母から娘に伝えたいこと

離れて暮らす娘に、普段言わないこと書いてます。読むかなぁ・・・

成功体験の”成功”って何か・・・が問題 (これからの子育てに願うこと)

娘が1歳位の時のビデオに前転を練習しているものがあった。
パジャマ姿で本人が自発的にやっているのだ。
何に対してもやる気満々で出来るはずという根拠のない自信を持っている。
しかしながら何度やってもうまくいかない。
後頭部をつけないので足が上がらない。
無理矢理片足を上げるので斜めに倒れるという始末。
何度も同じことを繰り返しこう着状態になっているのを見て、娘には成功体験が必要だと思った。
手伝ってやればその感覚を身に着けて出来る様になるかもと思い、またもやチャレンジをして今まさに床に頭をつけお尻を高く持ち上げているそのお尻をポンと真っ直ぐ押してやった。

大成功、綺麗な前転の出来上がり。
そして私は大袈裟に”わー出来たねー”、と拍手喝さい。
娘は怪訝な顔をしてもう一度チャレンジ。一人ではお尻がポンと前に進まない。
見かねてまた手を貸して回らせたら半泣きで怒り出した。
自分一人でやらないと納得出来ないらしい。
なるほど。
そしてその後数回チャレンジするも相変わらずで止めてしまった。


今の私ならどう対処する?
成功体験が必要だと思うか否か?・・・思わない。
ほっときましょ。

もし私が何かしてやるとしたら、良いお手本を示せる子を見せる・・・かな。
長男長女より下の子の方が凄い選手になったりするのは、幼い時から身近に良いお手本(良きライバル)があったお陰は大きいと思う。


自分が思い描いているものが出来ないならば、工夫し、粘り強く練習しなければならない。
その好奇心、精神と肉体のコントロールこそが幼児の間に身に着けるべき大切なことであり、成功云々ではないと思う。

それは”遊び”の中で培われる、と思っている。
(この際の”遊び”とは、遊び方の決まった道具を与えられ、その決まり通りにすることではなく、自分の発想次第で楽しくなっちゃう行動のこと。)

ひょっとして、もっと根本的なことを言えば、大人が”成功”と考えるものが果たして普遍的なものなのか???
本当に人として皆が目指すべきものなのか???

私が”成功”と考えた前転と娘がやろうとしていたこととは違っていたかもしれない。


こうするのが成功・・・って大人の思い込みには根拠が無いことも多い。
今の大人がそれを刷り込まれた時代にはそのことは成功(正解)だったのかもしれない、がしかし、時代が変わり、新しく色んなものが解明されたり、経済の変化により価値観が変わったり、人の身体自体が変化する中においては幼児や子供の発想の方が案外正解なのかもしれない。


大人が長年培って身に着けたものを大胆に変えることは不可能に近い。
しかしこの人間社会に生まれ出て間がない者ほど自由な発想が出来る。
これから子育てをする人達には、新しい価値観を身に着けてゆく未来人に対して、彼らが自由な発想が出来る様、自分達が正解、成功だと思うことを極力教えないで欲しい。
幅広く、正しい知識や情報を生活の中に取り入れてやれば、彼らは自分達で自らが生き抜く”正解”を導き出せることを信じて。