共存
わたしはいま「諦め期」にいる
ブログを読んでくれる人ならわかるかもしれないけど、少し前から自分のことを知るために自分のことだけを考えて文字にするということを続けているけど、かなり時期によってコロコロと思想が変わっている
最初は自分の生きづらさに名前があることを知りそれをまとめる「追及期」があり、人生に正解なんてないことはわかっているけど、それでも自分と深く向き合って名前をつけていった訳だけど、結局新しい人と出会うときに「わたしはアロマンティック(デミロマンティック)でHSS型HSPでマルチポテンシャライトです!!」なんて自己紹介が使えたことはないし、ただ痛いだけというか、救いようのないというか、そんな感じになった
たまにわたしのブログを読んで自分もそうかもと思って調べてみて知ることができたと言ってくれる人がいるから、書いてよかったと思うし嬉しい
その後「悟り期」が来た
みんな違ってみんないいよね、認められようなんて思わないよ、でもわたしはあなたを認めるよ、といった気分
こんなに自分のことを考え詰めて抱きしめてあげれるような人他にいないだろ、、という自己愛と、それをみんなもすればいいのに、それだけが解決法だ、という考えの放棄
人と喋っていてもそんな無責任な余裕とか自信のようなものが溢れていた気がする
人からの悩み相談もよく受けてたし、いい言葉を返せてたかもしれないけど、なんかちょっと上から目線で話してしまっていたかもしれない
いま感じるのは「諦め」
あなたがわたしをわからないように、わたしもあなたをわかりようがない
寄り添うことさえも、無駄なのでは
わからないことを放棄せず向き合いたい気持ちは相手も同じくもっていないと機能しない
性格の欠如は理解し合えたとして、当たり前だとされている感情面においてはきっと一生わからない
とくに、恋愛感情のないわたしに恋愛体質の友達が多いのはどういう仕組みなんだろう、当たり障りがないから?
こういう文章を書くとき必ず「あなた」という存在を出してしまうけど、それは誰なんだろう、仮想敵であり自分であるんだろうけど、会ってしまったら全てが終わる気がする
これからもどうか都合のいい場所にいてほしい、いつでも撫でれていつでも殴れる場所に
星に願いを
毎日が楽しくてまぶしい
最近ずっと思っている
周りを囲んでくれる人たちが優しくて、なにも返すことが出来ず、虚しい気持ちになっている
例えば選択肢がたくさんあって、その中でも自分を選んでくれたとき、うれしくてたまらないけどそのあとちょっとどうしようかとしゃがみこんでしまう
人に言っても相手の時間を奪ってしまうだけのようなささやかな悩みしかないからずっと笑って逃げてしまうけど、そいつにどうしても心のキャパを持ってかれてしまう
これから出会う人へ、わたしは褒められて伸びるタイプだから少しの間だけ特別優しくしてください
七夕だからと何をすることもないけど、誰かに祈りを届けていい日にはおこがましくも目をつぶって世界に便乗する
好きな人たち誰ひとり悲しい気持ちになりませんように
自分の持つべき幸せぜんぶ他の人にあげれますように
選択の自由をすべての人に
大阪地裁が今日、法律上の性別が同じふたりの結婚が認められないことを「合憲」と判断したらしいです
むずかしい言葉が多くてピンときませんが、同性同士の結婚が認められないことについて憲法違反ではないかと訴えたことについて、国が、いや別に憲法違反じゃないです、と結論を出したみたいで、さらには、「結婚は男女が子を産み育てる関係を社会が保護する目的で定着」「男女が共同で生活を営み、自然生殖で子が生まれることにより子孫を残し、次世代に承継してきた実態が歴史的・伝統的に存在しており、婚姻制度はこのような関係に対し(中略)法的保護を与えるもの」「結婚とは、一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」
とまで言ったそうです
なんだかほんとうに悲しくなってしまって、ニュースで取り上げられるたびに心がぎゅっと痛むので、とても当たり前で正直な自分の気持ちを書こうと思いました
詳細のわかりやすい記事を少し貼っておきます
https://www.asahi.com/articles/ASQ6N4VT8Q6LPTIL006.html
https://www.huffingtonpost.jp/entry/marriage-equality-osaka-ruling_jp_62aadeb8e4b0cdccbe596640
「選択肢がある・ない」ということと「選択をする・しない」の違いって、かなり大きいと思ってて
わたしはおそらく異性愛者だけど、結婚をすることはきっとないと思っています
まだ若いから、とか、時期じゃないから、とかではなく、きっとこれから先も結婚という選択をすることはないだろうなと思っています(理由になってないな)(理由なんてなくていいです)
そして子どもを産むこともきっとありません、産みたくないからです、自分の子を育てたいと思わないからです
そうやって将来のことを考えられるのも、選択肢があるから、だと思う
結婚をするかしないか、子どもを産むか産まないか
当たり前でしょって思うかもしれないけど、わたしも思ってたけど、そんな選択肢でさえ当たり前じゃない人たちがこの世にはたくさんいるわけで、
わたしは別に自分がアライ(LGBTQ +当事者たちに共感し、寄り添いたいと考え、支援する人のこと)として活動していきたいとかたいそうなこと考えてるわけでは全くなくて、同じ生きている人間なのに格差があることが根本から理解できないだけです
わたしはアロマンティックとして恋愛を必要としていないからこそ、人と人が愛で結ばれ、一緒に幸せになりたいと願う感情の尊さを知っている、ほんとうにかけがえのないことだと思う、少し嫉妬してしまうほどです
そんな素晴らしいものを、同性だからダメとかいう理由で邪魔されたくないし、迫害されては絶対にいけない
てかまず性別を2種類だけに分けていることも気持ち悪いと思っているし、繁殖のために結婚という制度があると認めてる国も気持ち悪くて仕方がない
パートナーシップ制度ができたことは確実に進歩ではあるのかもしれないけど、結婚に比べて出来ることなんてまだまだ少なくて、だからそれで満足したり「認めてあげました」みたいな風潮は即座に消えてほしいと思う
きっとこれから同性同士の結婚が法的に認められて(認めるという言い方も嫌いだけど仕方なく使います)、誰もが誰とでも結婚という選択ができるようになっても、きっとしない人はしないと思う、でも"したい人ができるようになる"という事実はかなりデカい、それが選択肢が増えるということだと思う
好きな人との子どもが欲しい!と思う感情が、異性愛か同性愛かというだけで待遇に差があってはならない、そこになんの違いも他人が入りこむ隙もない
差別や偏見をゼロにすることはきっと無理だと思ってる、人が思うことや気持ちはすぐには変えられないし、意地になる必要もない、でもじゃあその分法律や憲法やその他わたしたちを守るためにあるものなら、せめて誰にだって平等であるべきだと心から思う
同性婚を認めないと言って、誰からなにを守ってるのか、説明してみせてほしい
そんなにわがままかしら、そんなに難しいことかしら
"該当しない人"がたった1人でもいなくなるまで選択肢が増え続ければいいなと思います
#結婚の自由をすべての人に
■
前まで自分の全部受け入れられてたのに、誰かのために生きてみるという経験をした事がないの、すごく欠陥に思えてきてしまってる
美しい世界に辿り着きたい
人との関係性にはだいたい名前がついていて、それが理解できない割には「一般的にはこうだ」「普通はこうだ」っていうのに無意識に縛られててなかなか動けず、人の言葉に便乗してわかった気でいる
人からどう思われてるかばっか気にした挙句ダメになってしまうから生きてる間ずっと自分だけの世界に閉じこもっているけど解決法もわからない
"自由"と"自分勝手"の境目を曖昧にしたくない
可能性の話ばかりしていてもしょうがないでしょう?
心乱される状況から逃げてたからいざ直面したとき思ってもない行動をとったりらしくない気持ちになったり、そんな自分が受け入れられないし気持ち悪くて仕方ない
秘密を保持したい、全部人に話したいが同居しているとかなりつらいね
自分以外どうでもいい、全員幸せになってくれの同居には慣れたし人生ずっとそうだけど
もういいや、誰にも期待せず、自分への期待は過度に受け取って背負い込んで頭抱えながら生きてこ、自分が苦しいだけなら大丈夫、人を苦しめないことだけ一生懸命頑張る
は〜〜〜〜お酒飲もうね〜〜〜〜
住所不定無職
4月から上京した友達に着いてきて、友達の家に居候をしています
東京は中学の頃から毎月、たまに毎週のように来ていて、大好きな場所だし、自分に合っているなと思ってました
友達も地元より多いくらいで、みんなたくさん遊んでくれて、東京で暮らす夢が叶った〜!と幸せです
ただ、やるべきこともなく、やれることもなく、やる必要もなく、働かず
毎朝はやくから仕事に向かう友達を送り出して、ふらふらとしています
居候という謎の人にずっと憧れてた、何者でもなくなぜかそこにいる、ドラマとかでもそういう存在の人がなんか好きで
生きているのが楽そうだななんて見てる間は思ってなくて、でも実際自分がそれになると、楽して生きていけることにずっと甘えてるんだなと思いました
わたしの頑張りたくなさは才能だと思う、これは肯定的に言ってるんじゃなく、まじでどうしようもないなと思ってます
学生の頃から、通学の自転車も、テストも宿題も、なにも頑張ってこなかった
確かに部活はすげ〜必死にやったし、今だに結果として残ったものは少しだけあるけど、当時は必死にやっていたつもりでも今思うと必要最低限のことがただ"できた"というだけなのに気づいた
たくさんの人に、わたしはいつか大きなことをやり遂げるだとか、有名人になりそうだとか言われてきて、自分もそうだと思ってたし、目立つつもりもないのに目立ったり普通に生きているだけでやっぱ変だな〜と言われそれが嬉しかった
いまここにきて、できていたはずの必要最低限ですらできなくなっている、それに何よりやばいのは、それを変えようとしなくても、必死にならなくても生きていられている現状に気づいて、じゃあ別になにもしなくていいや、という結果に落ち着いてしまっていること
さっき東京を歩いていて、ふと、目標とか夢とか約束とか、才能とかがある人しか生きてる意味がないのかなとか思った、ただただ生きてたらだめなのかな
ずっと人に甘えて生きていて、それすら肯定してしまう自分、これを続けていたいと思ってしまう自分に絶望する
具体的にどう甘えているのか、たぶん、わたしは自分の人生だけで、自分のことだけを考えるのに精一杯で、みんなもそうなはずなのに、わたしのことを思って言葉をくれたり優しく接してくれる人がいることの凄さに甘えてるんだと思う
環境が変わることにわくわくせず、全部を恐怖に思えてしまうようになったのはいつからだろう
ずっと私は誰かに必要とされたいという気持ちが根底にある、恋人とかそこらへんの、人という字は支え合ってできている的な人ができたことないからかもしれない、甘える対象は親だけだったし、そりゃ親は存分に甘やかしてくれるし
実家じゃない場所での暮らしで、ほんとうにありがたさを噛み締めている、あの空間から早く出たいと思っていたのは愚かだ
でも、戻りたいとは思わない
やっぱりわたしは東京が大好きでここにいるべきだと思ってしまう、これから、どうしようか
一生懸命働いている友達に、自分のことを「応援屋さん」とかよく言ってる、こんなんでも生きているからあなたはもっと偉いよという身近に気軽に見下せる人として存在していたいと思ってる
結局自分が大好きなので、明日何してるかもわからない自分を信じていたいし、見守っていたい
こういう思いを続けていたい
ここまで頑張れないのは、やっぱり才能だろうか
頑張らなかったツケはいつ自分に返ってくるんだろう
将来のことを全く考えていない人ばっかりだと思ってたら実はそうでもないらしい、夢ほどではないけど、みんな未来の自分を想像してるらしい
何歳で結婚するとか、それまでにこうするとか、大人になるにはまずそれを想像しなきゃダメらしい
黙ってても年取るんだし、今日のことだけ考えていたいな
誰か一発殴ってほしい、その後にまた甘やかしてほしい
嗚呼、素晴らしきこの世界
2021年8月26日
私は京都のバンド「The Slumbers」(以下 スランバーズ)のライブを見に、京都のライブハウス磔磔に来ていた
京都でバンドをやっていたり、音楽を愛している人なら誰もが"憧れ"のライブハウスであろうこの場所でのスランバーズ初ライブを、見ない選択肢などなかった
磔磔には何度も来ているはずなのに、いつものライブハウス、という感じが全くせず毎回緊張してしまうのだが、照明が暗くなり、客席の後ろにある古びた階段から降りてくる彼らを目撃し、緊張と、これから起こる事へのわくわくが頂点へ達した
彼らはステージ上からゆっくりと客席を見渡し、はじまりの曲を奏でた
ボーカルの智則さんはMCと共に少し泣いていたと思う
ひとつの夢が叶う瞬間を見て、わたしも泣いてしまった
最近は人から夢のお裾分けをもらうことが多くて、その場にいれることが幸せだったりするのだけど、まさにそうだった
鳴るべくして鳴る音を、その場にいるべき人が鳴らしていて、スランバーズに未来を見せてもらった
唯一の心残りといえばせっかくの磔磔のステージが涙でにじんであまり見れなかったことかな
あこがれのあの場所で聞いた「さらば、憧れ」を忘れる日は来ないだろう
という記事を書くためのメモを残し、この日から約半年以上の月日が経ってしまった
今日は4月1日、たくさんの別れや出会い、不安と期待が入り混じるなんともいえない時期である
なぜあの日から半年以上、スランバーズについてのブログが書けなかったのか、自分でもよくわからなかった
自分の書く文章に大きな影響力や何かを左右させる力があるとは思わないが、書いてしまうと、あの日が終わってしまうと思ったんだと思う、わたしはあの日の感動を終わらせたくなかった、完結させて過去のものにしてしまいたくなかったのだ
ただ、やはり書かねば、と思わせてくれたのもまたスランバーズがきっかけである
3月23日、半年ぶりに彼らのライブへと足を運んだ
そこは"いつもの"ライブハウス、京都グローリー
ここでの思い出のほとんどはスランバーズと共にあると思う
わたしは久々に彼らに会える緊張もあったが、なんだか勝手に気まずさを抱えていた
なぜならあの日、磔磔でのライブを見た直後、わたしはボーカルの智則さんに直接「今日のこと、文章に書いて残してもいいですか?」と聞いておいて
後日、ぜひ書いてほしい、わたしの文章が読みたいとわざわざ連絡をくれたのにも関わらずわたしは書けなかったから
このことについていつ謝ろうかと考えながらも、スランバーズのライブは始まった
ライブハウスの空気が変わり、鳴らす音楽でその場を支配していく、圧巻だった
あの日よりも、確実にパワーアップしていた
その瞬間わたしはなんだか不安に思っていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきて、彼らの作る空間に身を委ねていた
なぜあの日、磔磔でのライブの日の感想が文字に起こせなかったのか、このライブがゴールだろうとどこかで思ってしまっていたからかもしれない
でも全くそんなことはなかった、彼らはライブを重ねるごとにベストを更新し続けている
この日は自前の機材を最大限に揃え、音がかなり良かったらしいが、もちろんわたしは機材のことなんて全くもってわからないので、この感動はそういうことではない
明らかにレベルが違うということが素人でもわかってしまったのが一番の証拠なんじゃないかと思う
「嗚呼、素晴らしきこの世界」という曲を聞いた時、初めての感情を抱いた、あの日からでもやはり世界は変わっている
反戦ソングは、その"戦"が身近にないと意味に気づかないのかと悲しいことを考えたりした、この曲が存在する意味はなんなんだろう、彼らはどんな気持ちで演奏しているんだろう、わたしはこの気持ちを誰に届ければいいんだろう
同世代にスランバーズというバンドがいて良かったと心から思った、この出会いは明らかに財産だ
彼らの目に映っているのは、わたしたち1人ひとりの心だと思う、平等に届くべき人の元に届く
ライブ後、彼らとひさびさにお話ができて、ほんとうに楽しかった、決して馴れ馴れしいわけではなく、仲間として迎え入れてもらえている気がして心地がいい
そういえば、とあの日わたしが書けなかったことについて話が始まった、忘れてるわけでも書きたくない訳でもないけど、なんでだろう、あまりにいい日だったから終わらせたくなくて、わたしの文章なんかで締めくくるのにはあまりにももったいないと思った、想いが強すぎると動けなくなってしまうという旨を伝えた
それでも「読みたい」と言ってくれた
わたしはもうその時、スランバーズに終わりも限界もないことに改めて気付かされてしまっていたから絶対に書かないとと決心していた
お待たせしてほんとうにごめんなさい、そして待っていてくれてほんとうにありがとう
結局誰に向ける文章でもなく、自分のためだけのものになってしまったけど、スランバーズの凄さを再確認させられました
あの日、MCで話していたこと、わたしはわたしで生きていてあなたはあなたで生きていること、もらった夢のお裾分けは大切に心にしまっておきます
春、わたしもほんの少しだけ環境が変わりそわそわしているような毎日、スランバーズに会いに京都へ行きたいなと思う
これは、愛を知らないわたしからの、最大級のラブレターだ
Twitter: @The_Slumbers
Instagram: the_slumbers_official
https://linkco.re/9NtVB9eq?lang=ja
■
\じゃじゃ〜ん/
まずはこちらをご覧ください
これはわたしがとあるサイトで受けてみた診断サイトの結果です
こういう系の話ね、あーね、と思った人はすぐに閉じてね、自衛は大事
かなり前から自分の正体のことをずっと考えていて、最近やっと近いものを見つけ、自分なりに調べたり理解したりしたので一旦今の時点での記録を残しておこうかなと思って書きます
正解ではないし、どこまでいっても私はわたしなので、書いたところで何かが変わるわけではないんですが
ここまで読んでも興味あるよ!という素敵な人たちはぜひ最後までお付き合いください!
アロマンティックという言葉を最初に知ったのはもう結構前で、でもそのときは「へ〜そんな人もいるのか、てかそんなことに名前がついてて自認している人も世の中にはいるのか、どちらかといえばこれに自分は近いかもな」くらいにしか思ってなくて
ある日、たぶんとある恋愛映画を見た帰りかな、いつも感想を軽く書いてメモしてるんだけど、なんか全然言葉が出てこなくて、内容がわかんなくて、何回思い返しても「???」ってなって、人の感想を読んでもなにもわからなかった
その映画自体は雰囲気が良くて好きだったからなんか悔しくて、その夜くらいに
「恋愛とは」「恋愛 わからない」「恋愛 意味」みたいなことを検索した、思春期の中学生か?
出てきたのは色々な恋愛の相談や、好きな人ができましたどうしましょう、みたいな記事が多くて、そうじゃないんだよな〜みたいなときに
「恋愛感情を持たない アロマンティック」
という記事を見つけた
おぉぉ?だいぶ当たってない?って感じ、若干まだ戸惑ってる、文字だけじゃ実感は湧かなかった
大豆田とわ子と3人の元夫 というドラマがあった
めっちゃ面白くて好きで見てたんだけど、特に惹かれたのはかごめちゃんというキャラクターで
彼女は主人公の親友なんだけどだいたい主人公の家に居て、一緒に料理したりくだらんこと喋ったり、それ以外は1人でいて恋人もおらず、その佇まいがとにかく好きだった、とある回でかごめちゃんにいい感じの男性が現れてデートの約束をするんだけど、それをかごめちゃんはドタキャンした
なんで待ち合わせに行かなかったの?と聞くと「ん〜、いい人なんだよ、話も趣味も合うし、いい人なんだけどね」って答えてた
なんか泣きそうになった、わかる、めっちゃわかる、そういうの
あとでツイッターでかごめちゃんと検索すると、彼女はかなりアロマンティック的な行動で〜みたいなのを見つけて、これか!こういうことか!と結構色々納得がいって
それから必死に色んな記事を読んだり当事者のブログを読んだりする日々が続いた
アロマンティックがなんなのか簡単にいうと、恋愛感情を持たない人のこと
ア が英語のAで 無い という意味
ロマンティックは恋愛指向のこと
ちなみにこの後出てくるセクシャルは性的指向のこと
アロマンティックは恋愛というもの"自体"が感情的に理解できない
今思いついたたとえで言うと、「日本語で難しいクイズを出されて答えがわからない」というより「もはやアラビア語でクイズを出されてる」に近い
わかります...?この例え、よくないかな
高校の頃あたりから恋愛の話になると急についていけなくなることが増えて、でもそれは自分に経験がないだけだと思ってたし別に焦りもなかった
みんなも「いつかいい人が現れるよ〜〜ヘラヘラ〜」くらいな感じだったし
周りの友達にどんどん恋人ができてきて、焦った、自分にはあまりにも恋愛をする機会がなさすぎて、実は女性が好きなんじゃないかしらとかも考えた時期、でもどうやらそうではないな、という結論に至って終わった
高校卒業してすぐの頃、男の友達に家においでって言われて、あいよ、って感じで行ったんだけど、なんかお酒が置いてあって、なんか急に体持ち上げられてベッドに投げられて、理解が追いつかないうちに勝手にキスをされて、かなり拒んだのでセックスはしなかったけど
怒りとかじゃなくて、なんで家に呼ばれて行っただけでこうなるんだ.......?ってずっと考えていて
今それを人に話すと、家に行く時点でOKサインだとか合意になるのは仕方ない、そういうもんだと言われてやっと気づいた、逆に下心なしでいれる方がすごいよって感じだった、そういうもんらしい、1ミリもそんなことは考えてなかったし、かなりショックだった
みたいな経験があります実はね
この流れで性的指向の話もするけど、アロマンティックという言葉にだいたいセットになってるのが「アセクシャル」で
最初これを性欲がない人のことだと認識していて、わたしめっちゃ性欲あるしAVめっちゃ見るしそれは無いわ、と思ってたんだけど、調べるにつれて「性欲を他者に抱かない」みたいな説明があって
他者に、と言われるとそうかもしれないと思い始めた
自分はかなりの面食い、ただしストライクゾーンは異常に広い、で見た目にまずこだわるんだけど、アロマンティックという言葉をまだ知らず自分を通常だと思い込んでいた頃に"この人、いいな"と思えた男性は、決まってわたし以上にたくさんの知識を持っていて受け答えが完璧で頭の良い方で、これは診断結果の中にあったサピオロマンティック(サピオセクシャル)に繋がってくるのだが、そういう人に対して性的欲求を抱いたことがあるかというと、びっくりするほど、無い
キスしたい、触れたい、その他諸々、目の前にいる人に対して俗にいうムラムラするみたいなのは一度もないなということに気付いた
そういえば中学生の頃に読んでたBL漫画も、恋愛シーンどうでもいいてかわかんねーけどどちらかといえば男性器に興味があるから2倍でラッキ〜〜くらいにしか思ってなかった気がする
女が女を好きとか男が男を好きとか、まずその好きがわかんないから性別なんて興味がないし、人を好きになれるだけいいでしょという感じ、昔からゲイバー行ってみたいわ〜とかいう親の発言理解できんかった、ただのバーに変わりないやんと思ってました
自分の性的対象は男性ですが、他人の性別には興味がないです
さっき出たサピオロマンティック・セクシャルは相手の知性に恋愛的・性的に惹かれるというもので、そんなの大体の人がそうだろ!とも思うけど実際何も考えてないかわいいだけの人を好きになれる人もいれば、語彙力の有無をタイプの基準にしてない人だっている、わたしはそれが一切考えられないし、頭の回転の速さや自分にないカリスマ性を持つ人にだけ惹かれる
ここからは簡単めに診断結果に書かれてるものをさらっと紹介していきたい、全て当たっているので
まずデミセクシャル、本当に親しい間柄の人にしか性的な魅力を感じない
これは自分に言い換えると、ワンナイトの関係が考えられない、という感じ、本当にSFの世界にしか思えない
実は高校卒業後にマッチングアプリに登録してみたことがあって、それはとにかく最初いかに趣味(当時はバンド)の好みが合うかどうかで色んな男性とメッセージのやり取りをして、パーソナルなことではなく音楽の話をたくさんしてる時がめっちゃ楽しかった
実際会うことになったのは2人で、どちらもお互い行く予定が被ったライブの終演後に会うことを決めた
どうも〜って目の前にした瞬間、あ、これからわたしはこの人と"恋愛"をしなきゃダメなのか、と思ってしまって、別に写真と顔が違ったとか悪い人だったわけでは2人ともなかったのに、1人とはそのまま一緒に電車に乗って普通に帰り、もう1人はサイゼリアでご飯だけ食べてそそくさと帰ってきた
今思うとよくすんなり帰してくれたな〜と思う、マッチングアプリというものがどういうものか、まったくピンときてなかったし、そういう行為に及ぶかもという可能性すら考えてなかった、話しても信じてもらえないんだけど本当にそう思ってたの......
だからその後すぐマッチングアプリは合わないなと思って消しました
初対面で距離が近くなるとかありえないし、相手には自分の全てを知ってほしいし相手の全てを知りたいタイプなので、わたしはデミセクシャルです
でもここで悲しいお知らせ、リスセクシャル、これは自分が性的な目で見られると「なんで?」ってなって拒否ってしまうやつ
簡単にいうと蛙化現象なんかな〜
でも一般的にはこれ、相手に対して嫌悪感が出たりするんだけど、わたしの場合は理解できない、受け入れられないに近い
自分のことは大大大大大好きだけど、他人から性的対象として見られるような人だとは本気で思っていないので、どれだけ好きと人に言われたとしても一生かけて理解することはできないと思う、だから人と恋愛関係を築けない
と思ったら救いのお知らせ、フィクトセクシャル!実在しないキャラクターに恋をしたり性的感情を抱いたりする!!
あまりにも中二病すぎる、助けてくれ
でもこれはまじで、ガチ恋とかではなく、一部当たっちゃったりしていて
二次元に性欲抱くことは最近全くないけど、映画やドラマのキャラ、俳優、バンドマン、などなど
画面の中の人であれば本気で性欲を抱くことができる、できます
実在しない上に自分と関わる可能性がゼロ、向こうから恋愛関係を求められたりすることも絶対にない、その条件が整うのはフィクションの世界だけだから
相手の脳内、情報、視覚に自分がいる時点で、認識される時点でわたしは受け入れることができないので、今日も画面上の推しをたくさん摂取する、それだけでみんなが思っている以上に幸せになれるしいちばん良い
自分に推しが多いのは、推しという言葉が自分にとって便利すぎるからです、好きというとやっぱ恋愛感情的なものが含まれてるイメージだから、そうじゃないけど死ぬほど好き!ってときに推しって言葉は使い勝手が良すぎる、身近な友達にあなたが好きですというと気まずくなるけど推しですというとニュアンスわかってもらえる気がする
推しが生活を豊かにするのではなく、推しが生活の軸になっています
いまNHKで「恋せぬふたり」というドラマが放送してる、アロマンティックの男女2人が恋愛感情なしの同居生活をするというもの
主人公があまりにも自分と一緒で泣きながら笑ってしまった、恋バナについていけない、家にDVD見にきなよ!と言われて男性の家に行ったら襲われる(本人はポカーンとしている)、恋愛しない人なんてこの世にいないもんね〜と言われて苦笑いする、全部のシーンが自分と重なっていった
中でも引くくらい解像度高かったシーン、友達とルームシェアの準備をしていた主人公がその友達に「元カレとヨリを戻した、だからルームシェアできなくなった」と伝えられて
「おめでとう、でいいんだよね?」と返したとこ
全く同じ言葉を何度も言ったことがある
好きな人がいて、その人と一緒にいれること、それがどれだけ素晴らしいことか、感情的には分からなくても知識としてはわかる、でも元カレとヨリを戻して幸せになるパターン、映画でもドラマでも見たことないな?ってなって迷った挙句出る言葉が「おめでとう、でいいんだよね」
このシーンでこのドラマへの信頼度が上がり毎週楽しんでいる
唯一主人公と自分で違う点は、1人が好きかそうじゃないか、そして家族に理解があるかどうか
主人公は1人が好きなわけじゃないからパートナーがいないと寂しく感じるらしい
わたしは強がりでもなんでもなく1人でいることが好きだし、1人でできることの方が友達と一緒の時よりも多いと感じるから恋人という存在が必要不可欠では全くない(でも寂しい時もそれなりにあるからいつも遊んでくれる友達、ありがとうな)
で、家族、このドラマでは家族からの理解が得られず苦しむ様子がうつってた
うちはというと、わたし実は恋愛感情がない人らしいんだよね、と言った時「へ〜、で?」くらいの感じだった
生まれた時から、本当に一度も「彼氏ができたら」「結婚したら」「孫ができたら」その類の話題を出されたことがないし、わたしがいないところでも親同士で話になったことさえもないらしい
わたしが楽しければ、幸せならそれでじゅうぶん、それ以外どうでもいい、らしい、最高すぎるんだよなウチのペアレンツ、感謝
将来のことを考えると、やっぱ結婚って言葉が世間一般には出てくるらしい
この世に生まれてから一度も結婚したいと思ったことがなく、そこでも周りとのズレを感じたけど、大人は結婚すると便利なことが結構あるっぽい
わたしはいつか犬か猫かマイクロブタが飼いたいから、誰か理解のある人と一緒に住んでお世話がしたいと思ってる、それで思い浮かぶのは女性なんだよな〜男性とは一緒に住むとか絶対できない
誰かパートナーになってくれる人ができたらあらゆる制度を使うと思う
いちばん理想に近いのはそれかな
ありがたいことに友達から恋愛相談をしてもらえることが多くて、結局わたしからしたら性別や立場抜きで人としてどう思うかで答えるので新鮮な答えが聞けるらしい、人との関係性は大事にしたいし、自分の中にもあるから、恋愛がわからないからと放棄したくないし、自分なりにちゃんと考えてるってことだけはわかってほしい
とりあえず診断結果について詳しくは書けたかなと思います
まとめに入るぞ
恋愛を知りません、したことないし、セックスもしたことないので知りません
アロマンティックは「モテないことの言い訳だ」という記事も見つけました、3日くらい寝込んだことあります、いつかいい人が現れるよって色んな人に言われ続けて挙げ句の果てに自力で辿りついた結論が「言い訳」
でもまあ自分は明らかにかわいいし最高の女なので立ち直りましたが
このセクシャリティを持つ人は、あくまで出来ることは「自認」であって、証拠がないのが辛いとこではある、いやかなり辛い
でも佐伯ポインティが「セクシャリティは流動性があるもので性自認も性的指向も変わることがあるしそれが当たり前なんだって」って言ってたから大丈夫です!!!!!
恋愛がわからない、ということがわからない、って人が普通だと思う、全然理解できなくて大丈夫です
ただ、この世の全ての人が恋愛感情を持っていて、ドキドキしたり悩んだりすることが当たり前では実はないってこと、知ってもらえたらすごい嬉しいし、周りにサバサバしてる友達がいたら、別にその子はサバサバしたくてしてるわけじゃないかもって可能性もあるって考えてみてほしいかもです
前に自分は恋愛したことなくて〜って話したら「だいぶサバサバしてるっすね!」と言われて、わたしはこんなにもピュアピュアプリティで超愛が深くて普通の人間だが??と思ったことがあるので......
人が人を好きになること、素晴らしいと思う
この人とずっと一緒にいたいと思えること、尊いことだと思う
わたしはその気持ちに共感することは出来ないけど、共鳴して共有することはできるはず
失恋した子の話を聞いたあと、家に帰って泣いたことがある、今でもはっきりその日のこと覚えてる、理解はできないけどどうか幸せになってほしいと、わたしの分の幸せ全部その子にあげてくれと神様に頼んだことがある、自分以外全員幸せになれと今でもたまに本気で願うときがある
わたしは恋愛ができなくて男女の差がないだけで、人という存在を死ぬほど愛してるので、これからもわたしなりにたくさんの人に好きを伝えていきたいです
「人たらしだよね」と言われたことがあって辛い時期もあったけど、それはみんなを平等に愛せてるということだとも思うから
誰にでも好きと言える特権を持てたので
返さなくていいから受け取ってほしい
あと、アロマンティックという言葉を見つけたからといって、こうであるべきだ!ってがんじがらめになるのは良くないと思ってて、今の世の中便利でこうやって自分の生きづらさに名前がついて、それに安心できることもいっぱいあるけど、だからと言ってずっとそのままでいなきゃいけないわけじゃないと思う、明日には彼氏ができてるかもしれないしまさかの彼女ができてるかもしれない、それも自分だし、アロマンティックだからダメだ.......とかはやめたい、名前で人は分けられるけど、人は1人ずつ全員違うから
カミングアウトすることが正解でもないです
わたしは言ったほうが楽になるなって感じたから書いてみただけで
これからもわたしは恋愛映画をSFとして見て、ラブソングをぼーっと聞いて、恋愛というものに少しの憧れを持ちながら幸せに暮らしてゆきます
ℒℴѵℯ..............
5/29 追記
人との関係に対して思うことはここに書いてあることが全てなんだけど、じゃあ自分自身は?と改めて考え始めた時に、自分が女性だということを"事実として認めている"というだけで、気持ちとしては"どちらにもなりたいし、どちらにもなりたくない"部分が大きいことに気づいた
女性であることを認めたくないというと、じゃあ男性になりたいのか?となるかもしれないけど、その2択しかないのがつまらないという感じ
フリルの付いた服を着るのも、カジュアルなハーフパンツを履くのも、男性・女性どちらかになりたいから選んでるという訳では昔から無かった
その時に着たいものを、性別的価値観で決めていると思われたくないし思いたくない
自分の性別を聞かれたとき、はっきりと女性だと答えるし、違和感もない、だからクィアではないと思う、でも"女性になろう"としたくはない
レディーファーストだからと譲られたり、女の子だからと女性的扱いをされたり、当たり前のように「じゃあ彼氏が〜」とかで話を進められたりすると正直すごく戸惑うけど、嫌だ!と思ったところで仕方がないから「ありがとな〜」と、女性であることを手段として利用している感覚が大きい、諦めに近い
なんでこんな事を考え始めたのか思い出したのでそれも書いてみます
東京でバイトを始めて、毎日色んな初めましてがあってすごく楽しいし、基本誰とでも神経をすり減らす事なくお話ができるのだけど、少し年上の女性(20代後半とか)のグループで、結婚や家庭、職場においての女性らしさだとかの話をされていると急になにも言えなくなってしまって下を向くことが多くなったこと
カップルで来たお客さんの彼女が彼氏に向けるとろけた笑顔や甘えを見ると拒否反応してしまうこと
おそらく、自分にないものを持っているという憧れも少しはあって、あとは"本当に分からない"から寄り添えないのかな
接客に私情を持ち込みたくないし、お客さんにとっては関係のないことだからしっかりお話したいのだけど、どうしてもうまくいかない、頑張りたい
この感覚に正解を出すつもりはないです、メモのような追記でした