気づいたら1年以上経っていた。
今日は大晦日、前回のブログから1年以上経っていたので、なんとなく書いてみようと思います。
皆さんこの一年もお世話になりました。腕まくりをし続けた一年だったかと思います。
・作曲
何曲書いた、とかそういうことはあまりしないタイプですが、to doリストが爆発しそうな期間が秋頃あって、本気でオワッタ…と思いました…なんとか耐え抜けました。
普段は好きな絵を見たりしてヘラヘラ曲を書いていますが、今年は書いていたら泣きそうになったり、青春だな…と思ったり、愛されるってこんな感じなのかな、と音に込めたり、いつもよりも音を感じることが多くなったかと思います。歳なのかな……
・ピアノ
わりと落ち込むこともありました。今までそんなに悩んだり、なぜ?と思うことがなかったのがどれだけ幸せだったか思い知らされました。本気で合わない、どうしたらいいかわからない、と思うこともしばしば。やっぱりピアノは少なめにしようと思うこともしばしば。
でも、柳川の音が好きだとか、一緒にやりたいと言ってくれる稀有な音楽家たちのためには腕をまくり過ぎてノースリーブになるレベルに頑張りたいと思い、必死に食らいつきました。
あとは謎の手の腫れや、検査しても何も見つからないリウマチ症状には今年も悩まされました。あれ.一体なんなん。困るんだけど。
・指導(勤務)
未だに学生と間違われますが、毎日楽しくやってます。勤務6年目。常にアップデートしながらやっていきたいな、と思って、研究したい本などが積読になってて悲しい。冬休みにでも読みたい。
個人レッスンは自宅からオンラインでやっていますが、1日に多いと6人、540分話し続けてるのかと思うとげっそりしますが、始まればあっという間。好きなことを教えているので、日々楽しいです。ただ入試が近づくと私の方が下手したら緊張しているレベルで、もたない。つらい。来年3月も緊張だね。
・健康
コロナ禍で自律神経がバグるようになってしまい、頻脈体質になっていたり、一種のパニックみたいになることが実はあります。演奏中も時々それが出ていたり、演奏会を見に行っても途中で死にそうになったり。前はこんなことなかったのになあ、悔しい。普段は元気なのに。来年はコロナ前の自分に戻りたい。
・プライベート
引っ越しました。同じマンション内の祖母の家に家族で。祖母は去年亡くなったのですが、その家をリフォームして住み始めました。
前住んでた家より間取りも広く、イエーイ!なはずなのに、祖母が亡くなった日がまだフラッシュバックしてしまうのか、いまいちイエーイ!になれず、つらい。(前回のブログに書いています)引っ越すことは最後まで自信持って首を縦に振れなかったのですが、こればかりは、と。今となってはもう納得しているけれど、誰にも吐き出せず、リフォーム期間もなかなかワクワクできず、ひたすらにつらい気持ちで過ごしてしまいました。いいんだけどね、時間が解決してくれるはず。
・その他
ストレス発散に爆買いすることが増えてしまいました。SHEINだったり、楽天だったり。この前化粧品の福袋買ってしまったら思いの外届いてしまい、ストック棚がえらいことに。顔いくつあるの?レベル。でも来年も多分買いまくっちゃいそう。
シャンソンの「アブサン 」て曲がずっと頭の中を駆け巡り続けてる。「好きという言葉はふたつの文字、たったそれだけ、それが全て」美しすぎる。転調も好き。
普段の生息域が溝の口、仙川、上野、千駄木、国分寺なんですが、南武線を使うことが多くて、だんだん南武線愛が生まれてきました。
パスコアールばかり聞いていたのですが、本当にかっこいいんです。来年もブラジル音楽などにまみれながら生活したい。新しい曲開拓が楽しすぎる。
32歳になるから、そろそろプライベートも、と思いつつ、謎に落ち着ききっちゃってる。来年厄年だけどどうなるの?大丈夫かしら。
あー、いい和音進行思いつきたい、いい配置のものをもっと即座に弾きたい。訓練あるのみ。
さあラスト1人受験生レッスンが終わったら仕事納め。新しい手帳に予定を書き写したいしお金の計算もしたいけど、見取り図もシソンヌもザ・マミィも拝みたいね。忙しい大晦日。
皆様良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。
少し書いてみようと思う。
ようやく一大プロジェクトの終わりが見えてきた。気がつけば1ヶ月以上取り組んでいた。授業、授業の準備、レッスン、レッスンの準備以外の時間は全て費やした。でも心中穏やかではないままだった。少しTwitterにはもらしたものの、本気でつらかった。それは仕事自体がきつかったのももちろんあるものの、それに勝ってつらいことが起きていたからだ。穏やかな気持ちで取り組んでいたら、また違ったものが出来ていたのかもしれないなあと思うと、神様はなぜこの時期を選んだんだ、と思ってしまう。
春休みの3月、コロナ禍で目立った仕事はなく、この休み期間を利用していろいろな勉強をしようとしていた。あと教材の整理もして、気持ちよく新年度を迎えようとしていた。
たしか教材の整理がひと段落ついて、あまり習慣がない《読書》というものを始め、4日後に迫る父の誕生日ケーキを予約し、穏やかに眠りについたのを覚えている。3/15のことだ。
春休みもダラダラしないように、8:30までには起きようとアラームを設定していた。でも3/16は7時過ぎになんとなく目が覚めて、携帯をいじっていた。
家の電話が鳴っている音がした。でも、ワン切りの場合もあるし、同じマンションに住む祖母が父からの朝のLINEがないと『コロナになったわけじゃないわよね?』と朝イチに家に電話をかけてくることもあった。どうせどちらかだろう、なんて気楽に考えていた。
電話が鳴り止み、ものすごい足音とともに母が私の部屋に飛び込んできた。祖母が気分が悪いと電話してきた。いつもと様子がおかしい、すぐ行くからついてきて、と。
そこからの様子はあまりに生々しい。その電話から10分も経たずに祖母の家に飛び込んだけれど、そこには動かなくなった祖母がいた。
初めて119に電話をし、言われた通りに心臓マッサージを行った。母との連携は凄まじかった。防護服を着た救急隊員は5人以上来た。ものすごい勢いだった。あっという間に祖母は救急車に連れていかれた。
朝の8時。思いっきり通勤通学の時間だ。マンションの前に止まる救急車とハシゴ車に、住民は騒然としていた。救急車には母しか乗れず、私は搬送された病院にタクシーで向かった。
この一年、人工透析を行う祖母に何かあってはいけない、と仕事をたくさんキャンセルした。
それでもどうしても外に出ないといけないことはあって、なるべく祖母に会わないようにした。
いつもなら大晦日や元旦は祖母の家でご飯を食べるけれど、それもなしにした。時々携帯の調子が悪いから見に来て、と言われ5分くらい行くだけにとどめていた。
コロナが収束したら、またご飯食べにいかれるかな。私も30歳になるわけだし、そろそろ結婚相手です、なんて祖母に紹介したらものすごい嬉しがるだろうな。4人のうち3人の祖父母は亡くなっているし、祖母くらい結婚式に呼べたらいいな。なんて考えていたんだけどな。
本当に一瞬。だって、朝父と普通にLINEしてたんだよ。10分前はうちに電話ができたんだよ。洗濯物干し途中だったんだよ。たくさんご飯炊いたままだよ。
こんなことってあるかなあ。今でもあの日のことが忘れられない。
そして、あんなに一瞬のことが起きるのなら、母や父は大丈夫なのかな。自分も大丈夫なのかな。心配で怖くて眠れない。
スッと逝ってしまった。仕事がない日は毎日祖母の家に行ってお線香をあげているけれど、未だに祖母の家の匂いを感じるとあの日を思い出すし、苦しい。
そんな中で新年度が始まった。今年も授業7コマとレッスン生6人と楽しくやらなくては。
一大プロジェクトだって、きちんと取り組まなければ。
でもやればやるほど自分の音楽的な自信がえぐられていく。つらい。かなしい。
こんな1ヶ月になるなんて、春休みには想像もしていなかった。
いつになったら少し元気になれるかな。なりたいな。安心して寝たいな。ふと泣いちゃうようなことがなくなるといいな。
また気づいたら1年以上経っていた。最近のこと。
2020年、コロナという恐ろしいものが流行り、日常がいかにありがたいことで、幸せなことか教えてくれたような気さえします。
私はというと、演奏活動は緊急事態宣言中は自粛、勤務校は5月よりオンライン授業が始まりました。
演奏自粛前最後のステージは3月末、ステージ数は少なくなっていて、終了後ものすごい勢いで帰宅し、お風呂に入るまで私に会わないでと家族に予め連絡し、凄い勢いで入浴したことを覚えています。
そのあと6月末まで演奏活動はなく、人生の中でこれほど人前で弾かなかったのはいつぶりかな、なんて考えつつ、久々にゆっくりピアノの練習をしたりしました。
(実はまた自主自粛に入っていて、演奏活動はお休みしています。というのも私の祖母が人工透析をしているからです。)
オンライン授業は、パソコンに向かってひたすら話したり、一瞬ピアノを弾いたり、、学生はマイクもカメラもオフのため、全く反応が返ってこない中やっています。これは今も継続していますが、だいぶ慣れてきました。毎週100を超える履修者からの課題提出を抱え、添削→返却をしつつ次回の授業を組み立てる日々、最初は発狂しそうでしたが、今では楽しくやっています。
さて、そんな日々の中で、時々手指や他の関節が痛くなることがありました。でも、自宅にいすぎるから運動不足なんだろうな、久々にピアノの練習してるからだろうな、と思い続けていました。
指なんて、痛くなっても2日で治るしな、自然治癒力やべぇな、なんて思っていました。
しかし、痛くなる指は赤く腫れることが多くなり、ちょっとおや?と思い始めていました。いつから痛いんだっけなあ、と思いながらツイッターを遡ったら、去年の9月にも「突然痛み始めて突然治る、この痛みは一体…」というツイートを見つけ、あれ、もう一年近く悩まされている?と思い始めました。
指を酷使したわけでもないのに、突然痛み始めて赤く腫れる、数日で治るが、他の部位にうつったりうつらなかったり。でも痛くないときはすこぶる元気なんです。痛いとき(大体夜間に絶好調な痛みが襲ってきます)は大好きなドラマを見ていても、ため息混じりになるほど…(やまとなでしこを見てても痛みで欧介さんに集中できないときがあった)
いよいよおかしいと意を決して病院へ。レントゲンを撮ったりお医者さんと話し合ったり。血液検査もしました。看護師から「血液、4本分とります!!」と言われたので、「え、4本ってそんなに多いんですか?」となったところ、「普段も3本くらいはとります」なんて言われたりしたなあ。
結果、異常なし。よかった…と思いつつ、じゃあ一体これはなんなんだよ!!となっています。
実は、症状的には「回帰性リウマチ」と似ていて、検査はリウマチの検査だったのですが、異常なしだったのでとりあえず今は様子見の状態です。
ちなみに皆さん馴染みがあるリウマチは多分「関節リウマチ」であって、この回帰性リウマチは少し特殊なものです。
まあ、ただもし仮にそうだったとしても実は治療法がないのです。痛くなったら休む、痛み止めを飲む、以上。
しかもいつ痛くなるかわからない。さっきまで元気だったのに突然指痛い…になるのです。
今までわりとモリモリピアノを弾いてきました。ありがたい事に1週間毎日本番をしていたこともあったっけ。
今だって、痛くなければバリバリこなせます。ただ、夜の本番、時々痛みのために顔をしかめたり、指をサスサスしてることがあるかもしれません。
今のところ仕事を減らす気は一切ないですが、はあ…となっているときは「今度餃子いこ?」と言ってください🥟🥟🥟🥟🥟🥟2日くらいしたら痛みから復帰するので。って今はコロナだから行かれないけど。ああ餃子たべたい。
早く安心した世の中になって。お願い。
そんな弱気を吐いてしまうほど、今日は悲しい出来事もありました。生きるって難しいのだ。ただ、生きていないと、悲しいことも嬉しいこともつらいことも何も経験できない。
なんだろうなあ。なんでこんなに悔しいんだろう。
気付いたら1年以上経っていた。
この前後輩に、ブログ楽しみにしています、と言われた。
ブログ?なんの?
と思ったが、私ブログ書いていたのだったと思い出した。久々に見に行ったら前回の記事は去年の2月。まだ勤務1年目、初めての冬を迎えたところだった。
あれよあれよと2年目を終え、3年目も前期が終わろうとしている。
早いなあ。
いや無駄に早い。
さて何を書こうか。思い切って演奏会の宣伝でもしてしまうか、なーんて安易な考えが頭をよぎったが、せっかくなので私の好きなものでも書こうと思う。箇条書きに。
・音楽
当たり前だ。音楽が好きだから生きているようなものだ。
・作曲、ソルフェ、ピアノ
好き。大好き。演奏活動だって授業だって楽しい。好き。
・テンションコード
そう、普通のドミソも美しいのだが、どうしてもドミソシレファ♯ラって指が動く。
・跳躍音形
もちろん順次進行でキマッた時の気持ちよさも好きだが、長7度跳躍しかも下降とかされたときはアウト。
・え、そっちいくの?っていう転調
昔から転調魔と言われているのだが、そのためか転調には人一倍敏感らしい。ふと聞いていた曲のキーが変わった瞬間はどうやって変わったのか、何が起きたのか、ほぼほぼ巻き戻して聞いている。
…どうしよう音楽ばかりでつまらない。
・餃子
これも知ってる人が多いだろう。一定期間食べないとイライラしてくる。
これも知ってる人が多いだろう。水とジントニックを間違えたときは本当に悲しかった。
・電車
・いい匂いの香水
これあまり知らないかもしれないが、結構クンクンするの好き。
・たこわさ
これはジャズ研民は知ってる人が多いかもしれない。ちまちま食べていたい。
好きすぎる。ずっと見ていたいし出来るなら飼いたい。
・音大の夜
みんなが練習している音がいろいろ聞こえてきて、陽はおちてきていて、ノスタルジックで好き。
・Central Park West
11/29に仙川フィックスホールで個展を開催します!!総勢11人の演奏家の方々とモリモリワイワイします!!ぜひきてくださいね!!ご予約待ってます。
あー結局告知しちゃった。
最近思うこと
を、箇条書きにしてみよう企画。
・日の出前に家を出ることの快感(大学勤務)
・なんだかんだ、京王線ってかっこいい。アナウンス聞いていると惚れ惚れする。特に調布から先の駅名。聖蹟桜ヶ丘…高幡不動…かっこよ。
・生徒にソルフェージュを教えることが本当に楽しい。勤務日の前日、当初はただただ緊張で寝られなかったけれど、今となってはワクワクも混ざりはじめてる…幸せ…
・でも和声聴音を弾きながら、アァ…良い…となっているのは私だけだから、それはちょっと恥ずかしい。ポーカーフェイスだけど。
・そしてそのあとランチを食べ過ぎてしまう。ご一緒している先生は、きちんと身にあったように控えているのに…なんならその先生の分も食べちゃう。だから最近さらに腕がパツパツなんだ。お腹もよくない。
・今日食べたから良かったけれど、餃子を食べない期間が長くなるとイライラしてきちゃう。餃子好きな方は定期的に私に声かけて下さい。
・そんな中、私がニラ好きだと話したところ「え、じゃあチヂミでよくね」と言った友人(後輩)がいた。餃子との違いをきちんと知っておいてもらおう。
・まあ別に餃子だけじゃなくてジントニックも好きだし、だし巻き卵だって好きだし、ラーメンだって好き。パクチー以外は。
・パクチー好きですか?の問いを今までいろいろな人からされてきたけれど、私が嫌いで相手が好きだった場合の負け組感がすごいからわりとシュンとする。
・そもそもパクチーを食べられる人が勝ち組という世の中の風習みたいなのはよくわからない。それなら山椒とかわさびもその部類にいれてほしいくらい。
・シュンとするといえば、同じ時間を過ごしているのだから、1人だけ頑張ってあとの人が好き勝手過ごすことによくシュンとしている。1人が勝手にやっているならまだしも、みんなのためにやってることだとしたら、それはちょっとおかしくない??
・いや別に正座して待ってろ、とか何も食べずにいろよ!飲むなよ!とかそんなこと微塵も思ってなくて、そのなんていうのかな……
・ダメだ、よくない。ブラックが出てる…でもそういうときに私の顔がボロボロになるから、ちょっと察してほしい…とか思ったり思わなかったり。いや大丈夫、今まで通りで大丈夫。
・思う、で感じるけれど、言葉にしてなくても態度なり温度なり音なり、音なり!!音なり!!でわかるからね、本当にそれはわかっちゃう。かなし。
・時々、あ〜自分が何も言わずに神隠しにでもあったかのようにこの場から消えたらどうなるかな、とか考えるのは高校生くらいのときからの癖で、昔は考えるとすぐ泣けてきてたんだけど、最近は本当どうなるのかな…て勝手に考えてスッとしてる。オトナになったのか、達観してるのか、なにかを諦めているのか。
・これだけ書くと、すごい暗くない?ってなるけれど、たしかにやるせないことも、許せないことも、怒りたいことも、おかしくない?て思うこともたくさんあって、本当だから仕方ないんだけど。最近は男女の差とか役職の差とかもひしひしと感じることが多くて、心の中でハテナマークを並べに並べているけれど。
・でも楽しく過ごしてる、欲を言えばもう少し毎日を踏みしめて、あ〜自分も必要とされてんだな〜愛されてるな〜良かったなあ、おやすみ。ってしたいけど、それはきっと態度でかっっ!てなるだろうから、自然に穏やかに過ごしていかれていれば良いな。
・ってこういうこと考えているときに限って泣きそうになるから、今日はめぐリズムでもして穏やかな夜を過ごそう。
たまには真面目なことも語る(今となってはよい想い出である)
これまで3回記事を投稿したが、その全てにおいて過去のことを語っていて、私って過去を振り返りすぎてない????!!!となったので今回は現在の話をしようと思う。
真面目に話すのは私の音楽の話である。
私は3歳からピアノを始めた。母氏はヴァイオリンを習わせる気だったらしいが、幼なじみのSくんに誘われてピアノを習った。
当時のピアノ教室は特に厳しさもなく、のほほんと楽しくゲンコツで鍵盤を叩いたりしていた。
でも家では母氏のスパルタピアノ指導があったのは今となってはよい想い出である。赤いキーボード。鍵盤のところにはアヒルのシールでド、レ、ミ・・・・と貼ってあるが今にも首がもげそうであった。
・・・・・・・・とまた過去のことを話しているが続ける。
幼なじみのSくんはメキメキ上達した。ピアノの教本もどんどん先へと行き、私はそれを追った。その競争心も今となってはよい想い出である。
さて、月日は流れひょんなことから小1で作曲の先生につき、レッスンを受けるようになった。私は幼稚園の年長から作曲を始めていたが(作曲をしなくてはいけないカリキュラムのコースにいた)初めて作った「猿のテーマ」をどうしても誰にも聞かれたくなくて、家でも恥ずかしくて弾くことが出来ず、母氏と大喧嘩したのも今となってはよい想い出である。
その作曲の先生は、私が作っていった意味のわからないテーマをその場でおしゃれに料理してくれた。黒鍵だらけのテーマも、意味の分からないコード進行の曲も。
どうしておしゃれになるんだろう、先生が弾くピアノは私と何が違うんだろう。
家の中では母はクラシック、父はジャズをときどき流していた。クラシックではそれこそベートーヴェンもブルックナーもラフマニノフも流れていた(今でも年末になると第九を流す母氏とプチ喧嘩をする)父はエバンスやチックコリア、タニアマリア、MCハマーとかも流していたっけ。Can't Touch Thisを空耳して唄っていたのも今となってはよい想い出である。
そのあたりから自分の和声感が乏しくておしゃれにならないんだろうと何となく察し始めた。聴く音楽はどれも自分の耳コピではわからなくて、きっと何かスパイスというか差があるんだろうな、と。
そんなとき作曲の先生からモーリス・ラヴェルをオススメされた。名前は聞いたことあるけれど、ちゃんと聞いたことはないな...とレッスンの帰り道に考えた記憶がある。「ソナチネ」は多分パッと聞いて好きになると思うけれど、「ラ・ヴァルス」は聞けば聞くほど味がでるさきイカみたいな曲だよ。何度も聞いてみなさい。と言われたのを今でも思い出す。
小学生の私「ねえ!ボレロって曲知ってる?あれ作ったのラヴェルって人なんだって!私ラヴェルって人が好きなんだけど、同じ作曲家があの有名な曲作ってるなんて知らなかった!!!!」
と友人に下校中得意げに話した記憶も鮮明に残っているが、当たり前に友人の顔は?????だった。ごめんりさちゃん。
私はラヴェルが大好きになった。ピアノの先生に無理を言って発表会で弾くくらいラヴェルのとりこになっていた。そのとき、新しい和声が見えた。
同時期に父氏からも「Giant Steps」を聞かされたっけ。かっこいい曲がたくさんある、私もそういうのを作りたい.....となった。
そのあたりから、1ついい和声を見つけるととりあえず半音ずつずらして「快☆感」となることに目覚めてしまった気がする。変態。とにかく多くの和声を知りたかった。知って自分のものにしたくて必死だった。今でも「快☆感」はよくやっている。変態。
小6でフランシス・プーランクに出会った。衝撃だった。これだ!!と思った。結婚相手が見つかったようだった。そのとき、私は作曲家になると決意したんだっけな....プーランクに出会っていなかったら私は今なにをしているかな...と思うほどである。
プーランクの楽譜を見て、好きな和声を見つけて、「快☆感」となった。それだけじゃ物足りず、プーランクの和声に音を追加していって、さらに新しい和声を見つけることにドキドキしていた。
そのあとも出会う曲出会う曲和声を調べてはおったまげて、ああああすごいなあとなった。
大学受験時、様々なCDを図書館で借りていたが、そのときにカプースチンに出会ったことも忘れない。やはり受験ではロマン派くらいまでのイメージの作品を書くため、近現代よりかはロマン派までの曲を多く借りていた。そこに紛れ込んだカプースチン。家に帰って1枚1枚聞いていたときの、えっえっ!!!!!!!!これは.......となったことは今となってはよい想い出である。気持ちとしては、本当は崇拝したいのにそれを隠すような、そんな気分だった。
大学に入学してから和声への思いがどんどん強くなって、(和声法への思いは強くなry)言葉に出来ない気持ちや胸をぎゅっとされるような思いや和声に人生を重ねてしまうことなど........変態が加速している。でも止められない.....困った.....私のまわりの人はきっとそんな姿をよく見ていると思うが、大丈夫だ、放っておいてくれればいい。
ということで私がやられる......和声の曲を貼って終わりにしようと思う。好き。えぐられる。