私のやっていたことは、不健全だったんだ。
そう思ってしまった瞬間、頑張れなくなった。歩き方がわからなくなった。どう考えながら過ごせばいいのかわからなくなった。
私の中の、絶対の指標が壊れた。
「自分を否定すること」これが私のアイデンティティーであり、生き方であり、私をよりよいものにしてくれるはずの考え方だった。このアイデンティティーが形成されたのは高校生のころだったように思う。自分の思い込みを否定することで私は変わることができた。だから私は私の考え方を否定することで、もっと変わることができると思ってた。そしてその変わり続けた先で、自分を好きになれると、認めることができると思ってた。
自分を否定することを常に意識していたわけではない。もう、刷り込まれていた。
自分を否定して、自分のやったことに満足しないことが私の普通だった。
苦しかった。なにをやっても何か足りない気がした。達成感なんてなかった。達成感が欲しくて、達成感を得られることを期待して、挑戦したこともあった。でもそれを終えたとき、私の中には何もなかった。得ることができると思っていたものなんてなくて、空っぽだった。
私にとっての普通は、みんなにとっても普通だと思ってた。
この先希望しかない、という友達もいた。
今まで何とかやれてきたから、これからも大丈夫だと思う、という友達もいた。
自分のことをよく分かっていて、人に語ることができる友達もいた。
私のいいところはここだと断言できる友達もいた。
自分の思いや考えは正しいと、相手を責める友達もいた。
それらは、私のほしいものだった。
私が、自分を否定することで、いつか得ることができると思っていたものだった。
でも、私は持てていなかった。
この先、希望なんてなかった。
これからも大丈夫だなんて思えなかった。
私は私がわからなかった。
私のいいとろこを、私はそんなまっすぐ断言できなかった。
私は、私のこの気持ちは正しいと思えず、相手を責めもしなかった。いや、責めた。でもその責めてしまう自分の考え方や気持ちが許せなくて、ずっと「ごめんなさい」と誤っていた。こんな感情を持ってしまって「ごめんなさい」と。
私は、一応頑張っていた。ボロボロになりながら泣きながら、下手だったかもしれないけど頑張って、こうやって頑張っているといつか手に入れられると信じてた。
実際は、何も手に入ってなかった。いや、何かはあったんだろう。けれど否定癖のついていた私は、自分の中に何か見出すことが、もうできなかった。
私違ったんだ、と思ってしまったとき、
私の頑張りと、その頑張りの基礎となっていたアイデンティティーは不健全だったんだ、と自分でそう思ってしまったとき
私は初めて、もうだめだと思った。
初めて、自分がどれだけ擦り切れていたのか気が付いた。
それから今日にいたるまで、いろいろ考えた。
上ばかり、見すぎていたと思う。私はずっと自分が見えていなかった。ずっと今を見ていなかったように思う。だから、まずは今できることからやろうかな、と思う。
二年、ずっと苦しかった。もしかしたら、もっともやもやしていた時期はあるのかもしれないけど、ここ二年近くは特にひどかった。
やっと終わった、という感じ。私の中で、一区切りついた。
私が信じていたものや、それによって積み上げてきたものは一度壊れた。
実際に壊れたのか、壊れたように感じているだけなのかは、はっきりとわからないけど、
でも、ショックだったし、もう二度と味わいたくないとも思うけど、よかったとも思う。一度壊れることがあっても、また立ち上がれることはわかったし、私はこういう経験とかつらさは前払いだと思ってる。だからよかった。
心にずっと引っかかっていた言葉がある。
「何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築き上げなさい」
私がこの言葉を知ったのは、二年前。
その時は、なんて酷なことを言うんだと思った。何年もかけたものが崩れるなんてどんな感じがわからなかったし、しかもそれをまた築き上げろだなんて、酷だと思った。そういう意味で心に残った言葉だった。
まさかそれからちょうど二年たった今、その言葉が示すところをリアルに体験するとは思っていなかった。
「何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築き上げなさい」
きっとまた、壊れるときはくる。
それでも、まぁ大丈夫かなと、今なら思える。
自分が積み上げたものが壊れることがあることもわかったし、壊れてもまた歩けるようになることも知れたから。
これが、まったくまとめるつもりもなく、ここ数か月を思うままに打ち込んだ結果。
ほんと、ここ数か月を含む二年は長かった。
引用:佐々木常夫(2010)「働く君に贈る25の言葉」WAVE出版
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