より道の多い人生

生き恥晒して生きていく

「間に合わなくてごめんね」なんて言わなくていい世界

久しぶりだと何を書いたらいいのか分からないので、ひとまず昨日のことをつらつらと綴ろうと思う。

昨日は半リモートワークの実施およびスタート初日だった。

半リモートワークとは半舷出勤のことで、つまり、午前中は自宅で仕事をして電車が空いているであろう午後から出社するという取り組みなのだけど、今いる会社の代表がフルリモートに対する懸念が強すぎるあまり、(姿勢が悪くなる、モチベーション維持、運動不足などなど)これはいつかくるフルリモートに慣れるために、という「てい」で実施が決定した施策である。
どんだけ信用されてないんだ?とは思わなくもないが、まったくやらないよりはいい、ということにしておこう。私は週に2日ほど実施することになった。

電車は確かに空いていて快適だったけど、空いているのをいいことに、サラリーマンが『女医が教える本当に気持ちがいいセックス』を堂々と読んでいて、これは新手の痴漢かわいせつ行為か?などと考えているうちに最寄り駅についた。
読むなとは言わないが、目の前でAVを視聴されているのと同じような感覚で単純に気持ち悪いのでせめてカバーくらいしろ。あえてそうしているのであれば、彼の恋愛は一生実らないものでありますように。そして孤独で飢えればいいと思う。

出社したらしたで、オフィスには余裕で30人強の人がひしめき合っていて、これはこれでいいのか?と思わずにはいられなかった。「三密」もいいとこだ。とはいえ、正義を正義のまま振りかざすことができない環境で、何が正解不正解かなんて私には分からない。自分の気持ちを落ち着かせるために、ひとまず定期的に社内のチャットツールで「10分ほど換気しましょうか」と、声掛けおばさんをすることにした。

今までの当たり前の風景を常識を信じられない、常識が通用しないという状態に出くわすと、脳がバグを起こしそうになる。「なんでこれをするのか?」ということにいちいち立ち止まって対峙してゆかなくてはならない。アフターコロナ時には自分の価値観や大切なものが一体どれくらい、どう変わるのだろう。

 

そういや、自宅で作業しているときに手配していた再配達の荷物が届いた。
気兼ねなく荷物を受け取れるのはとてもいいな、と意気揚々と開いた中から顔を出したのは楽しみにしていた星野源のオフィシャルイヤーブック『YELLOW MAGAZINE 2019-2020』だ。音楽家星野源の1年間の音楽活動を記録した本で、兼ねてから予約購入していたのだった。

こういった目先の楽しみがあることはとてもいい。源さんがそうラジオで言っていて、深く同意する。彼による「うちで踊ろう」は今や社会現象の中核で、そのノンポリさを逆手に政治利用までされてしまったりするほどだ。実際にはきっと、彼は彼なりの表現で戦っているのだと思う。

5月の初めまで、日比谷野外音楽堂が正式に使用禁止になってしまった影響で、行くはずだった片手程のライブが吹っ飛んだ。
そんなことになるとは予想だにしていないわずか1か月ほど前の私が、「すこし先の未来のために」と申し込んでおいた6月後半開催予定のライブチケットが当たったけれど「本当に開催できるのかな…」という気持ちが先立ってどうにもこうにも素直に喜べずにいる。
不安なのは観客だけじゃない、演者もスタッフ関係者もみんな同じってことは頭では分かってるけど、すこし先の未来でさえも見えない分からない、というのは自分が想像する以上にストレスフルだ。当たったら一緒に行こうね、と誘っていた友達にすら「当たったよ」と軽々しく連絡できないでいる。

 

帰り際、ふと目に入った『閉店のお知らせ』に、一瞬で心がざわついて、「間に合わなくてごめんね」なんて、言いたくない言葉で感情が覆われた。

私ひとりでできることはおそらくそんなにない。それでも「どうかこれが最後になりませんように」という気持ちで、できるだけ好きな本屋さんや古本屋さんで本を買い、好きなレコード屋さんで買えていなかったレコードを注文して、いつか行きたいと思っていたお店の未来のチケット買って、帰りがてら出来るだけ友人や個人経営の飲食店でテイクアウトして、呼びかけには署名で答える。微力だとは思いつつも、それしかできない。でも、全部は賄えない。好きな服屋さん古着屋さんも、映画館も、お菓子屋さんも、行きたいお店も場所もたくさん、たくさんあるよ。お願いです、どうか間に合いますように。

生きていくには楽しみが必要だ。そして、生きることは待ったなしだ。

明日は何を歌っているの

1か月前とはまるで違う世界に生きている。
少なくとも私の眼にはそう見えているし、これを読んでいるあなたにもきっとそうなのだろう。

現状イン・ザ・オフィス

私が今所属する会社はようやく今週から隔日リモートワーク(午前は自宅作業をして電車がガラガラであろう午後の時間帯に出社する)を導入する程度で、日常的に大きな影響があるかと問われれば、まだそんなにないような感じがする。
兼ねてより弊社で実施されていたリモートワークは体調不良の際に上司に相談の上、適応されるものだった。非日常が日常に侵食してくることによる弊害や懸念はあれど、違和感や抵抗はまだない。というのも、ここ数日フルリモートワークを実践させてもらったけど、どうやら私は使用する機材のスペックに圧倒的モチベーションを左右されるタイプのようで、家で仕事すること事態はそんなに苦ではないみたいだ。あくまで今の私は、だけど。(子供がいたり、これが長期間続くのであればまた全然違ってくるんだろうな)

どこもそんなものなのか私には比べようがないけれど、一応ITベンチャー企業であるというのに、4月に入るまで対策や会社としての方針は示されておらず(公表されている感染者数などのデータに対しての見解は随時共有されていたものの)それに対して誰も物申す様子もなく、「ここは違う国か何かなのか?」と錯覚してしまうほどオフィスは人に溢れ、まるで平和そのもののようだった。

はたから見れば「能天気」とも言われてしまうかもしれない情景のなかで、冷静を装って粛々と仕事を進めているだけなのか、動揺を隠すあまりに無関心に見えているだけなのか、それとも私には全く見当もできない考えをもっているのか、同僚たちの胸の内に問いかけることは怖くてできなかった。

そういう私自身は会社と周囲のギャップに違和感を覚えながら、その感情をひた隠しにしては発狂する寸前でその不安や心情をSNSで吐露しては一旦沈着する…といった渦中の最中にいた。我ながら無様だとは思うけど、どういった状態が冷静であるといえるのかは、もはや誰にも断言できないという気だけはしていて、だからこそ、実際に発狂するわけにはいかなかったのでSNSという場所やそういうテクノロジーがこの世にあってよかったと思った。

 

混沌の中で

一通り足掻いたら足掻いただけどうにかこうにか立ち上がれるのもまた人間ならではの性質なのだろうか。
あれほど発狂しそうなほどに溜め込んでいた不安や恐れが少しクリアになってきて(開き直っただけとも言えるが)、やったこともないリスクマネジメントについて調べ出してからはあっという間だったように思う。

個人レベルだろうと会社全体の取り組みであろうと、とにかくやれることはやるべきだと思った。検温表の作成や正しい手洗いうがい方法の啓発、現時点で公表されている基本情報や感染者数などのデータベースいったリンク情報を一元化し、社内で積極的に声掛けを行った。兼ねてより汚れが気になっていたオフィスの水場と冷蔵庫の清掃を社内美化の一環として行い、運用ルールの再制定と整備もあわせて行った。

実際に提案して反対されたり小言を言われたりしなかったのはよかったと思う半面、「なにか手伝いましょうか」みたいな雰囲気にならないのは(むしろ私一人が勝手にやってるみたいな感じなので)なんだかやるせなくもある。

 

新しいページが光っても

こんな状況だからいつかの自分のために状況の記録を、と何度もこのはてなブログのログインを試みたけれどサブアカウントメインアカウントのパスワードがごっちゃになってて知りうるパターンを打っては返されてを繰り返す始末だった。

ようやくログインできたものの、なにから書いていいのか戸惑う自分がいた。それでも書こう書かなきゃ、と思ったのは次の転職先で内内のブログを始めたのでよかったら読んでほしいとの連絡をもらったから。企画のアイデア出し(というより種まきなのかもしれないけれど)を兼ねているというそのブログを読み進めていくうちに怖くなったのだ。

私は私のなかにどれほどの言葉を表現力を持ちうるのだろうか、と。

 

いきとし GO GO

一度ドロップアウトしてしまった職種に再び踏み込むことにしたのは、やっぱり「好き」という感情以上に自分を満たすものがないとわかったから。どこで何をしていても、刊行物の奥付に自分の名前が記載されていることがなによりも嬉しくて震える。

そして、自分勝手かもしれないが、どうしようもなく迷子で目も当てられなかったあの頃の自分をどうにかして掬い上げたいのだ。今の職場で感じるどんな気持ちよりも果たしたいことなんだろう。内定をもらって不思議と沸き上がったのは今の会社への感謝の気持ちだった。今のところ暫定でしかないけど、これは必要過程なより道なのかもしれない。

次の職場は一部の業務を除いて既にフルリモートを導入しているので、約1か月後どういう形態でスタートを切るかは私も、きっと先方もまだ分かっていないと思う。数日前に自主的に企画をかき出したりはしていたけれど、それに加えてささやかでいいから自分が感じたことをちゃんと振り返って紡ぐということをしていきたい。次の職場の代表は口を酸っぱくして言っていたっけ。
「考えているだけでは、ないものと一緒だよ」

これはまるで生存確認。そして、生き抜くための生存戦略でもある。

 

 


Kaho Nakamura SING US - Wasureppoi Tenshi / Sono Inochi [live ver]

きらめきも、どよめきも、一切合切

別れなんて、どんな経路を辿ってもあっけないものだ。だから、そうするしかもう術がないと悟ったとき、その道を臆せずに進もうと静かな気持ちで思った。
そして、「まだどうにかできるかもしれない」「なにかやりようがあるかもしれない」なんて考える余地すら残さず、予想していた以上のあっけなさでその瞬間を迎えたのだった。


数日たった今、感じているのは、別れたことよりも、それ以上に「付き合っていた」自体の実感がまるでない不思議さだ。
あらためて彼と過ごした日々の日記を読んでみるけど、あまりの温度差にまるで同じ対象人物だとは思えないほど、彼は遠い人になってしまった。
読み進めるほどに、「悲しい」気持ちをはるかに飛び越えて、不思議なことにすこし懐かしさすら感じてしまう。でも、それは相手に対してのものじゃない。自分の感じ方、言葉の紡ぎ方、出合い方そのものに対してだ。写真を眺めたって、どうにも他人事にしか思えないでいる。

別れを告げるまではあんなに苦しかったのに、台風一過というお天気も手伝って、今やどこ吹く風と言わんばかりに清々しい風を感じられる。

 

もちろん、一滴も悲しくないわけじゃない。悲しみは日々のなかに潜んでいて、何かをフックにして突然グラデーションのように現れる瞬間がある。それでも、付き合っていた時のほうがよっぽど苦しくて仕方がなかったから、感じることがあるとするならむなしさのほうなのかもしれない。

思えば、ぞんざいな扱いを受け続けたこの5か月間、毎朝の連絡もおやすみのキス(に値するなにか)も、「この人のもとに還っていいんだ」とじんわりあたためられることも、「わたしがわたしでいてもいいのだ」と肯定できることもなにひとつなかった気がする。
そうしているうちに、わたしはそれまでわたしが大切にしていた「当たり前に思えることなんてなにひとつない。だから当たり前をちゃんと紡いでいく。」ということが、どんどん崩れていったのだった。
気が付いたときには、日々の生活の中で生きる喜びすらも見出せなくなってしまったのですっかり途方に暮れてしまった。何も失っていないはずなのに、何かを失っている気分だった。

 
大切に想っている相手だからこそ、できることなら別れたくはなかった。一緒にどう乗り越えていくかを考えることのほうが人生を生きる上でよっぽど大事なことだった。

たとえ、髪の毛を変えても何も言ってくれなくとも、次のデートはおろか、今週末の予定や会えるのかすらわからなくても(果てには「俺の予定を全部言うつもりはない」と言われたとしても)。

彼のためじゃなく、わたしがわたしのためにしていることで、それらすべてを把握したり、理解したりしてほしいとは思っていなかったけど、わたしがどんなことを考えているのかとか、そのことに少しは関心を持ってほしかった。
もっと言うなら、キスやセックスの時くらい言われなくとも「好きだよ」とか「可愛いよ」くらい言ってほしかった。それは、わたしのワガママだったのだろうか?好きな人(ましてや恋人)に好きと言ってもらうことは甘えることは贅沢なこと?

それでも、一緒に居ておいしいものを食べて、同じ景色を共有して笑いあうことが大事だった。だから、小さなシミはそんなに気にならないと、会いに行けるときにはせっせと会いに行った。
小さなシミだと、そう思おうとしていたんだと思う。そうやって、自分の喜びや希望をあまりに蔑ろにしすぎた。ひとりでは漂泊する間もなく、どんどん広がってどうしようもなく手遅れだった。

親友に「憔悴するような相手じゃないよ」と言われても、わたしにしかわからない彼を見てきたつもりだったし、ふたりで力を合わせれば解決できると信じていた。 今となっては意味を成さない、余計な自問自答なのかもしれないけれど、名目上、付き合ってたときのほうがどこか彼を守ろうとしていた。でも、一体何から?わからない…。

 

『別れても別れなくてもつらいなら、より人生が進むほうへ。歓びも、悲しみも、人生を豊かにするためにあるのだから。』そう思った自分を大袈裟なまでに褒め称えたい。あぁ、出来ることならわたしは褒めあって生きていきたいよ。

別れを告げる瞬間は、やっぱり泣いてしまったけど、今の自分がやれるすべてはやったし、残らないほどに自分を渡しきったと思う。やり切った。頑張った。でもダメだった。だから、もういい。これでいい。

うまくいかなくなってからの5か月間は、別れるために必要な時間だったし(ふと我に返ったかのように「5か月も経ったの?!マジ??!?!」ってなることもあるけど笑)、たくさんの感情・言葉に出合えたことは感謝したい。譲れない自分の大切なものがなにであるかをはっきりと自覚させてくれた。
あとは、予想もしていなかった人と付き合って、予想もしていなかった未来を生きていることのうれしさ。将来への不安も含めて、今まで考えたこともなかった自分の人生の選択肢を、その可能性があるかもしれないんだ、ということを教えてくれたことは、自分の人生史上きらめきだった。残念ながら、今回は一瞬だったけれど。

最後にひとつ、自分に残しておきたい。
『迷いながらも、その答えに辿り着ける自分でよかった』と、心から思えたことは、なによりも誇らしく思っても、いいんじゃないかな。

きらめきも、どよめきも、一切合切味わい尽くした。たとえ、もう少しあとで残ったものが痛みだったとしても、その痛みすらも生きていることを感じさせてくれる宝物だよ。

たとえば、

自分が思うよりも、もっとずっと自分という人間がややこしくて複雑なんだろうな、と思い巡らすときに思うのは『いつも、そういう役回りなんだって思ってる』瞬間だ。

 

たとえば、何度か予定を聞いたけれどなかなか教えてもらえなかったりとか、普段は恥ずかしくてとてもじゃないけど考えもつかないようなことをお願いしたけれど相手があんまり乗り気じゃない様子だったりとか。

対象者とわたしを隔たるわずかな溝みたいなものを思う。
縮まらないからこそその距離が愛おしいことはあっても、できることなら溝は埋めてしまいたい。正義のような正しさは求めていないから、なるだけフラットでいたいと思っているのだろう。

そうやって、周りにはどうってことのないわたしのささやかな変化みたいなものを、ほんの少し後回しにされて少し雑に扱われたり、ほんの少し蔑ろにされてしまうことについて、

誰が、とかじゃなくて
それは、もうそういう役回りなんだと思ってる。
そう思うことにして、生きている。

こんなこと、恐らくこの先の人生には何度もあることで、「またか」と思うときこそ、そういう役回りなんだから仕方ないか、と思うことにしている。

だから、時々は絶望感に打ちひしがれて悲しんでみせたり、怒ってみせたりするのも、そういう役回り。みんな、そういう演技をしているんだ。みんなにだって回ってくる役回りなんだ。


踊ってるのか踊らされてるのか、気づいているのか気づいてないのか、そんなのは知ったこっちゃないけれどそれでいいんだと思うときだってある。


たとえば、今日みたいな夜には。

 

やがて、ぜんぶ大丈夫になるよ

苦しいからこそなにひとつ書けないんだけれど、苦しくて書けないというときほど書かなきゃいけないような気がしている。

そんなことは決してないよ、と愛おしい誰かは言ってくれるだろう。
「自分を大切にして」「ゆっくり休んで」「ひとりじゃないから」と言ってくれるやさしい人たちの声が、ゆっくり胸に染み渡る。

のたうち回るような今のこの苦しさも、数年後にはきっと笑い話になってることも分かってる。

「いつか、こんな気持ちも笑い話になるよね」
「大丈夫。きっともっと大丈夫になると思う。」
自分に言い聞かせるように吐き出した言葉に、秒速のはやさで「なるよ、余裕」って返してくれた友達の存在がとんでもなく心強すぎてまぶしかった。そうだね、余裕だ。

 

でも、どうしようもなく思う。

この嵐を、吹き付ける風を、雨を、逃しちゃいけない。この苦しさを苦しいまま、ちゃんと捉えておかないといけない。

同じ過ちを繰り返してしまうのは、苦しみをいずれ忘れてしまうからだ。
わたしたちは何度も忘れてしまう。
たぶん、それが生きていくことだから。

そして、わたしはどうも根本からこの嵐を愛してしまっているような質がある。

 


作家でもなんでもないのに「書かなきゃ」という気持ちに駆り立てられつつ、あまりの苦しさを前に「書けない」とひれ伏すコントを、ここのところ繰り返してばかりいる。

書けば、苦しくともやがて自分史になる。
自分が切実に、懸命に生きた証拠を残したい。

それなのに、吐露とは違って苦しさの痕跡を記しておくことは、積み重なった出来事をなぞることと等しく、生傷をえぐるようであまりに痛い。
苦しみを受け入れるには必要な過程だとしても、できることならしないほうがいいということなんてきっと捨てるほどこの世にはある。阿鼻叫喚なんて、本当はしなくてもいいのに止められない。時間が癒してくれる傷は確実にあるのを知ってて、そこから全力で逃げようとしているのかもしれない。

本当は最短距離で楽になりたい。なんにも考えたくない。
でも、習慣がそれを許さない。もっと楽な生き方なんていくらでもあるはずなのに、どうしてわざわざいばらの道を選ぶのか我ながら甚だ疑問だけれど、こうして生きてきたんだよな、とも開き直っている。いつものことだ。


だから、書きたいんだ。

忘れないために書くのではなくて、より遠くにいくために書かなきゃいけないのだと思う。
だれよりも、どこよりも、うんと遠くへいくために。

 

・・・

 

「この人といるときの自分が好きだ」と思えたことは、29年間生きてきた人生で、初めてだった。

米櫃に、計量カップを深く沈める君がいう「宝探し」。
そのきらめきがとても好きだった。そういうことを、留めておきたいと思う自分が嬉しかった。 

どうしてもこのきらめきを守りたいと思っていた。想定したことのない人生の、新しい「幸せ」のあり方だと思った。

 

だから、今とてつもなく、苦しい。

苦しい、と思うこともやがてわたしの糧になる。

今のわたしにできることは、つらいときに寄り添ってくれなかった彼を責めることではなくて、同じような状況に大切な人が陥ったときに、どう自分が相手にしてあげられるかだ。
まずは、自分を自分でいいと思えるようになること。理想とは程遠くても、自分なら大丈夫と強く信じること。

そして、相手や周りの人の人生にどう関わり、いい影響を与えられるか。

 

こんな嵐の中で、湧き上がるようにそう思えた自分がすこし誇らしかった。

親友や友達からの愛を一心に受け取って、栄養にして、ちゃんと導き出せた。
こんなにも、愛されていることに気付けないのだとしたら、それこそ正真正銘の馬鹿だ。阿呆だ。そんな風に生きてきた覚えはない。

 

このすべてのきっかけをくれた彼。

 

ほんとうに、ほんとうに、きみがきみでいること、そのすべてがだいすきだった。

 

たとえ、近いうちにこの恋を失ったとしても
わたしは感謝の気持ちを失うことなく前に進んでいけるよ。

 

今はまだ苦しくても、大丈夫。

やがて、ぜんぶ大丈夫になる。

さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね

まだわたしのなかでぬかるんでいるような事柄たち、話しているうちにまた雨が降ってきて、足を取られてしまうかもしれないけれど、それでも相変わらず取りとめのないことを書く。

 

もうすぐ元号が変わるね。

ギリギリ平成元年に生まれた私だから、令和元年に入籍とか出産とかしたい人生だったな、と少しミーハーなことを思ったりもした。というのも先日、友人の『平成最後の結婚式』ってやつに行ってきて、考えてしまった。平成にやり残したことってなんだろう、と。

恋人に聞いたら「ないよ」と言っていて、彼の、そういうところ、すごくまぶしくていいなあ、と思った。彼は今、祖母に会いに田舎に帰っていて、明日帰ってくる。

わたしには、結婚や結婚式、帰省すらも、ちっとも『当たり前』にならなくて、さみしい。だから、恋人が話してくれる実家や田舎の話は嬉しいと同時にいつも羨ましい。

結婚式なんて挙げようものなら、壁の高さと厚みにめげてしまうと思う。とてもじゃないけど一人じゃ立ち向かえない。もし仮に、自分の家族を呼べたりなんてしたらきっと信じられなくて号泣してしまうと思う。たぶん、式にならない。
そもそも自分に結婚式はおろか、結婚など遠い夢のようだとも思う。

そういったこと全て、つまるところ「普通の家の子供に、生まれてきたかった」と素直な気持ちで思う。

今の自分がいるのは、間違いなく過去の自分が懸命に繋いできた過去があるからなんだってことはわかってるし、そこに微塵の疑いなどないけれど、それでも、こんな考えなくていいことにいつまでも執着してして、ほとほとうんざりしてしまうよ。

どうにか人生が少しでも良くなるように出来る具体的なことはもう祈ることしかないし、「なんとかなるよ」と自分が自分に信じるしかない。出来るだけ明るい方向性で、絶望的な気持ちすべてに終止符を打ちたい。

さよなら、私が生まれた平成という時代。
平成のあいだに仲直りしたかったよ、お母さん。

 

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わかりやすい愛で示して

勝手に死なないこと。
死ぬ前には必ず私の前に帰ってくること。
それだけは約束を

親友にそう言われてはじめて、「そっか、故郷に帰ってもいいんだな」と思った。
上京して8度目の春がわたしを通過していったところだった。


わたしは今まで「帰る場所がない」ということをずっと意識しながら生きてきたみたいなところがあって、それについて強いコンプレックスと悲しみを抱いている。濃淡はあれど、きっとそれは今も変わらない。

上京してから4年ほどのあいだ、当時付き合っていた恋人を故郷に置いて遠距離恋愛をしていたけれど、そのときでさえ「帰りたい」と思うことはほぼほぼなかったように思う。
もちろん彼のことは好きで好きで仕方なかったし、わたしにはこの人しかいないから、あとは覚悟をするしかないと思うくらいには彼に傾倒していたけれど、わたしにとって上京することは人生最後のチャンスみたいなものでもあった。

元恋人から何度も「帰ってきていいんだよ」と言われるたびに「こんな自分にここまで言ってくれるなんて」としみじみ感動もしていたし、就職がなかなか決まらなくて心折れそうなあるときには「一緒に暮らそう。今はまだお給料は少ないけど、しばらくはぼくが養うくらいの気持ちはあるよ」と言われて、すっかり弱気になってしまっていたので『手を伸ばした先に恋人の存在がある生活』という憧れなどに正直、心揺らぎもした。だって、好きな人が近くにいることは安心だし、生きる励みになるから。

それでも自分の人生を開拓していくことのほうが彼や自分自身を生きていく上でなにより重要で、わたしは意地でも「養ってもらうつもりはない」「自分で稼ぎたいから帰らない」と言い張っていたのだった。
そう言い張ることで自ら鼓舞し、なんとか生活を切り盛りできていたのだと思う。その反動でか、彼とケンカするたびに「わたしの還る場所はどこなの」と大泣きしたことも数えきれないほどある。

結局、本当のところは心底欲していたのだ。しかし、欲望は果てしないものなので「別にないのだし仕方ない」と割り切った振りをすることで、自分の甘え腐った感情に蓋をして抑え込もうとしていただけに過ぎない。


今の恋人とケンカしたある日、子供のような癇癪をおこす一歩手前のようなむせび泣きをして「通常の恋人関係でこういう風に泣くなんてことはきっとないんだろうな」と、頭の端にいる冷静で客観的なもうひとりの自分で静かに思っていた。

機能不全家庭で育ったわたしには多分、わたしが独りでに不安に溺れて「やっぱ別れた方がいいのかもしれない」「自信がない」と言いだしても「まあまあ、とりあえず美味しいものでも食べて気分変えようよ」とか、ひたすら源泉かけ流しで「好き好き大好き愛してるかわいい」とほめそやしてくれる相手じゃないとダメなんだと思った。
同時に、なんて酷くめんどくさくてコスパの悪い生き物なのだろう、と自分に失望もした。ただの我儘クソ野郎じゃないか。こんなの、どんな顔して恋人に話せるんだよ。分かってもらえると思っているのだったら正真正銘のバカだ。

遠距離だった元恋人は、絶対と言っていいほど駅まで送ってくれていたし、わたしからの連絡がないと「ちゃんと帰ってる?だいじょうぶ?」といつも気にかけてくれていた。今の恋人にもしてほしい、と言う訳じゃなくとも、ただ、少しさみしく思う。
だって、わかりやすく「好きな気持ち」を形にしてくれないと、警戒心の強いわたしは安心できないし、そういう表現をしてくれることが単純にわたしはうれしい。その差異に気付いてますます「居場所がない」と思ったりもして、もうどうしていいかすっかり分からなくなっていた。

新しい服を買っても髪の毛を切っても嬉しくならない日が続いて、いよいよ自尊心がぺしゃんこだったので困り果ててしまった。
情けなくなりながらやっとの想いで「情けない」ベールを捨てて、故郷にいる親友に「生きてるのしんどい」と連絡したのだった。

自分を卑下しないで
毎度言ってるけどあなたは本当にステキな部分をたくさんもってる
彼のことはよく知らないけど、
彼にあなたはもったいないと心の底から思ってる
わたしがあなたをもらった(物じゃないけど)ほうが
彼よりも確実に幸せにできる自信があるよ(笑)

親友から送られてきた長文の連絡に返事するのに3日かかった。
まるで噛みしめるように何度も読み返しては泣きそうになって(そして泣いた)、すこしずつ自尊心を取り戻そうとしていたのかもしれない。1週間に相当するような3日間の密度には違いなかった。
この人はこんなにも何度も辛抱強く、赤の他人のわたしに愛の言葉を降り注いでくれる。そんな人が1人でもいることは奇跡だというのに、そこに報いれない自分がどうももどかしい。生きていながらも何度も乞い求めてばかりでほんとうに恥ずかしい。


体調の悪化とともに、恋人に対する気持ちがさっぱり晴れることはなくて、大型連休を前に、恋人とふたりで楽しく過ごせる自信がまるでない。
でも、それならば今年のお正月、ふたりで過ごしたあの4日間のことはなんだったんだろうか。なにをしたか詳細をはっきりと思い出せないけど、毎日笑ってばかりで本当に楽しく過ごしたことだけはよく覚えてる。
なぜだなぜだと考えているうちに、あのときはまだ「自己責任」で彼に会えていたからだと思った。彼が送ってくれなくても自分が会いたいから会いに行く、みたいに、全部自分が軸で自分で完結していた。

今はどうだ?と問いただしてみる。答えはNOだ。


今の恋人に対して「なにひとつ当たり前じゃないんだよ」と言いながら、当たり前になっていたのは自分自身だったのかもしれない。
会いに行くことは決して当たり前じゃないけど、受け入れる方にだって意思がある。受け入れてもらえるか怖い、とは思う反面、受け入れてもらうことに当たり前を求めていたんだと思う。

彼に理想を求めてばかりで、なかなか伴わない現状に不満を頂いた結果、そこばかりに焦点を合わせて自分勝手に不安に陥っていた。

これからわたしがするべきことは、自分に軸を戻していくことだけれど、それでも彼にある程度は求めていかないといけない気がしている。
そのバランスが本当に難しくて、考えるだけでもう泣きそうだ。求めることで嫌われたくないとも思うから、毎回勇気をだしているけれど、この勇気が枯渇してしまったら本当にどうしよう。


思えば、そもそも彼と付き合うことはわたしの生活そのものを揺らがすことだった。

もしも今後別れることがあったなら、わたしは好きな人を失うばかりじゃない、大切な友達としての彼自身や彼との共通の友達まるごと失いかねない。それは「還る場所」ひとつとしてのパートナーシップを切実に求めて人生を彷徨うわたしにとって、生活しいては人生そのものを揺らがすことだったのだと、今更になって気付くなんてどうしようもないバカだな。

それでも、わたしは今日も決死の覚悟で恋人に会いに彼の家へと向かう。そして、恋人が言う「おかえり」に、毎度ひどく安心もするのだった。


我儘だと知っているけどわたし賢くないから、どうか出来る限りのわかりやすい愛で示してほしい。それが無理ならいっそ記憶喪失して別人として一生を過ごしたい。