人は変わらない

夫は自分さえよければ良い。
が、それを他人に知られるのが気に入らない。
他人には「俺は嫁に気を使い、稼ぎが少ないのが申し訳なく、支えてくれることに感謝していて、日々精一杯頑張っている」と盛大にアピールする。
各種SNSで声高らかに。
もう誰も相手にしていないのを気づいていない。
優しい誰かが「そんなことないよ、あなたは頑張ってるよ」というのを待っている。そしてそれを誰かが言うと、自分が許された気になって、また私に横柄になる。

誰のおかげで生活できてるんだ、というスタンス。

精一杯の定義を知りたい。

子供が泣いていてもテレビとスマホ最優先。
濡れたバスタオルを洗濯機に運ぶのはイヤ。
嫁がムカつくから子どもにあたる。
おかずにラップかけず放置。
後回しにできる自分の用事が最優先。
飲んで寝落ちしたいから休みの前の日は嫁子供が邪魔。
ゆっくり休みたいから嫁子供が邪魔。

俺は仕事人間でもイクメンでもない!と言ったけど

じゃあ、あんたなに??

あんたの価値ってなに?

意識高い系学生のつもりか。

アホか。
しね

前向きな別居

疲れた。自分さえよければいいを貫く旦那に疲れた。
一緒にいないことを選んだ方がいいんだろうと思いつつある。

その前に、別居だ。

前向きな未来のために、別居。

心配なのは、生後半年の子供が父親を忘れてしまうのではないかということ。

それでもいいか。

旦那といると、私が潰れる。

初めて精神科を受診したのは28歳の春だった

初めて精神科を受診したのは28歳の春だった。

職場の部下の女性がある日を境に、私に対してのみ日常的に不機嫌で、挨拶を返さなくなり、最小限の返事すら聞こえない声で(または無視)、目を見て話すことも当然なくて、私は彼女の隣の席で、彼女の一挙手一同即にびくつき、後ろから足音が聞こえれば冷や汗や動悸が止まらなくなり、最後は耳に残ったその足音で、何も手につかなくなった。

確か、彼女の態度がおかしくなってから3ヶ月くらいは会社に通っていたけれど、眠れない・食べられない・感情のコントロールができない、その他突発性難聴とか異様な寒さとか、今思えばありとあらゆる抑うつ症状が続いていたのにも関わらず、毎日会社に行った。彼女とコミュニケーションを取ろうとした。怒っている理由を直接言われずただ無視されたくはなかったし、できればきちんと話をしたかった。悪いところがあれば謝ることも。それに、そこまで追い詰められる体験は初めてだったし、きっとそのうち彼女が軟化して元の関係に戻れると思っていたから。ふらふらだけどなんとか自分をごまかしながら当たり前に出社し、仕事し、退社して、眠れないまま食べれないまま泣き明かして、また出社した。

彼女が私を嫌いになった原因はわかっていた、けど、それを言わずにただ無視されてキリキリカリカリ不機嫌なのが続くのは不条理だし、その原因だって彼女が自滅したに過ぎないことだった。たとえどんなに気に入らないことがあったとしても他人を数ヶ月にわたって無視して追い詰めていいとは思えない。だけど当時の私は「きっといつかわかってくれる、元は仲がよかったんだから、いい人なんだから」と、自分さえ耐えていればそのうちすっかり元の生活に戻れると信じていた。そのせいで拗らせた。今になってわかることだけど。


上司に少しだけ相談したことがあったけど、「おまえが採用した人間だからしょうがない」と言われた。逃げ道がなかった。

彼女の長い不機嫌で、私はその後十数年を棒に振った。仕事ができなくなったし、一時期は常に死ぬ方法を考えていた。実際に数回はそれを試したりもした。

だけど彼女を責めたって何も生まれない。そもそも彼女の件はただのきっかけでしかなかったから。今彼女を恨んではいない。ある意味私を浄化するのに必要な悪だったとさえ思う。けど、もう一度彼女に会いたいとは思わないし、きっと会ったらいろんなことを思い出して体調を崩すと思う。彼女はきっと空々しく甲高い声で懐かしむだろうけど。

仕事は出来なくなったけど、私は、家族や、友人や、公的援助のおかげでなんとか生き延びた。医者と、薬と、必要なら酒と煙草と、ある時期は自傷行為と、それからいつでも死ねるという自由な気持ちで、生き延びた。いつでも死ねる自由は私にとっては大きかった。死ぬことは、誰かに対する報復だったのかもしれないし、最終的な自己実現だったのかもしれない。とにかく「いつでも死ねる」と思ったら楽になった。

30代を丸々使って、私は浮上しつつある。治ったとは思わないけど。

あんなに長く、いつでも死んでやると思ってたはずなのに、今は絶対に死ねない、死んでたまるかと強く思う。理由はひとつ、娘を守りたいから。娘を守るためには私が健やかで、よく食べ、よく眠り、よく笑っているのが一番なんだと、医者も薬もなく、娘が笑うだけで他に何もいらないと、自分を浄化し、保とうとしている。



ところで、夫が調子を崩すと、私もなし崩し的に悪くなる。だけど、育児は体力勝負で休む暇も考える暇もない。目の前の命を守るのは体力を維持する精神力が物を言う。5分と放っておけない娘を守るためには、私が弱ったり、笑えなかったりではダメで、必然的に、無理やりにでも自分を立ち上がらせる必要がある。

今のところ、娘の笑顔や成長で救われてることがほとんどだけど、たまにどうしようもなくなってしまう。

何度も何度も何度も、娘を抱いて、一緒にわんわん泣きながら、大丈夫、まだ頑張れるよ、お母さんは大丈夫大丈夫、と自分を立ち上がらせた。

もし自浄では追いつかなければ医者や薬の力を借りようとは思っているけれど、つらくなるたびに、こんなことでどうするんだ、まだ7ヶ月しか経ってないじゃないか、いまからもっとつらい事苦しいことがあるのに、頑張れ頑張れ、大丈夫大丈夫、娘のためならなんでもできる、私が選んだ夫だから大丈夫と、何度も、自分がしっかりしなくてはと踏ん張ってきた。私はこの子の母親だから。私は強い。私は大丈夫。

だけど、昨日気がついたのだけど、夫と私の体調がリンクしているのは、バイオリズムの一致とか、感じるものが同じとか、そういう美しいものではなくて、ただ夫の不機嫌にあてられているからなんだって。

12年前に私をつぶした彼女がしていたあれを受けているから、体調が崩れるのだと。

返事がない。目を見てくれない。何か怒っている。たとえ私が悪かったとしても、自分を責めたって彼は軟化しない。体調が崩れてくる。眠れない。食べられない。母乳はすぐ止まる。何度これをくりかえしたか。

私は、娘を守らなくてはならない。

夫の行為によって、それが阻害されているとしたら。

夫にはそのつもりはないし、きっと彼は余裕がない・精一杯がんばっている。嫁は無条件に夫を支えるべきだから耐えろ、そう思っているのかもしれない。もちろん、夫を支えることは娘を守ることでもある。だけど、その夫が私の健康を損なう原因なのであれば、私は自分で自分の身を守るしかない。それは夫と距離を置くことだ、と思い至った。

結婚してから3年ちょっとの間、何度も何度も調子を崩し、良くも悪くもお互いに作用しあったけれど、娘が生まれるまでは、たとえ共倒れしたとしても彼と一緒にいても良かった。それは恩も情も歴史も愛情もあったから。だけど、今は違う。私は倒れるわけにはいかない。恩も情も歴史も愛情もあったとしても、一緒にいてはダメなこともあるのだと。

娘が生まれたとき、この子のためならなんでもしよう、もし彼女のために必要なら人殺しだってしようと決めた。決めたというか、そうするだろうなと。

だから、私は娘のためだと思えばたいていのことはする。性格上、黙って飲み込んで消化できるわけではないから、夫とはたやすく喧嘩になってしまう。8月・9月・10月・11月・そして今回も、大喧嘩しても、娘のためだと頭を冷やして、自分の悪いところを自覚して、率先して謝った。夫と仲良く夫婦がしたかった。そうすれば、夫も娘を愛してくれるし、ゆっくりだとしても父親になってくれるだろうと思っていたから。


金銭的な辛さは正直言ってさほど辛くない。育児の辛さは体力的にはギリギリだけど、精神的にはゼロに等しい。仕事もゆっくりで、家事がきついわけでもなく、じゃあ今なぜ抑うつ症状に襲われているのか。


しかし、昨日になって気がついた、私の眠れない・食べられない・動悸・その他の精神的不調からくる体調不良は、夫とのいさかいで起こっていることではなく、その前後の夫の不機嫌、主に「無視」という行為によって起こっているんだということ、だとしたら、夫の性格が変わらないのなら、このまま夫婦を続けていては娘を守ることができなくなってしまう、こんなにたびたび(ほぼ1ヶ月おき)にこんなことが続けば、私はまた廃人になってしまう。

仕事ができなくてもなんとかなった。でも、育児ができなくなったら、娘はどうなる。

夫は大事な人だ。それは間違いない。だけど、私の健康を損なう人なら、一緒にはいられない。それはきっと、お互い様なのだと思う。

私も似たようなことを彼にしていると思う。それを深く反省している。感情的になることも、理詰めでねじ伏せることも、彼の健康を損なっているのかもしれない。それが娘のために仕事にいけなくなるほどの体調不良の原因になっているのだとしたら、彼も私から離れたほうがいい。

お互い様。だから、お互いを思うのであれば、何をすればいいのか、何をしてはいけないのか、ちゃんと考える必要があるんじゃないか。

私は、娘を守る。それは絶対。必要なら人殺しもする覚悟で。

そのために、私は私自身の健康と、夫の健康を大事にしなきゃならない。夫婦だから一緒にいなくちゃならないわけではない。一緒にいないことが娘のためになるなら、それも選択肢のひとつだ、そう思う。一緒にいないのが短期的なのか長期的なのかはそのときによって違うだろうけど。今は少なくともそう思う。

どんなことが精神的ストレスになるのかは個人差があって、環境があって、条件があって、一概にいえないけど、私にとっては、近い人からの無視と不機嫌、これが一番きつい。それが今回わかった。

悪いと思ったら謝る。適当に謝ればいいとは思ってない。きちんと考えて、謝るべき点がひとつでもあれば、先に謝る。どんなに頭にきても冷静に考える。娘のために。

娘のためならなんだってする。だけどきついこと苦しいことを望んでるわけじゃない。健やかに、楽しく、明るく過ごすことが一番で、そのためには考えを改めなきゃいけないことはたくさんある。ただでさえ他の人にはある何かが欠損してる自覚があるんだから。

棒に振った10数年を生かすのは今だ。

あの時みたいに、つぶれるわけにはいかないし、きっとつぶれない。そういう相手と夫婦になって、娘が生まれた、はず。