あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

今どき小銭は何かと大変

毎月恒例、管理しているお金の入金のため近くのATMに出かけた。集めるお金が各戸600円なので、非常に小銭が多い。以前は窓口で一括で入金できたのだが、何年か前から小銭がたくさんあると結構な手数料が発生するようになった。

 

もちろん申請すれば経費として認めてもらえるが、ばかばかしいしもったいない。こちらは時間だけはふんだんにあるので、ATMで何回にも分けて入金するようにした。すると今度は小銭が一定枚数を超えると、同日の取り扱いを拒否されるようになった。

 

時間はあるし、ウオーキングがてら2日に分けて入金しても良いけれど、それもなんだか面倒で、別な手段を講じた。たまたま同じ金融機関で私はもう一つの口座を管理しているので、そちらに一旦100玉50枚分を入金する。そしてキャッシュカードですぐ同額を引き出す。すると50枚の100円玉が紙幣に代わる。そのあとで紙幣と100枚以内の小銭を入金(これも2回に分ける必要がある)するという工夫をしている。

 

某ドラマでアマチュアオーケストラの遠征費の寄付集めのシーンがあって、募金箱の中は小銭ばかりが入っていたが、ああして集めたお金をどうするのだろう。一旦オケの口座に入金するならかなり手数料を取られてしまうか、そうでなければ大変面倒だし、そのまま小銭で切符を購入するのだろうか。

 

クラウドファンディングでもすればいいのに。いやその前に、オケを持続する経費は無理だろうが、あなたがたは音楽フェス参加のための自分の費用くらい賄えないのか・・・などと、また変なことが気になってしまい興が覚める。現代は何かとせちがらい。

 

ちょっと話がそれてしまったが、こんなふうに何度も操作しなければならないので、結構時間がかかる。しかもこの金融機関のATMは、1回取引が終了した後次の受付画面に切り替わるのに非常に時間がかかるのだ。後ろに並ばれてしまうと申し訳ないので、なるべく暇そうな日の、暇そうな時間を選ぶ必要もある。

 

金融機関に入金するのに、こんなに努力を要する日が来るとは!

 

 

窓口の銀行員に預金通帳とお金を預けて、「帰りにまた寄るから入金しといてね」と客は次の用向きに去ってしまうという、非常におおらかな時代がありました。50年ほど昔のことです。

 

 

いつの時代の話してるの?  (縁側なびさんのサイトより)

40日ぶりの街へ

いつも日本語教室の一期(4か月)が終わると、担当者が教室の日に出向いてきて活動費その他の清算をするのだけれど、今期は日程的に来られないので、国際交流協会までボランティアに出向いてほしいとのこと。

 

ただ活動費を受け取るだけなら協会の開いている時ならいつ行っても良いのだが、私は学習者の書類や預かっている登録料を渡す関係で担当者のいる日でなければならない。それで、今日の月曜日と約束していたため、風が強くて外出は大変そうな天候だけれど、頑張って出かけてきた。案じた通り、道を歩くにも難儀をした。手提げバッグは風にあおられて舞い上がってしまうので、胸に抱えて歩く始末だった。

 

協会で中級の日本語テキストを見せてもらう予定でいたが、現在貸出中とのことで見られなかったため、老舗の大きな書店に向かう。けれども、さすがにこの書店でも私たちの教室で現在使用中の最もポピュラーな「みんなの日本語」以外はそれほど品ぞろえがなく、私の見たかったものはなかった。ネット上でダウンロードして見るのはどうもピンと来なくて(デジタルネイティブでない悲しさか)実物を見たいと思ったのだが残念。

 

そのあと予定通り駅ビルでランチにするべく向かったが、よく利用していたお寿司屋さんは撤退してしまっていた。自分の利用していた店が無くなるのは寂しい。

 

とんかつの和幸でボリュームたっぷりのランチを食べて、あとはしばらく駅ビル内のお店を見て歩く。特別買う目的なしにブラブラ見て歩く時の方が、気に入るものに出合える確率が高い。洋服はこれといって目につくものがなかったが、イアリングを2つ買い店を出ようとしたら、店頭のカラフルなソックスが目に留まった。

 

冬の間はパンツルックが多く黒やグレーの出番が多かったが、これからワンピースやスカートになればソックスの色もポイントになる。そこで3足1000円というので3足選び始めたのだけれど、どれもそれぞれいい色ですっかり迷ってしまった。

 

 

迷いに迷って選んだ3色。実物はもっと素敵な色!

(追記:ビビッドな色につい惹かれてしまったけど、派手だったかなぁ・・・)

 

袋はなくてもいいですかと聞かれいらないと答えると、何もせずそのまま3足のソックスを渡された。そのまま手提げバッグに。レジ袋の有料化からこうした場面が当たり前になったが、本当はもっと早くからこれで良かったのだ。デザイン料もかかった洒落た紙袋に入れても、しょせん家に帰ればゴミになってしまうだけのものだ(イアリングの方はさすがに、小さくてバッグの中で行方不明などになってもいけないからか、従来通り紙の小袋に入れてくれた)。

 

まあ、不適切にもほどが・・・ということもあるかもしれないが、大きな視点から見れば、やはり時代は良い方に向かって進んでいると言える。何十年も遅れた様相の政治の世界は、なんとかもっとアップデートされてほしいものだけれど。

 

邪魔するドリームはいないのに・・・

10年ほど前のエントリー:

yonnbaba.hatenablog.com

 

今はもう邪魔をしに来るドリームはいないので、いくらでも練習できるのだけれど、行き詰って稽古に通うのをやめてしまったピアノ。教室に行かなければ、家での練習もすっかりしなくなってしまった。そして、今となっては稽古に通ったNHKの文化センターも廃されてしまった・・・。

 

まだ音訳ボランティアをしていた頃は、「音をさせないようにしてね」と言っても、そばで母が新聞をガサガサいわせたりして録音がはかどらずイライラした。今は音を立てる母もいないが、もう音訳はしていない。こちらはピアノと違って、年齢とともに滑舌が悪化するため年齢制限があり、どっちみちもう続けることは出来ない。

 

音訳と違ってピアノには年齢制限はないのだから、また少しずつでも練習を始めたいな、とは思っている。

 

 

なかなか素敵な曲を弾く猫さん:

youtu.be

 

ドリームに限らず、こういうの(邪魔をすること)も猫は大好き! (ねこのきもちさんのサイトより)

コップの中の嵐か『平成大家族』中島京子著

『小さいおうち』の中島京子さんの作品。と言っても、私はこの作品を映画では見たものの、小説はまだ読んでいない。映画もとても良い作品だったが、原作はその何倍もいいとのことなので、いつか読みたいとは思っている。

 

ただ、同じ著者の『彼女に関する十二章』は読み、感想も書いている。それからやはり原作未読だけれど、NHKでドラマ化された『やさしい猫』もこの著者の作品だ。うっかり在留期限切れとなったばかりに、過酷な状況に追い込まれるスリランカ人とその日本人妻の物語。移民や外国人労働者問題を考えさせる、良質なドラマだった。

 

hikikomoriobaba.hatenadiary.com

 

今回読んだ『平成大家族』は結構深刻な現代日本の問題も含みながら、コミカルな筆致で楽しく読める。大学の後輩と共同で経営していた歯科クリニックを、2年前に「勝手に定年退職」した緋田龍太郎は72歳。中学生から15年ひきこもっている長男克郎はいるものの、6歳年下の妻春子とその母親である90歳を過ぎ少々頼りなくなってきたタケとともに、穏やかな暮らしをしていた。長女と次女が相次いで出戻ってくるまでは・・・。

 

長女の逸子は夫の事業が失敗して自己破産し、一人息子を私立の中高一貫校に通わせていたのだが都立高に転校させ家族で実家に転がり込む。次女は新聞記者の夫とうまくいかなくなり、大阪転勤まではついていったが、沖縄支局を希望した夫にこれ以上はついていけないと離婚して実家に戻るが、なんと、早々に身ごもっていることが分かる。しかもお腹の子の父親は21歳の芸人の卵だという。

 

こうして、緋田夫妻、姑、ひきこもりの長男、長女一家3人、次女の8人のてんやわんやの日々が始まり、さらに姑のところにヘルパーとして通う若い女性もからみ、それぞれを主人公にした連作短編のような形で綴られる物語だ。

 

作中で、龍太郎の囲碁仲間で春子さんに淡い思いを抱いているらしい元大学教授の川島氏が春子に語った言葉は、鋭く現代の世相をとらえている。

 

戦後の日本人が敷設してきたレールが、ここ十年(作品は2008年出版)ほどで一気にがたがたになってしまった。お子さんたちはみな、明日の定かでない日々を生きざるを得なくなりました。そのくせレールにしがみついた者が勝ちで、外れた者が負けだと、負けるのは負ける者の責任だと、身も蓋もない論理がまかり通る。ふざけた話ではありませんか。奥さんまでもがそんなものの犠牲になって、自分の生き方や子育てを責める必要はないのです。理念なき資本主義を垂れ流すように推奨し、ケインズも知らない若造が国会議員だという。どう考えても間違っていますよ。奥さんの悩みはひとりで抱え込むべきことではないのです。日本人すべてが分かち合うべき課題です。

 

「トロッポ・タルディ」とか「アンファン・テリブル」、「時をかける老婆」、「不存在の証明」「吾輩は猫ではない」といった各章のタイトルも興味深く洒落ている。

 

 

 

 

春よ来い

今日は七十二候の菜虫化蝶(なむし ちょうとなる)とか。朝の天気予報では名古屋の最高気温は19度で、まさに春らしいポカポカ陽気になるとのことだった。けれども3時前に見守り当番で外に出てみると、風が強く思ったほど暖かくはなかった。これでは菜虫も蝶になりそこないそうだ。

 

今はまさに、歩き始めたミイちゃんのように春を待ち焦がれる気分だけれど、あと3、4か月もすれば、暑さをうらめしく思うようになることだろう。今はいまの、三寒四温の日々を味わっておかなければ・・・。

 

とかく人間はないものねだりをしてしまいがちだけれど、ないものをあげつらって嘆いても、少しも良い気分にはならない。自分自身もだが、周囲の人の気分にも影響する。

 

年をとると身体の機能が衰えていく。耳が聞こえなくなった、足がふらつく・・・と、私自身にもあるが、身近な先輩高齢者に嘆くことしきりの人がいる。残っている機能でできることを楽しみましょうと励ますが、性格的なものもあってなかなか受け入れられないようだ。

 

持って生まれた性分を変えることは難しいが、できるだけ早いうちから、ちょっといい加減な人間になる努力をしたほうがいいのではないかと、これは自分が高齢者になって非常に思うことだ。

 

いろいろなことをきちんとやれていた人は、自分で納得できる程度までできなくなった時、情けなさやもどかしさを感じてしまう。もともと適当だった人なら、気にもしないようなことで。

 

若い時なら、理想に届かない悔しさがばねになって高みを目指すエネルギーにもなろうが、高齢になると、あまりプラスには作用しない気がする。へたをすると、認知機能の低下という避難場所に逃げ込みかねない。

 

人のふりから学ばせてもらって、なるべく適当に生きるようにしている。なあんて、怠惰な自分の言い訳でもあるが・・・。

 

さて、のんびりを決め込んでいられた冬が終わって、これからは草も伸びる。怠ける言い訳ばかりしていないで、そろそろ庭いじりも始めないといけないな。

 

 

コーナンTipsさんのサイトより

 

 

 

記録として・・・『Q&A』恩田陸著

学校行事の一日だけを描いた『夜のピクニック』、音楽の魅力を言葉で紡ぎ出した『蜜蜂と遠雷』など、恩田さんの作品には驚かされることが珍しくないが、この作品もタイトルといい、地の文が全くない構成といい、実に斬新だ。

 

都下郊外の大型商業施設で多くの犠牲者を出す大事故が起きるが、どんなに調査しても原因がはっきりしない。前半はその調査の一つである被害者たちへの聞き取りで、同じ形式の質問とその質問に答える被害者たちのやり取りのみが続き、途中から質問の形が変わってインタビューになるが、やはり取材者の問いと被害者の答えが延々と続く。

 

事実は一つのはずなのだけれど、人によって見た事も、そこから得た印象も様々に変わり、いったいその日、その大型商業施設で何が起きたのか、読んでも読んでも分からない。不幸な偶然から生まれた全くの事故なのか。誰かの悪意が作用しているのか。はたまた何かの機関の実験的な試みだったのか・・・。

 

現場で目撃された、血のついた大きなぬいぐるみを引きずる幼い女の子という存在が象徴するように、心をざわつかせるに十分なストーリーだ。恩田さんの作品で思いがけない読後感に出合った。まあ、大して読んだわけでもないけれど。

 

そんな中で、聞き取り調査に答えた、71歳の年金生活者である内田修造の言葉の一部が心に刺さった。

金儲けに汲々とし、モノを手に入れることにばかり邁進して、ちっともいい社会を作ってこなかった私たちの世代。金を使い、モノを手に入れ、消費することが幸せだ。学歴が大切だ。勉強さえしていればいい。横並びが一番だから余計なことは考えるなと刷り込んで、私たちが、生活技術も思考能力も、生きる知恵を与えてこなかったことを、彼らは恨んでいる。あの日、あの場所は憎悪に満ち満ちていた。彼らは自分たちの子供も憎んでいた。子供たちさえいなければ、自分たちのためにお金を使えるし、キャリアアップだってできたのに、どうして自分の時間を犠牲にして金食い虫である子供たちに奉仕しなきゃならないのか。子供が薄情なことは我が身を振り返ればよく知っているから、自分たちの将来の世話など期待できないことを、彼らは誰よりもよく承知している。先の見えない不況で、外はひどく寒くて、オリンピックでもちっとも勝てない。誰もがイライラして、憎む対象を探していた。あの日はそんな日だったんだ。

 

 

 

ちょうど私の世代。そうだ、私にもこの反省がある。すぐ上の世代が学生運動などでそれまでの社会の規範を打ち崩し、自分たちは従来の枠に収まらなくても良い自由を手に入れながら、新しい価値観やルールを作り出すことをしなかった。

 

この事故の原因がはたしてこの男性の言うようなものかどうかは分からないが、この何十年かに表面化した社会の問題の何割かは、私たち世代のこうした姿勢に起因しているような気がしている。

 

 

この作品は「イヤミス」のお好きな方ならいいかも知れないが、ほのぼの系を好む方にはお勧めしない。少し前に読了し、ブログでは取り上げないつもりでいたが、恩田さんの作品なら読んでみたい方もいるかも知れないし、私は苦手だけれど、「イヤミス」ファンの人だっていることだしと思いなおし書いてみた。2004年の作品。

 

 

 

雪国の温かさ

先日、録画しておいた『ドキュメント72時間 札幌 雪道を走る灯油配達車』を見ていたら、終盤で灯油配達車が突然停車した。何事かと思うと、道路わきの雪に突っ込んでしまって立ち往生している車がいた。その車に手助けするための停車だった。

 

配達員はすぐ自分の車からシャベルを持ち出して、その車の所に飛んで行く。車の下の雪をシャベルで掻き出し、他の人も加わって車を押すと何とか動き出した。車の主は手伝ってくれたみんなにお礼を言って去り、解散。配達員はすぐさま灯油の配達の仕事に戻る。「雪国ではみんなお互い様ですからね」とロケのスタッフに話しながら。

 

その場面を見て、何十年も前のことを思い出した。私もこんな風に何回も助けられたことを。この車と同じように道路わきの雪の山に突っ込んだこともあれば、交差点の真ん中でエンストしてエンジンがかからなくなったり、ゆるい坂道の交差点で、信号は青になったけれど滑って発進できず押していただいたこともあった。反対に私が押す側になったこともあったが、圧倒的にお世話になった記憶の方が強く、多い。

 

運転の下手な私が雪道で運転していたなんて、自分のことながら、もう今となっては信じられないような気さえする。車を使わなければ仕事にならず、仕事をしなければ食べていけなかったのだから、人間その気になれば何でもできるものだとしみじみ思う。

 

そしてそれ以上に、ちょっとタイミングが違っていたら、運が悪かったならば、今ここにこうして生きていなかったかも知れないという場面も一再ではなかったのだから、今日まで無事に暮らして来られたことを感謝するばかりだ。

 

日に日に春めいてくるこの頃、青森では子供の入学式が結構な雪だった年もあったが、それでもあと一か月と少しすれば弘前城の桜が咲く季節になる。たくさんの人情に触れた雪国での暮らし。思い出すたびに私の心も温かくなる。

 

 

以前もご紹介した十和田湖の雪の回廊。これでも昔よりは雪が少ないと言っていた。