憎しみも愛
父が嫌いでした。
自由奔放で、時に破天荒で、暴力と破壊のような人。
それに苦しめられてきた母の姿を見て憎しみを持つようになったんだと思う。
私は父からたくさんの愛情をもらっていることをもちろん知っていた。父と子として仲が悪いわけでもなかったが、ずっと心の底に憎しみ続けていた。
あるとき、父から
『病院で検査したら大腸がんだった。死ぬかもしれん。』
私は上の空だった。
父の母、おばぁちゃんが死んだ時、涙ひとつ出なかった。
おばぁちゃんも破天荒で、暴力と破壊のような人だった。
それに苦しめられてきた母の姿を見て子供ながらずっと憎しみを持ち続けていた。
おばぁちゃんが死んだ時に、
この苦しみは終わったんだってお通夜の悲しみムードとは相反する気持ちしかなかった。
だから今回もそうなのかもしれないって思っていたのに、
父の言葉を聞いて
お風呂の浴槽の中
いつも考えことで埋め尽くされた頭が真っ白になって静かだった。
次の日、仕事の休憩中にぽろっと昨日の出来ごとを整理しながら友達のグループにメールを打つ。
ポロポロと涙が目に溢れていた。
あれっ?
情緒不安定だ。どうして??
ダムが決壊したように涙が止めどなく押し寄せてきた。
憎しみの底が割れ、純粋な愛が浮かび上がってきたんだと思う。
それはきっと憎しむくらい深い愛情なんだと知った。
憎しみも怒りもきっと全て愛。
🌿淋しさ💧バイバイ😭
✳これは私の過去の一部分です。
薄暗い部屋は
ゴミが散乱している。
目の前に
コンパスがあった。
そのときの
気持ちや心の状態なんて
今、考えてもわからない。。
なぜ…こんなことをしたのだろうか。
私は鋭く尖った針先を
腕に刺した。
刺したとこから
赤い血が
流れ…
針先で
線を描くと
赤い線
ができた
『さみしい…………』
一淋しさバイバイ一
中学生の私。
14・15・16と
私の人生暗かった~🎵
って藤圭子の歌を聴くと
心に染みる。
まぁ不幸の具合いなんて
上をみたらキリがないけど……。
その頃の私は
誰もいない部屋で
ポツリとひとりぼっちだった。
それはそれは
さみしくてさみしくて
しょうがなかった。
えーっとね。
クラスにも
おウチにも
塾にも
私の存在をみている
ヒトがいない………
……そういう……ひとりぼっちだった。
そんなわたしを
ジーーッとみつめている
さみしさだ!!!!
さみしさは
幼い頃にはすでにいて
思春期からその存在を
大きくし始める。
中学生になってから
コヤツとの
死闘の日々が
始まるのであった。
その当時を振り返ると私は
自意識過剰で
自信がなく
被害妄想で
メンヘ………etc.
で、気がついたら
ヤツの格好の餌食でありました。
ガブリっ
さみしさは大敵🔪
何故なら
さみしい人って
とてもダサいもの!!
だから大嫌い!!
例えるとするなら
クラスの中にいる
暗くて、
地味で、
目立なくて、
影が薄く、
陰キャで、
楽しくなさそうで、
存在価値がなく………
etc.
だから
さみしい人になんて
なりたくなかったんだと
思う。
だから
これ以上
ひとりぼっちになるのは
緊急事態だった。
これ以上
ダメな存在に
なりたくない。
そんなものに
なったら
死んでしまいたい。
私のさみしさから
逃げて逃げて逃げての人生は
こうやって幕を開いたのだ。
ウフフ~ん夢叶った✨あれ❗❔
母と二人で実家の法事に行ってきました。
素敵な宿に泊まったよ。
部屋から海が見える✨
食べることに専念しすぎて全然写真撮ってなかった笑
バーでカクテル🍸
フラフラ💫😵🌀しちゃった。
その後もたくさん食べた。
そしてお墓参り、法事で
たくさん祈ってきた。
最後の日に
福岡の阪急で高いピンキーリングを買っちゃった。
これね。
この前に初級セミナーを受けて
やりたいことなのに
やってないことのひとつだったの。
ウキウキして買って
はめて
かわいい~❤❤❤
うん?!待てよ。
あれっ。
このリストに乗ってることをすると
私の中で革命が起きて
目に映る全てが薔薇色に見えて…………。
はい。
なにも変わらないです。
すごく戸惑った。。。
で。ね。
気づいたの。
したいことしても
しなくても
やりたくないのにやっても
それを辞めても
結局、私は普段の私と何ら変わらないんだって。
じゃあ
やりたいことをやってウキウキして
やりたくないことは極力やらない。
いや!!やらないw(言い切るのは怖い)
で、いてもいいんだって思った。ウフフ🎵
そんな具合に楽しい旅行でしたー🎵
愛の生命体
愛の生命体
って言葉が浮かんだのは
8月の終わりだった
求めてばかりだった。
いや…………ずっと探してたんだ。
愛を…………。
そして私が居ていい場所を…………。
探すことに時間を使った。
ヒッチハイクして善意で優しさをもらったり、たくさんの人と体を重ねて人肌のぬくもりをもらったり、ご飯を奢ってもらったり、ワガママを聞いてもらったりetc..
でも、気づいたら
そこにはなにもなかったの。
いつも残っていたのは寂しさだった。
鹿児島に10月行ったの。
今までの1人旅とは全く違ってた。
極力特別なことをせず、
ゆったり過ごした。
映画や漫画や美味しいもの、温泉。
帰りの道中で
なぜか沸々と愛が湧いた。
あの人が好き❤
好きで好きで好きで。
あー好きってこういうものなんだって思い出した。
感覚でわかったの。
そして、それをあげたいって思った。
内側からどんどん湧きあがってくるこの気持ちの温かさに驚いた。
そして私は愛でできてたんだって気がついた。
愛の生命体なんだよ。
目が教えてくれていること
左目が大きく腫れあがった。
このカードを引いて驚いた。
めちゃめちゃタイムリーなカード👀
目を取り囲むように真っ赤なエネルギーが漂っている。
何を訴えているのか?わからない。
けど、目が腫れて開かかない状態になるくらいだからそれだけ伝えたいことがある気がした。
もっと内容が知りたくて
引いたらこのカード👼
美しさや創造のカードだけど、
引いた時に浮かんだのは
守護霊や先祖様とかそういう
目には見えないけど、エネルギーを与えてくれている存在のことだった。
またしてもわからない。
けど、調べてみるけど、左目は母方の先祖らしい。
それを知ってまたビックリ。
そして守護霊が伝えたいことは何だろうって思って引いたカードは
そこにいても見守ってます
って感じた。
最近は悲しみにどっぷり浸かってみて
1人寂しさを感じていた。
もしかしたら寄り添っているものの
存在を知って欲しかったのかもしれない。
来月のはじめに
母の実家に法事で3年ぶりくらいにお墓に行く。
しっかりとお参りしたいなー。
無題
好きな人ほど
自分らしさを見せることができない。
オネェな喋り方だったり、仕草だったり、仕事できない、価値がない、お金ない、とかいいとこなかったからね。
だからすごく相手には気を遣っていた。
その気の遣い方が相手を近づかせない壁だったのかもしれない。
自分の傷かつかない範疇にしか人を入れたくなかったのかもしれない。
愛されたくて、愛されたくて、
愛しても、それはただの寂しさを埋めたいという気持ちでの愛でしかなかった。
私の好きは崩れやすく、脆く、弱かった。
受入れてくれそうな人としか結ばない関係、この人なら受入れてくれるだろうなっていう直感だけは鋭かった。
友達を占って
同じことに苦しんでて
色々なメッセージが見えてきた。
『都合のいい女を辞めて、本来のダメダメでワガママな自分で愛されてもいい。』
寂しさから逃げに逃げて
結んだたくさんの関係。
体を重ねるたびに一瞬消える寂しさ……終わった後に舞い戻ってくる寂しさに息ができなかった。
埋めても、埋めても、
そこはいつもポッカリと穴が空いていた。
埋まらないんだと気がついた。
諦めた。
寂しさから逃げるために
こんなことをしてきたんだと気がついてちょっと笑った。
1人寂しさを抱いてベットで眠る。
素敵な朝がきて私はまた1日を過ごす。
涙活で悲しみを癒そう
人魚が死んでしまって
涙でいたわってる。
この人魚は私だと思うの。
誰かの都合ばかり気にして
気をつかって
優しさを振り撒いて
誰も傷つけず。。
気がついたら
都合のいい女(オカマ)で
報われない恋ばっかりだったなー。
生きた使い捨てオナ⭕ール。
悲しいのに気丈なふりして
大丈夫!!っていい放ってた。
そしてポッカリ空いた場所をさらに埋めようと躍起になったりで。
みすぼらしい自分が恥ずかしかった。
本当は違うよ!!
って言えないプライドが高くて不器用な自分なのかもね。
だからひっそりと
そんな自分を涙で労ってあげよう。
楽しく笑って悲しみを語らうよりもたくさん悲しんでいいよーって言ってあげよう。
悲しみは優しさだ。
その意味を理解できたら
もっと明るい未来につながっている。
映画でちょっと泣けた。