アンチナショナリズム

留学情報や普段の生活でのことについて

日本のジムとドイツのジムの違い

日本のジムでマッチョになるのは苦労する

2017年2月4日、私は友達と久しぶりに日本のジムに行った。

私とトレーニングジムとの出会いは5年前、私がまだドイツの住んでいた時であった。当初は筋トレにさほど興味はなく、当時お世話になっていたホストファーザーの日課であった筋トレに付き合わされる形で行くことになった。

そこで色々ジムトレーナーの人に基礎を教えてもらい、ハマっていった。週3日くらいで通うようになり、周りのゴツいドイツ人を見て刺激を受けたり、女性にモテたいという真っ当な目的のために日々頑張っていた。

日本とドイツのジムの大きな違いはその値段である。今まで私が通っていた日本のジムは安くて月額8000円、平均的に月額10,000円前後するのが普通である。一方ドイツで私が通っていたジムは月額3000円であった。確かにドイツにも高いジムがあるのかもしれない。しかし、同じクォリティーのジムでこの値段の違いは大きい。むしろドイツの方が設備がいいとさえ感じた。

もう一つの違いはジムへの行きやすさの違いである。日本の社会人は自分の趣味に使う時間が大幅に少なく、仕事が定時通りに終わるとも限らない。一方ドイツでは自分の趣味に使う時間が多く、仕事終わりにジムに行くということが容易にできる。そのためジムの客層も日本のジムは比較的高齢者の利用が目立つ。ドイツのジムは20代後半から30代後半の働き盛りな大人たちの利用が多い。

最後の違いは女性の利用者数の違いである。日本では筋肉をつけるという行為に抵抗感がある女性が比較的多いと思う。筋肉がついちゃうと男らしくなってしまう、腕、足が太くなってしまう、胸が小さくなってしまうなどの不安があるのだろう。ドイツの女性は積極的に筋トレを行い、正しい女性の筋トレ方法で行えば女性らしい体が手に入ることを知っている。このような意識の違いがあることは非常に大きい。

このような違いが存在するというのをわかってもらえたら幸いである。

*あくまで私の経験の中での話であり、例外はたくさんある。

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クレイジーな日本人

親切と言われる日本人だが、クレイジーなやつらもいる

近頃よく目にするニュースがある。

ストーカーという言葉は古くから英語としてある言葉で、忍び寄ることを意味する。1990年代頃前半にアメリカでつきまとうという意味で広まり出した。1990年代中期頃にカタカナ語として日本に伝えられた。

ストーカーという言葉を頻繁に耳にはするが、自分は関係ないだろうと思っていた。主に女性が被害に合い、特に自分自身も誰かのストーカーになる予定もないからである。

しかし、数週間前から私の彼女のバイト先で怪しい中年の男が頻繁に店に来て、彼女に必要にコンタクトを取ってくるという相談を彼女から受けた。心配になり彼女のバイト終わりに毎回迎えに行くことにした。そのおかげか分からないがその男がバイト中以外での接触はなかったと言う。

そのまま数週間が過ぎストーカー男について忘れかけていた時、彼女から緊急の連絡が入った。バイト先にその男が現れ彼女が休憩で店を出たと同時に店を出てついてきたと言ってきた。私はすぐさまどこか他の店に入れと伝えた。彼女はマクドナルドに逃げ込み2階の席に座った。それを聞いて私も安心していたら彼女が衝撃のことを言ってきた。その男がマクドナルドの店内までついてきて、目の前の席に座ってきたと言うことだった。すぐさま店を出てバイト先に戻れと伝え、彼女はトイレに行くふりをしてなんとかバイト先に逃げ込むことができた。さすがにこれは見逃せない事実だと思い、警察に相談することになった。

2017年2月2日、彼女は警察に行きこれまで起きた事柄を警察の人たちに相談した。このような事件が多発しているためか非常に親切に対応してくれたらしく、次その男が彼女の前に現れたら警察がその男を捕まえて、彼女の前に今後姿を現さない契約書にサインさせることが決まった。このことは非常に私たちを安心させたが、まだ完全に安全になったとは限らないため今後も危機管理を徹底して、彼女を守っていきたいと思う。

この経験からストーカーの恐ろしさを身をもって知ることができた。海外にも確かにストーカーに関しての事件は存在する。しかし、日本人ほど陰湿で、気持ちの悪いことをすることは珍しいだろう。そこには自分の気持ちをストレートに伝えられない国民性、被害者となる女性が積極的に嫌悪感を伝えられないという問題があると思う。そもそも日本は性ということについて恥じらいの念を持ちすぎていると思う。学校の授業でも性についてあまり教えられることはなく、SEXという行為において非常に後ろめたさを感じる国民である。かと思えば、コンビニに行けばかなりハレンチな雑誌が堂々と小さな子供も見れる位置においてあったりする。こんな雑誌が誰でも見れるところにおいてあるなんてことは少なくとも私が行った国々(ドイツ、イタリア、オランダ、ロシア、アメリカ)では絶対にありえないことである。

最後はちょっと違う内容になってしまったが、つまり私が言いたいことは世の女性たちもストーカーには気をつけてほしいということ。嫌な思いをしたらすぐ嫌だと言えるようになった方が取り返しのつかないことになるのを防げる。

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*被害者は女性だけではなく男性もいます。

 

 

 

 

大先輩との偶然の出会い

ある定食屋で出会ったおじいちゃん

2017年1月26日、私は友達たちとある定食屋に行った。70歳を過ぎたおじいちゃんが一人で切り盛りしていて、お腹を空かせていた私たちは間違ったお店に入ってしまったと思った。しかし、そのおじいちゃんはテキパキと作り始め、あっという間に食事を提供してくれた。私は魚が嫌いで普段食べないのだが、店にあるものが魚のメニューが多く秋刀魚の味噌煮定食を注文した。魚嫌いの私でさえ美味しいと感じるほどの定食で非常に満足した。

その時一緒に行った友達は台湾から遊びに来ていたので英語で話していた。その会話を聞いた店主のおじいちゃんが急に「お兄ちゃんたちは英語が話せるんだね〜」と話しかけてきた。続けて「わしは英語のことはよくわからんがドイツ語なら話すんだがね〜」と言ってきた。私もドイツにいたんですよと伝えると、いきなりドイツ語で話しかけてきた。突然のドイツ語で驚いたのだが話は大いに盛り上がった。そのおじいちゃんはいろいろな自身の体験を語りだした。

今から40年ほど前のドイツは東西冷戦で西ドイツ、東ドイツに分かれていた。そのおじいちゃんは西ドイツに住んでいて、料理人として働いていたらしい。政府の重役が参加するパーティーで日本食を提供する仕事で、とてもやりがいがあったと話していた。その他にもいろいろな面白い話をしてくれた。

ドイツの風俗に毎日のように通っていた話やドイツに来たヒッピーをお世話するためにボートハウスを購入し宿泊代をとって泊めさせた話やいろいろなドラッグを試して効き目を体験した話などかなり刺激的な経験で非常に興味深かった。(各々の詳しい話が知りたい方はコメントお願いします)

おじちゃんが最後に私たちに話してくれたのは、若い今しかできないことがたくさんあるからいろいろなことに積極的にチャレンジしていくことが大事だということ。いろいろな国に行って思いっきり暴れて来いと言われた。これを聞いた後、日本で平和な暮らしに慣れてしまっている今の生活からすごく抜け出したくなった。つくづく今の暮らしはつまらないと感じた。どうこのクソ平和な生活から抜けだせるか考える日々が始まった。

日本と海外、恋愛観はどう違うのか

外国人と日本人の恋愛に違いはあるのか

私が過去の恋愛経験をもとに、外国人と日本人の恋愛について書きたいと思う。(女性のパターン)

私は高校生の時にドイツに住んでおり、ドイツ人の彼女がいた。彼女は留学生が集まるパーティーに近所に住んでいたという理由で来ていて、そこで知り合った。パーティーが終わった後Facebookでやりとりを始め仲良くなっていった。そして初デートの時に告白をし、晴れて恋人同士になった。ここまでの印象では、彼女は積極的でお互いに仲を深めるのにそれほどの時間はかからなかったと記憶している。

その後はお互いに高校生だったということもあり、いろいろ衝突する場面もあったが、非常に中身の濃い恋愛ができたと自分では思っている。結局3年間も付き合うことができた。お互いにちゃんとした恋愛は初めてだったということで、私は女の人はみんなこんな感じなのかと勝手に想像していた。

二人目の外国人

大学生二年生になった私は、夏休みを利用してイタリアに一人旅に出かけることにした。(この旅の詳細は別の時にお話しします)イタリアの南部レッチェという町に住むことになって初めて空港に着いた時に、やたらこちらを珍しそうに見てくる女性がいて、私自身一人で心細かったのでこちらから話しかけてみた。運良く相手のイタリア人は英語が多少話せて会話に困ることはなく、とても有意義な時間を過ごすことができた。そしてさらに運良く彼女の住んでいる場所と私が向かおうとしていた場所が近く宿泊場所まで案内してくれることとなった。こうしてお互いに仲良くなり、イタリアにいた二ヶ月間はほぼ彼女と過ごすことになった。そういったことで恋人同士になり気づいたことは、彼女はとてもシャイで消極的であった。以前のドイツ人とは明らかに違う印象を得た。結局彼女とは私がイタリアを離れるとともに分かれてしまった。

ここまでで女性という生き物がますます分からなくなった。

日本人の彼女

日本の大学なので当然日本人と知り合う機会の方が多く、イタリアから帰ってきた数ヶ月後に小中学校の時のお子ちゃま彼氏彼女関係を除いたら初めての日本人の彼女ができた。初めてで最初はいろいろ悩む部分もあったがその人とは今も上手くいっている。今の彼女は比較的おとなしく、シャイで積極的とは言えないが今までの彼女となんだ遜色ない子で、むしろ同じ日本人としていろいろ分かり合える部分が今までより多いと感じることがある。

結論を言うと、恋愛はどの国の人ということではなく、全人類どの人でも一人一人違いがあるということ。私の三人の経験では何の確証も得ることはできないが、少なくとも国とか関係なく人類一人一人個性があるという再認識をするのには十分な経験だと思っている。

イタリア一人旅についてや今後の状況については後々紹介できたらと思う。

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留学をするという意味は人それぞれ違うvol1

高校生の時のドイツ留学でわかったこと

私は幸運なことに高校生の時に留学するチャンス得た。
中学生の時から海外に興味があり、高校生になったら日本を出たいと考えていて、それを叶えた時はとても嬉しかった。海外に行くのは小学6年生の時のハワイ以来だったのでほぼ初めてでとても不安になっていたことを今でも鮮明に覚えている。
実際にドイツに行くまでにいろいろなオリエンテーション、事

 

前学習などに参加し、留学先での心得を学んだ。具体的には;
  • シャワー
  • 英語学習
  • 外国人に慣れる の三つである。
シャワーというのは、現地で他のネイティヴたちと一緒にいて、何を言っているかわからないという状況に慣れるためのトレーニングである。私の場合はドイツ語の話者数人の集まりに突然連れて行かれ、全部ドイツ語でコミュニケーションをとらなければならない状況に追い込まれるというものだった。
英語学習とは文字どおり英語を学習することである。ドイツに行くと言っても一定の英語のレベルが必要になる。
外国人に慣れるというのは短期留学で来た外国人を家にホームステイさせたり、留学生が集まるパーティーに参加したりした。
オリエンテーションや事前学習で必要に言われていたことが一つだけあった。それは「現地に行く前にその国の言語をあらかじめ学習しておけ」ということだった。一見当たり前のことだろと思うとかもしれないが、当時の私はどうせこれから現地で嫌っていうほど学ぶんだし今やらなくてもいいじゃんと思っていた。今となって思うことは、当時私にこれを何回も言い聞かせていた人びと馬鹿だなということである。
この馬鹿という言葉の真意を知るのは現地でのことであった。
この続きはvol2で明らかにする。
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