ワシは如何にしてベイスターズファンとなりしか

ファンになった理由だけを書くわけではないのです。ベイスターズの観戦記を中心に、気ままに書いていきます。

なかなか熱い、無観客試合

開幕まで一週間をきった。

DAZNアカウントも再開させて、練習試合を見始めた。
実は、無観客の試合なんてなぁ…とか思って、オープン戦は見てなかった。なんだか見てると寂しくなっちゃいそうでさ。
だけど開幕目前、もう我慢の限界、無観客の練習試合でも見たい!と思って見てみた。

見てみると、これが結構、熱くなるんだな、予想外に。
打球音もよく聞こえる、と無観客を評価するコメントもネットでよく見かけたが、それもそうだが、何より見てて熱くなる。

こんなこと言っちゃ、選手のみんなに失礼だが、いやホントに失礼を承知で書くのだが、無観客試合なんて淡々とゲームが進行するだけと思っていた。
だけど、プロである選手がそんなはずはなく、実際に見てみると、そこはやはり真剣勝負の世界だった。
もちろん練習試合だから、投手は様々な球種も試したり、監督も起用や采配にまだ試している部分もあると思うけど、一球一球、ワンプレイワンプレイは真剣勝負だ。

やっぱり野球というのは、素晴らしいものだな。

さて、昨夜は昨夜で相変わらず野球を見に行く夢を見た。
昨夜は、なぜかカープの応援席にいて、あの立ったり座ったりの応援をした。客席は一席ずつ空けられていたけど、あぁ、やっとこういう応援もできるようになったんだな、と思った。
「お前、ベイスターズファンじゃないのか!」「応援しながら野球が見れれば、どのチームでもいいのか!」という、お叱りも受けそうだ。

でもね、夢だから仕方ないんだよな。見ちゃったんだから、夢で実際に。
こんな自分が、なんだか、いとおしくなってきちゃったよ。
「お、おまえ…そんなに球場へ行きたいのか」って、自分で自分に思ったね。

無観客試合、予想外に見てて熱くなるし、開幕が楽しみだ。
だけどやっぱり、生で野球がみたい。
このブログも、観戦記を記録していくつもりで始めたから、ネタがない。
まあ、こんな調子で、時々気まぐれに書いていくしかないかな。

夢にまで見た

前回、記事を書いたのが2月末か・・・。
長かった・・・。
前回記事ではハマスタでのオープン戦第1戦目のチケットをとったことを、得意げに書いたっけなぁ。いい気なもんだったよ・・・。
このブログを見てくれている数少ない人たちにとっても、長い長い日々だったでしょうね。

みなさん、何してました?
ワシは野球を見に行くことと、飲み歩くことが楽しみな人間なんで、もう家にいるしかなかったね。
それで、この数ヶ月、何度となく夢をみたよ。野球を見にいく夢をさ。

ある時はなんか、サーカスのテント小屋みたいなところで試合があって、ワシはそのテントの隙間からのぞき込んでた。
ある時は、家に帰ったら、8年前に亡くなったはずの父が興奮して出てきて、「おい!今晩プロ野球があるぞ!!」と言うんだ。もっとも父はジャイアンツファンだったけどね。

極めつけは、いよいよ明日(5/25)には、開幕日が決定されるらしいというニュースを聞いた夜、公園みたいなところで、いやあれは公園だな、そこで行われた開幕試合に行った夢を見た。
ワシはバックネット裏あたりのベンチに座ってみていた。公園だからネットはないけどね。
外野方面に目をやると、みんな応援歌を歌っている。コロナ問題があるのに、歌って大丈夫なのかなと思ったが、皆行儀よく横一列に並んで歌っている。あぁ、あれなら平気だ、やっぱり応援歌が聞けないと、つまらないよな、と思った。

ベイスターズは最終回、満塁と攻め立て、最後は相手投手がワイルドピッチ、その球がワシの方に飛んできた、ビックリしたが、もう興奮したね。開幕サヨナラ勝ちだ。
外野のファンは、ブルーのビニール傘を広げて喜んでいる。ここらへんは夢の中だから、ワシも「あぁ、勝利のブルーの傘は美しいな」と何の疑問もなく思っていたが、目が覚めたら「応援しているチームが違うんじゃないか?」と思ったよ。

試合が終わっても、まだ勝利の余韻に浸っているファンが残っている中、ビールを飲むことを忘れていたことに気が付いた。近くのコンビニでビールを買って、公園のベンチに腰掛けて、プシュッと開けたね。

 

人の夢の話なんか、面白くもなんともないだろうけど、ワシ自身に対して「よく耐えた、よく頑張った!」という想いも込めて書かせてもらいました。
そして、ファンのみなさんも、あなたも、そう、そこのあなたも、よく頑張った!
前みたいに、満員のハマスタで応援歌を歌うには、まだまだ時間はかかるかもしれないけど、とにかく開幕だ! 休止していたDAZNアカウントも再開だ! 日本経済も動き出すぞ!
そして、この記憶に残るシーズンに、我がベイスターズは優勝するのだ!

 

球春、近づく

いやぁ、長かった。
10月にCSが終わり、11月にプレミア12が終わってから、やっとこさ、待ちに待った2020年シーズンが近づいてきた。

オープン戦1試合、4月公式戦4試合分を購入

もうファンの皆さんは、チケットも入手して、今か今かと試合のある日を持ち構えていることでしょう。
ワシも、ハマスタでのオープン戦初戦(3/7)をスタートとして、4月の週末4戦分のチケットを入手した。
しかし、今年は昨年とチケットの金額も変わり、ワシのお気に入りの「ウイング席」もフロントととの2種類の席に分けられて、なかなか席選びや購入に、迷うところもあった。

先行発売の状況

ワシはファンクラブのチケットコースに入っている。
そこで、4/10(金)読売戦は特典チケットを利用しようと考えた。で、4/11(土)読売戦を先行発売で購入しようとしたのだ。ワシはゴールドステージだから、第2次先行の2/18(火)17:00発売開始である。
17:00は仕事中なので、夜9時頃アクセスしたのだが、すでに「ウイング席」くらいしか空いてなかった。もっとも「ウイング席」でいいと思っていたので「ウイングわけあり席」を取った。

今年のウイングわけあり席

この「ウイングわけあり席」だが、昨年は種類が分かれていたと思う。ワシはよくポールが邪魔して本塁あたりが見にくい、確か「わけありC」席で何度か観戦した。この席、実は通路側の席が取れることが多くて、多少見えにくくてもワシにとってはなかなか良かったのだ。
しかし、今年はこの「ウイングわけあり席」の種類が記載されていなかった。結局、チケットを取ってみたら、内野よりの「ウイングわけあり席」になったのだが、なぜそこが「わけあり席」なのかは、よく分からない。ワシにとっては初めて観戦する席である。昨年なら、そこらへんの説明もサイトに載っていたと思うのだが、今年は見当たらない。
まあ、行ってみてのお楽しみなのだろう。

特典チケットを利用してみる

さて、「特典チケット」でとるつもりの4/10(金)読売戦の予約開始は、ゴールドステージの第2次先行発売から遅れること3日の2/21(金)12:00からである。
この日は幸運にも仕事が休みだったので、12時からアクセスを試みるも、混雑していてつながらない。12:40頃ようやく繋がったら、もう「ウイング席」くらいしか残っていなかった。
昨年は特典チケットを利用して、普段は買わない(買えない?)内野席をとったりした。今年もそれを期待していたのだが、なんだか結局また「ウイング席」になってしまった。

特典チケットや先行発売について思う

ふと思ったのだが、この特典チケット、ローソンの「Loppi」でも買えるから、空いてそうなローソンへ行ったほうがよかったのかもしれない。次回利用時は、それで試してみよう。

ステージ別先行発売にせよ、特典チケットにせよ、各ステージ向けの割り当て、特典チケット向けの割り当ては決まっているのだろう。そうでないと、一般の人が購入できる分がなくなってしまう恐れがある。
そう考えると、先行発売や特典チケットも、球団人気が高まるにつれて、うま味が薄れてくるのは仕方ないことなのかもしれん。

追加で一般発売後にチケット購入

さて、4/3(金)、4/4(土)に入れていた予定がキャンセルになったので、この日のヤクルト戦も行くことにした。それで昨夜、ベイチケからチケットを購入してみた。
もう一般発売もされているから、どの程度席が空いているか不安だったが、まだまだ何種類かの席は空いていた。
そこはそこで悩むところである。

「ウイング席」もフロントとノーマル(?)に分かれ、内外野・ウイングともに、「わけあり席」があって、価格がそれぞれ微妙に違う。
ワシも暇だったし、時間を争う先行発売でもないので、じっくり席番を確認してどの席にしようか考えた。

その結果、「ウイング席」、と「ウイングわけあり席」をそれぞれ押さえた。
まあ結局ウイング席になったのだが、まだまだ長いシーズン、今年は何回ハマスタへ行けるか分からないけど、あまり春の段階でチケット代にお金を使っちゃうと、肝心な夏から秋にかけて、地方遠征もできなくなってしまう可能性があるからね。
なにしろ今年は優勝する年だからナゴヤドームくらいは乗り込むつもりだから、春のうちは節約しないとね。

というわけで、まずは3/7のオープン戦が楽しみ!

と、ここまで書いたら、コロナウイルスの影響で、果たして開催はどうなるのか、分からなくなってきた。
どうなることやら。

ベイスターズファンへの歩み④【ベイスターズとの遭遇】

ワシがベイスターズファンになったいきさつで、プロフィールみたいなものです。時間と興味があれば読んでみてください。

2019年の出来事

50代になった当初も、ワシは、それほど熱心にプロ野球を見ていたわけではない。
だけど、子供たちの話では、周りはベイスターズファンが多いとか、友人の話でも、ベイスターズファンばかりだよとか、いつの間にか、ベイスターズファンが増えている印象があった。

だけどワシは、相変わらずタイガースファン、甲子園球場ファンで、段々とまた年1,2回は甲子園へ行くようになっていった。

そんな中、2019年になって、仕事のことで大変な出来事が起こってしまった。その内容はここで書くことではないだろうし、そもそも書こうとしたら膨大な説明が必要になってしまう。
とにかく、2019年のワシは、大変な状況になったしまった。これはもちろん、いい話ではない。給料が倍になったとか、大出世したとかではない。つまり、よくない内容である。

2019年のスタートとともに起こった出来事で、心身共に疲れ切ってしまったワシなのであった。

初めての横浜スタジアム

そんな中のゴールデンウイーク、疲れ果てて何もやる気力が起きなかった。だけど、家にこもっていても、精神的にもよくない気がした。

野球を見たい。

ふと、思ったのである。
広ーい空の下、大きなスタジアムで、ビールを飲みながら、野球を見たい…。
甲子園球場に行こうか、と思ったが、新幹線だのチケットだの、とても今から手配するのは無理だ。

調べてみたら、横浜スタジアムでのゲームがあった。
さらに調べると「ウイングわけあり席」なら、まだ空席があった。

横浜スタジアムには、まだ行ったことがなかった。
わけありでも、なんでもいい、とにかく野球を見に行こう!とチケットを取った。

そうして、5月1日スワローズ戦に行ったのである。
天気はぐずつき気味。
午前の時点では、中止なのかなぁ、途中から雨が降るなら行くのやめようかなぁ、とか考えていた。
でも、家にいても気分が落ち込みそうだし、やっぱり行くか、みたいな感じで出かけた。

ハマスタ観戦、ベイスターズ勝利

この時ベイスターズは4月に10連敗を喫して、最下位に沈んでいた。
試合は、3回に1点先制、6回には連打で一気に4点追加した。
ワシは思わず席から立ちあがり、こぶしを突き上げていた。
雨が時々降ってきたが、そんなこと、全く気にならなくなった。

初めてのハマスタベイスターズの戦いは、快勝だった。
ハマスタは、甲子園に比べたら小さいが、スタンドの傾斜が強く、とても臨場感のある良いスタジアムだった。

ベイスターズファンに、機は熟した!!

その二週間後、もしかしたら、ベイスターズ、好きかもしれない、と思い、もう一度試合を見に行こう、と思った。
今度は神宮球場へ行ってみた。5月19日、神宮のスワローズ戦だ。

この日は濱口が完封、これまた会心の勝利だった。
まだまだベイスターズは最下位だったが、最高のゲームを見せてくれた。

ワシは、決めた。
ベイスターズを応援していこう。
仕事のことで、苦しい状態の今のワシを元気づけてくれたのはベイスターズだ。
子供のころから、気にはなっていたけど、ファンではなかった。
だけどきっと、50年近くたって、やっとやっと機が熟したんだ!
今まさに、ファンになる時が来たんだ!

と、いうわけで、ワシはベイスターズファンになったのでした。
めでたし、めでたし。 

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ベイスターズファンへの歩み③【優勝と暗黒時代を横目に】

ワシと自己紹介と、昔話みたいなものを長々と書いてます。興味がある人は、読んでみてください。

1998年、ベイスターズ優勝

タイガースファンであったワシにとっても、ベイスターズは気になる存在ではあった。
だけど、相変わらず選手名もあまり知らなかったんだけどね。

横浜ベイスターズになって、ワシは嬉しかったが、相変わらずパッとしない印象だった。

だけど、そのうちニュースで、佐々木という投手がセーブ王に輝いたことを知った。鈴木尚典という選手が首位打者を取ったというニュースを聞いた。
そうして、とうとう1998年の優勝を迎えることになる。

ワシは、タイガースファンだったが、やっぱり嬉しかった。
テレビのニュースで見た優勝パレードは、忘れられない。まるでニューヨークのように、ビルから舞い落ちる紙吹雪の中を、選手たちがパレードした。
「あのヨコハマが優勝したか」と、ファンでもないのに変な満足感があった。

ワシがプロ野球から離れていた時期

ワシは40代に入っていった。
この年代は、プロ野球自体から、少し離れた時代だ。
こうしてみると、ワシのプロ野球との関りには波があるな、と感じる。特に40代は、甲子園球場にも行くことが、何年かおきになってしまった。2003年、2005年の優勝年は結局、甲子園には一度も行かなかった。

ベイスターズは暗黒時代を迎えていたが、まだファンでもなかったワシからすると、時々ニュースを見て、「ベイスターズ、負けまくってるみたいだな」とか「そういえば、最近ベイスターズの話題を聞かないな」みたいな感じだった。

ワシの仕事も変化を迎えていた時期でもあり、プロ野球に、それほど関心が持てない時期でもあったのだ。

そしてDeNA時代を迎える

2012年、ベイスターズDeNAという企業が買い取るというニュースを聞いた。

その何年か前には、ソフトバンクがホークスを買い取ったり、楽天が新球団を立ち上げたりして、新しい時代のIT関連の企業が、プロ野球に進出してくるのを、「ああ、時代の変化だなぁ」と、ワシはしみじみ感じていた。

楽天ゴールデンイーグルスができるとき、ライブドアによる新球団の話もあった。
ワシは詳しいいきさつは知らない。そんなワシがこんなこと書くのは、本当に申し訳ないのだが、当時の様子を見て「成長企業が新事業に手を出したがってるだけなのかな」と感じたりした。(いや、ほんと、あくまでも素人が受けた第一印象なんで、楽天さんやライブドアさんを非難する気なんて毛頭ないので…)

同じようにDeNAが買い取る時も「ふ~ん…」みたいに、ワシは妙に冷めていた。
せっかく「YOKOHAMA」というユニフォームだったのに、「DeNA」になっちゃうんだ…と寂しくもあった。まあ、ファンでもないのに、なんだけどね。

DeNA…どんな球団なんだろう…

ところが、それから1年2年たつと、なんか様子が違うな、と感じてきた。相変わらず、ワシの野球熱は低い時代だったから、試合を見てたりしたわけじゃないし、選手の詳細やらは、よく分からない状態だった。

だけど、ある時、小学生の子供がベイスターズの帽子をもらって帰ってきた。
聞くと、学校で全校生徒に配ったらしい。
チームの年間スケジュールももらって帰ってきた。

「営業熱心だな」と皮肉っぽく見ることもできたが、ワシには単純に、そう思えなかった。
ワシの家は神奈川と言っても横浜から離れた県西の方である。こんな地区の小学生にも、しかも全員に配るなんて…ただの営業熱心の一言では語れないな、と感じたのだ。

ワシは「この球団、本気なんだ」と感じたのである。

帽子を作るお金はもちろんだが、公立の小学校で配ること自体、きっと乗り越えるハードルはあったはずである。それに対する、批判や、意地の悪い見方をする人も出てくる可能性も承知のうえだと思う。

野球そのものよりも、このDeNAという企業のやり方に興味がでた。
単なる成長企業が新規事業に投資しているだけなのか…。いや、ボラティアでやってるわけではないから、当然、利益を得ることを考えてのことだろうけど、それにしても…。と感じたのだ。

まあ、かといって、その時点でワシが、「じゃ、球場へ行ってみよう」とか思ったわけではない。ただ、「DeNAかぁ…やるなぁ…」と、心の片隅に残ったのだ。

 

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ベイスターズファンへの歩み②【タイガースファン時代】

ワシがベイスターズファンなるいきさつ。ワシ個人のプロフィールみたいなものだから、興味のある人は読んでみてください。

初めての甲子園球場

1980年代、ワシは関西での大学時代を終えて、東京へ越してきた。
野球には、それほど関心がない時期が、しばらくつづいた。

そんな20代の後半、神戸出身の大学時代の友人が結婚することになり、神戸での披露宴に呼ばれた。同じく東京に住んでいる、大学時代の友人と二人で出席した。

神戸のポートアイランドにあるホテルでの披露宴が終わり、二次会への誘いがあった。
久々に大学時代の友人に会ったから、二次会もぜひ行きたいと思っていた。帰りは、夜行寝台で帰るつもりだったから、時間はまだある。

ところがである。
東京から一緒に参加した友人が、とんでもない提案をしてきた。
「これから、甲子園球場へ行って、阪神の試合を見よう」

え?せっかく披露宴に呼んでもらったのに、二次会は行かないで、野球見に行くの?

友人も、特にタイガースファンではなかったが、甲子園球場へは行ってみたかったのだそうだ。そして、その日はジャイアンツ戦の日でもあり、大変盛り上がるだろう、と友人は言った。

タイガースファンへの道

果たして、甲子園球場へ着いたワシらは、まずチケットをダフ屋から買った。
今でこそネットでチケット販売が主流になり、取り締まりも厳しくなってダフ屋の姿は見なくなったが、その当時はまだまだ、球場に行くと普通に何人ものダフ屋がいた。

実はプロ野球、しかもナイターを見ること自体が、ワシは初めてだった。

甲子園球場に入場すると、もう試合は始まっていた。
通路には焼き鳥を焼く煙が充満していた。

そしてスタンドに足を踏み入れると、太鼓の轟音がお腹に響いてきた。大きな旗が何本も降られている。
一体、この世界は何なんだ…。
そして目の前に広がる、緑の芝と黒い土のコントラスト。

ワシはとりあえず、応援バットだけ買って、応援した。
選手もよく分からない。友人は少しは知っているようだった。
笛と太鼓とトランペットと歓声が渦を巻いていた。

タイガースが得点をした。
皆立ち上がり、大歓声、紙吹雪が舞った。
今はもう紙吹雪による応援は禁止だが、この時の、紙吹雪が舞う甲子園ライトスタンドの風景を、ワシは忘れることができないね。

タイガースファン? 甲子園球場ファン?

これが、ワシがその後タイガースを応援するようになったきっかけだ。
今にして思うと、タイガースファンではあるが、「甲子園球場ファン」と言ったほうがいいかもしれない。
あの甲子園の熱気、そして何より、甲子園球場の美しさだ。
今ではハマスタも大好きだ。
だけど、球場の美しさで言うと、やっぱり今でも甲子園に、ワシの中での軍配は上がる。
ナイターの照明の中に浮かび上がる、黒い土と緑の芝生…。美しい球場だ。

ワシがタイガースファンというより、甲子園球場ファンじゃないか、と感じるのは、関東在住のワシは、タイガースを応援し始めてから、神宮にも行ったが、あまり楽しめなかったのだ。
だから結局、タイガースの試合を見に行く時は、わざわざ甲子園に行くようになった。
年に2、3回行けた年もあれば、全く行けなかった年もあった。今と違ってネットでチケットが買えないから、遠く離れた甲子園球場は、なかなかチケットを取るのも大変だった。

タイガースを応援するようにはなったが、頻繁にテレビで野球中継を見ることもなく、名前の知らない選手もいるような感じだった。
それでファンなのか、と言われれば、確かにどうだか分からない。
本当にファンの人は、仕事と家庭以外では、それが生活の中心になっていくのだけれど、ワシは、他の趣味もあったし、まだまだ色々遊びたかったのだろう。

だけどともかく、タイガースを応援はしていて、時々、甲子園球場まで出かけていった。

ホエールズは「横浜ベイスターズ」へ

さて、ホエールズは、ワシがタイガースファンになってから、「横浜ベイスターズ」になった。
これは、ワシにとって、なぜか嬉しく、横浜スタジアムが出来た時と同様に、ワクワクする出来事だった。
その時のワシは、すでにタイガースファンではあったけれど、子供のころから気になっていたホエールズも、何となく遠目に、気にはなっていたのだ。

チームから企業名を外し、「横浜」という名前になった…これが、嬉しかった。
チーム名に企業名を入れるのは、別に悪いとは思わない。アメリカ大リーグみたいなのも、いいな、とも思うが、その国々のプロスポーツの歴史もあるだろう。
例えば「阪神タイガース」が「西宮タイガース」「兵庫タイガース」になったら、ちょっと違う…って感じてしまうのではないかな。まあかつては大阪タイガースであったのだけど、今さら変えても違和感がありすぎるだろう。

だけど、ホエールズは、「横浜ベイスターズ」として再出発をする。「横浜」という名前で呼べることが、ワシにとっては、やっぱり嬉しかったんだな、きっと。 

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ベイスターズファンへの歩み①【気になるホエールズ】

このブログタイトル、「ワシは如何にしてベイスターズファンとなりしか」について。
ワシ個人のプロフィールと、思い出話みたいなもんなので、暇で興味のある人は読んでみてください。

謎の球団、大洋ホエールズ

ワシは野球を自分でやってた経験はない。だから野球とのかかわりは、全く観戦するだけだった。

子供の頃、父は野球中継ばかり見ては、母に「また、野球…」と言われていた。
子供からすると、おかあさんがそう言っているから、「また野球かぁ」とか思ってしまった。

だけど、母も実際はそんなに毛嫌いしていたわけでもなかったと思う。ワシも、なんとなく一緒に見ていて、それなりに楽しんではいた。

しかし、父とは決定的に違った点があった。
父はジャイアンツファンなのである。もっとも、ワシの地元神奈川県では、中継自体がほとんどジャイアンツ戦の時代だから、仕方ないかもしれないな。
だけど、ワシはジャイアンツがなんとなく好きになれなかった。きっと、元来の天邪鬼な性格からかもしれん。

そんなワシがひそかに気になったのは、大洋ホエールズという謎の球団だった。
神奈川県の川崎が本拠地らしいのだが、ほとんどテレビ中継がなく、ニュースでも取り上げられることが少ない。
いや、取り上げられていたのかもしれんが、そこらへんは、ジャイアンツファンの父のせいもあって、触れる機会がなかっただけかもしれない。
とにかくワシにとって、「大洋ホエールズ」というのは、川崎にあるらしいが、どういうチームなのか謎だった。

横浜大洋ホエールズ横浜スタジアム

ワシが中学生のころ、ホエールズが「横浜大洋」というチーム名に変わり、横浜スタジアムという新しい球場とともに、横浜に移転した。
このニュースは、特にまだファンでもなかったワシにとっても、なんだか心がウキウキする出来事だった。

特に横浜スタジアム
三角形の照明塔がなんだかカッコよかった。
内野席の一部が円形状のスタジアムに沿って移動してレイアウトが変わり、野球だけではなく、他のスポーツにも利用できる。
そして他のスポーツで利用するときには、ピッチャーマウンドの高さも変えられる、最先端の球場だった。
ホエールズファンでもないのに、「すごいなぁ!」と、なんだが、とても誇らしい気持ちになったのを覚えている。

ワシは地味に、横浜大洋を、応援するわけでもないが、気にするようになっていった。
ユニフォームも変わり、紺色の「YOKOHAMA」の文字がカッコいい、と思った。

そのうちワシは、高校、大学へと進んだ。
そうなると、色々なところに出かけたり、楽しいこと、やりたいこともいっぱいで、家で野球をみることもなくなっていった。

だけどホエールズは、相変わらず、ちょっと気になる存在だった。
田代がホームランを打ったニュースを見ては、嬉しくなった。
確かその当時、ホームランを1本打つごとに、選手のヘルメットに星がつけられていったと思う。
田代のヘルメットが星でいっぱいにならないかなぁ、と思った。

ところが、ホエールズは一向に強くならない。
投手では遠藤が好きだったが、ホエールズの勝ち星はなかなか増えず、ワシの中では、遠藤=孤高のピッチャー、というイメージが勝手にできてしまって、余計、遠藤が好きになったりした。

大学時代にタイガースが21年ぶりに優勝

大学は関西にある大学に進学して、一人暮らしを始めた。
大学在学中に、阪神タイガースが21年ぶりに優勝する、という大変な出来事に遭遇した。
周りの関西人の友人たちは大騒ぎだった。世間の騒ぎようがすごくて驚き、つられてワシも興奮した。もともとアンチジャイアンツの気質は持っていたから、タイガース優勝も何となく気分はよかった。
とにかく優勝の騒ぎは大変なもので、町の居酒屋もビール数十円(!)で出したりして、それに便乗して友人と飲みにいった。

後にワシはタイガースファンになるのだが、意外にも、この時の優勝がきっかけではないのだ。これは自分でも不思議だし、もったいなかった。
あの時にファンだったら…と思うのだが、その時はタイガースにさほど関心がなかったから仕方ない。
(つづく)
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