うつ病を治すひとへ。

うつ病を治したい人がこのブログに訪れてくれたのだと思います。このきっかけが次のきっかけに繋がることを願っています。

手放すということ

かなり更新に間が空いてしまいました。

臥せていたわけではありません。仕事が忙しくて。

***

 

前回、休む=やめるの話をしました。

今回は「手放す」についてお話します。

 

むやみやたらに手放すことは誰もしませんし

そもそも手放すことはあまり進んでできることではありません。

どれもこれも、自分がお金や時間、労力を使って、手に入れたものだからです。

それは形あるなしに関係ありません。

 

ただ、それが今の自分にとって本当に必要かどうかをシンプルに判断する。

そして、不要だと最終的に判断したものは、手放す。

 

私の話になりますが、私は旅行が好きです。今も昔もです。

友人たちとの旅行写真もたくさんありました。

しかし、私はそれを最終的に不要だと判断して手放しました。

なぜなら、その数々の写真を見ると、私はそこに写る友人たちへの

嫉妬心を蘇らせてしまうことに気づいたからです。

 

自分はうつになっているのに、友人たちは裕福な暮らしをして

子育てをしたり、仕事にまい進したり、オシャレをしたりしている。

本当はどうかなんてことはこの時はわかるはずもありませんが

見ている自分はどうしてもそこに嫉妬してしまっていました。

 

旅行の写真を捨てるのは、やはり最初は躊躇しました。

というよりも手放す判断をするつもりもありませんでした。

でも、何度も見ていて、やはり自分の気持ちに波が立つことを隠し切れず

ある日捨てることにしました。

海外旅行の写真が多かったので、私にとっては大事な思い出でした。

だから、捨てるのには時間がかかりました。

 

そこから私が捨てることができたのは、考え方を変えたからです。

また旅に行けばいい。気の合う友達と、あるいは家族と、あるいは一人で。

未来の私にその思い出作りを託すことにして

過去の私には申し訳ないと思いつつ、そして友人にも罪悪感を感じつつ

気になる写真はすべて、本当にすべて、捨てました。

その判断をした今の(その当時の)自分の勇気を信じて。

 

写真たちを捨てた後、私はやはり気が楽になりました。

明確に存在しないということが、その時の私には理解しやすく安心できたからです。

 

ここでお伝えしたいのは、手放すことができるということです。

これはあくまで私の中でも一例ですし、友人への嫉妬心をどうにもできない自分の

解決にはこの時点ではまだ至っていません。

それはもっと後になって解決していくことです。

ですから、まずはシンプルに「手放す」ということを考えてほしいのです。


そして、簡単に手放せそうなことから手放すことです。

自分の生活の中で行動や思考の中で、ささいなことからです。

そうして、1つずつ確実に自分の持ち物を減らしていきます。

大好きなものでも抱えすぎると重いものです。

これはもういいかな、と思えるなら、そっと手を離してみましょう。

 


次回は、過去の自分・今の自分・未来の自分、についてお話します。

休めと言われたら、徹底的に休むんです。

うつ病になった時に、主治医や周囲や、関係書籍では

「とにかく休むことが大事」という話になります。

 

ここで、休むとはどういうことかを考えましょう。

 

だらだら寝ることでしょうか。

会社を休むことでしょうか。

引きこもることでしょうか。

 

休んでこなかった私たちは「敢えて休む」ということを

どう解釈すればいいのか、戸惑います。

 

そして、世間が動いている中、周囲が働いている中

自分だけが休んで怠けて、現実から逃げて

それでいいのだろうかと思う人もいるでしょう。

うつ病で休む自分=ドロップアウトした人間と思う人もいるでしょう。

もしくは、世間が私をこうしたのだ、と周りを憎々しく思うかもしれません。

様々な感情が渦巻く中で、今までになかった「休む」という行動に

自分をうまくはめ込んでいけない人もいると思います。

 

私の場合も少し時間がかかりました。

まず、自分がうつ病だと受け入れ始めてから、やたら体が重くなりました。

家事もできず、お風呂に入ることすら億劫になりました。

食事もしたくなくなり、胃腸も壊して、どんどん痩せていきました。

日々、だらだらと寝て、トイレに起きて、またどんよりと眠る。

それでもネットを見たり、音楽を聴いたりはしていました。

好きなことはしてもいいと思っていましたし

主治医からも、したいことはしてもいいと言われていたからです。

 

しかし、途中で私は気づきました。

したいことでも、好きなことでも、緊張することがある。

どんなに好きなことでも、僅かなストレスを伴い続けることもある。

音楽を聴いても耳障りに思う日、ネットを見ていても目がチカチカする日、

そういう日が徐々に増えていっていることに気づいた私は

好きなことも、やめることにしました。

やめても苦痛でないなら、すべてに手を付けない、目も耳も頭の中も貸さない。

徹底的に休むことにしたのです。

一度、自分の中を空っぽに平たくするためには、

やめられることはすべてやめる。それから次に移るのが得策です。

 

しかし、やめられないもあるでしょう。

仕事がやめられない人、部活が休めない人、友達付き合い、家族との関係

暴飲、暴食、買い物依存、ネット依存、男女関係

やめられたらどんなに楽かと思います。でも現実はそうはいかない。

 

じゃあ、何ならやめられるでしょう。

やめると書いていますが、言いたいのは「手放せるかどうか」ということです。

何なら手放せるでしょう。何は手放せないのでしょう。

 

次回はそのお話をしたいと思います。

 

今日、うつ病は治りません

数少ない訪問者の履歴を見ていると、検索ワードとして

うつ病 受け入れられない」「うつ病 自力で治すには」と

この病気と対面している人たちがいることがわかります。

 

私も最初はそうでした。

うつ病の人が身近にはいませんでした。

周囲に安易に聞けることでもないと思っていました。

自分で密かに調べてさっさと治すことだけを考えていました。

 

病院に行って薬を貰っても、半信半疑で

これで良くなるの?と本気で疑っていました。

実際3日ほど飲んでも、何も病状は変わらないどころか

どんどん酷くなっているように感じていました。

薬の効果を感じられない間、こんなだったら薬飲まなくていいのではないかと

病院に行く必要もなかったのかもしれないと、思っていました。

 

初診から、一週間後に再診してもらった時に

私は正直に主治医に尋ねました。

「うつって治るんですか?」

「治ります。必ず治ります」

「いつですか?」

 

主治医は、少し間を置いて、私にこう話しました。

「いつ治るかはわかりません。一か月、一年、もっとかもしれません。

薬が効くまでに時間がかかります。

薬が効いても、そこからさらに3か月診て、あなたの様子が安定すれば

薬を減らしていきます。減らしてはまた3か月、また減らしては3か月」

私は風邪薬のように、飲んだら病気って治るのだと思っていました。

ですから、この時のショックは大きく、今でもよく覚えています。

 

今日、うつ病が治ることはありません。

これは絶望的にも聞こえるかもしれませんが、当たり前なのです。

なぜなら、時間をかけてこの病気になってしまっているからです。

いろんな出来事や習慣や思いが

この病気にたどり着く原因になってしまっているからです。

だから、すぐには治りません。

自分自身の思考や習慣、それを作り上げた過去を修正していかなければ

この病気を克服することは難しいと思います。

けれど、治す意思と覚悟があれば必ず治ります。

 

*病気の間は、PCやスマホで文字を追いかけるのが

つらいと感じる日が多くなると思います。

無理をせずに、少しずつ間をあけて、読める日だけ読みましょう。

 

 

うつ病って言われても。

今日からあなたはうつ病です。

こう言われて、納得する人はいないと思います。

 

病院に行って初めて病名がついただけで

今日もうつ病なのです。

昨日も。おとといも。

一か月前は?一年前は?

さて、いつからでしょう。

 

体調の変化はいつからでしたか?

頭がぐるぐるしたり、体が重くなったり、変な汗が出たり

めまい、吐き気、喉の奥の違和感、震え、こわばり

いろんな変化がありましたよね。

体が教えてくれていたんです。

 

心はもっと前から変化していたと思います。

苦しい、つらい、納得できない、許せない、恥ずかしい

怖い、悲しい、いろんな感情が目まぐるしく渦を巻いていたはずです。

けれど、私たちはそれに気づかない、または気づかないように努力してきたのです。

 

それに気づいて気を許してしまうということは、負けてしまうことになるから。

苦しいからやめる、怖いからやめる、恥ずかしいからやめる、

そんなことをし続けることは許されないと、自分を厳しく律してきたからです。

 

けれど、どうでしょう。

そんな自分を無視し続けたせいで、結局は病院に行き、うつ病と診断され

毎日お薬を飲む生活になってしまったのです。

自分の気持ちを大事にしなかったから、体の変化をも無視したから

本当なら行かなくてもいい診療所の門をたたく羽目になったのです。

 

あなたは、どれくらい自分の面倒をみてきましたか?

毎日寝る前に、何を思いましたか?

今日も頑張ったな、今日は意外といい天気だったな。

心身ともに緊張した時間を過ごした後、あなたは何をしましたか?

コーヒー1杯飲む時間を自分に与えましたか?

お風呂でぼんやりする時間を与えましたか?

洗い立てのサラサラのベッドカバーで眠ることを許しましたか?

 

できることはたくさんあったはずです。

けれど、それをしてこなかった。

そんなことを気にする余裕もなかったのかもしれません。

どこかに、そんなことをしなくても明日の私は大丈夫だという

自信があったのかもしれません。

 

全員が全員、同じことをする必要はないし

しなくても元気に明日を迎らえる人もたくさんいます。

でも、した方がいい人もいます。

うつになった人は、した方がいい人です。

 

受け入れられるわけがない。

体調がおかしくなって、自分自身で、または家族に連れられて病院へ行って診察される。


最初の入り口で、あなたうつ病ですね、とやんわり知らされる。


その時の自分、どうだったでしょうか。

あぁやっぱりな、と思った人。

嘘でしょ?と驚いた人。

人生終わった、と絶望する人。

その他にも色んな感情を確認したと思います。


けれど、やったー!私はうつ病だ!と喜べた人はいないと思います。

それはそうですよね。

うつ病は病。誰もがなる可能性を持っている。

とは言え、ならない人はならない。

心の病。弱いのは誰?自分?


私も病院に初めて行った時、まさかこの私がうつ病?と信じられませんでした。

自分で歩いて心療内科に行ったというのに、診察を受けるまで

私は何も悪いところはないと確信していたのです。

うつ病ではありませんよ、と当然言ってもらえると思っていたのです。


診察後、私は普通じゃなくなったのだと絶望しました。

まともな人のまともな生活からドロップアウトしてしまったと本気で思いました。

これからどうしようということよりも、私は普通ではないことを恥じました。


今となっては、その考えも当時の私らしいと思えます。


誰もが自分のことは自分が1番よく知っていると思っています。

だから、簡単に現実を受け入れられないのは当然のことなのです。


うつ病を治す時に無理をしてはいけないと言われますね。

それは日常生活だけではなく、頭の中もそうです。

脳で考えるのも、自分をコントロールするのも一旦お休みすることです。

そうして落ち着いてきたら、どんどん頭を動かして考えながらうつ病を克服していきます。


最初はまず、休ませること。

受け入れられない自分を認めること。

受け入れられない自分を許すことです。




はじめまして

 私は2009年から2012年までうつ病患者として心療内科へ通っていました。

2015年の今、病院にも薬にも頼ることなく生活しています。

仕事も1日7時間、週5日、フルタイムで働いています。

突然の不調で休むこともありません。

 

うつ病と診断された時、私の人生は終わったと思いました。

なにより、まさか、この私が、と自分に対してがっかりしたのを記憶しています。

 

あれから色んなことがありました。

そして、今、毎日を平穏無事に、時には喜怒哀楽激しく、生きています。

 

私とそっくりそのまま同じことをすれば、必ず治るとは言えません。

そもそも私のうつ病が軽かったのかもしれません。

けれど、これを読むことで、ほんの少し、心が軽くなったら

ほんの少し、涙を流す自分を許すことができたら

嬉しいなと思います。

 

うつ病は必ず治ると思います。

人の心が同じものでできているわけではないから、人それぞれ治し方が違うけれど

治す方法は必ずあると、私は信じています。

「絶対に治る。治るためなら、何だってやる。」

2009年の4月から、私が毎日口に出していた信条です。

 

絶対に治ります。

自分で諦めても、自分や周囲に裏切られても、絶対に治ります。

私は今でもそう信じています。