如月といえば

三年前の今頃、私は台湾大学で研究をさせてもらっていたのだが、ある日校内で買ったお弁当の蓋に次のようなポエムが印刷されていた。


聞道梅花坼曉風

雪堆遍滿四山中

何方可化身千億

一樹梅花一放翁

 

陸遊

 

一般に、七言絶句と呼ばれる形態の漢詩だ。Google で検索して出てきた翻訳は、


梅の花の香りが風の間を貫く。

雪は四方の山々を覆い尽くしている。

ああなんとかして、この体を何千億にも分けられないものか。

そうしたら一本一本の樹の前にこの老いた自分を置いてその花を賞賛できるのに。

 

陸遊 (りくゆ) 、という人は南宋 (1127-1279、唐と元の間で後期の宋) の代表的な詩人。これを春先に使い捨ての紙容器に載せてしまうあたりが、台湾人って粋だと思う。漢詩は、日本語読みしてしまうと音のリズムが失われてしまって魅力が半減する。中国語の話せる方に読んでもらうとその抑揚の美しさが分かる。

 

昨年、台湾大学の学長選挙が台湾政府の介入にあったそうで大変だったらしい。大学が最初に選出した学長が、中国にある別の大学でも教鞭を取っていたことが台湾政府の反感を買ったのだという。台湾独立を目指し中国の影響をことごとく排斥しようという政府の思惑も分からないでもないが、そのせいで、台湾大学は学長不在が延々と続き運営に支障が生じてしまった。学生や教職員は奨学金や給料が半年間もらえなかったということだ。台湾大学の学生にはお金持ちの子女が多いので、まあ大丈夫だったろうとは思うが、それにしても、大学の自治は尊重されなければいけなかった。私が四の五の言ったって何も始まらないのだけれど。

プレイバック 2002

随分昔の話になるが、2002年の冬季オリンピックはアメリカのソルトレイク市で開催された。先週、お正月休みの暇を持て余して見ていたYouTubeで、どういう弾みだったか忘れたが、ソルトレイク五輪のフィギュアスケートの男子シングルで金メダルに輝いたアレクセイ・ヤグディンの演技の動画に遭遇した。氷の上の芸術家、という異名をもつ選手であったらしいが、その端麗な容姿と技術力もさることながら、彼の表現力はすさまじい。引き込まれる、というのか、単にスポーツ競技を見ているのとは全く異次元の感動を呼び起こす。彼はソルトレイク五輪の翌年に怪我のために22歳の若さで引退を余儀なくされた。怪我の予兆はずっとあったそうだが、五輪での金メダルをかけて彼は痛み止めを打ち続けながら競技に望んでいたのだという。まさに満身創痍の中、全身全霊を捧げた演技だったわけである。彼を史上最高のスケーターと呼ぶ人は多い。

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私は子供の頃、テレビでフィギュアスケートの中継を見るのが好きだったのだが、なぜかこれまでヤグディンという選手には全く面識がなかった。昨今の日本選手の活躍、とくに羽生結弦さんのことはさすがに一応知っているのだが、私の家にはテレビがないので、昨年の平昌オリンピックもほとんど見ていない。なんとも勿体ないことである。

 

ソルトレイク五輪の時私はどこで何をしていたっけ、と考えてみた。オリンピックは2月に開催されたらしいが、そういえばあの頃私は日本に半年ほど住んでいた。ルイジアナ州立大学の修士課程にいたのだが、その時に入っていた研究室の関係で、岐阜県の神岡町にある廃坑でニュートリノの観測に参加していたからである。毎日ジープを運転して朝8時前に山に入って、8時間ほど計測器の横で過ごし夕方5時頃に外に出てくるのだが、冬であったし日の出は遅く日の入りは早かったため、ほとんど太陽を浴びれない生活であった。私は素粒子関連の実験や計算は全くできなかったのだけれども、日本語に堪能(当たり前だ)なので通訳と使い走りに重宝されていた。さすがにそれだけで学位を取るのは気が引けたので、次の年にアメリカに戻って別の研究室に移った。あの時の論文は、その後かなり有名になって今でもよく引用されているが、私は名前こそ載っているもののその実質的な内容にはほとんど関与していない。

 

観測機の周辺には宿泊施設が少なかったので、山のふもとの富山県内から研究所のある神岡町の茂住という地域まで車で30分ほどかけて通っていたのだが、当時住んでいたアパートに確かテレビは付いていた。どうしてソルトレイクオリンピックを見なかったのだろう? 特に物理の勉強に没頭していたような覚えもないのだが。夜中にもシフトをした記憶があるが、ひょっとすると現地時間にオリンピックを見たい学生と働く時間帯をトレードしてあげたのかもしれない。あの頃の私は本当にお人好しであったから、人の嫌がることを率先してやっていた。それでヤグディンとの出会いが遅れたかと思うとなんとも切なくなる。そうでなければ彼が引退してからしばらくの間参加していたアメリカのアイスショーとか、見に行けたかもしれないのに。

 

悔やんでいても仕方がないので、ヤグディンのソルトレイク五輪での動画へのリンクを並べておきます。

Alexei Yagudin 2002 Olympic SP: Winter - YouTube

Alexei Yagudin 2002 Olympic LP: The Man in the Iron Mask - YouTube

Alexei Yagudin 2002 Olympic Overcome - YouTube

今年度のノーベル物理学賞

今年度のノーベル物理学賞は、レーザー関連の研究者に贈られた。物理学賞の専門分野は大まかにいって光学、素粒子論かあるいは宇宙論、固体物理の三種類があって、各分野が均等に受賞するようにという意図から大体のところ三年周期で回り回っている。昨年が素粒子論、二年前は固体物理関連であったため、今年は多分レーザーだろうとは予想していたのだが、少し意外だったのは三人の受賞者の中にひとりストリックランド博士という女性の研究者が含まれていたことだった。彼女はカナダの実験物理学者で、超短パルスレーザーを開発なさったことで有名だ。私は、大学卒業間際に出席したアメリカの学会で彼女に一度だけ会った事がある。会った、といっても一対一の対面ではなくて、Women in Physics とかなんとかいうフォーラムに参加して無料のランチを食べた時のゲストだったのがストリックランド博士だった、というだけの話なのだけれども、彼女は他のゲストの女性よりも印象に残っている。というのは、彼女は本当に飾り気のない気さくな話ぶりの方であったからだ。その場は、いかんせんフェミニストな発言が飛び交っていて、意見などを聞かれたり、単に無料のご飯を食べようと思って参加しただけだった私にとっては少し居心地がわるかったのだけれども、ストリックランド博士だけはなぜか純粋に物理の話をなさっていた。なぜレーザーを研究したのかと聞かれて、彼女は、光の色が綺麗だったから、と答えた。ただそれだけです、わはは、と。彼女は、女性の権利とかそういったものを求めて参加した人たちには少し的外れの答えばかりなさっていた。化粧気もなくスッピンで、髪の毛もブローとかは絶対にしてないな、という彼女の風貌にも、私は親近感を覚えたものである。

 

ノーベル物理学賞を受賞した女性は、これまでに彼女を含めて三人だけしかいない。ラジウムから出る放射能を発見したマリー・キュリー、殻模型とよばれる原子核のモデルを打ち立てたマリア・ゲッパート=メイヤー、それから今年度のストリックランド博士である。ちなみに、ゲッパート=メイヤーのゲッパートは彼女の旦那さんの名前だ。マリー・キュリーも、私が子供の頃にはキュリー夫人、として扱われていた。キュリー博士の奥さん、ということだったんだろう。なんだか失礼な話だが、女性の敬称にはいつも旦那の影がつきまとう。私も、結婚以来何かと言うと主人の苗字で呼ばれそうになって辟易している。確定申告とか、住民票とかは主人名義なので仕方ないのだけれども、研究とか仕事の場では自分の苗字で通したい。というのは、結婚前の論文と結婚後の論文に載っている名前が違ったらまぎらわしいからである。それだけの理由で、結婚しない女性の学者も多分世の中にはいると思う。そのくらい苗字の問題は面倒臭い。

 

まあそれはともかく、ストリックランド博士の受賞はいろいろと論議を呼んだ。彼女の適正とか品格についての文句ではなくて、彼女のこれまでの社会的地位についてである。そもそも、どうしてノーベル物理学賞をとった女性が男性に比べて少ないのか、という疑問がまず挙げられた。まあこれは、女性の物理学者の人口の少なさからすればあたりまえであろう。物理学とかいう地味な職業を好む女性が少ないのは仕方がない。私が大昔に素粒子研究の実験を少しやった頃、大学の助手の方から、化粧はしないでね、ホコリがあるとデータに支障があるから、と言われてちょっとだけ憤ったことがある。あのころは私も一応年頃だったし、化粧くらいしたかった。私の婚期が遅れたのはそのせいも多少はあるかもしれない。また、放射能研究とかは母体に影響もあるから妊娠中はできない。いろいろな意味で、女性には物理や化学の研究は男性よりもやりづらい。

 

さらに、ストリックランド博士の働く大学に非難が挙がった。なぜならば、ストリックランド博士がノーベル物理学賞を受賞した当初、彼女が本教授ではなくてそれよりも位の低い准教授という待遇にあったからである。どうして、彼女のように優れた学者を差し置いて他の男が教授になったのか。女性差別ではないのか、という疑問。これについてはストリックランド博士が自分で返答なさった。ああ、それは単に私が希望しなかったからです、と。査定に伴うペーパーワークや手続きが面倒臭かったらしい。もちろん、本教授と准教授では給料に30パーセントほども差があるのだけれども、それも気にならなかったという。自分はやりたい事ができればそれでよかったのだと。この女気。感涙ものではないですか。ただ、思うに、女性は男性よりも家庭での責任が重いから、夜も昼も明けず仕事に打ち込むという訳にはなかなかいかない。ストリックランド博士は結婚なさっていて子供さんも二人あるという。お母さんとして働いていた頃の彼女は男の教授に比べて能率が上がらなかったのかもしれない。私も娘を育てながら研究をした事があるので、想像はつく。

 

先週、私の働いている大学の物理学部の定例会議があって、その時にボーナスの事が話し合われた。抜きん出た仕事をした者に賞与を与えようという試みが大学側から出たらしい。毎年、まず3人以上候補を挙げてから誰を選出するか決めようということになったのだが、そこに最低一人は講師を入れようという意見に、講師たちの間から不満が出た。どうして我々をもっと特別扱いしないのか、というのである。まず、なにを根拠に候補を決めるのか。研究をしない講師にとって、教職の出来具合のみが査定の基準になるのだけれども、それは論文の数とは違って客観的には測りにくいではないか、我々に教授レベルと競争しろというのは不合理だ、というのである。私も講師の一人なのだけれど、私としては、そんなにボーナスが欲しいのなら教授を目指せばよいではないか、と思ってしまった。教授と講師ではどうしても格が違う。教授として雇ってもらうには、それなりの研究実績と推薦が伴わなくてはならない。それを棚に上げて同等の待遇をしてもらえないことに文句を言うのはおこがましい、と私は思うのだが。前述したストリックランド博士の欲の無さを思えば、ますますそうである。

 

最後に、ストリックランド博士は受賞時の段階でウィキペディアに載っていなかった。有名ではないから、という理由でウィキペディアが以前に読者からのリクエストを却下したらしい。見る目がない、というのか、ウィキペディアの編集者にしてみると恥さらしもいいところである。もっと勉強してください。

Mediocre Physicist

Mediocre theoretical physicists make no progress. They spend all their time understanding other people's progress.       - Jeff Bezos, Founder of Amazon.com

 

ここ数ヶ月というもの、あまり働く意欲が湧かずにいる。色々と動機はあるのだが、決定的な打撃に今週見舞われた。これをどう乗り切るかに私の残りの人生がかかっていると思う。何かの因果だろうが、今日たまたま Youtube で見た伊藤みどりさんのインタビューで彼女が次の世代のスケーターへ贈ったメッセージが、

自分の決めた道に後悔しない

というものだった。なんと潔い言葉であろうか。伊藤さんは女性としては歴史上初めてオリンピックでトリプルアクセルを成功させた事で知られているが、それを振り返って彼女は、もし失敗していたら何を言われたことだろう、と問いかけた。そして、でもそれは自分で選択した挑戦だったから仮に失敗しても悔いはなかった、と断言なさった。失敗したならその屈辱を一生背負っていく、という覚悟があの時のジャンプの裏にはあったのだ。自分で決めた道ならば自分で責任をとるしかないということだ。それまでに積み重ねた努力と研鑽の自負が無ければ決して言えない言葉であって、そこには勝ち負けや栄光を越えた、伊藤みどりという人の真に美しい生き様がある。

 

www.youtube.com

 

私は物理を大学で10年以上学んで、それを仕事にして今まで一応生きてきた。二度のポスドク生活の末、娘の安定した生活のために2年ほど物理から離れて別のことをしたこともある。でも物理の仕事がやりたくて我慢できず、またポスドクに戻った。この夏で今の仕事の契約が満期になるので、年明けに教職を探してあちこちに履歴書を送ったのだが、良い返事は来なかった。ただ、現在働いている学校に急に空きができて臨時教員として雇ってもらえることになった。結果としてはそれで一番良かった、というのもこの街には娘にバイオリンを教えてくださっている良い先生がいるので、別の街に引っ越すのはあまり気が進まなかったからだ。娘は、スズキ教本の3冊目にあるユーモレスクが弾きたいと言って頑張っているので、そこに彼女がたどり着くまではこの街に住みたいものである。

 

私は物理をやる才能には恵まれていない。計算も遅いし、理論の理解も悪い。人の二倍は時間がかかる。ではなぜ物理を選んだかというと、他のことはもっと苦手であったからである。私は不器用だし、人付き合いも下手である。走ったり跳んだりは大の苦手で、体力もない。本を読むのは好きだが、話したり書いたりするのは得意でない。自分にできることを細々と続けていたところ、私は出来損ないの物理学者になっていた。仕事が遅いせいで雇い主に迷惑をかけたこともある。今週、以前の雇い主に書いてもらった推薦状を読んでみて分かったのだが、彼は私に辟易していたらしい。物腰の柔らかい人で、面と向かって私に文句を言ってきたことは一度もなかったので全く知らなかった。嘘は書いてなかったが、私の無能ぶりを事細かに綴っておられた。ただ、思うに、飲み込みの悪いポスドクを指導するというのは彼の仕事の一部であったわけで、一方的にこちらだけが糾弾されるのは割に合わない。ポスドクは、ある意味学生の延長で、言わば武者修行のようなものである。別の大学に行って、下手をすると言葉も通じないところで研究をするのである。私はその間に子供を一人産んで育てたが、彼の推薦状にそういったことに対する配慮はどこにもなかった。彼の推薦状は求職先にも届いていたわけで、道理で良い返事が来なかったわけだと納得した。

 

普通、推薦状は本人に見せないのが鉄則である。彼がその推薦状を私に送りつけてきたというのは、多分、遠回しに物理をやめろと言っているのだと思う。大きなお世話である。私は物理を生涯かけて学んできたし、試験にも受かった。何も恥じることなどしていないし、できる限りの努力もしてきた。お世話になった先生方への恩もある。研究者としては出来損ないかもしれないが、物理を教えることは私にもできる。それが私のお世話になった先生方への恩返しだと思っている。この数日間いろいろと反芻したが、私は伊藤みどりさんを見習おうと思う。自分の決めた道に後悔するまい。物理を続けるためなら恥や屈辱も甘んじて受けよう。そう心に決めた。だって一度限りの人生だもの。

 

拍手のタイミング

先週の土曜日、隣町のコンサートホールにかの有名なバイオリニスト、イツァーク・パールマン (Itzak Parlman) がやってきた。またとない機会なので、娘と一緒に鑑賞に行ったのだけれど、彼は噂に違わぬ大変魅力的な人物で、その卓偉した演奏はもちろんのこと、色々と感慨深かった。

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その日の演奏は、まずシューベルトのソナチネから始まり、ベートーベンの「クロイツェル」と呼ばれるバイオリンとピアノの為のソナタの後に、インターミッションを挟んでドボルザークのソナチネ、という三部構成だった。ベートーベンのソナタは、昨年娘のバイオリンの先生のソロコンサートで聴いたことがあって馴染みのあるものだったから、特に楽しめた。ただ、会場の音響のせいなのか、バイオリンの音色がピアノの音にかき消されるような感じの部分が所々あって、少し不満が残った。しかし私が一番感嘆したのは実はそれらではなくて、その後にアンコールでおまけとして披露された4曲の小品の演奏だった。題名は忘れたがクライスラーの作品が2曲と、フィオッコのアレグロ、そしてブラームスのハンガリー舞曲No.1だったが、情感に溢れた、それはそれは素晴らしい演奏であった。こういった小品というのは、3分から5分程度の楽曲で、私のような素人にも分かりやすい。また、フィオッコの曲は、スズキ教本の6冊目にあります、とパールマンが前置きしてくださったので、私の娘はかなり真剣に聴き入っていた。

クラシックの演奏会の暗黙のルールに、拍手のタイミングがある。会場の観客がかなり高揚していることはパールマンがステージに上がる前から明らかだったのだが、最初の曲目のシューベルトのソナチネの一つの楽章が終わるたびに観客からは拍手が巻き起こり、私と娘は少したじろいだ。ソナタやコンチェルトといった長めの作品には、3つ以上の楽章があって、その間には静寂にして拍手は行わないのが普通である。演奏の途中で邪魔をしない、という事だと思う。全ての楽章が終わって初めて、観客は拍手をする。私の娘にはそういったルールを確認した事はないが、彼女は幼い頃から地元の小さなコンサートに私とよく出かけているので、自然に学んだようである。パールマンは高名なバイオリニストなので、普段あまりコンサートに出かけないような人々も多分その日は彼の演奏を聴きに来ていたのだろう。コンサートが始まる前に、主催者の挨拶があったが、その時に携帯を切るように注意をなさっていた。その際に拍手のタイミングについてもお話があったら良かったかなと思う。

次の曲目のベートーベンのソナタが始まる前にステージに戻ってきたパールマンは、マイクを取ると幕間の拍手についてユーモラスに言及なさった。「今、楽屋でベートーベンに会いました。」これを聞いた観客席からは笑いが起こった。「彼は私にこう言いました。先ほどのシューベルトの作品の演奏を聴いていたが、拍手のタイミングがどうも気になった。自分の曲の演奏の際は、拍手は一番最後までしないでほしい、との事でした。」そこでパールマンは首をすくめると、「私は気にしませんけれども、みなさんどうかよろしくお願いします。」と言ってマイクを置いた。観客の気持ちを配慮した、実に礼儀正しい注意の仕方であった。さすがです、パールマン。一流の音楽家だけあって、ファンの心の掴み方も完璧です。

マナーやルールも大事だが、音楽を聴きにやってくる観客の誠意は玄人も素人も皆同じである。何度もコンサートホールに足を運ぶうちにいずれそういったことも分かってくれば、それでいい。それを身をもって示してくれたパールマンに、敬服した夜でありました。感謝。

In Praise of Garrison Keillor

A dark night in a city that knows how to keep its secrets, but high above the quiet streets, on the twelfth floor of the Acme Building, one man is still trying to find the answers to life's persistent questions ... Guy Noir, private eye.

 I'm deeply saddend by the news that Garrison Keillor was fired from Minnesota Public Radio yesterday due to his past "inappropriate behavior" against a female colleague who sued him of a sexual harrassment last month.  GK was a creator and a host of a massively successful weekly radioshow in National Public Radio (NPR), Prailie Home Companion, from 1974 to 2016.  I've been a fan of the show ever since I started listening to NPR in college until 2010 when I left the US for a job abroad.  When I returned to the US last year, I found out that GK had left the show and Chris Thile, a mandolin player in a popular bluegrass band Nickel Creek, has replaced him as a new host.  It didn't surprise me - GK is 75 years old this year and deserved a well-respected retirement from such a demanding act as hosting a real-time 2-hour show filled with music and other sophisticated entertainments he provided us every week.  I happened to know Nickel Creek long before Mr. Thile became the host of Prailie Home Companion.  I love their music.  But I just couldn't help missing GK's deep and mellow voice each time I tuned in the show these days  - Somehow, Mr. Thile's high-pitched voice doesn't make the cut.  I often turn off the radio in the middle of the show, or do not bother listening at all on Saturday evening any more.  I still sing "B-bop Ree-bop Rhubarb pie~" with my 9-year-old daughter when I see rhubarbs in a grocerry store, or "These are the good times~" when I squeeze ketchup on her omlet.  To me, GK's Prailie Home Companion lives on in my life even after he left the show, and nobody can replace him in my heart.

 

I am female, and I do respect women who stood up against Harvey Weinstein, a Hollywood director who has been harrassing aspiring actresses for ages.  I read gruesome accounts by his victims in a New Yorker article last week and couldn't be more sympathetic to those women.

Annabella Sciorra and Daryl Hannah Discuss Weighing the Costs of Speaking Out About Harvey Weinstein | The New Yorker

 Yet, it still upsets me that GK was procecuted by his misconducts against a woman.  By being a long-time listener of his show, I am not convinced by the accusation toward GK. Some women do overreact in physical contacts.  GK never made a disrespectful remark on women in his show.  In his ficticious town of Lake Wobegon, "all the women are strong, all the men are good looking, and all the children are above average."  It exemplifies his vision of the world as it should.  We all know the reality too well - us women are in fact vulnerable, most men do not look that good, and half the children must be below average.  That's life.  So, he ends The Writer's Almanac, another show he hosted at NPR where he read an American poetry each day, with the following phrase: "Be well, do good work, and keep in touch."  It sounded so assuring that I often cried when I heard it over the radio while driving a car.

 

I want to tell Garrison Keillor that I enjoyed his shows, and he will be missed.  Minnesota Public Radio should honor him rather than have fired him.  Truth must be found at the court by fair judges to clear his name.   

脳が喜ぶ音楽

ASKAバンドの澤近泰輔‏さんのツイッターに、ギタリストの田中義人さんのブログが紹介されていたので、読んでみた。

​【手術から一年】 違和感〜発症まで <第1話>|田中義人 / Yoshito Tanska Official Blog Powered by Ameba

 ジストニアという病気にまつわる壮絶な体験をなさったらしい。私は邦楽には疎いので田中さんのことはこれまで知らなかったのだけれど、そのお話を読んで彼の音楽にかける情熱がひしひしと伝わってきた。その中でも特に、以下の言葉が胸に残った。

とにかく日本人が美徳としている
忍耐強さ、無駄な根性論など、
脳がリラックスする事に逆らう事が
無駄に肉体の疲労を呼び起こしたり
間違った動作を脳が覚えてしまう
キッカケになり得る事をここに
声高に記したい。
本当にその通りである。楽器を演奏するためにはそれなりの訓練が絶対に必要なわけで、特に音楽で生計を立てようとするに至っては血の滲むような練習を積むのだろう。バイオリンとかピアノとか、国際コンクールに入賞する人物は小さな頃から猛烈な特訓をなさるらしい。その結果として奏でられる旋律はもちろん聴く者の魂を癒すわけだけど、そこに至るまでの演奏者の苦労を思うと何かしら複雑な思いもする。まさに骨身を削って音楽を培ってくださっているわけだ。頭が下がります。
 
でも、音楽を長く続けていこうと思ったら無理はよくない。どこそこのコンクールに最年少で云々、という話を聞くたびに私はげんなりする。そんなに先急ぐ必要がどこにあるのだろうか。歳をとってから楽器を習い始めたって別に良いと思う。私の娘は縁あって良い先生と出会いバイオリンを8歳の時に習い始めたが、周囲を見回すと彼女のように遅くはじめる子供はあまりいない。3歳ごろから始めるのが普通らしい。確かに学齢前には時間があるから猛練習には事欠かなかったかもしれないが、人生は長いし続けていけばいつかは周りに追いつけると私は思う。彼女にプロになって欲しいとかいう気持ちは毛頭ないが、アマチュアでもいいからオーケストラに入って演奏できるようになってくれたらいい。そうしたら、ずっと音楽に携わって生きていくだろうから。
 
かくいう私も、子供の頃に手習いでピアノをやらされたくちだけど、高校を卒業して以来演奏からは遠ざかっている。私の主人も、バイオリンを小さな頃から習ったにも関わらず、今ではやっていない。非常に勿体ないことだが、上手にならなかったことへの引け目が私たち二人を楽器から遠ざけた。楽譜を読んで、旋律を拾って、そして楽器を奏でる、ということはそれだけでも充分楽しくやり甲斐のあることである。上手くなくたって、家で一人でやっているぶんにはそれでよいのである。そういった音楽は間違いなく脳が喜ぶ。そんな音楽との付き合い方を、もっと標榜してもらいたい。