やんこのブログ〜1200g極低出生体重児の妊娠、出産、子育て〜

極低出生体重児の第二子出産。NICU、GCUや、退院後の生活について。

早く産んでしまってごめんね

母子手帳には節目節目に子どもへのメッセージや成長を記入する欄があります。

 

振り返って見ると、生後2ヶ月ぐらいまでは何度も「ごめんね」と書いてありました。

 

正産期までお腹にいさせてあげられなくてごめんね。

早く、小さく産んでごめんね。

 

 

ある心理士の方に聞きました。

子どもって、親の期待に精一杯答えるものだそうです。

それが負の期待だったとしても。

例えば、

  テストで悪い点数取ったらどうしよう

  何か悪いことしたらどうしよう

なんて思っていると、その通りになってしまうのだとか。

 

それが本当かどうかは分からないけど、親には引け目を感じるよりも自分のこと信じていてほしいよね。

 

だから「ごめんね」ではなく、

「早産になったけど、あなたが頑張ったから無事に退院できた!あなたには困難を乗り越える力がある!」

そう信じよう、と決めました。

 

早産で産まれたからかは分かりませんが、1歳の次男はよく風邪をひきます。まだハイハイです。喋れる単語はブーブーだけです(それもごくたまに)。

私はそんなに強い人間ではないので、誓いを忘れては落ち込み、夫に喝を入れてもらう、を繰り返しながら、なんとかやっています。

 

ごめんねって思ってしまうことはまだたまにあるけど、母子手帳に書くのはやめました。

小さいねという言葉

早産児を産んだ母親なら分かると思います。

 

「小さいね」と言われると心をえぐられたような気分になってしまう。

 

たとえそれが何の他意もなく、「赤ちゃんて小さくて可愛いー☆」という意味だったとしても。

 

私が正産期までお腹にいさせてあげられたら違ったのに。

あの時、走ってしまったから。

上の子にかまけていたから。

悪阻がつらくて妊娠嫌だと思ってしまったから。

だからこの子はこんなに早く出てきてしまった。

 

なんの他意ない一言でどこまでも自分を責めてしまう。

 

一人の友人は

「産まれた時の○倍になったの!?すごいね、頑張って大きくなったんだね」

とごく自然に言ってくれました。

 

思わず泣きそうになるぐらい、嬉しかったです。

 

次男出産⑤(完結)

こんばんは、やんこです(^^)

少し間が空いてしまいましたが、次男出産の完結を書きたいと思います。

 

30週で緊急帝王切開をすることになり、あれよあれよと手術台の上に乗り、麻酔もかけていきました。

 

思えば長男も妊娠高血圧による緊急帝王切開で、全く同じ手術室で産まれました。

でも長男は38週だったし、2日前ぐらいには手術をすることが決まっていたので、和気藹々とした雰囲気でした。

 

それを思い出しながら、手術台に乗り、その時との違いを思い知らされる度につらかった…

 

3年前はBGMがかかってたな。→かかってない

先生方と談笑したな。→そんな余裕ない。

 

一体どんな子が産まれてくるのだろうか。

長男よりうんと小さいんだろうな。

長男は産声を上げたけど、きっと泣くことはできないんだろうな。

 

そんなことをぐるぐると考えていると…

先生「はい、産まれました、男の子です!」

 

案の定、泣かない。

ほんの一瞬だけ顔を見せてもらって(ほぼ見えなかったけど)すぐに新生児科の先生にバトンタッチ。呼吸ができていなかったので挿管してもらっていました。

 

長男の時は産まれた瞬間にBGMがハッピーバースデーに切り替わったけど、当然それもない。

この子は産まれたことを祝福もされないんだろうか…なんて思って、また泣きそうになりました。

 

とその時、少し遠くから弱々しく

「オギャー」と泣き声が!!

私「今、泣きましたよね!?あれうちの子の声ですか?」

(看護師さんか先生)「そうですよ」

 

あの子泣ける力があるんだ、と思うとあまりの嬉しさに私も泣けてしまいました。

ほんの一瞬泣くとすぐに保育器に入り、NICUに運ばれていってしまったので、顔はほぼみられませんでしたが、あの時の声は今でも忘れられません。

 

少し大袈裟だけど、あの時の泣き声だけで一生分の親孝行をしてくれたのかな、と思ってます。

 

出産編、完結です。

次はNICU編!!

 

次男出産④

次男出産③の続きです。

 

29週で陣痛のような痛みに襲われましたが、何とか点滴で産まれずに済み、点滴の副作用(ほてり、息切れ、気持ち悪い、など)と戦いながら4日ほど経ちました。

 

さすがにここまでくるとお腹の子が心配でたまらなかった私😔

長男も祖母に連れられ毎日お見舞いに来てくれましたが意外に大丈夫そう。

このまま正産期までお腹にいてくれ、と祈るばかりでした🙏

 

30週の健診が終わり

「子宮頸管がかなり短くなっているけど、これ以上できることはないからこのまま頑張りましょう。」

とのこと。とにかく安静を心がけました。

(コンセントに繋げる点滴だったから、動き回ること自体不可能だったしね😅)

 

そしてその日の夕方。

全然痛くはないけど、何だか張りが…。

時間をメモすると15分の等間隔…。

 

ナースコールしてまたモニター。

何かがおかしい…

モニターしてくれてるけどまたナースコール。

 

あんまり痛くないけど胸騒ぎがしたので結構痛いです、と痛みを盛って申告し(笑)、念のため、と先生に診てもらうことに。

 

 

その日は年末休み。

当番の先生は知らない先生で、帰るところだったのかとても面倒くさそう😱

先生「痛いんですかぁ?」

私「(本当はあんま痛くはないけど)痛いんです」

先生「念のため内診しますねー

      …………あっっ!!今何週だっけ?!」

ナース「30週です」

先生「うわっ💦💦すぐにN(ICU)の先生に連絡して!!!」

先生「子宮口が5センチほど開いてます。このままだと産まれてしまうのですぐに帝王切開をします。」

私「えっ、えっ。どうしよう…どうしよう…」

先生「大丈夫。この県ではここで産むのか一番安全です!私たちに任せて下さい!」

 

先生、さっきまであんなにダルそうだったのに、急にコウノドリ先生みたいにカッコいい😂

 

そこからはそれこそコウノドリのように緊迫感の漂う中、バタバタと病室にナースや先生が入れ替わり立ち替わり。あっという間に手術の準備は整いました。

 

私はというと、ボロボロと泣きながら主人や両親に電話をし、どうしてこんなことにとパニックになりながらも、手術の直前に麻婆豆腐をモリモリと食べたけど大丈夫なのかと密かに心配をしました。(普通手術前は絶飲絶食だよね)

次男出産③

次男出産②の続きです。

 

29週で強いお腹の張りにより入院し、同室の方のいびきに困っていた私。

 

とにかく寝よう、と思っていたらお腹に強い痛みが…。

点滴打ってるのになんで…と思いながらナースコール!

 

ナース「10段階でいうとどのくらいの痛みですかー?」

私「(よくわかんないけど、死ぬほどの痛みじゃないし)2ぐらいですかねー?」

ナース「モニターつけますね。また様子見に来まーす。」

 

モニターとはお腹につけて張りや胎児の心音を数値化し確認する器具。ナースセンターからもチェックしてくれます。

 

でもどんどん痛みは増していくばかり。

ナースを呼んでは

「さっきより痛いです😵3です!!いや4かも!!!」

一人でも

「うーー!!痛いー!!ううー!!」

とのたうち回り、先生も来てくれることに。

 

事前にナースには痛みレベルは4だと申告したのですが、

医師「これ本当に4なの!?」

私「もうよくわかんないです!!!とにかく痛いです!!!」

と軽く怒られつつ、点滴の薬をどんどん増やしていきました。

 

結局一晩中この繰り返しで気づいたら朝に。

 

朝になって新しく追加した薬が効き、なんとか産まれずにすみました。

 

落ち着いたところで

先生「昨日は大変だったねー。もう産まれるかと思ったよー。なんとか薬が効いたけど、副作用強いから頑張ってね!!」

私「はい、頑張ります…(ゼェゼェ」

 

思ったこと。本当に痛い時ってどのぐらい痛いかなんて考えられなくないですか?😭

後から考えるとあの痛みは4どころか9とか10でもよかった😂

 

あと、同室の人、うるさいとか思ってごめんよ…。私の叫び声で絶対起きたよね…

(うるさいから途中で個室に移されたけどね)

 

続きはまた🙇‍♀️次は産まれます。

次男出産②

こんばんは、やんこです(^^)

 

前回の続きです。

 

妊娠29週で急遽里帰りをし、すぐに里帰り先の病院にかかりました。

でも里帰りしたとたんに血圧は下がり(150ぐらいあったのが、120に!)、張りもないし、子宮頸管の長さも異常ないので、入院はしなくていいことになりました🥳

長男のことが気がかりだったので安心した私。

またすっかり調子に乗り、早速長男と公園に出かけました💧

 

でもその日の夜19時ごろ。

急にお腹が張り、お腹が痛み始めました。

と、思うと痛みはなくなり、また30分後ぐらいに痛む…。

念のためもらった張り止めの薬を飲んでも治らず、むしろだんだん間隔が短くなっていく。

 

実家の母「まさか、陣痛じゃないよね…?」

私「まさか!まだ29週だし、痛いっていっても我慢できる程度だよ!」

 

とはいえ心配になったので、病院に電話をし、すぐに診てもらえることになりました。

 

ここで考えたのは

(もし正産期まで入院だったら1ヶ月以上…長男が心配だし、どうか入院になりませんように…)なんてこと。お腹の子のことは二の次になっていました。

 

夜21時ごろ、病院に着いても相変わらず規則的な痛み。

子宮頸管は短くないけど、張り止めの薬が効かないのが気になるのでやはり入院に。

点滴を打ち少し張りも治ってきたので、そのまま病室に行きました。

 

長男の時も妊娠高血圧で産前から入院していた、MFICU(母体胎児集中治療室)。

またここに入ることになるとはなぁ…と無駄に感傷に浸りつつ、看護師さんとも「また戻ってきちゃいました😅」なんて話す余裕までありました。

 

付き添ってくれた主人が入院準備をしてくれ、23時には一人病室に。

 

いや、一人じゃなかった。

二人部屋だったのです。

 

病室に入ったのが消灯後だったので明日挨拶しよう、と思って寝ようとすると、とんでもないいびきが…😵😵

 

自分でコントロールできるものでもないしね?妊婦はお腹が重くて眠りも浅いから仕方ないんです😭分かってる😭でも本当に寝られない…😭😭😭

 

明日もこうなら、こっそり看護師さんに病室替えてもらえないから聞こう…と思いながら寝る努力を始めたのでした😭

 

なかなか出産に辿りつかない…続きはまた🙇‍♀️

次男出産(30週)①

ご無沙汰しております。やんこです。

 

気づいたら1年経っておりましたが、またブログをやりたくなったので一新して更新します!

(すぐに飽きるかも…😱)

 

次男は妊娠30週の早産で産まれました。

 

思えば妊娠中から何度も出血をし、切迫流産・切迫早産を繰り返し、仕事も何度も休んでいました。

(休みまくって周りにいやーーな顔をされていたのはまた別の話🤫妊娠トラブルって経験者しかわからないもんね…)

 

出血があるとすぐに病院に行き、一応医師の指示に従って休業はしていましたが、産まれる直前までまさか早産になんてなるわけないと信じていた私。

安静指示が解けるとすぐに2歳の長男に求められるまま抱っこしたり、公園で遊んだりしていました😅

 

妊娠8ヶ月。3度目の切迫早産で仕事を休み安静にしていましたが、今度は高血圧になってしまいました。

先生「一人目も妊娠高血圧になったんだよね?この週数でこれだけ上がると厳しいねー。もう里帰り先に帰った方がいいねー。」

私「え、でも仕事の引継ぎとかまだ全然…ごにょごにょ…」

先生「まぁ早いうちに帰りなさい。うちで産むつもりないんでしょ?」

私「はい…」

この期に及んで(やべー、引継ぎ資料できてねー…送別会やってもらうけど出れないー…里帰り早まるから長男の保育園にも事情話さなきゃー、うわーめんどくさー)とか考えてました。

 

結局方々に謝って、なんとか1ヶ月ほど産休を前倒し。↑の診断から1週間後には実家に帰りました。

 

はぁぁ…こうやって書いてるとなんてひどい母親…😨

仕事に家事に長男の世話で、お腹を撫でたり、話しかけたりも全然してなかったな。

それどころか妊娠週数すら忘れたり、長男妊娠の時とは大違い。今でも次男には申し訳なかったなーと思います😭

(今でもほったらかしになりがちなんだけどね🙄)

 

続きはまた今度🙇‍♀️