成果を確実に出す社員こそ人材! 〜原田繁男さんのご本から 3
中小企業での本当の人材とは、苦しいときになんとか辻褄を合わせてくれるような社員です。たとえば会社の目標数字に届かないようなときに、なんとか嵐が過ぎ去るのを待つような社員ではなく、そのマイナス分を休日を返上してでも穴埋めしてくれるような社員です。口先だけの評論家ではなく、具体的に実行して、確実に成果を上げてくれる社員なのです。こういう人材がどれだけいるかで、会社が伸びるかどうかが決まります。
「一生懸命やりましたけれど、できませんでした」というような社員は人材ではありません。会社はコストをかける限りは、それを上回る売上がなければ利益は出ないのです。一生懸命やっても成果が出ないのは、何もやっていないと同じことなのです。そういう意識を社員に植えつけることから人材教育を始めることです。何事も意識が低いとうまくいきません。能力の差とは、意識の差なのです
能力の差とは、意識の差..うーん、これもいちり(ぜったいてきなのうりょくさもありますけれど)。やっぱりみながエグゼクティブのじだいですね、ドラッカーさん。
ことしもありがとーございました。 あたらしきとしもすばらしくありますよーに!
いま求められる発想の転換と着目点 〜原田繁男さんのご本から 2
・経営の目的: 拡販 → 顧客満足
・顧客: 売る対象 → 満足させる対象
・取引: 売った時点で終了 → 顧客が満足して終了
・商品: 既存のもの → 創り出すもの
・顧客とのコミュニケーション: ワンウエイ → ツーウエイ
・利益: 求めるもの → 企業の努力の結果
・取引:売った時点で終了→顧客が満足して終了..とてもシンプルなこと。やおやさんのともがいってました、もしクレームがあったら、もうひとつさしあげるのだと。ひとつのきほんですね
あとがき 〜齊藤孝さんのご本から 10
私は最近、あることに気がついた。それは、「本当にできる人は上機嫌」だということだ。しかも、その上機嫌は、技になっている。いいことがあったから上機嫌、嫌なことがあったから不機嫌というのでは素人。機嫌にも、素人、玄人があるのだ。
かつて私も、不機嫌沼にどっぷりとつかっていた。そのときは、運も悪かった。人に疎まれ、意地悪もされた。しかし、あるとき、上機嫌は身につけるべき技だと思いいたった。上機嫌は、強運を呼び込む。下手な占いを信じるよりも、上機嫌力を身につけるほうが、確実に運を引き寄せる。
私たちがどんな人に惹かれるか思い起こせば、わかりやすい。それは、いつでも上機嫌な人だ
私たちがどんな人に惹かれるか思い起こせば、わかりやすい。それは、いつでも上機嫌な人..シンプルだから、きっと真理。 おだやかにじょうきげん、おてほんのかおがうかびますね! めりーくりすます!!
「厳しく辛辣に、上機嫌」が人を伸ばす 〜齊藤孝さんのご本から 9
「今のあなたではダメです」とはっきり伝え、自覚を促すしかない。ところが、それを不機嫌に言うと相手には受け入れがたくなる。なぜなら、私が主観で気分やものを言っている感じが強くなるからです。 さらに不機嫌が極まると、それは単なる恫喝や癇癪に聞こえます。「お前らバカじゃないの」「それじゃ話にもなんないよ」と、吐き捨てるように言ったとしたら、相手は本を読む気になるでしょか? ノーです。相手の状態に対し肯定的に、次を見つめた上での発言でなければ、忠告としては受け止められません。
他人のこととしてはわかるはずです。しかし、あなたも不機嫌な状態になると、同じようなことを言ったりやったりしているのです。不機嫌には、次の未来に向かっていくという感じがありません。 事態はこのように悲惨であるけれども、ここに向かっていこうと上機嫌に言うと、態度そのものが1つのメッセージになる。常に未来に向かって、一緒にやろうという発話者側の意思が伝わるのです
事態はこのように悲惨であるけれども、ここに向かっていこうと上機嫌に言うと、態度そのものが1つのメッセージになる..ほんとのメッセージ、こころとせいしんとからだの。 がんばりまっしょい!
「自分を笑い飛ばす力」 〜齊藤孝さんのご本から 7
突き放して笑えるというのは、自分のことだから面白いわけではなく、誰のことでもおかしい。たまたまそれが自分であっただけ。自分を勘定に入れない考え方に則っています。
何かをやるときに、これは「自分だからすごいことだ」とか「自分だからみっともないことだ」と考えない。このみっともなさは、誰であろうと同じという発想。ですから、他人のことのように自分のことも笑い飛ばせるのは、卑下ではないのです。
自己卑下をするのは、プライドへの過剰な欲求があるからです。認めてもらいたいという欲求があるがゆえに、認めてくれないんだったら先に自分から勝負を降りてしまおう、そうすれば負けずに済むという自己弁護の予防線を張っている。自己卑下ばかりする人は、自分をおおらかに笑い飛ばすだけの器量がないのです