映画あさひなぐ -神は細部に宿る-
●前置き
あさひなぐという作品を知るもともとのきっかけは舞台版で、その後に原作を一通り読みました。
原作あさひなぐは女の子主体のスポーツ漫画です。連載は少年漫画より少し高めの年齢層をターゲットとする「週刊スピリッツ」ということもあるのでしょうか、いい意味で人間臭くて、ガンガン挫折もするし全然一筋縄でいかない中でひとりひとりが生き方を模索して悩みながら強くなる、そういう作品だと感じました。
特徴としては登場人物ひとりひとりのストーリーが単体でもすごくしっかりしているんですが、それでいて孤立せず連動しているところでしょうか。そこがまた面白くて、読者を退屈させない気がします。
主要キャラでは小林先生くらいですよね、深堀りされてないの(笑)
●総評
前置きが長くなりましたが、大好きなあさひなぐがどんな映画になっているか、乃木坂ちゃん達がどう演技して、それがどう映し出されているのか...始まる前からドキドキしていました(関係ないのにね)
結論から申し上げると個人的にはすごく好きな作品です!(語彙)
難しいですが端的に表すとしたら「神は細部に宿る」でしょうか。
さて、なにがそう思わせたのでしょうか?
(もちろん推しメンが出てるからというのは大前提としてありますが、そこは後半で触れます笑)
まず全体的にコミカルなやりとりが多く散りばめられていて、そのやりとりの中でキャラクターの性格が表現され、人間味に溢れていたところがとても好きでした。
(ネタバレしちゃうのであえて具体例は伏せます)
原作者のこざき先生も、好きなシーンの1つとして取り上げられていましたね。
次に、面越しに映るキャストの表情と試合中(と応援時)の演出でしょうか。
舞台挨拶で監督も仰っていましたが、キャストが作り上げた立ち姿や雰囲気をそのままに試合で表現できていたような気がします。
試合シーンは見応えあります。
(もちろん代役を立てていた場面もあるでしょうが、ここは全力で乗っかりました笑)
●あえて言えば、、、
原作のファンで、乃木坂にまったく興味が無い人からするともしかしたら不満の残る印象を持つかもしれませんね。
シンボリックなシーンがアレンジされていたり、触れられていなかったりしたところもあるので、それはそうかなって思います。
でも映画あさひなぐについては、それはそれでいいのかなって思いました。
もちろん制作陣は原作を読んだ上で、そこに自身の解釈を加えて作品を制作されているので個人的には物足りなさを感じませんでした。
もちろん「もっと観たい!」とは思いますけど。
よく評論家のように、かくあるべきだ!と仰る方もいますが、映画って時間や予算や契約(制約)の中で、精一杯作られるんだと思うんです。
きっと色んな大人の事情があるんです。
そういったコメントは物事を一面でしか捉えていない気がするのですが、ぼくだけでしょうか。。(気持ちはわかりますよ)
●桜井玲香さん演じる八十村将子について
原作における八十村さんの印象はいかがでしょうか?
男勝りで口調が荒く、冷静ですが瞬間的にカッとなったり、サバサバしているようで仲間想いで、剣道経験者の次期エース候補...
ぼくはザッとこんなキャラだと捉えています。
普段の桜井玲香さんとは全然違うキャラクターを持つ八十村さんですが「演じやすかった」とコメントしていましたね。
少し意外でしたが、妙に納得できました。
NOGIBINGOの企画でもそうでしたが、真夏さんの恋路をジャマする役がハマってましたし、握手会でも「意地悪な役とかやりたい!」って目をキラキラさせながら言っていたのを思い出しました。
本人とは違ったキャラを"演じる"ことが本当に楽しそうで、キラキラしてて素敵です。
さて作中の八十村さんですが、剣道経験者です。
剣道と薙刀の大きな違いはリーチの長さで、それゆえに基本姿勢が違うんです。
剣道における構えと薙刀における構えを比較すると、剣道は身体を正面に向けるのに対して薙刀は身体を半身にします。
作中によく出る「身体が開く」というのは半身ではなく正面を向いてしまうことを意味し、剣道の基本姿勢に思わず近づいてしまう八十村さんのクセを指しています。
なんと桜井玲香さん、このクセもあえて演技に反映させているんです。
シンプルにすごくないですか?
ゼロから薙刀を学ぶ際に、基本姿勢から学びますよね。
大変なことですよ。みんな大変苦労したと思います。
そこに大変なアレンジを加えるわけですから、きっと大変に大変だったと思います。
(Q.さて大変って何回言ったでしょうか?)
記者会見でも言ってましたが、コレって本人の意思なんですよ。
シンプルにすごくないですか?
八十村さんはこういうクセがあるから、私(玲香さん)もそれを理解して会得して表現したいって本人の意思なんですって。
言ってしまえば、試合シーンはお面あるし難しければ代役たてればいいんですよ。
練習シーンはお面が無いから代役たてられないけど、主役じゃないからスクリーンの端の方だし、そこまでやる必要ないんですよね。。。
でも、ちゃんと身体開いてるんですよ!!
誰も見てないかもしれない、自己満足かもしれない、映ってもほんの一瞬かもしれない、本編には影響ないかもしれない...
でも、ちゃんと身体開いてるんですよ!!
誇りを持って役に真剣に向き合って、練習を重ねたんだろうなって思うともう嬉しくて。。
桜井玲香さんのことが誇らしくてたまりません。(関係ないのにね)
まさに神は細部に宿る、でした。
本編終了後のクレジットで「桜井玲香」の名前が堂々と書かれていたのを見てもうボロボロ泣いてました。
(記者会見から泣いてましたが)
まだご覧になられてない方、ぜひご鑑賞されてはいかがでしょうか?(9/22公開です)
また原作もご一読されたらなお楽しめると思いますのでそちらも是非!
本当によく頑張りましたね。
桜井玲香さん、お疲れ様でした。
嫌われ松子の一生 赤い熱情篇 -後半-
嫌われ松子の一生 ~赤い熱情篇~については舞台で一度、DVDで二度鑑賞しました。
一度目(千秋楽公演)はただただ、桜井玲香さんの演技に感動し涙しました。
二度目(DVD)では、桜井玲香さん自身の当時の状況を思い起こしてはその努力に涙しました。
三度目(DVD)はとても強い吐き気を感じました。(笑)
それはなぜでしょうか。
原因は桜井玲香さん演じる松子の無垢でまっすぐな美しい愛情と、岡田達也さん演じる岡野への憎しみと自己投影だと捉えています。
それは序盤で八女川が投げかける「綺麗と美しい」の違いが関わってきます。
岡野が「綺麗は身近なものであり、美しいは近寄り難いもの」と解釈したことに対し、八女川は「美しいは汚いも醜いも含めて美しい」と解釈し、更には「僕には綺麗なものこそ近寄り難い」と述べています。
そして終盤で岡野は龍にこう言います。
「(松子のように)あんな燃やし尽くすような生き方はできない!あんなに全力で愚かで惨めな、自分が傷つかない計算もしないで生きられるわけがないじゃないか!」
-----
私の解釈ですが、結論として松子は美しい人物だったと捉えています。
八女川が愛し、岡野がどうしても手に入れたかったものは本当に美しかったのだと思います。
ではどう美しかったのでしょうか?
八女川には家族のつながりを捨てたとしても全力の愛情を注ぎ、
妻子がいながらも交際をする岡野からの愛情が全て自分に注がれていると愚直に信じてそして裏切られ、
赤木に「欲しいものは私を裏切らないもの」という揺るがない決意の目を向け仕事に誇りを持ち、
小野寺の裏切りと心ない言葉に対して刃物を持って立ち向かい、
一度は島津と愛を誓うものの「私のことは忘れて」と過去の罪を全うした代償に掴みかけた幸福を失い、
自身の人生を狂わせた龍を愛し出所を待ち続けるも「二度と近づくな」との言葉を残し立ち去られます。
いかがでしょう?
「あんなに全力で愚かで惨めな、自分が傷つかない計算もしないで生きられるわけがないじゃないか!」
という台詞に私は共感を感じざるを得ません。
私だったらこうなる前に逃げ出しているに違いないです。
-----
ここでまた主観ですが、私からすると松子の人生を大きく変えたのは岡野であり、大げさに言えば岡野に対し憎しみすら感じました。
龍によって先生という職を奪われるも、少なくともその後の八女川との生活は幸せだった気がします。
確かに八女川との交際中に家族のつながりを失い、風俗嬢という仕事に手を出します。
しかしながら前者は松子の意思であり八女川は強制していません。
後者は赤木によって不採用となり、更には素人を売りにする店には行くなとの助言も受けます。
八女川の自殺後、岡野は善人を装い自身の浅はかな承認欲求を満たすために松子を弄び、侮辱し、裏切り、その罪を愛ではなく金で償おうとしました。
ここで松子は夢を無くし、自身の愛情に対する裏切りという絶望に直面します。
それから松子は「私を裏切らないもの」をお金と認識し、赤木ではなく小野寺を選び罪を犯します。
島津についてはタイミングというか運命というかもうどうしようもない気がします。(笑)
いっちばん幸せそうなキラキラした松子なんですよね。
笑顔が素敵で一番好きなシーンです(笑)
龍はあまりにまっすぐな愛情が怖くなって逃げ出しますが、龍が起こした罪の数々を思えば「なんでここにいるんだよ」という感情は当然といえば当然でしょうか。。
そもそもここまででいくつもの絶望を感じてきた松子が龍にすがるのも無理はなく、そうさせてしまった元凶は岡野ではないのかと感じるのです。
-----
頭の中で上記のような整理を行い、腹に落ちた瞬間に強い吐き気を覚えました。
「あんなに全力で愚かで惨めな、自分が傷つかない計算もしないで生きられるわけがないじゃないか!」
そうです。
私が共感したこの台詞は、最も憎んだ岡野から発せられた言葉だったのでした。
損得勘定で生きた結果、誰にも愛されなかった人間。
自己犠牲の結果、愛と引き換えに人知れず命を落としていった人間。
この作品が伝えたかったことはいったいなんなのでしょうか?
-----
全体を俯瞰で捉えると、松子は実際に何度か幸せを掴みかけたものの、逃しています。
それは赤木の片想いや、島津との別れ、龍との決別がわかりやすいでしょうか。
それに共通して言えることは「すれ違い」なのではないかと感じます。
たぶんどの人物ともハッピーエンドになれるポイントがあったように思えるのですが、どれもお互いの本心を理解できていなかったり秘密を共有できていなかった気がします。
完全に結果論でなおかつかなり強引ですが、そこさえなんとかなっていればもうちょっと前向きな人生になっていたのかなぁなんて思うのです。
当たり前ですが観る方によって持つ感想は様々であり正解はありません。
だからこそ色んな方に感想を伺ってお互いの本心に触れられるいい機会を与えてもらった気がします。
松子は誰に嫌われたのか?
それも含めて握手会で桜井玲香さんに聞いてみようかなと思います。
嫌われ松子の一生 赤い熱情篇 -前半-
はじめまして。
ごく一般のサラリーマンです。
今回が初めての投稿となるのですが、
僕が桜井玲香さんのファンとなった
大きなきっかけの1つであります、
「嫌われ松子の一生」という作品の
感想を綴りたいと思います。
--作品について--
この作品は桜井玲香さんの舞台と
映画版を鑑賞しました。
主人公の松子は思いやり溢れる
無垢な人柄であり、その無垢さ故に
しばし相手を怒らせたり、恋慕に
盲目になり、裏切りに心を傷める、
そんな女性だと感じました。
物語の結末はあまりに切なく、
この物語の教訓が何なのかは、
実はまだ整理ができていません。
しかしなぜでしょう、タイトルとは
裏腹に松子という1人の人物を心から
嫌いにはなれないんです。
果たして彼女は何から嫌われていた
のでしょうか?
自分なりに納得する答えが見つかる
まで、何度も楽しめる作品です。
--桜井玲香さんについて--
私が桜井玲香さんを応援する大きな
きっかけとなったのは、この作品の
舞台版でした。
たまたま誘われた神宮のライブに
会社のPCをカバンに入れて参加し、
土砂降りで壊しかけました。
そのライブで目を奪われたのが、
桜井玲香さんでした。
後日この舞台の存在を知り、
慌ててチケットを調達したことは
今でも鮮明に覚えています。
ステージでは笑顔弾けさせながら
キレのあるダンスと、高音の透き通る
歌声で僕の目と耳を奪った彼女は、
舞台で僕の心までをも魅力しました。
そんなキラキラした彼女が舞台で見せた
また違った表情に息を飲みました。
それでは舞台
「嫌われ松子の一生 ~赤い熱情篇~」
についての考察を次回の投稿にて
述べさせて頂きたいと思います。