わがまま書きます。

日々思いついた腹立たしい自分勝手なことを書きます。

なぜ繰り返し、期待に応えようとしてボロボロになるのか

親、上司、同僚、伴侶、周りの色んな人の期待に応えようとして、できなくて疲れ切っている人はたくさんいらっしゃるのではないか。

他人の期待の自分の限界の狭間で、身も心もボロボロになったことがあると、もう、周りの期待に振り回されずに生きていこう、と決意する。

決意するけど、いつの間にか、また同じ経験をする。

私がそうだ。

身も心もボロボロになったことが1度あり、再起に2年かかった。

2度目は、過去の教訓から、気をつけていたつもりなのに、なぜか、また自分をズタボロにしてしまっていた。

どうしてだろう、と頭の中で考え続けていたが、
ふと、分かったことがあるので、書き付けたい。

それは、自分から自分自身に対して持つ期待に応えようとするからだ。

自分に対して、こうありたい、こういう自分になりたい、という気持ちが確固としてあり、そこを点検しなかった。

1度目の挫折の時は、他人から自分を守るべきだ、というところだけを考えていた。

しかし、それだけでは足りない。

心の中にある、自分をよく見せたい、みんなのために頑張りたい、という、実現不可能な期待に答えようと奮闘してしまったのだ。

他人の期待に応えようと無理しなくても良いのは勿論のこと、自分の期待に応えなくていいんだ、
ということに、やっと気付き始めたところである。

電車の中で爆音でゲームする子ども

親が注意してもゲームに夢中で嫌だという。

親の教育がなってないのか、子どもが聞き分けがないのか、ゲームが子どもにとって中毒性が高いのか。

いずれにせよ、静かにしてほしい。

それに比べて平日の朝の電車の静かさは素晴らしい。

7月2日放送「白熱ライブビビット」貧困家庭の子どもと夫に言えない主婦の秘密に腹立たしい

生活保護と貧困家庭

貧困家庭の支援サービスとして、消費期限切れなどの商品を企業から譲り受け、定期的に配達する民間サービスが紹介された。
これ自体は、良い支援だと思う。

しかし、そこで配達を受ける人として例に出されたのは、生活保護受給者。
どのような受給理由であれ、国の保護のもとにある人に、民間の支援を回す二重の支援に疑問だ。

民間支援は、国の保護からも漏れてしまい、一方、充分な世帯収入を確保できない家庭に行うことのほうが優先されるのではないか。

一生懸命働いても、子どもを充分に養えない人たちに手を差し伸べてほしい。

専業主婦の秘密

自分では稼がず、夫の収入で趣味や美容、贅沢な外食をしていると回答する主婦たち。

4年エステに通っても痩せない方。夜中にテレビを見ながら、ついパンを食べてしまうそうだ。それでも夫はたぶん許してくれる、という。

昼間からシャンパン4杯ビールジョッキ3杯、そのあとカラオケ、3次会4次会をするという方。夫はその日子どもの面倒を見てくれているという。

正直とても羨ましい身分である。
夫の収入に余裕があり、また、夫の理解(もしくは諦め?)がある家庭なのだろう。

しかし、この働かない主婦が費消する金銭を少しでも支援サービスに寄付するなどして、一生懸命働いても子どもを充分に養えない人たちに手を差し伸べてほしい。

もっともケアされるべきは

この話題の裏に回されて存在感が薄い「働いている貧困家庭の稼ぎ手」「働かない家族を扶養する大黒柱」だと思うのである。

病院の待合室にて

医師が、部屋の中から名前を呼んだが、誰も反応しない。

しばらく時間が経ったところで、待合室に座っていた男性が大きな声で、受付の人に「すみません、医者が誰もいない人の名前を呼んだんですけど」

と、同時に、診察室から看護師が出てきて次の順番の方の名前を呼んだ。

それでも、その男性「いない人の名前を呼んだんですよ。今呼ばれた人と違う名前」

診察室の看護師、困った笑顔で「先ほどはいらっしゃらなかったけど、待っている方のお名前です」

想像力と忍耐力のない人は、思いやりもないものだ。

さて、不在にしていた人はというと、お手洗いに行っていたのである。

セブンイレブンのレアチーズタルト

セブンイレブンのチーズケーキといえば、濃厚フロマージュが有名だが、私は声を非常に大きくして主張したい。

不二家が作っているセブンイレブン限定の「レアチーズタルト」こそ至高であると。

濃厚フロマージュは常にたくさん置いてあるが、レアチーズタルトの欠品が多いのは大変嘆かわしい。

ノーリスク?

テレビをみていて気になったこと。

保険に入らないとリスクが生じる、という解説。

保険に入ればリスクがないという意味に聞こえるが、

リスクは、保険の有無にかかわらず、保険対象に内在するものであって、

保険によって生じたり無くなったりするものではないだろう。

そこ履き違えている人は案外多いのかなと思いました。