(ネタバレあり)【ゴジラ-1.0感想】あえてマーチは流さない
※ネタバレあり
VSシン・ゴジラ。
ご都合展開、見え見えの筋書き(特に冒頭の着陸シーンや酒席での写真撮影など)はやや気になりましたが、「恐いゴジラ」ぶりはCGで存分に発揮されていて大満足でした。銀座のシーンは何度も見返したい。
なるほど、と思ったのはゴジラの倒し方。「シン・ゴジラ」では、自衛隊が火力を発揮し、それを米軍が支援。主人公は国家を総動員して、ゴジラと対決します。
一方、本作の舞台である終戦直後の日本は、GHQに武装解除され、軍事力はほぼ皆無に等しい状態。ようやく登場した重巡「高雄」が、呆気なく撃破される様には度肝を抜かれました。ゴジラがいわゆる軍事力ではどうしようもない災厄として描写されており、爽快ですらあります。
クライマックスで主人公たちは米軍から(?)貸与された駆逐艦で挑むわけですが、伊福部マーチを徹底して流さないのは、ある種のメッセージ性が読み取れそうです。本作ではメーサー兵器も無人在来線爆弾もなく、主人公たちは政府のお墨付きで戦っているわけでもない。彼らを支えているのは、国がやらないなら俺たちがやるしかないという浪花節です。クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」(2017)を彷彿とさせる救援シーンに駆けつけたのも、民間船ばかりでした。
であるがゆえに、マーチを流して日本人のナショナリズムのツボを刺激するのは、ちょっと違うというわけでしょうか。怪獣相手でも、国に頼らずとも、市民で解決できる。今や懐かしさを覚える戦後民主主義の空気を感じ取れました。
ラスト、主人公の特攻攻撃でゴジラの体はバラバラに瓦解します。神たるゴジラへの致命傷が旧軍仕込みのそれでええんかい、とも突っ込みたくなりましたが、主人公が脱出によって生を選んだ点が、あの特攻にバフをかけたとも見て取れます。とはいえ、ゴジラの生死を確認する前に、仲間たちが主人公の無事を確認して歓声を上げたシーンには、「いくらなんでも…」と冷めました。
もっと外連味は増せた気もしますが、総評としては結構面白い。個人的評価は星4/5。いいもん観たな、という気持ちで帰路につけました。
※追記
鑑賞翌日、しみじみと振り返っていると、なぜ旧陸軍が徹底して劇中から排除されているのか気になってきました。国会議事堂を戦車隊が守ろうとするシーンはありましたが、兵器のみの描写で人は描かれていません。
対照的に、主人公が参加した義勇軍は旧海軍軍人のみで構成され、一人一人が人間味あふれた描写でした。駆逐艦「雪風」堀田艦長の言動は、いかにもスマートな海軍といった感じで、海軍善玉史観を連想させる演技。パンフレットを読むと、堀田艦長を演じた田中美央氏は雪風関係者の手記などを読んで軍人らしい演技をしようとしたところ、監督から「文系」らしい演技を求められたと話しています。
ここで歪みが生じています。戦争そのものを象徴するゴジラに対して、軍隊では立ち向かえない。しかし、ゴジラを倒すために必要な軍艦や戦闘機を操れるのは、戦争のプロフェッショナルたる軍人です。終戦直後という舞台設定にも関わらず、旧軍出身者である主人公たちが戦後民主主義を存分に味わったかのような言動をとるのは、違和感が否めませんでした。
7年ぶりの廃兵院
文化の国。
そんなイメージの裏腹か、どこかひ弱なイメージもつきまとうフランスだが、かつてナポレオンが欧州を席捲したように、今なお軍事大国という一面を覗かせている。
血なまぐさいフランスの歴史に触れるのに、もってこいの施設がパリの廃兵院だ。
パリ到着初日、7年ぶりに足を運んだ。この日は廃兵院の目の前で反イラン政府デモが行われており、ライフル銃を持った警官が物々しい表情で警備に当たっていた。バラバラに引き裂かれたイラン指導者の写真が地面に捨てられている。観光気分でいることの居心地の悪さを感じながら、そそくさと入場する。
黄金のドームが特徴的な教会にはナポレオンや世界大戦で名声を馳せた将軍たちが眠る。フォッシュやルクレールといった比較的知名度のある将軍でさえ脇に配置されており、この教会の主人たるナポレオンはど真ん中で存在感を発揮している。ほんの数メートル先にナポレオンがいる。宗教的感動にも似たある種のドーパミンが分泌されそうだ。
敷地の一部は軍事博物館として公開されている。
一次大戦で活躍したルノーFT戦車が中庭にあったのでまじまじと眺める。他の戦車に比して小柄なイメージを抱いていたが、実物はデカい。荒々しいリベットが兵器としての武骨さを象徴しているようにも感じる。ちょうどNetflixで「西部戦線異状なし」を観始めたのだが、こんなもん歩兵で相手するのは願い下げだ。(戦車としては)世界で初めての回転砲塔というのがまた恐ろしい。
お目当ての世界大戦コーナーは、改装で1月9日から6月30日まで休館だった。非常に残念。マルヌ・タクシーやドゴールがBBCラジオの演説で使ったマイクを観たかった。確認不足のこちらが悪いのだが、案内板で見かけたゆるキャラ風ドゴールが満面の笑みを浮かべており、少しイラっとした。
館内地下にあるドゴール記念館は最近リニューアルされたようで、映像を中心とした展示で飽きない仕掛けが施されていた。25分間にわたって流される伝記ビデオは日本語吹き替えもあった。
考えてみると、国を解放に導き、現在のフランスを形作ったドゴールこそ廃兵院(もしくはパンテオン)への「埋葬権」がありそうなものだが、彼は自身の希望通り、故郷のコロンべ村で眠っている。この辺りのセンスが、ドゴールをフランス最後の偉人たらしめている理由かもしれない。
フランスでは「フェイクニュース」はご法度?
オペラ座やヴァンドーム広場を覗こうとパリ2区を散策していたら、偶然AFPの本社を見つけた。ロイター、APと並ぶ世界三大通信社の一角に位置するAFP。ちなみにこの御三家の中でAFPは最古らしい。へぇここがあの、と感慨深く眺めていたら、突然、妻が「何これ」と地面を指差した。
白いチョークのようなもので書かれていた文章は〝AGENCE FAKE PRESS〟。往来がそう少なくない道で、堂々とこんな落書きをしたのは一体誰なんだろうか。
当のAFPの記事によると、フランス語の保護・改善について提言する仏政府傘下の関係機関が2018年に〝Fake news〟は英語だから使用をやめてと呼びかけたらしい。代わりに〝Information Fallacieuse(誤った情報)〟と呼んでほしいという。そもそも、フランス語ではPressではなくPresseだ。となれば、この落書きも〝AGENCE FALLACIEUSE PRESSE〟と書くのが正解か?
こうした自言語保護の熱心さにはフランス特有のプライドの高さを感じる。とはいえ、今やパリ市内にある大抵の観光施設のスタッフは英語を話せるのが実情で、かつて耳にした「フランス語を話さないと店員が不機嫌になる」という光景はほぼ見かけない(内心どう思っているかは知らないけれど)。落書きにもアングロサクソン語の浸透を許してしまったのは、フランスのソフトパワーの衰えか―。
ベルリンで逃れられないキス
ベルリンに行って何がしたいか。
旅行前、アテンド役の妻にこう聞かれると、「ビアホールで昼間から酒を飲みたい」と即答した。すると苦笑されたので、ちょっと考えてから「あとベルリンの壁をみたい」と付け加えた。もちろんそれは行きましょう、との返事。
壁の多くは破壊されたが、シュプレー川沿いの約1.3㌔の区間が史跡として保存されている。イースト・サイド・ギャラリーという名で呼ばれているらしい。てっきり無味な一枚壁がどでんと立っているだけかと思ったら、屋外ギャラリーとしてイラストが描かれているので眺めているだけで楽しい。
人だかりができている壁があったので目をやると、ブレジネフとホーネッカーがキスしている有名な一枚だった。「神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え」というタイトル。別名で「兄弟のキス」。落書きが酷かったこともあり、2009年に書き直されたとか。とかく人が集まっている。一番人気といって過言じゃなさそうだ。
観光客が代わる代わる写真を撮る。ラテン系っぽい若い男性4人組が壁の前に立つと、ブレ×ホーよろしく男同士でキスをするふりをしながら写真を撮ってもらっていた。続く女性3人組は真ん中の一人に両脇からキスしながらパシャリ。後に続けばよかったかもしれないが、気恥ずかしかったので私たちは普通に自撮りで済ませた。
いいもん見たなーと思い、ベルリンの壁から撤収…したはいいのだが、その後もブレ×ホーの魔の手からは逃れられなかった。この2人、観光名所にはどこにでもいるのだ。土産屋を覗くと、この作品を題材にしたマグネットやTシャツ、マグカップなんかも売られている。さらには街中でドイツのB級グルメ「カリーヴルスト」屋の広告としても見かけた。ポッキーゲームならぬソーセージゲーム。なんでもありか。
そして帰国日。しんみりした気持ちで、ブランデンブルク空港内のレストランでビールをあおり、搭乗口に向かう。旅行って、終わりが近づき、日常に戻らざるを得ないと気付いてしまった瞬間が一番つらい。ちょっとダウナーになっているところで、2人と遭遇した。
ここにもおるんかい! まじまじと見ると、結構ディープにキスしている。この絵を空港に配置するセンスとは一体なんなのか。なんだかベルリンにしてやられた気持ちを抱きながら、2人に見送られつつ、飛行機に乗り込んだ。
ドイツではキスがあなたたちを逃さない!
海外は本当にマスクをしていないのか
もう一生分つけた気もするマスクだが、日本では3月13日から着用ルールが大幅に緩和されるという。そもそもマスクって政府が国民に課した義務じゃないでしょう。なのになんで政府が時期まで示すんだ。そんな反感も抱くが、まあ、国が一律でルールを示した方が国民同士のトラブルも少なそうだし、一つの答えなんだろうと自分を納得させる。
さて、巷でよく言われるのが「世界でマスクをつけているのはもう日本だけ」という文句。確かにニュースを見ると、欧米でマスクをしている人は映らない。ヨーロッパ旅行ではその辺りの実態はどうなのか気になっていたのだが、結論から言うと、フランス全然つけてねぇ。ドイツはちょこちょこつけているという感じ。短期滞在なのでサンプル数は少ないけど。
まず驚いたのが出発時。羽田空港でエールフランスの機内に乗り込むと、添乗員が誰もマスクしていない。まだ日本国内なのに、この時点でヨーロッパの息吹がガンガン伝わってくる。
空港内では律義にマスクをつけていたフランス人たちも機内に入った途端、俊敏に外す。じゃあ、私も……と後に続きたかったが、横に日本人高齢男性が座っており、マスクを外す気配が全くない。脳裏に尾身会長の「不特定多数の人が密になる場合はマスク着用を」という呼びかけがよぎる。マスクをするのは自分のためだけじゃなくて、高リスク者に配慮する意味もあるんだよな。うーん、じゃあつけとくか……。
で、行きの機内ではマスクをつけ続けていたのだが、シャルル・ドゴール空港に降りると、もう誰もマスクをしていない。まるでコロナ流行前の世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。同じ感想を抱いたのか、空港内で他の日本人がマスクをポケットにしまい込む場面を目撃した。確かにこの圧倒的な非マスク率の中であえてマスクをしていたら、逆に警戒されそうな感じもする。
これ幸いとマスクを捨て街に繰り出す(一応妻が欧州基準のサージカルマスクを購入してくれていたが)。街中で誰もマスクをしていないから、ノーマスクでも咎められる気配は全くない。日本で飲食店に入る直前にポケットからマスクを取り出し、席で注文を終えるまでマスクをつけ続ける…あの杓子定規な工程が発生しないというのは、結構楽なもんです。
とはいえ、である。データを見ると、フランスでは依然コロナ患者が1日数千人単位で発生している。検査を受けていない人の存在を考えると実態は何倍もいるだろう。パリ市内でメトロに乗り込むと、車内に必ずせきこんでいる人がいるが、当然のごとくノーマスク。周囲も気にしている様子はあまりない。こちらはそこまで“達観”できていないので、ちょっと警戒してしまう。
一方、ベルリンでは屋内外でたまーにマスクをしている人を見かけた。日本に比べると50分の1ぐらいの遭遇率なんだが、それでもノーマスク天国のパリに比べると目立つ。ホームではマスクを外しているが、電車内に乗り込むと同時にマスクをつけるという人もいる。マスク着用者は高齢者が多い印象。自衛のためにつけているのかしら。
ベルリンの街を散策していると「入店時はマスクを!」と注意書きをしている店を発見した。ただ、店内をのぞき込むと店員でさえマスクをしていない様子だったから、もう形骸化したルールなんだろう。
帰国時、エールフランスの機内で「空港内ではマスク着用をお願いします」とのアナウンスが流れた。マスクをつける。3年の付き合いになるものだから、すぐに肌に馴染んでしまうのが嫌だ。ただいまコロナ。もうお別れしたいよ君とは。
3月13日まで残り2週間ちょっと。日本はどんな風に脱マスクの時を迎えるのだろうか。不安と期待が入り混じる。
パリを論評する床屋のおばちゃん
新婚旅行で1週間ちょっとフランス・ドイツを旅した。
旅行直前に急いで荷造りしたために、床屋に行く暇がなく、髪が伸び切った状況で渡ってしまった。だから旅行後半、髪のボリューム感が気になってしょうがない。現地の床屋に行こうかとも悩んだが、旅行時間を充てるのはもったいないと変な貧乏根性が出てしまい、結局、帰国まで我慢した。
帰国翌日に職場近くの床屋へ行った。妙に客との距離感の近い(祖父母の家の近くにあったような)オバチャンが切り盛りしているタイプの床屋だ。利用は二度目だったが、久々に行ったためか初めての客として対応される。
「お兄さん初めて?」
話を合わせる。この店は長いのよ。もうお客さん減っちゃって閉めようか悩んでるぐらい。ありゃー、髪の毛のボリュームがあって羨ましいわ。お父さんお母さんに感謝しなきゃねぇ。たわいのない会話をしているうちに、新婚旅行に行ってきたばかりとこちらも話題を発射する。
「パリ!私も行ったことあるわよ」
マダムがうんうんと頷きながら髪を手際よく切る。引っ張りながら切るものだからちょっと痛い。
「パリは上は綺麗なんだけど、下は汚いのよね〜」
その通り!と相槌を打つ。これは全くその通り。パリは歩くと、とかく異臭が漂う。1番の理由として考えられるのは、道端にどでんと転がる犬の糞。野良の奴らが残していったのか、飼い主のマナーの悪さなのか分からないが、日本と比べ物にならないほど発見率が高かった。あと、公衆トイレが少ないので道端で浮浪者が立ちションしている景色も割と見かけてしまう。色々な要件が混ざり合わさってパリは臭いのである。口の悪い英紙はパリをヨーロッパで最も汚い「ゴミ箱」と評しているというが、まあそれも納得だ。
「パリで食べたクロワッサンより、成田で買ったクロワッサンの方が美味しかったのよ」
それはどうだろうと思いながら、そうですかと生返事。
「あっちで食べた日本料理も日本人じゃなくてアジア人がやってたのよ!」
まるで日本人がアジア人ではないかのような口ぶり!というか僅かな滞在日数の中で日本料理屋に行ったのかと突っ込みたくもなる。
シャンプーをしてドライヤー。クリームを塗って髭剃りをしてもらう。パリへの悪口は絶えないが、この一言は本心だったような気がするし、俺も賛同する。
「でも、景色だけはパリって感じだったわねぇ…」
臭くても汚くても、パリはパリであって、やっぱり惹かれるんですよねぇ。しみじみ。
会計終わりに大量の飴ちゃんをもらって退店。意外なところで旅行に思いを馳せる機会となった。
令和のAIR聖地巡礼記
夏の某日、和歌山県にあるJR御坊駅のホームに降り立つと、
「あづい」
冷気で満たされた車内に戻りたくなったが、
ガタンゴトン。
改札を出て、駅前のレンタカー屋に向かった。名前を名乗ると、
「どちらに」
じろりと服装を見られる。ダサいアロハを着込んでいるものだから妙に気恥ずかしい。
「ちょっと海の方に」
「そりゃよかです。ここは田舎ですけど、海はキレイですよ」
AIRというゲームがある。
keyというゲームメーカーが世に放ったノベルゲームだ。中身は正直、もうあまり覚えていない。ヒロインのかみお みすずという名前だけは辛うじて憶えていた。でも、ツイッターでは神尾美鈴と書きこんでいた(本当は観鈴)。今さら作品を貫徹する気力はない。作品の香りだけ何度も嗅ぎ直しながら、それでも何となくAIRが好きだった。
和歌山県内にあるAIRの主要な聖地ポイントは10数カ所。
海岸線を走っていると、砂利浜が視界に入った。煙樹ヶ浜だ。
後でじっくり堪能することにして、煙樹ヶ浜を離れた。
国道24号線を10分ほど進むと、三尾漁港に行き着く。ここに3つほど聖地
堤防に登ると、腕を水平に伸ばしてみたくなったが、我慢した。
バス停近くのアメリカ村食堂すてぶすとんで昼食をとる。店内に「
女性店員に「ちょっと読ませてください」と頼むと快諾。「
実は、この店の近くにある「白鳥商店」
気を取り直して巡礼を続ける。
御坊市内に戻り、廃線跡を見た。この女性2人組とバイカーの男性
会話は交わさないが、互いに配慮しながら順番に写真を撮る。
徒歩でポイントを抑えていく。
再び煙樹ヶ浜へ。浜のすぐそばには859年に遷座したという御崎
お参りを済ませ、自販機で飲み物を買った。どろり濃厚…はないの
見惚れすぎた結果、予定していた電車を逃し、
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