2019/01/25
相変わらず一日中スマホを触りながら布団から出ない日々が続く。
先日の内定先との説明会・懇親会にて、会社の人間からガッツリ風邪を移されて4-5日ダメにした。
それだけでもかなりBAD、加えて入社式で新卒代表として挨拶をする羽目になったのがかなり堪える。そういった「緊張」する場面でことごとく失敗をしてきたので、そういった役回りを避けようと生きようとある時から心がけていたが、単純なあいうえお順のアレで決めさせられた。こんなことで文句を言ったりするのはダサいと思うからやめたいが、正直その事で頭がいっぱいで残りの学生生活を有意義に過ごせる自信がない。
“現在は学生生活を謳歌していただきたいと存じます。”
人事がメールで気を遣ってくれるのは十分分かるが、それどころじゃねえよ。早く勤務地を教えてくれ、引っ越しの援助をもっとしてくれ、挨拶なんて恥ずかしいから勘弁してくれ・・・
「精神的に死ぬ」と思いながら人並みにやった就活、F欄文系4大生としてはかなり条件の良い会社に決まっただけに、昨年夏頃は随分と歓喜していたが、今となっては「俺が双葉杏だ」と言わんばかりの駄々を毎日こねている。そろそろ職人技の駄々こね域に達していると思う。
今一番好きな音楽家のワンマソリリパ、年の瀬の大阪に今回も強引に参加した。
某青シャツ氏とPCMusicClubのサポートアクトも大いに楽しませてもらった。特に前者はずっと生アクトを観たかったので感慨深かった。なんだか彼の2018年にまつわる「気持ち」が乗っかっていた20分だったと思う。どんな苦労があったのか知り得ないが、あの時のアクトは忘れられない。大人気SSWのエディットがかかった時なんかは思わず身震いがしたし、同時にフロアもっと盛り上がれや!とも感じた。
子分(本人談)2組が終わり、親分の出番であったが、2時間越えのセットはとても贅沢な時間だった。曲はもちろんレーザー演出も効果的な表現をしていたと思う。みんな大好き某エディットとかもサラッとかけていたりして個人的ブチ上がったが、なんだか「ライブ」目的の客にはイマイチ刺さっていないのが意外だった。いや、某ディケイドでもかけてるアレアレ!
結局一番盛り上がりがあるのは、「頭使っててもまた間違う」曲と毎度おなじみイントロ演奏楽曲だった。いや気持ちは分かるけども……
もうほとんどクラブでもかけないような本人名義の楽曲が聴けるだけとてもありがたかったし、無理して大阪まで行ってよかったと痛感した。
特に森高千里フィーチャリング曲では号泣してしまい前の女性客にかなり引かれた。正直スクリーンのMVがかなりズルいし、「音楽を停止しないでください」ってタイトルでメジャーデビューした事実が余りにもかっこよすぎて涙が止まらなかった。(これに関してはJ/Gが以前ツイートしていた?)
彼はMC中アルバム購入の有無を客に問い「まだ全員手が上がらないですね〜」と皮肉っぽく言った。意外とそこまで嫌味に聞こえなかったのは場数を踏んでいる者からなのか、はたまた関西人の生まれながら身につけた習慣によるものなのか疑問だが、相変わらず喋りの巧いオニーサンでなんだか安心した。
ロクに勉強もせず全てから逃げて布団にこもってYouTubeを観ていたあの時期、狂ったように観ていた「てゆか毎日〜」から始まるあのMVの曲がラストとは全く予想外だった。
「誰かと一緒じゃなくていいんだ」「ひとりでいいんだ」と当時勝手に勇気をもらっていた。そして今回は恥ずかしながら「エモ」くなってしまった。
くだらない自分の思い出と重なって感傷的な気持ちになりながら新大阪発の列車に乗る。天候不良で帰れない心配があったが、“BULLET TRN”はいつも通り高速で目的地まで運んでくれた。
最悪の受験生をやっていた人生最悪の冬休み
気持ち悪いオタクとして大阪で過ごした昨年末
本質は何も変われていない。
2018/09/17
ゼミナール合宿前日に京都へ前入りし、深夜のクラブイベントへ参加したのが先月中旬。「Sweet Robots Against The Machineこと吉岡里帆です」と挨拶した後、ドラムンベースで"夜勤"を始めた著名アーティストが出演するようなイベントで、多くの人間がいた。踊るようなスペースなど全くないくらいぎっしり人まみれだったこともあり、多少イライラしながらも音楽を楽しんだ。
今一番好きな音楽家の出番最中、隣で踊っていた20~30代の女が手に持ったドリンクを悪びれもせず溢しまくったことで、真ん前にいた男性のTシャツに思いっきり大きなシミを作っていた。それを自分が溢したと誤解され、かなり不快な気持ちになったこと以外は概ね満足であったが、そのおかげでかなり凹んでしまい暫くは腰を掛けられるところで半分寝ながら音楽を聴いた。会場入口付近ではインターネット上で存在を確認できるような人々や、憧れのトラックメイカーたちがわんさかいて、ふと「自分の居場所はここには無いな」と感じてしまった。
客もほとんどいなくなり、トリのdj c0lab0y氏がかけたクレイジーケンバンドの『タオル』で心底感動した。唯一クラブを心から好きと言える時間帯で、この曲がかかったことが学生最後の夏の大きすぎる財産に思えた。
そのあと鴨川まで歩き、朝日を見ながら缶チューハイで一人打ち上げた。この瞬間が京都に来て一番充実していた気がする。そこから七条の銭湯に向かった。その銭湯でなんとなく読んだ文章に、自分は強く心を揺さぶられた。そしてブログなんてものを書いてしまっている。
やっと本題。
その人はテレビやラジオ番組で存在を知った。洗練されたルックスを持ち合わせていながら、時折「彼女には闇を感じる」などと指摘されることもあり、メディアや世間から過度な脚光を浴びている。
今年、彼女のコラムの一部に、処世術的「キャラクター論」がSNS上で大変な盛り上がりを見せた。自分の人格をキャラクターに置き換え、現実生活での困難や悲しみを他人事にするというものだった。詳しくは本文を読んでもらいたいので割愛する。
UNISON SQUARE GARDENというロックバンドが2013年にリリースした『CIDER ROAD』に収録されている楽曲の多くには、「名前」が使われている事実がある。個人的に好きなアルバムでもあったせいか、自分をなにかと語る際に「名前」が重要なキーであると気付かされた。
ロックバンドの歌詞を突如引用したのは、個人的なこじつけである。しかし彼女のコラムの後半には、
『人生をRPGみたく生きているくせに、時々たまらなく名前を呼んでもらいたくなるもある』
<「あなたに名前で呼ばれたい」『クイック・ジャパンvol.132』(太田出版)>
とあった。「名前」の概念はやはり我々に必要なのではないか?と強く思う。
『「like coffee の呪文でいつでもそこに出会えるよ、バイバイ」 そして僕は君の名前を呼ん
だ…今!』 <like coffeeのおまじない> 『揺れる感情の渦で 触れる感情の名前呼んで 名前ないなら適当に付けよう 確かそんな法律もあったし』 <お人好しカメレオン>
『君の名前を呼ぶよ 大切でほら 譲れない名前を 僕だけが知ってる だから優しい声で、君はともだち』 <君はともだち>
だから何だ、という話である。でも少なからず「名前」を呼ぶこと・呼ばれることは人間生活において、その人がその人でなくてはならない理由を見つけられると容易に想像できる。自分にとっても「名前」を呼ばれるとテンションが上がる。特に名前を呼んでくれたその人のことに対し、何らかの特別な感情をいつも抱いていた。名字のインパクトが強いため、9割以上の確率で名字で呼ばれることに少々寂しくなったりするが、そこで自分が自分であると認識する・されるのであれば、まあいいかと思える。
メディアのおもちゃのように扱われ、本人の想像以上に世の中からの注目を集めている彼女のコラムをたまたま読んだだけで、気持ち悪いファンになってしまった気がする。「容姿が良くてチヤホヤされている別世界の住人」だと思っていた人が「名前」について、言及してくれたことがなんだか嬉しかった。それを誰かに知ってほしかった。それだけ。
『そのとき、心の中で願ってるの。「ねえ、私の名前を呼んで」って。』
<「あなたに名前で呼ばれたい」『クイック・ジャパンvol.132』(太田出版)>
そんな彼女もまた、神戸出身らしい。
2018/08/27
7月にシュウカツ!が終了し、じゃあもう遊びまくり大学生だね!と周囲の人間に声をかけられるが、別にそんなことはない。週3~4の6時間弱バイトをする以外は、基本自宅でスマフォ触って一日が終わる。
自炊をする気力がゼロになってしまい、アホみたいに生活費を食に使ってしまう。ただでさえ金のかかる趣味をしているのに、日常生活上ですら浪費する。こんなことをしているから金が貯まらない。
大学のゼミナール合宿があった。まさかのSHIGA県。なんか同期のコネで学生が泊まるにはかなりいいところに泊まらせてもらい、二日目の夕食はフルコースだったりした。機嫌がよかった教授(66のおじいちゃん、俺より元気)が赤と白のワインを計4本奢ってくれたのでここぞとばかりにタダ酒を飲んでやった。
その日の夜中、一つの部屋に大学生(男10女4)+教授が集まり、缶チューハイを飲みながら恋バナ(笑)を聞かされたり、永遠にトランプをしていた。え?ちょっと待てこれって、
本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
ではないのか?こんな陰湿なインターネット毒されオタクにとっては貴重過ぎる経験じゃないのか?と思ってるうちに就寝していた。
同級生女「○○くんって彼女いそう~言わないだけで」
陰湿早口「いやあの中学から高校の間にそういうのあったけどその時…(割愛)」
ここで「どうしてそう思うの?」って返せない辺りが、人間関係をうまくやれずにここまで来てしまった原因にあると痛感し、心がまた歪んだ。
2018/04/01
気が付かなくとも最後の一年になってしまった。ここのところ、生活がひどすぎて時間の感覚が無い。
やけに綺麗に咲いた大学の桜を眺めてふと、「この3年、一体何をしていた?」という悲しい問いを続けている。最近では就活がはじまった。自己PR、一番熱心に取り組んだこと、あなた自身の能力について・・・
これといって自信をもって言えることがまるで無い。ただただぼんやりと時が過ぎ去っていって、気が付けば夜になっていたことが多々あった。あえて言えば趣味か。女性アイドルからはじまり、そこからサウンドクラウドやネットレーベル、そしてクラブカルチャーを知った。まあそのおかげで割と楽しくやれたと思う。
素晴らしい思い出が沢山あったし、そのために謎に思えるくらい東京へ行った。多分自分の住んでいる周辺で過ごすことが上手にできなかったからだと感じる。中でもageHaをオタクひとりで過ごしたことは一生モノの経験だった。
学内のサークルに入らなかったためか、友人は少なく、とにかくTwitter経由で知り合ったオタク的な人々と遊んだ。
当初「彼らと似ているからこんなに親しくできるんだ」と思い込んでいたがそれは勘違いだった。彼らは彼ら自身の意見や思想をキチンと持っており、自分とは異なっていた。だから物凄く羨ましかったし、悪事を冒さずに他人と上手くやろうとイイ子を気取っていた自分とは生きる世界が違うように感じた。
この虚無感と共にあるこれまでの大学生活だったなと感じる。いつだって何かしら混雑する名古屋駅へはずっと虚無の感情があった。
これといった努力をしたわけでもなく、うっかり何かを成し遂げてしまったこともない。趣味に逃げ、酒に逃げた。21になってもまともな男女交際すらできず、ただ日々に疲弊して1日が終わる。高額な学費を払わせている両親に申し訳なく、妹2人にはこんな惨めな兄がいて不憫だと思う。
いつまでこの虚無感は続くのか、まったく見当がつかない。つい先日、信頼する友人と通話した際「どうしてこうなってしまったんだ、どうしてみんなのように人生を楽しめないのかが分からない」という会話になったが、それが自身をよく表しているようだった。
ずっとずっと分からない。