関東平野の果てブログ

20代はじめに関東平野の果てに隠居し、楽でラフな生活を模索する30代です。

スロットルをシャッターに持ち替える話


ご無沙汰です。

ふと自分のブログを見返すとなんとも陰な内容が続いていたので、ここらで話題を変えてみたいと思います。

今回は趣味の話。いくつか前の記事に「趣味はいらない」みたいな内容の本を紹介しましたが、今回はもう少し広い意味でのライフスタイル的な意味合いで「趣味」を取り上げたいです。

私は本業よりもそちらの方を本気で取り組んでいるので、「趣味」という言葉で片付けたくありませんが、他人から見れば、それは仕事でなければ生活必需とも言い切れないことから、やっぱり趣味と書くしかないのです。

趣味の園芸

私の趣味といえば、最近はもっぱら園芸と動画制作でありましたが、なんともこれが物足りなく感じることがあります。やっていて楽しいことは間違いないのですが、あまりリフレッシュできないというか、趣味を通して劇的に視点が変わることが少ないので、達成感を得づらいです。むしろ、我慢して積み上げていく時間が多く、筋肉トレーニングに近い作業だとも感じています。(筋トレも一時期は一生懸命やりました)

これが仕事であれば万々歳でありますが、実際は休日の息抜きであり、しかも連休が取れないサラリーマンの限られた休日の趣味であるとすると、今流行りの言葉で「タイパが悪い」と言えるのかもしれません。

かといって、これらの趣味が悪いとか、つまらないと言いたい訳ではありません。ただ、農耕的な趣味だなと感じていました。

 

オールドハーレーと富士山 2018

農耕的な趣味の対極として挙げたい狩猟的な趣味は、釣りや旅行があります。これは存分に充実感を感じられていたことを思い出します。多少の思い出補正が効いている可能性もありますが、あの海で出会った魚、あのオートバイで駆けた景色、この経験を得る前と後では、自分がまるで別人のように成長を遂げた気がして、それが人生の充実や休日のリフレッシュに繋がるのです。

ですから、最近の農耕的な私は、狩猟的なエッセンスを含む趣味が欲しいと考えていました。

最高のテキーラを求めたメキシコバイク旅 2013

で、ふと、私の趣味を語る上でいつも傍らにデジタルカメラがあったことを思い出しました。

楽しいことや嬉しいことがあればカメラで撮り、それをブログやSNSに記録するということを、振り返れば20年近く続けていたなと。

これも立派な趣味と言えるだろうし、カメラで撮った景色を持ち帰ることも、いわば狩猟的な作業だったなと。

学生の頃に校内の売店で買ったサボテン 2010

これまでは、カメラを単なる記録媒体としてしか見ていませんでしたが、かつて乗っていたオートバイのように愛着を持って向き合うと、また幸せな時間が増えるかもしれないなと思いつきました。

メキシコの海岸にて 2012

そんな折、ちょうどいいお古のカメラを頂きました。

しばらくはこれを生活のお供にし、狩った写真をまた気が向いた時にブログへ投稿しようと思います。

Leica M8

p.s.もしかしたらブログ引っ越しするかもしれません。

このブログよりも使いやすそうなものを見つけたので。

その時はお知らせします。

 

メメント・モリ・ア

2024年、あけましておめでとうございます。

もう2月ですけどね。

というか、まだ私の気持ち的には2023年のままです。

 

こう言いますのも、私は元旦から謎の高熱に侵され、1ヶ月近く入院していました。

入院してからも具合や数値はどんどん悪くなり、最悪なときは42度近くまで熱が出てうなされていました。

身体がしんどくて唸るなんて、メキシコで食あたりを起こして以来のことです。今思うとあの時は幻聴も聞こえるほど大変でした。

 

幻聴といえば、不思議なもので入院したばかりの時は「メメントモリア」という言葉が耳か頭か脳裏かわからないところにこびり着いて離れませんでした。

意味はわかりませんが聞き覚えがあるようなこの言葉、ある程度具合が良くなってから調べてみると、似た言葉に「メメント・モリ」という言葉がありました。意味は、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」というものだそうです。病床に伏せている私は、どう受け取るべきか悩みます。

 

結局、高熱の理由は感染症ということでした。症状が軽くなった後の入院生活は意外と快適で、看護師は優しいし飯は美味いし自由な時間はたくさんあるし、よき経験でした。痛い注射は嫌だったけど。

その後、通常より少し時間がかかって無事退院しました。退院時は歩くのは遅いわ、手が震えて文字は書けないわ、車に酔うわで、弱った自分を少し楽しんでいました。

 

そういえば、入院している間に思い出していたことがもうひとつあって、それは年末に体験した不思議な出来事です。

夜中にふと自分の家のおかってから外をみると、白い小さな光がフワーッと道路を横切ったように見えました。不思議と自分は怖い感じがしなくて、直感的に「座敷わらしかな」なんて思いました。座敷わらしが家につくと、その家は繁盛するなんて話を聞いていたので、私はおかってをわざとあけっぱなしにしました。先程の白い光を我が家に招待したのです。口に出したか心で念じたか忘れましたが、「どうぞお入りください」と言った気がします。こうした私の行動には下心があって、年末ジャンボ宝くじで10億円を当てたいという欲望がそうさせました。

しかし、宝くじは当たりもかすりもしないどころか、その数日後に私は高熱を出してガタガタ震えながら救急病棟に即入院となったわけです。

 

この白い光と高熱の因果関係はわかりませんが、こうなるとなんとなく「メメント・モリ」という言葉が言わんとしていることがわかってきそうなものです。

「生きてるだけで丸儲けだ」と、私はそんなふうに言われた気がするのですがいかがでしょうか。

 

ちなみに、私が病床で感じた言葉は、正確には「メメントモリア」です。

最後の「ア」とは何を意味するのでしょうか。

 

良い意味だと良いのですが、まだわかっていません。

 

 

皆様はくれぐれも健康に過ごしてくださいませ。

 

 

 

 

仕事とは

ご無沙汰しています。

自分がブログを更新していなかったということは、私生活が充実しているということとイコールであることは15年前にブログやホームページをイジりはじめた頃からのお約束です。

そして、今こうしてブログ記事を書いているということは、私生活が充実していないということになるのかも知れません。まぁ、書かせてください。

 

実は私、30歳半ばにして初めて本気で就職活動を経験しました。自分の人生を賭けて、この就活が成功すれば私を取り巻くすべてが好転すると信じていました。しかし、実際はそうはいかなかったのです。

 

初めての就活と書きましたが、これまで就職はしておりました。現在の採用は間も無く10年目を迎えるところでございます。

この仕事は就職前から毛嫌いしていた職種であったものの、「楽がしたい」という中途半端な気持ちで就職しました。振り返れば10年もの時がすぎていました。つまり、この間はブログやSNSが捗ったということです。

 

学生の頃の私の仕事観といえば、とにかく「私生活、特に趣味の時間を守る」という信念から、楽に責任を少なく食い繋ぐことが仕事の最優先事項であると考えていました。私の父も父方の祖父もそんな感じで、道楽に興じていました。加えて地元の先輩方もいわゆる快楽主義者で、すごい乗り物で美味い飯を姉ちゃんとはびらせていました。

そんな人生観の中、私の興味の頂点がメキシコの国にあることに気づき、数ヶ月を居候させていただきました。メキシコでは映画のような景色に包まれて過ごしていましたが、そんな思い通りの生活は日本から知らされた一つの内定通知が台無しにしました。

私がなぜこの内定通知に応えたのか今でも不思議でありますが、そのままメキシコからの帰国を引きずったまま20代から30代のゴールデンタイムを憂鬱に過ごしてしまいました。人生を棒に振ったと言っていいでしょう。

 

ただし、この10年間にも衝撃が受けた本がありまして、そのうちのひとつが「無趣味のススメ」という愛知県犬山の古本屋で見つけた本です。この本は、私が抱く「趣味こそ人生、男の生き様」とは真逆のタイトルであったため、逆に気になって手に取り、100円という金額からも購入してしましました。この本の言いたい事はこうです。「趣味は所詮趣味の範囲。対して仕事は本気であり、趣味では味わえないリスクや資金、時間を賭けて挑戦することができる、これを楽しまない手はない。」というような思想が根底です。これには驚きました。趣味より仕事の方が楽しいと宣っているのです。

これを裏付けるような経験があります。私が決死の思いで用意したオールドハーレーと歩んだ旅路より、仕事での出張の方が充実感を得たことがあったのです。なんというか、趣味の自己満を超えて、人や社会の役に立つことの満足感を覚えたのかも知れません。これは私に取っては大変な事件でした。

 

それから数年後、趣味を本気で楽しむには時間も資金も足りないと感じてきた頃の事です。私は仕事をそれなりに思い通りに事を運べるようになり、あれだけ辛かった「出勤」がそれほど嫌ではなくなったことから、転勤を考えるようになりました。動機は、「もう少し仕事を頑張ってみようかな」とも思ったのです。

こういう経緯から、学生時代には挑戦しなかった本気の就職活動を、今年の6月から半年間ほど行いました。就職活動は、一次試験、二次試験と想像以上にうまく進んだように見えましたが、最終試験を終えたところで採用を取り逃がしました。つまり、転職を失敗したのです。

 

これには正直驚きました。自分でも内定がもらえると思っていました。自分に協力して下さった方々もそう思っていたようで、自分以上に肩を落としていたのが、私の心残りです。

 

でもね、今やっている仕事を「もうすぐ離職するかも知れないから、いつも以上に丁寧にやってみよう」と向き合っていたら、これもこれで楽しくなってきて、職場の周りの人々も今まで以上に自分を頼ってくれるというか、良い方に変化しているような気がしました。

まぁ、転職はできなかったけれど、環境はだいぶ変わったような気がします。

 

人生なんて自分の気の持ちようとはよく言いますが、そろそろ、いや、やっと「今を生きてみようか」と思ったところです。

 

 

そんな年の瀬です。

 

金と物と時間と者

大学時代のお友達に会いました。

あの頃はいつも一緒に過ごし、なんの生産性の無い無駄な時間と能力を共有していました。

しかし卒業後は連絡こそ取るもののなかなか会う機会もなくなり、こうして顔を揃えたのは約5年ぶりか。

大東京高級取りサラリーマンとなった彼らは頼もしく見えますなぁ。私の年収と比べると、おそらく倍半分と違うことでしょう。

まともな社会人経験もないまま地方移住隠居を目指した私としては、ここまで差が出るものかとタマゲテおります。あの頃は一緒だったのに…

いやいや、よく考えたら違うのか。もともと学力があったものの本命の大学に行くことができずに滑り止めで来た2人と、何の悪戯かたまたまAO入試制度に助けられて実力以上の大学に入ってしまった私とでは雲泥の差があったはずだ。

 

そんな、普通なら出会うこともない人たちと出会ってもう15年も仲良くしてもらい、こんなありがたいことはないですね。

私も年取ったせいか新しい友達を作るのがすごく億劫に感じます。となれば、旧友は特に大切にしたいです。

 

…そういえば、友達づくりが苦手なのも今に始まったことじゃなかったです。

人とのお付き合いが病的に面倒くさく感じてしまう、そんな器の小ささを持って産まれたのは横浜中華街の占い師のお墨付きだ。

 

そんな私は最近、残念な発見をしてしまった。

きっと、お金は人だ。

これは日本のお札に福沢諭吉が印刷してあるとか、どうやら新一万円札は渋沢栄一らしいという話ではない。

お金とは、人に帯びたエネルギーを具現化するために編み出された道具とでも言うのだろうか。

そして結論を言うと、人嫌いな私にはお金が集まるはずもなさそうだ。

これに気づいたら瞬間、小さい頃から物欲が大きくて将来の夢が大金持ちだった私の夢は儚く散ってしまったのである。大金持ちということは、多くの人と関わりを持つこととほぼ同意であり、同時に関わる人々に時間も費やさなければならなそうである。こんなことは私にはできない。「時は金なり」とはよく言ったものだ。ついでに「金は人なり」も加えてくれ。

 

でも同時に、お金は人にしか効力がない道具であることにも気づいた。当然だが、わが家の愚犬にお金を渡しても言うことを聞く訳でなし、お金を積んだからといってわが家の園芸植物にちょうど良い気候が続くこともなさそうである。

しかし、ドッグトレーナーに代金を支払えば犬もある程度かしこく躾けられるし、メーカーはエアコンや扇風機を販売してくれている。もしくは不動産屋が気候の良い地域の土地を紹介してくれる。

繰り返すが、お金は対人にしか効果がない。電車のチケットが電車でしか使えないように、お金は人にしか効果がない。

 

こうなると、もっと大事なことに気がついた。物欲がために大金持ちになりたいという子供のころの夢は、少し検討違いだったのかもしれない。

もちろん物品はお金を払えば誰かが用意してくれて、今では玄関先まで届けてくれるが、私の物欲の本質はそこではない。

私の物欲の根源は、物を所有してはじめて見える新たな景色を体験したいのある。格好良く言えば、知識欲とも言えるかもしれない。最近でいえば、園芸植物を自分で育てることでその生態をもっと知り得たい。古いハーレー やビートルに凝っていたときは、それを自分で直しながら乗りこなしてみたかった。

 

月並みだか、金に関してこんな名言がネットに転がっている。

お金で「本」は買えるけれど、「知識」は買えない。

お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。

お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。
お金で「ベッド」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。
お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。
お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。
お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。
お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。

 

それでは、お金で買えないものはどうすれば手に入るだろう。そう考えたとき、人嫌い(=貧乏体質)な私にも少し希望が見えて来るというものだ。

現代となってはお金と関らずに生きていくことはほぼ不可能だし、お金を悪者扱いするつもりもない。しかし、お金にはもれなく人と時間が付き纏うので、お金に頼りすぎると面倒なことになりそうだということがわかった。

 

かつて夢見た隠居と物欲(知識欲)をどのように成し遂げるかが、今後の人生テーマのように思えてきた。

さて、今は雨の日曜日の朝。今日は何をして過ごそうかな。

こんなに長く書いたブログの内容も、夕方には忘れていそうな気もするな。

 

 

オヤジの子供の日

 

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今日は5月5日でした。

日本では子供の日と言ったり、メキシコではシンコ・デ・マヨと言って祝います。

 

いずれにせよ、私も1年の内で5本の指に入るくらいワクワクする日です。

子供の頃は毎年、近所のクワガタ屋さんでお祭りがあったから、きっとそのワクワクが刷り込まれているのでしょう。

大人になってからも、なんとなくテキーラを飲む日として過ごしていました。

 

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しかし私、ここ最近は重度の通風に侵されまして、まともに歩けない身体となっています。

以前から数値は悪かったので、遂にこのときが来たかと懺悔の日々です。

これまで薬は避けてきましたが、あまりの痛みに夜も眠れませんので、しばらくは痛み止めに加えて1日1錠の生活です。

 

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痛みのピーク時には、「もう一生うまい物は食べたくない」と本気で思ったものです。

しかし、発症から2週間経つ今日はハンバーガーを食べているのですから、人間の感情なんて適当なものだということがよくわかります。

強いていえば、本来はビールで流し込むところですが、身体を労わってバニラシェイクにしました。


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8年か9年前にこの地に越してきて、すぐに見つけたこのバーガー屋さん。最近は足が遠のいていましたが、更に美味しくなっていた。

投薬が長引きそうです。

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ちなみに、ハンバーガー屋の近くには大型ショッピングモールが新設され、流行りのメキシコ植物が並んでいました。

 

 

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という、遂にブログにまで健康の話を持ち出すほどオヤジと化した私の子供の日でした。