目の敵にされ「受験勉強に悪影響だし、目が悪くなるからダメ!」とテレビが禁止になってしまいました。
 
みんなが見ていた週ドラやアニメが見れないのは苦痛でした。
「今週の◎◎みた??めっちゃキュンキュンしたよね!!」
「SASUKE、めっちゃカッコ良かったね!!」
 
なんじゃそら……
全然ついていけへん…
 
シンプルに寂しかったです。
 
その分、中学からハマり出したのがラジオでした。
毎晩22時のSchool of ROCKや、FM85.1の日産アベレージ。
FM80.2(日)12時~18時までの週間ヒットチャート。
 
当時最新だったSonyウォークマン」で局番合わせて胸ポケットにソッと。 
リクエストをしたら「今日は読んでもらえるかな?」とドキドキしたし、毎週のヒットチャートは、クラスメイトとの共通の話題にもなりました。愉快で楽しいパーソナリティの声、和気あいあいとした雰囲気に、ずいぶんと心の隙間を埋めてもらいました。
 
 「いつかは、自分もラジオパーソナリティーのように誰かの孤独を楽しい時間に変えられる人になりたいなぁ。」 
ラジオに対して憧れを感じるようになったのは、テレビ禁止だった自分には自然なことでした。
 
だからこそ、すっごくワクワクしました…!
今度は、そのラジオを自分自身が届けるチャンスが巡ってきたとき…!
 
 
2020年3月より、ふとしたキッカケから
渋谷クロスFMというラジオ番組の
アシスタントパーソナリティを9ヶ月間つとめさせて頂きました。
 
笑いあり、失敗あり、学びあり、とても濃い時間でした。時には、大好きなラジオを自ら辞めようと思ったことさえありました。
そして、先週の日曜、大好きだった番組のラスト生放送を終えました。
憧れだったパーソナリティに実際になってみたからこその葛藤や、苦しみ。
困難をどのように乗り越え学び、成長してきたかブログにしました。
 
ちなみに、自分は出ないのですが今夜も20時~20時50分に
年内ラストの番組があるので、是非聞いてみてほしいです!
 
元宝塚の如月蓮さんや、ガールズダンスパフォーマンスユニットD-stageの皆さん
現在関わっているミュージカルのヒロインで元AKBの原田朱さんなど
超素敵で豪華な面々が約1時間の楽しい時間を彩られます!!!コチラ! 
 
 
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始まりは1本の電話。
「ラジオ出てみない?」
友人の中村 あかり からの突然のLINEコール。
 
トゥトゥトゥとトゥ~ん、トゥトゥトゥとトゥ~ん
 
「あるミュージカルを多くの方に知って貰うために
ラジオ番組があって、そのパーソナリティに空きがあるのだけど、
タカやって見ない?」とのこと。
 
なんだと!?めっちゃしたいぞ…!
ビックリしつつも、ラジオっ子やったから
やってみたい気持ちがジュわぁぁああーーーーと溢れてきました。
 

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ジュわぁあああ〜
 
「え、明日!?」
「いきなり過ぎん!?」
空きがあるのには、裏があって
予定していたアシスタントが急遽来れなくなったことが理由だったのです。
頭がクラクラしてしまいました。
漠然とした憧れはあっても、1㍉も心の準備ができていませんでした。
 
出来るかな?
失敗したらどうしよう?
迷惑かけたくない、、、
 
不安が一気に頭をバー〜ーーと巡ります。
 
 
けど、こんなチャンス、きっと滅多にないはず…
25年生きてて、ラジオ聞くことはあっても
出ることはなかった…。逃したら、もう無いんじゃね…?
 
それはそれで、勿体無いよな…… 
そうか、やって失敗しても不安だし、
やらなくても後悔しそうなら、やって失敗してしまおう。上手くいく可能性もあるし
 
「わかった、出るわ!ありがとう!!」
 
なに話したか頭真っ白であんまり覚えてはいないのですが、この一件から
愉快で奇跡の渦にドゥルるるるるるると巻き込まれていきました。
 
 

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ドゥルるるるるるるるる
(初回放送の体験については、コチラの記事にて!)
 
なぜだか、「翌々週も来てね」となって
なぜだか、番組のレギュラーになって
なぜだか、番組が広報していた「ミュージカル」に自分も出ることになって、
気づけば、ラジオの9ヶ月を終え
来週「ミュージカル」に出ることになっていました。(飛び過ぎすみません…)
 
 
トゥルルルる〜〜〜保ぎょぎょ〜〜
 

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トゥルルルる〜〜〜保ギョギョギョ〜
 
ラジオを始めたばかりの頃。
ズー〜んと落ち込むことが多かったです。
未経験のため戸惑うこと、滑舌の悪さ。テンパリで進行を乱すこともあって、その度、下を向きながら渋谷から家への道をトボトボ歩いて帰っていました。
 
(憧れやったはずのラジオやのに、、、)
(全然、うまく出来へん…。)
(なんでやねん、こんちくしょう。つれー)
 
さらに宝塚やAKBで活躍されてた方が出演するミュージカルの広報という
大切な任務への責任感から、罪悪感やら申し訳なさがポツポツ積もっていきました。
 
 
5月も過ぎたある日。少し慣れてきた気が緩んでいたのかもしれません。
凡ミスが重なってしまい罪悪感が心の中で爆発しました。
 
番組にはミュージカルの衣装を着て出ていて、ここが他の番組との違いで好評な部分なのですがその大事な衣装を家に忘れてしまったのです。顔面蒼白。自分だけ読み合わせに参加できず、焦るし申し訳ないし…。(衣装は、今夜の20時もあるので、是非見てみて下さい!)
 
悪いことは続くものです。番組中も、普段以上に噛み噛みになってしまい周りの顔が心配気味に曇る。毎回各界で活躍されている方を招待して15分ほど対談するコーナーがあるのですが、そこでも進行テンパってしまい、尺を削ってしまうミス。 
 
もうダメだ!!!!!!穴があったら入りたい。
  
 
【やってみたい!でスタートしたけど、
実際のところ素人でズボラな自分なんかが
ラジオするのは現実的無理だろ】
 
そもそも、プロの方々が命を込めて演じられるミュージカル。
ラジオにだってお金がかかっている。自分がいない方が、きっといや絶対良い。
 
インキャ思考が炸裂しました。
「もう辞めよう。しっかり謝って、もう出ないことにしよう。 」
 
憧れで始めたラジオではあったけど、
迷惑をかけてばっかりで、挙げ句の果てには大事な衣装まで忘れて読み合わせにさえ参加できない体たらく。好きで大切だからこそ、自分なんかがでていちゃダメだ。
 
 
「いつも迷惑ばかりかけて、ごめんなさい、、」
「自分噛み噛みですし、下手くそな上に衣装まで忘れてしまうし、もうダメダメですよね、、」
 
責任者兼舞台の監督の岩上さんに謝罪に行きました。  
当然怒られるだろうし、降板のタイミングについて話さなきゃ、という腹積もりでした。それだけプロ意識を感じる現場でした。
 
「誰でも最初は出来てなくて当たり前だよ」
「だから、精一杯できることをやればいいんだよ」
そう返されました。
 
 
9ヶ月経った今も、このときの言葉が心に残っています。何もかも初めて尽くしで、ラジオも舞台もダンスも出来ないことばかりで迷惑かけっ放しで罪悪感積もることは多いです。【けれど、初めは出来てなくて当たり前だし、そこから精一杯やることが肝心なんだ】と何度もこの言葉に支えられました。
 
 
積もり積もった罪悪感が
ジェットコースターのように吹き飛びました。
 
ピューーーーーん。

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ビューーーーーん
 
思い返せば、これ以後4ヶ月目あたりから
気負いや肩の荷が無くなり、心から楽しめるようになりました。
 
キャストと仲良くなれて舞台の練習がどんどん面白くなり、毎回招待されるゲストの先生方は素敵な方ばかりで視野を広げて下さりら元気をいっぱい貰い、こんな役得な仕事はない!!とホクホクでした。
 
例えば、前回いらっしゃった先生は元パリコレの高木 真理子さん。知的障害者の方にそのまんまの美しさややる気を、歩き方から発揮できるようサポートされてる先生で大変興味深かったです(ウォーキング関心ある方チェックされてみてください! )また共演者のたこちゃんからは舞台をいかに楽しんでもらえるかについてのヒントや学びを肌で教えてもらいました。マジリスペクトっす。
 
素敵な講師陣や、共演者の方とご一緒するうちに、罪悪感だらけだったラジオは楽しくて仕方のない時間になっていました。
 
間の取り方や、キャストに話を降ったり、タイムキーパーなど、少しずつ進行のスキルも上達していく感覚が面白かったです。(全部まだまだで修行中ですが…)また、舞台自体が年末にあるため、その広報自体が年内で最後になり、自分が担当するラストである先週のラジオは最高の時間にしよう!そう意気込んでいました。
 
「きっと、感慨深い時間になるだろうなー」
ウキウキ。
 
 
しかし、その2日前にやってしまいました。
 
舞台のために受けたPCR検査が陰性だと分かったその日から
ホテルで隔離生活を開始したのですが、これが裏目に出ました。
 
選んだホテルはコロナ対策で
一晩中空調をまわしてたのですが、これが逆効果に。
普段暖房を切って寝るので、朝目が覚めると冷えと寒さでダウン気味に。
  
ただ熱は36.5度で、咳は一切無かったので、監督さんに参加確認した上で少し休んでから伺いますとご連絡。全身にカイロ貼りまくって横になりました。仮眠でしっかりと回復、19時過ぎから渋谷のスタジオに入りました。
 
そそくさとゲスト講師との打ち合わせを終え、始まる前独特の静けさがある楽屋に挨拶に行き、とうとう本番を迎えました。
 
 
「トゥっトゥトゥーン~トゥトゥ(x2)」
20時、いつもの陽気な合図で番組が始まりました。他のキャストの助けもあり途中大きなトラブルもなく、順調に進行は進みます。
 
 
20時40分。
何事もなく、ゲストの先生が時間通りにスタジオから交代されました。問題なし。
 
 
20時49分。最後の最後。
トラブル発生。順調に進み続け過ぎたが故に、30秒ほど余り時間が出てしまったのです。
 
 
公共の電波の30秒はちょっと特殊でして、数千人のリスナーさんの大切な30秒です。また番組〆の30秒は、次聴いて貰えるかどうかを別ける大事な30秒。
 
 
進行のYomiさんがコチラに顔を向けました。スッ。
まるで時が止まったかのようでした。
 
(5月にミスったのと同じだ!!!)  
 
あの時テンパって周りが見えず、拾い損ねてきた「ここは宜しくね」の視線と気付きました。唾を飲み込みました。ゴクリっ
 
 
ここでミスればグダる。
 
それは嫌だ。ここだ。
最後のラジオ。
 
サッと【年末26日27日の舞台遊びに来て下さい!】という番組的にグッドかつ不自然のないトスを返しました。テンパリまくって、自分のコーナーさえ、何しゃべったか覚えてない事案多発してた自分からすると、マジ奇跡的快挙。
 
 
「体調微妙なときの方が、進行いいんじゃない??」と終わった後、岩上さんに詰られましたが、違います。この9ヶ月間の成長と言いたいです。笑(ヘタレなので、そうかもしれません、、とか言ってしまった、、、)
 
 
そんなかんやで、なんとかトラブルも乗り越え
9ヶ月に及ぶラジオには、悔いのない区切りをつけれました。
 
同時に終わった後、いつも出演者の皆様と写真を記念に撮るのですが
色んな気持ちがジンワリと沸き上がってきました。
 
 
寂しさだったり
有り難さだったり
公演やるぞーーだったり、、
 
(…色んな気持ちが溢れ、
まるで闇鍋を食べ切ったような心持ちでした。 )
 

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共演者との写真(直前までマスクしていました)
 
 
 
思い返せば、突然の電話してくれた中村には一生感謝ですし、ダメダメだった自分を切り捨てず励まし使ってくださった岩上さん達には頭が上がりません。また、元宝塚や、AKBの方、声優さんや役者さん、ゲストの先生など沢山の魅力的な方々と出会って来ました。
 
やってもやらなくても不安なら、やっちゃえばいいし、
初めては誰だって出来ないから精一杯やることが肝心だし、
辞めたくなっても、続けていればスキルも伸ばすことができる。 
 
大切なことは、ラジオが教えてくれました。
 
昔夢見ていた
 「いつかは、自分もラジオパーソナリティーのように
誰かの孤独を楽しい時間に変えられる人になりたい。」
に少しでも、近づけていたら嬉しいです。 
 
ただのボッチリスナーだった自分が
ラジオでレギュラーになるまででした。
 
ちなみに、そんな番組は9ヶ月間で視聴者をドンドン伸ばし100を超す番組から人気番組の1つにもなり、リスナーは初めの頃の数倍にまで増えているそうです。長文でしたが、最後までご精読ありがとうございました。 
 
PS
ラジオは区切りがつきましたが、年末26日27日の舞台まで、まだ少し時間があります。これまでラジオで培ってきた間の取り方や、共演者との繋がりをフルに活かして楽しい舞台にしたいです!ミュージカル好きな方や、初舞台興味あるよ〜!という方いましたら、是非こちらご確認ください!(チケットの取り置きも可能なので、気軽にご連絡ください~)
 
 
今夜の放送は20時~20時50分
こちらです!
 

叩かれるの怖いな、て悩んでたら友人が亡くなって吹っ切れた話(全編)

「大事な人が亡くなった」
発信して叩かれたらどうしよう?そんな風にモンモンと悩んでいた矢先、
ふとFBのタイムラインをスワイプしてたら、突然の知らせが目に飛び込んできた。
 
 
今はまだ、受け入れきれない悲しみも
書いていたら誰かの気づきになるかもしれんし、彼(以後、彼ちゃん)も、きっと、アーダーコーダーとモジモジしているより「そうだ!一回やってみレバ???誰かハッピーなったら、みんなハッピーやし!」と背中押してくれそうな気がして。
 
以下、少し長いが回想とまだ受け入れきれない現実を、思い出振り返りながら綴るね、彼ちゃん
 
 
彼ちゃんは18歳だった。2018年の夏、トビタテの友人に教えてもらった「ポジティブさ」に関するイベントに、たまたま気になって参加したところ、彼ちゃんが登壇者の1人として話していた。
 
彼ちゃんは、2重の意味で大多数の子と違っていた。1つ目、ある病で、中学以来全身が不自由になってしまったらしい。けど、傍目から見ているとメチャクチャ元気そうだった。病気ってマジ?て感じだった。もう1つは、尋常ならざる程、光輝いていた。45分間の講演はあっという間に過ぎていった。ベッドで寝たきりじゃなければ、難病だとはとても信じられなかっただろう。
 
彼ちゃんの話は、とても他人事には思えなかった。
すごく個人的な話になるのだが、彼ちゃんのような難病の子供のためのNPO、Give Kids The World(*1)で1年間トビタテを使ってインターンをしていた。
だから、何かに執着するかのように食い入って話を聞いた。
 
Give Kids The World(*1)・・・
米国フロリダにあるNPO。難病の子供と家族に、ディズニーやユニバーサル・スタジオで夢と希望に溢れた1週間を提供し、生きる活力に燈を着ける世界唯一のエンターテイメントNPO施設。年間7000家族が訪れ、日本からも、たまに家族やボランティアの方が来る。takaは、ここで2016年10月〜2017年8月までインターンをしていた。将来はアジアにも作っていきたいと考えている。
 
heちゃん「(病気のことは置いといて)毎日、楽しくてラッキーだ」「生きているだけで丸儲け」と、病気とは裏腹、彼ちゃんは目を輝かせながら語っていた。ピュアさと、素直さで煌いていた。(一般的な)ハンディキャップを全然ダメだと思っていない様に感じられ、ビックリした。まるで、GKTW(米国NPO)で家族と夢の時間をディズニーで過ごす子供たちと一緒だった。
 
「この日本で?」と思わず、目を丸くした。(同調圧力が強くて、周りと不都合な違いがあるとまるで存在して無いものと見なされちゃうかの様な雰囲気がある日本で?と。)
 
heちゃん「今いる、この場所で小さなこと?とか人と話したり、楽しいし、そういうのってシェア?分かち合えってゆけば、広がってゆくし、それがめちゃくちゃ楽しい」そう語る彼ちゃん。「眩しくて素敵だなぁ。」とtaka不覚にも思ってしまった。(性格ひん曲がっているから、登壇者に対して純粋に素敵だな、とか普段絶対に思わない。むしろ、謎のライバル認定とかしている。でも、heちゃんには、そういうプライド通り越して、素敵だった)
 
どうしても話してみたい衝動に駆られて、イベントとイベントの合間に
舞台裏まで、感想を伝えに行った。屈託のない笑顔で笑う彼は、まるで生きた天使かと思った。こんな汚れた世界で大丈夫?と(またもや)不覚にも思ってしまった。でも、どうやら大丈夫みたいで、彼ちゃんの輝きに、胸を揺さぶられた大人たちが何人も集まっていて、みんなで写真を撮った。はい、チーズ
 
 
 
(写真、掲載申請しようか迷っています) 
 
 
その場にいるメンバーの波長が相当合って、自然とまた集まる話になった。「みんなで、また集まりたいね」「タコパとかどう?」「あ、なら、うち(彼ちゃんの家)でやろうよ。楽しそう!」後日、タコパをすることになった。
 
また彼ちゃんの輝きに触れられるのが、不覚にも(3度目)、無邪気にも嬉しかった。 (普段から無邪気さとか出していたらギスギスしそうで、なんか怖いじゃないですか、ふとすれば心が荒んじゃう世の中だもの。久しぶりに無邪気さ思い出したやで、まあ外には出さんへんかったけど)
  
 
10日間ほど経ち、待ちに待った、当日。
残念なことに、天気はザーザー降りの雨。
午前中は晴れていたのだけど、夕方にかけて降ってきた。
 
 
最寄駅、JRで向かいながらメッセンジャーを開く。
heちゃん「着く時間教えてー」
taka「6時40分くらいかな。」「今、ちょうど○△駅だよ」
heちゃん「えっ?明日だよ?」
 
・・・ファっ!?えっ!?あっ!?
おっちょこちょいで、1日間違えて彼の家に向かっていた。オェ、、、焦りだして、ソワソワ。まじかーーー、楽しみに来たのにこのオチは嫌や、、、
 
せっかくやから、会いたい。そして本音を言うと、明日また同じ道を通っていくのがダルすぎる。(面倒くさがり)でも、会うの2回目やし、どないしよか、、うーーーん、、と悶々しながらも、ちょっと勇気をだして、ここは図々しくお願い戦法を取ることに。それくらい惹かれる何かが彼にはあった。
 
taka「ミスった、ごめん。・・・今から行っちゃダメ?(図々しくてごめんやで)」
heちゃん「もっと、日付のリマインドしとけばよかったね、ごめん、、」「うち、何もないけど大丈夫?」
 
 
どこの天使やねん、日にち間違えてる僕がミスってるんやで、
日付のリマインドなんてせやんくてええねやんで、ありがとうな彼ちゃん。
年下て感覚は全然なくて、ほんまフラットな感じで「友達」って感じやった。
 
 
そして、最寄駅。駅から近いのかな?と思っていたら、結構歩くみたいで
彼ちゃんの父ちゃん氏が車で迎えに来てくれることに。何だか、バツが悪い様な居ても立っても居られない様な、申し訳ない気持ちだった。ほぼ初見で、突然のアポなし自宅訪問だけでも気まずいのに、ザーザー降りの中最寄駅まで車でお父様にわざわざ、ご足労いただくのは、ちょっと、すごく申し訳なくって、、
  
乗るまでに集合場所の認識が少し噛み合わなくて、
あっちゃ行ったりこっちゃ行ったりしてるうちに合流できた。
 
父ちゃん氏「君があらちゃん?」
 taka「あっ、はい、スンマせん。わざわざ、kite」
父ちゃん氏「ええよ、乗って乗って」
 
恰幅の良い(かっぷく)優しいお父様だった。
 
 
5分10分ほど走っただろうか、車は目的地に着いた。 
近くに駐車場を借りているみたいで、そこからまた、30秒ほど歩いた。
(往往にしてあることだが、初めて行く道は何だか、遠く感じ、時間間隔がおかしくなる。正確には3分だったのかもしれないし、はたまた15分だったのかもしれない。何だか夢みたいだった)
 
 
玄関を開けると聞こえるheちゃんの声!!「わんワン、ワン!(大音量)」
・・・え?ワン?
 
父ちゃん氏「ぽちこ、こら!静かに」
taka「あっ、ワンちゃん、いるんですね・・!お邪魔しまs」
(かなりビビったやで、雷ばりの大音量やった)
 
(奥の方から)heちゃん「あらちゃん〜。いらっしゃい!」(明るい元気な声)
今度は本物。笑
 
声を頼りに部屋をくぐってゆくと
居間に置いてあるベッド上に彼ちゃんがいた。
(嬉しくてパッ、と顔が明るくなった。一瞬でそれまで持っていた申し訳なさも、どこかに吹っ飛んでいった気がした)
 
heちゃん「間違えたの?w」
taka「ごめんごめん、しくった」
heちゃん「全然いいよ。来てくれるの嬉しいんだ」
 (こっちの台詞!!!w)一緒にいると、何だか無邪気に嬉しくなってくるし、どんどん素直でいれるっていうか、自分て、ほんとはこんなこと好きだったんだー、とか、こんなこと大切にしたいんだーとか、そういう忘れかけてる素直さが自然と湧いて出てくる。
 
 
 時間も忘れて、色々、たっくさん話した。
 これからやってみたいこと、普段やっていること。
 
heちゃん「ねえねえ、あらちゃんてyoutubeやってんだっけ??」
taka「あ、うん、そうだけど、どうして?」
heちゃん「実はね、youtube普段暇さえあれば見ていて、いつかやってみたいと思ってたんだよね!」「全然、プロとかじゃないけど、気になってて」
taka「へー!いや、案外、機材もスマホで出来て楽やで、例えばこのスマホでいつも撮ってて」
 
 ライトや、セルカ棒を見せながら拙いyoutube講をした。好奇心旺盛に「あれは?これは?」と聞いてくる彼は、表裏がなくって、話していると自然と此方も気が緩むというか、リラックスできた。2度目とは思えないくらい、どんどん打ち解けていった。ずっと前から友達だったような感覚になっていった。何というか彼自身の輝きはそのままで、温かいパワーで周りの人たちをも輝かせちゃう不思議な力が彼ちゃんにはあった。
 
youtube聞かれた時は、軽く「機会あればやってみれば?」位に言ったのだけど、もうちょっと強くオススメして、撮ってもらえていたら今見返せてたりしたのかな?ふと思った。)
 
 晩御飯を出してもらった。
 彼ちゃんはもう食べていたらしく、あまり箸を運ばなかった。
 そして、父ちゃん氏お手製のアボカドまぐろワサビたっぷり丼は、控えめに言って最高だった。
 ちょっとワサビの量が多すぎて、泣きそうになったけど、これ以上相手に気を遣わせて成るまい、と顎に力を入れ我慢した。
 
 
 窓の外は、土砂降りの雨が緩やかに激しさを増し、気づけば雷になっていた。
 辺りは灰色に薄暗さを混ぜた色に、湿っ気が肌につく感じ。
 
 ピカっ!!!ゴロゴロ、がーーーーー、どん。
 音と光が同時にやってくるぐらい近くに雷落ちたりもして
 heちゃんがググって分かったのだが、その日が2018年最多の雷で関東の交通機関は軒並みストップしていたらしい。
 

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当日の雷のニュース
 

 
 ふと会話が途切れて、静寂さが二人を包んだ。それまでは途切れることなく
 ヒッチハイクやら、youtubeやら、留学など、いろんな話をしていたのに。あとは、犬のポチこに遊んでもらったり。
 
 
 おもむろに、昔のことを思い出した。
 小学3年生の夏休み前、4限くらいに突然やってきた薄暗い悪天候と雷雲に
 教室の蛍光灯がやけに白く写って、クラスのエネルギー有り余ってる系男子が雷の音に
 ザワザワし出して、「いーち、にぃ、さん、sh(ガラガラゴーん!)あっ、900メートルだ!!近!!」と叫んでいるのを傍目に、学校に落ちて感電死したらどうしよう、、(死んだらどうしようもありません)とビビっている自分が避雷針を反対側の校舎に見つけてホッとした記憶を思い出した。当時、イジメでどこにも居場所が無いように感じてたんだっけな
 
 
 部屋はそんな感じの薄暗さで、けど何だか清々しかった。
 
・・・何話したか、あんまり覚えていない癖に、こういうどうでもいい回想とか風景、雰囲気みたいなことは、何故かしっかりと瞼にこびりついている。同時に、後悔が胸を襲う。ほんとは、heちゃんとの会話でもっと読み取っていなければならない、もっと大切な何かがあったんじゃないだろうか。もっと、何かあったんじゃないか、そう思えてならない(どうしてだ、何だか急に感傷的になりそうだ、、、少し筆を置く。)
 
 
((((ここまで来て、薄っすらと気付く。
見たくない現実は起こっていない、そう彼は生きている
そう、思いたい自分がいることに。 世界共通の弱さかもしれない。
 
 なあ、heちゃん、まだ生きてんねやろ?ほんまは、おんねやろ、また行ったら、「おかえり〜、あらちゃん」て、、、、、なあそんなことないって、分かっていても、そうしちゃうんよ、これが僕の弱さや)))) 
  
 
次の日、無事みんなでタコパをすませて
楽しそうな写真を、彼のタイムラインで見た。
 
次は、日にち間違えへんと、絶対一緒にやろね!
そう、約束を交わした。
 
 
 
 
あれから、数ヶ月経って
2月7日の15時ごろ
僕は、悩んでいた。
 
これから、仕事を辞めて
自分の道を行く。セットで、たくさん発信してゆきたい。
 
だけど、何かを発信したら
誰かに否定されたり、バカにされたり、見下されたりするのが
怖くって、恐ろしくて、悩んでいた。
  
あるイベントで、ゆうこすが「自分を応援してくれる人に使う時間しかない」とか言ってたのも、蓑輪さんが「誰かを否定しているやつは、自分の人生を生きていないやつだ」と言っていたのも、正直、どれも自分には腑に落ちなくて、悶々と悩んでいた。
 
 
 一通り悩んだ後、
ふとFBのタイムラインをスワイプしてたら、突然の知らせが目に飛び込んできた。
 
 
彼ちゃんが、死んだ。
 
 
 
 
 
 
 usoyaaaaaaa
どうしてや、なんでや、嘘やろ
嘘やって言ってや、なあ、嘘やろ、これ
ほんまは、ほんまは、ほんまは、なあ
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
一番襲った感覚は
真っ白で、ポカン。
 
 
 
「え、嘘やろ?(同時に、あっ、もう・・・)」
 
半ば呆然としながら、彼のこれまでの投稿と、個人メッセージのやり取りを見返した。
右の親指でト-ント-ン、とスワイプしてると、リアルに聞こえてくる。「あらちゃん、よっ、元気?」屈託のない彼の声が聞こえてくる。 空耳だって分かってる、でも本当に聞こえきそうで、耳を傾けてしまう、現実を受け止めきれないよ、彼ちゃん。どうして、こんなにも早く、僕より6つも下やんか
 
 
全方位から刺されるな胸の痛みは、
もらった温かい愛の分だけ、
チクチク、チクチク。
 
 
 
「タコパ、次はみんなでしよな、」って約束したやんか、最後に。 
勝手にな、次もあると無意識に思ってたんよ、僕

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タコパ
 
 
気づけば、朝4時。
 
シェアハウスのみんなが寝静待ったのを確認してから、目に涙を溜めながら、時たま嗚咽しながら
文章を綴っては消して消しては綴ってを繰り返しながら、ここまで書いた。
 
 
いつ死ぬか、全くわからない
明日死ぬわけなんてない、て思っていた人が
2度と会えなくなった。 
 
 
 
 
 
もう2月8日の朝。しばらく無視していたが、かすかな頭痛が頭に響く
(リアルに)今日は、100banch(*2)の
T子ちゃん、SOOくん、シェアハウスの鈴にゃん、JEJEくんと、シェアハウスでタコパの日。寝て、明日、また・・・
 
 
100banch(*2)・・・Panasonicが支援する35歳以下の若者支援のためのPJT。渋谷にシェアオフィスを提供してもらいながら、コオロギラーメンや、ふんどし、うどんなど幅広いジャンルの実験を日夜行なっている。takaは2018年6月にヒッチハイクでPJT採択してもらって足繁く利用させてもらっていた。  
続く(後編へ)
 
 
(会話の内容や年齢、イベント内容、登場人物、ペットの名前等に関しては、本人特定を避けるためある程度装飾をしています。勝手に失礼します)