はじめに
科学的素養は、科学におけるマナーのようなものである。このマナーを守ると、コミュニケーション能力、課題発見・解決能力など様々な能力が身についたり、何かをより良く理解したり、理解に基づいて現状を改善したり、新しい概念を打ち立てたり、批判的思考をしたり、生産的な議論をする助けになる。マナーは本で学べるのと同じように、科学的素養も本で学ぶことができる。科学的素養は、体験によって身に着ける必要がある点でもマナーと似ている。 科学的素養は、もともと大学の研究室に所属していれば、多数の教員や先輩に囲まれる中で自然と身についたものであった。しかしながら昨今の競争主義の台頭や研究室小型化によって、自然と科学的素養が養われる環境が失われつつある。本書は、日本の教育力と研究力の向上を願って科学的素養を整理明文化し公開するものである。 研究者を目指す高校生、大学生からはじまって、研究室に所属する大学院生、指導に苦労する大学教員、大学の教育力・研究力向上の実効策を生み出したい学長や理事など大学運営者、科学技術政策に関わる官僚や政治家の方々、さらには企業の研究者や採用担当者の方、科学に興味がある一般の方、大学教育の社会的意義に疑念を持つ方、大学に行かない方まで、広くお読みいただきたい。
「科学的素養修得のすすめ(仮)」序章
日本の大学における教育を確実に向上させる方法があるとしたら、「科学的素養」を明文化することであろう。科学的素養はこれまで明文化こそされてこなかったものの、大学・大学院の研究室で、研究をするうちに自然と身についたものである。ただ昨今、科学的素養を身につけないままに、大学を、あるいは修士課程を、はたまた博士課程を卒業してしまうケースが増えているように思われる。理由はいろいろあるだろうが、競争主義や任期制を研究現場に持ち込んだことによって、大学教員の気持ちが研究成果に向かい過ぎ、論文成果につながる技術や能力あるいは知識に偏った浅い教育が学生に対してなされるようになったことが考えられる。また、2016年には文部科学省が「三つのポリシーの策定と運用に係るガイドライン」を設けて、大学に三つのポリシーの策定を求めたところである。大学は、このガイドラインに従って「どのような力を身に付ければ学位を授与するのか」に関わるディプローマポリシーと、その力を教育課程の中でどのように養うかを記したカリキュラムポリシー、そして受け入れる学生に求める学力に関わるアドミッションポリシーを定めることとなった。残念なことに、ここでも「力」つまり技術や能力に偏ったポリシーの策定を大学に促してしまう結果となり、科学的素養には光が当たらなかった。 大学・大学院教育で身につけることができるのは単なる能力にとどまらない。本書で述べるような、例えば自然科学研究において「権威を論拠として物事が正しいかどうかを判断することを良しとしない」(権威主義の否定)ことは、力や能力あるいは技術に分類されるものではなく、信念・価値観あるいは従うべき原則や態度、行動や考え方の指針に分類されるものである。能力獲得に主眼をおいたポリシー策定のガイドラインは、様々な能力や技術の基盤であり明文化可能である科学的素養ではなく、その本質の明文化が困難である様々な能力や技術を掲げる方向に大学を誘導してしまった。
「科学的素養」とはなにか
本書では、自然科学に関わる研究を実施する人材が固持すべき信念・価値観、あるいは従うべき原則、態度・行動・考え方の指針となるものを「科学的素養」と呼ぶ。本書で扱う科学的素養は、様々な能力、例えば思考力、課題発見能力、課題解決能力、コミュニケーション能力といった様々な能力の基盤となるものである。科学的素養がこれらの能力の基盤として、重要である理由を本書では説明する。例えば「権威主義の否定」は、自ら考えを積み上げて理解すること、自ら判断することにつながる素養であり、思考力など各種能力の基盤となることは容易にご理解いただけるだろう。
「科学的素養」は明文化が可能
本書で示すように「科学的素養」は、その本質を明文化することが可能であり、文書を読むことで理解することができる。またある人の科学的素養の修得状況を客観的に測ることができる。方法は至って簡単である。それぞれの科学的素養がどのようなものであるか、説明を求めれば良い。さらに加えて、本書で示すようなポイントに着目して、修得状況を判断することもできる。 これと対比されるのは、様々な能力、例えば「思考力」や「課題解決能力」や「コミュニケーション能力」のような能力である。これら能力がどのような能力であるかを明文化し説明することはできるかもしれないが、説明を受けてそれら能力が素晴らしいものであることが理解できたとしても、残念ながらこれら能力が向上するわけではない。また能力の習得状況を客観的に測ることが難しい。 現在、研究意欲を向上させる目的、あるいは大学院進学をうながす目的で、短絡的にこれら能力が研究を通じて得られるものであるとして語られているように見受けられる。上記のような能力は研究に必要なことは間違いないが、必要だからと言って、必ずしも身につくわけではない。大学院に進学した人材の大多数が、修得できるとして掲げた能力を満足に修得できているだろうか?また、修得できたかどうかを客観的に知る方法はあるだろうか?もし客観的に知ることはできないのだとしたら、あたかもその能力が獲得されることが自明であるように語るのは無責任ではないだろうか?
能力の基盤である「科学的素養」に着目した教育の再興が必要
今、大学院教育の空洞化が起きている。教育は、各研究室に委ねられ、望ましい教育がなされている研究室もあるだろうが、教員は予算獲得と業績競争、さらには任期に駆り立てられて、教育よりも研究に心を割く状況ができ上がってしまっている。教育論には滅多にお目にかからないし、「伸びる学生は放っておいても伸びる。あとは放っておけ」というような教育論とも言えないような論が教育現場から聞こえてくる。はたまた教員が「学生にやる気がない。卒業さえできればいいと思っている」と嘆くだけで、解決策を持っていない。二十年前と同じである。本書で指摘するような「研究目的」が適切に示されない学位審査発表を学生がするケースも目に付くし、それが教育上なぜ駄目なのか、きちんと説明・指導できる教員は少なくなってきていると思われる。この二十年間、研究ばかりに集中し過ぎて、教育論の深化は停滞してしまっていると言えるだろう。教育論を発展させ、大学・大学院の人材育成力を高めなくてはならない。 昨今博士人材が必ずしもアカデミアに残らず、大学院を離れて、企業などで活躍することが強く望まれるようになってきている。実際、現状を鑑みれば、大学・大学院に所属していた学生が、実施していた研究を卒業後にも続ける割合は高くなく、また、大学・大学院で学んだ特定の研究分野で用いられる専門的な技術を、卒業後に使用することもそれほど多くないだろう。一方で、さまざまな能力の基盤となる「科学的素養」は、大学・大学院卒業後も有用である。学生に、専門知識や機器の取り扱い方、様々な実験手技を身につけさせことは重要であるが、社会全体の向上のために科学的素養を身につけさせることは、これらにもまして極めて重要である。本書で論理的に説明するように「科学的素養」を修得した人材は、社会における生産性が高くなる。これら素養を修得させることは、人材を育成して我が国の研究成果の質を高め、イノベーションによって豊かな国をもたらすことに寄与することになる。また、「科学的素養」を修得した人材は、そうでない人材よりも研究不正に手を染めないであろうことが容易に期待できる。我が国は研究不正大国の不名誉な称号を得てしまっているが、「科学的素養」の修得を教育機関で行うことはこの状況を改善する上でも重要である。
行政がすべきこと
古今東西、古くより教育は国を支える根幹であることが当然とされてきた。しかしながら昨今は国力の根幹が研究力であるとする考え方が主流となってきている。研究を盛んにすることは間違いではないだろうが、研究を盛んにしようとする勢いが増す一方でいつの間にか教育がおざなりになってしまっている。世界的に言っても研究推進と教育推進のバランスを取るべき時期に来ている。 学位のありかたについても認識の変更が必要である。博士の学位は「研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力等を身につけた者」に授与されるものであるとされているが、科学的素養は、研究能力の前提になるものであり、また修得状況を測るのが容易である。学位取得者の能力水準を確保するためにも能力審査に加えて、当然修得していることが期待される科学的素養の審査についても明示的に定めるべきである。 本書で述べる科学的素養を修得した生産性が高い人材を育てるには、教育課程において、まだ誰も明らかにしていないことを明らかにする研究、あるいは、誰も開発していない技術を開発する研究を、体験させることが必須である。運営費交付金や各種の競争的研究資金が大学に投入されているが、科学的素養を身につけた生産性の高い人材を多数育成するのであれば、このコストに見合うだけの経済効果、GDP成長につながるはずである。行政には、科学的素養を修得させることをミッションとして掲げ、そのための枠組み、すなわち学位審査項目の整備やディプロマポリシーなどポリシー改訂を実施するなどした大学に対する予算措置、教育基盤経費の大幅な増額を求めたい。
大学など教育機関がすべきこと
研究成果が偏って重宝される陰で教育がおざなりにされている現在、大学など教育機関は、本来の社会的役割が、教育によって人材を輩出することであることを今一度思い出し、大学生・大学院生にこれら素養の修得を積極的に促すべきである。そのためには、大学・大学院では、教育再興と本書にまとめた科学的素養を修得させることを大学のミッションとして掲げるべきである。 具体的なアクションとしては、まずは各種ポリシーなどに科学的素養を織り込むことが肝要である。さらにディプローマポリシーと対応する形で、学位審査項目に科学的素養の修得状況を取り入れることが重要であろう。本書の終章に、学位審査項目案と、審査項目を設定するための提案書の雛形を示すが、学位審査項目を整備して公開することで、学生はこれらを真剣に身に付けようとするようになり、科学的素養を円滑に修得させることが可能となるだろう。 このような審査項目整備は、審査する側である教員の質も高めることとなる。研究をしていると、教育経験なく突如として教育に携わるようになり手探りで教育を始めることが普通であると思われるが、審査項目が学部や研究科などで整備されていれば、どこに着目して学生を伸ばせば良いかを知る助けとなるからである。 またさらに昨今、学位の質の担保が課題とされているが、科学的素養の修得状況を学位審査項目に含めれば、学位取得者の質を一定程度担保することができる。課題発見能力など各種の能力が十分に高まっているかどうかは、容易に審査することはできず、ともすれば十分な能力がないのに現場のおざなりな採点によって学位が授与されてしまうことが懸念される。一方、明文化が可能な「科学的素養」については、学位授与審査会などでこれら「科学的素養」の各項目を適切に理解しているか口頭試問によって試すことができる。この試問は適切に実施されることが一定程度保証される。なぜなら、学位取得者はキャリアを通じて「科学的素養」が本当に身についているかどうか注目されることになり、もし身についていないと見なされるようになれば、学位を与えた大学の「科学的素養」の審査力への信頼が問われるからである。 また本書では科学的素養についての議論に基づいて、様々な研究力、教育力向上のためのアクションを提案する。これらの実行を検討していただきたい。例えば所属教員に、授業において「科学史の中に知識や技術を位置付けて教える」ようにうながすことである。このような授業は、受講学生の「私も何か重要な発見をしたい」という意欲を向上させイノベーション気質を養うことができる。「私も何か重要な発見をしたい」という意欲が高まり、この意欲に基づいて研究に向かう人材は、研究不正に手を染めないことも十分に期待できる。 また、個々の学生への指導において「研究目的」を教員側から明示されているかチェックする制度を導入することで、教育の質を向上させることができる。さらに、学生実習のレポートの提出区分を二つに分けることで、学生実習と進歩が重視される研究は本質的に異なることが、学生生活を通じて養われることになる。これらアクションの論理的背景については詳しくは4章をご覧いただきたい。またこれらのアクションを実際に大学内で起こすことを容易にするため、最終章にて提案書案を提供しているのでご活用いただきたい(ウエブサイトからダウンロードすることもできる)。
大学教員へのメッセージ
昨今、研究をしていると教育経験がないうちに助教や准教授や教授などのポストに就き、突如として教育にあたるようになり手探りで教育方法を模索し始めるケースも多いと思われる。そのような教員の方々には、ぜひ、本書から教育方針を得ていただきたい。 特に、研究室所属学生の低意欲に悩まされている教員が多いように見受けられる。所属学生に、科学的素養がどのようなものであるか、また、各素養がそれぞれどのような能力の基盤となっているかを説明し、さらに研究室での体験を通じて科学的素養を身につけることができることを説明すると、研究活動への意欲向上が見込める。 またさらには、授業のあり方への工夫(知識や技術を科学史の中で取り扱うことで、意欲を向上させ、イノベーター気質を養うことができる)や、指導学生への「適切な」研究目的の明示と目的達成のための手段は随時置き換えて良いことを言い続けることが、意欲向上に重要である(適切な目的設定と不適切な目的設定については四章で述べている)。 また今後、本書が広がるにつけ、学生に科学的素養を身につける場としての大学・大学院への期待が高まるはずである。是非、科学的素養を修得させるために本書を活用していただきたい。
大学生・大学院生へのメッセージ
受験勉強では正解があることばかりを教わるものと思われる。なぜ正解があることばかり教わるのかは、入試問題を出題する側の立場に立てばよくわかる。出題側は正解が確実に定まる問題を出題したいのだ。なぜかと言えば、もし議論が分かれているような事柄について出題をすると、AだけでなくBも正解ではないか?といった議論が始まることになり、合格判定のやり直しや、最悪の場合としては謝罪記者会見などが頭をチラつくからである。このような事情を背景に、受験用の参考書には、正解がはっきりしたことだけが並ぶことになり、勉強は効率良く正解を覚えるスタイルの勉強になりがちなのだと思われる。 このような勉強にすっかり馴染んだ大学生・大学院生が、研究室に所属して未知の現象が起きる仕組みを解明したり、未知の化合物を同定したりする研究をしようとすると、難しい状況に陥ることがある。先生は、何が正解かはわからないというし、求めていた答えが見つかったとしても、しばらくすると必ずしも正しい答えではなかったことがわかったりするのだ。正解を効率良く学ぶことが勉強だと思っている学生には、未知なるものに取り組む研究活動は何かを学ぶ上で非効率的に思えるなどして、大変な思いで研究することが自身にとって意味があるのか分からなくなってしまうこともある。 未知なるものに取り組むことが、様々な能力を磨く上で有用なのであるが、言われるままの作業に終始したり、議論の結論部分だけを鵜呑みにしたり、誰の言うことを聞くか考えたりしているようでは、成長は限られたものになってしまう。学びの意義を最大化するためにも、ぜひ本書をお読みいただきたい。 また、発表やディスカッションにおいて要領良く何かを伝えようとして、正解がないことなのにあたかも正解があるかのように話してしまって、うまく伝えられないということが起こる。よくわからないことについて情報を伝えるコミュニケーションには、それなりの技法があって、それを守らないとうまい具合に議論ができなくなるのだ(これについては二章で論じている)。いったん身についてしまった正解主義を抜け出すのは容易ではないかもしれないが、本書が受験勉強による正解主義の弊害から脱し、様々な重要な能力の基盤となる科学的素養を身につけ、未知なるもの現在よくわからないものに対する理解を深めていくことができるようになる一助となれば幸いである。 また指導を受ける研究室を探す際には、科学的素養について理解をした上で探すと良いだろう。実際問題として、権威主義的な指導の仕方をしてしまう教員、研究目的を適切に設定できない教員、議論の作法を守れずに「おまえ」の話を始めてしまう教員も一定数いるのである。科学的素養について理解していれば、問題のある研究室を避けることができるかもしれない。 またもし大学院を選ぶ機会があるならば、学位審査の審査項目を取り寄せて眺めてみると良いだろう。そのような審査項目がなく、個々の審査員の総合的判断に任されていることもあるが、明確な基準がなく、学修目標がないということであって、一定の注意が必要であろう。また審査基準としては、知識や能力といった客観的に審査するのが難しく、その方向に向かってどう努力すれば良いか分からない項目ではなく、本書の最終章で示すような項目が並んでいることが理想である。 また、将来、大学などで教員になることを考えるのであれば、ぜひ本書を教員目線で読んでいただきたい。指導ポイントが見えてくるはずである。
高校生へのメッセージ
科学には正解はない。一方で学校では何かと「正解」があることばかりを習うことと思う。いや実は、あたかも将来にわたってずっと正しいことであるかのように教科書に書かれているだけで、本当は正しいとも限らないものを正解として教わっているのだ。「科学的に将来にわたって永遠に正しいこと」は存在せず「現在、科学的に正しいとされていること」が存在する。教科書には断定的に正しいとしていろいろなことが書かれているとは思うが、それは、これまでになされてきた膨大な観察事実を、現在最もうまく説明すると考えられている解釈にすぎないことに注意するとよいだろう。 研究者の言うことをよく観察してみると、「〜とされている」「〜と考えられている」「〜と言われている」といった言葉がよく使われることに気がつくだろう。「〜」のところには、一般的に事実とされていることが入る。例えば、「地球は丸い」という言葉が入る。これは「地球は丸いと考えられていること」自体は事実だが、「地球は丸い」こと自体は事実としては扱っていない表現である。「地球は丸い」ことを事実として扱わず、「地球は丸いと考えられていること」を事実として扱う。このように扱うことで、更新の余地を見出すのが研究者である。教科書に正しいことして書かれていることに、密かに「〜と考えられているが厳密に正しいかどうかは別」とつけて読んでみると、そこに発展性を見出すことができるかもしれない。 上述のような物事に対して決まった正解があるように錯覚している世界には「よくわからない」ことが存在せず、研究目的が生まれない。なぜなら研究において、研究目的は何かについて「よくわからない」ことをから生まれるからである。目的が見つかれば、目的達成のための満足感のある勉強をすることができ、自然と様々な能力が伸びる。本書を読めば、正解があるように錯覚している世界を脱して、自然と様々な能力が伸びるようになるきっかけになるだろう。
科学的素養の概略
本書では科学的素養を以下の七項目に整理した。研究・教育に携わっていると「科学的に問題がある」と考えざるを得ない状況がしばしば訪れる。そのたびに、それがなぜ科学的に問題があるのかを考えるうちに、これらの七つの項目が整理されることとなった。筆者にはこれらの項目の一つあるいは幾つかの組み合わせによって、研究人材が示すさまざまな問題のある言動について、それがなぜ問題があるのかをおおよそうまく説明できるように思うが、今後これらをベースとして、項目の整理と拡充、更新がなされることを期待している。 以下がその概略である。かっこ内には各素養が基盤となる能力や人材の気質を記した。 1 権威主義の否定 権威を、命題の真偽判定に利用しない(思考力、課題発見・解決能力) 2 課題発見のための議論構造 観察を述べてから解釈を述べる(課題発見・解決能力) 3 原理原則・本質の理解に基づいた理解と説明 原理原則を積み上げるようにして理解をする(思考力、課題発見・解決能力) 4 研究の進歩主義の理解と実践 新しい知識あるいは技術を生み出すことが重要(創造力、進歩を尊ぶ価値観、意欲的向上、イノベーション気質の養成) 5 議論の作法 議論の対象を定め、生産的な議論を行う(コミュニケーション能力) 6 研究の公共性の理解 他の研究者が自分のデータから何かを発見するかもしれない(コミュニケーション能力) 7 問題解決に資する「原因」とそうでない「原因」の区別 問題解決につながる原因が大事 (課題発見・解決能力)
修得には体験が必要
大学・大学院は、実践を通じて、科学的素養を修得する場である。これら科学的素養は、就学者に事前に提示すべきものである。それにより就学者は自分がこれから何を学び、修得すべきなのかを事前に知ることができる。就学者にとってまず重要なのはこれらの素養をしっかり頭で理解することである。ただし、サッカーの技術書をいくら読んでもサッカーは上達しないのと同じように、これらの素養を頭で理解しただけでは修得することはできない。就学者は日々の実践を反復する中でこれらを修得する必要がある。これら素養は努力すればするほど時間をかければかけるほど深く修得することができるものである。これは一年よりも三年、三年よりも六年、サッカーを練習した人がより上手にプレイできることと同じである。
科学的素養は生産性が高い人材の育成に有用
近年、大学や大学院の存在価値が問われている。企業の就職活動においても、大学で何を学んだかよりも、どの大学に入学したかが採用活動において重視されているという残念な状況のようだ。科学は、ものごとの本質を理解し、様々な技術の開発を推進する上で極めて強力な方法論であり、科学的素養は本書で説明する通り、修得した人材の生産性を著しく向上させる。自然科学を扱う大学、大学院は「科学的素養」を学生に教え、また客観的な指標によって修得の状況を判定および保証することで、これらを修得できる場として自らの社会的存在意義・存在価値を盤石にすることができる。産業界は科学的素養を身につけた博士人材の活躍を期待して活発に採用するようになることが期待される。 いずれ、「科学的素養」を教える大学・大学院を卒業した人材であれば、権威主義的な意見をせず、現象を述べてから解釈を述べる順番を守り、いろいろなことについて一つ一つの原理原則を大切にしながら着実に理解を深め、議論の作法を守り、進歩を尊び、仮説検証にもへこたれず、都合の良いエビデンスをチェリーピッキングすることをよしとせず、問題の解決に役立つ原因とそうでない原因を区別することができる、生産性が高い人材であるだろうと、強く期待されるようになるだろう。
筆者の狙いと動機
本書の狙いは、以前は研究室内で、あるいは研究コミュニティの中で、緩やかに共有されていたはずの科学的素養を明文化することによって、日本の大学・大学院における教育の質を向上させることにある。「科学的素養」を修得させることが多くの大学・大学院などのミッションとして取り入れられ、人材育成によって日本がよりイノベーティブな豊な社会になることを祈念している。 日本の研究力が低迷していることが様々なデータから言われている。研究現場にいる人にあっては、身近なところで研究力が低下していることを実感していることであろう。日本全体で研究力を向上させイノベーションを活発にすることが、経済活動を活発化させ、我が国の将来を豊にすることにつながるであろうことに疑いはない。研究力を向上させるには、研究現場を俯瞰しつつ、様々な観点からの施策が必要である。筆者はこれまで、研究現場の研究力がどのようにして低下しているか、その仕組みを説明するとともに、この仕組みに準じて解決策を提案してきた(詳細は拙著「日本の研究力低迷問題の原因と解決方法」をご覧いただきたい)。この書の次編にあたる本書は、人材育成、教育に焦点をあてて、日本の教育力、ひいては日本全体の研究力が向上していくことを願って上梓するものである。
注: 本文書は、出版予定の拙著「科学的素養修得のすすめ(仮)」の序章の原案です。上梓まで今しばらくお待ちください。