the 雑念

葉一用。とりあえず日記

4/20 星くずみたいなはかない季節とぐるぐる回る

◯近況、あるいは、日々の小さな失敗について

生きるのが、下手だ。


今回のオチはこれに尽きるので、いわゆる『出オチ』というやつである。


──生きるのが、下手だ。


こうやって奈須きのこ風にしようかなと迷ったのだが、別に特段変わり映えはしない。そもそも、32歳の独り身ホモが、生きるのが上手いはずないのである(罪名:クソデカ主語断定(故意犯・既遂))。
具体的な話をすると、加齢に伴って社会から要求される基本的な水準を自身の能力が大きく下回っているということである。こういう具体的な話に見せかけて抽象性で煙に巻くスキルだけは向上している。最悪である。
まあ、とにもかくにも失敗続きなのだが、ここにつれづれ書く程度の内容だろうと思い、久々にブログ向けに筆を取った次第だ。以下、各論で紹介していくがご笑納いただければ幸いである。


マイナンバーカードについて


マイナンバーカードを、まだ作れていない。


私の事情に明るい人が聞けば、この時点で「ウケるw」となってしまうのだが、深掘りは厳禁である。ちなみに、私はこの件について職場で何度か呼出を受け、ほぼ叱責に近いマイナンバーカード取得の勧告を受けている。ウケる。
勘違いされると困るので書くと、私は別にマイナンバーカード制度に反対しているとか、何かしらの信念をもって未取得であるわけではない。単に、本当に単純に、市役所に行くのがめんどくさいだけなのだ。そんな態度を示せば「最近は市役所に行かなくても申請できますよ?」とよく返される。そういう代案を教えてくれる人は、大抵良い人なので心苦しいのだが、私は別に市役所に行くのが面倒なわけではない(2行で矛盾をするな)。
私が本当に面倒に思っているのは、手続きである。全ての社会内における手続きから遁走したい。なぜかというと……書類を見たり書いたり揃えたりするのがダルいから……あと顔や服を写真用に整えたりするのも、休日にやるとハードルが高い。ダルいので「今度でいっか〜」になる。こうやってマイナポイントキャンペーンもスルーした。今さら作れと言われてもな……と腕組みをしていたところ、健康保険と合体するからマジで作らないといけないらしい。嫌だ〜!!ダルい〜!!(鳴き声)
ここで読者諸君の中には、こう思う方もいるかもしれない。「え?今さら?何年も前から話題になってたよね?」あなたは正しい。私がいけないのだが、私にも「でも取得は任意なんですよね?(全ギレ)」というカードがある。このカードを切っても利得はない。私が社会内において「ダルい」というのを1回パスできるだけである。
時流に乗り遅れているおかげで、新nisaもふるさと納税も「やりたいな〜、でもマイナンバーカードないからな〜」でできずにいる。ほんとに何?
作る気はあるのだから、というか、頼んでもいないのにマイナンバーを振り与えてきたのだから、マイナンバーカードも国が『あらよっと!』とか言ってある日突然私にくれても良いと思う、と思っている毎日なのだが、そんなことを言うとまた職場で怒られてしまいそうなのでこうやってブログに放銃しにきているわけである。多分今度作る。多分ね。


◯玄米について


最近、自己最大体重を更新してしまった、わけである。コロナ禍のせいだと思う。私が年甲斐もなく甘いものばかり食べているので、代謝が落ちてきたことも相まって太ったとか、運動不足やストレスで太ったとか、いろいろな意見があることは知っている。見解の相違である。

 

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Figs.1-1,1-2:なぜ痩せないか?という命題の答えを示唆する資料


スーツが着れなくなると困る!(強い懸念)と思い、こつこつ運動を始めた。食事も気をつけようと決意したところで、私の前にある現実が立ち塞がる。


今年の初め、炊飯器がぶち壊れたことを忘れていたのだった。


(ここから回想)愛用していた炊飯器は無名のメーカーのもので、ほかの白物家電と抱き合わせで買っておおよそ3000円前後といった、かなりチープなものであった。炊飯時にぐつぐつと煮音が部屋中に響き渡り、水分量に依らずご飯が柔らかすぎたり固かったりする、一言で言えば炊飯器の出来損ないみたいな奴であった。まあでも、米も食ったり食わなかったりだし、あえて買い換える必要もないだろう……と判断して騙し騙し使っていたのだが、ある日の炊飯中、爆発音と共に炊飯器の蓋が吹き飛び、生煮えの米をあたり一面に撒き散らす失態を演じた。それから彼は完全に沈黙したままであった。なんなら内臓(コード類)も見えちゃってた。8年間も酷使されるとは、彼もメーカーも思いもよらなかったのだろう。(回想終わり)


というわけで、新しく炊飯器を買うことにした。
白米よりも、玄米を食べる方が良いという情報を得て(なんかこう……白米よりも血糖値が緩やかに上がるらしい。本当かどうか知らんが……)、①玄米を炊飯できる、②3合炊きのものを求めて、家電量販店に赴いた。
春の新生活応援!と書かれたのぼりや広告を横目に、三十路男が爆発した炊飯器の後継を探す様子は比較的奇矯であると思う。しかし私はそれどころではなかったのだ。なぜなら、全ての炊飯器が私の想定よりも3倍近く高いのである。私の炊飯器に対する価値評価額は3000円だったので、これを改めなければいけなかったのだが、それにしても……と呆然と突っ立っていたところ、おそらく新人研修真っ最中のお姉さんが小声で話しかけてくれた。
「どういったものをお探しですか?」
おそらく私は鬼の形相だったので、勇気があると思う。私はどもりながら自分の意図を伝えた。おすすめされたのは、2万円から3万円の炊飯器であった。確かに、色々なモードが搭載されており炊飯だけでない調理ができそうである。また、掃除も手入れもしやすい。だが、私が求めているものは、3000円に毛が生えた程度の代物である。そもそも、炊飯器にご飯を炊く以外のコマンドがあって、私は使うだろうか。
「え、え、円高だからですかね、ちょ、ちょっと高いと思って」(休日なので人と会話する能力が落ちている)
お姉さんは少し困ったように首を傾げた後、「会員になれば5000円引きのクーポンがありますよ」と教えてくれた。結論から言うと、そのクーポンはメーカー違いで使用できなかったのだが私の交渉力というか、社交能力はその時点で著しく摩耗していたので、発露し損ねた怒りと共に2万円のフルプライスで新メンバーをお迎えしたわけである。

 

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Fig.2-1:クーポン対象外だった新機


気を取り直して玄米を購入。私の米櫃には5kgくらい入るだろうと思ったが。

 

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Fig.2-2:玄米の氾濫


なぜなのか。

 

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Fig.2-3:祈りが通じた図


玄米を押す時間。この世で最も不要だった。


それでは……と玄米を炊飯した。なんか硬いとか、臭いとか、いろんな玄米レビューを見たのだが私の主食に対する期待値は3000円の炊飯器で炊かれたランダム米なので限りなく低い。どんな飯でもどんとこい!と思っていた。穏やかな音で炊飯完了を伝える後継機に、「おお、君はやはり……優雅だな……」なんて声を掛けて飯を盛り、食べる。ごりっという「私が芯でございます!!」という強い自己主張に震え上がる私。炊けてない。生煮えである。そんな馬鹿な、という思いで後継機に詰め寄ると「白米」で炊飯していたことが判明する。シンプルにバカ。玄米食1敗。ちなみに、後日再チャレンジしたら普通に炊けた。


◯ノートPCについて


さっき熱々のお茶を掛けて壊した。
というか、出先でやることがなくなってしまって、この文章を書くことになった。最悪である(2回目)。
敗因はデスクの上に物を置きすぎであること。左肘を本にぶつけ、本が倒れ、チンして置いておいた弁当が横滑りし、マグカップの良いところに当たり、内容物(98℃のアッサム・カルカッタオークション350ml)全てがノートPCに流入した。バカのピタゴラスイッチである。私のノートPCは異音と共にディスプレイが暗転、バチっという不穏なショート音とともに完全に沈黙。焦げ臭い匂いがしてバッテリー付近のプラスチックや基盤が融解しているのを現認し、「終わった……」となったところである。


とてもつらい。


依頼物を製作し終わった後であること、型落ちのものを4年くらいは使用したので買い替えを検討中であったことなどは不幸中の幸いであった。また出費が……と思いつつ、これくらいの不幸で済んでいるのだからなんとかなるかも、とも思っている。ままならないままではいられない生き物なので……。ハッピーなことも伝えたいが、PCの喪中だし、性に合わないのでこの辺で。たまにはブログも書いていきたい所存である。

4/17 あらゆる存在了解内容一般を可能にする地平として時間を学的に解釈すること

〇三十路について

 

いつの間にか30歳になっていた。めでたい。

 

最近、高校の時のことをよく思い出す。その頃は自分の将来像をよくイメージできなかった。だから、30歳になる前に死んでしまうのかもしれないと、ぼんやり思っていた。死ぬのではなく、人生が途絶する、というのが一番正しく表現できるように思う。突然自分の存在が無になる、そんなイメージだ。そんなことはないと分かっているので、一番リアリティを感じられる死という観念が、(未だによく分かってもいない癖に)図々しく、割り込んでいる。

さほどシリアスではなかったが、「どうせこの先、生きていたって良いことなんかそんなにないんだから」という諦観が思春期を通じて根強くあったことは否定できない。その時期の若者らしい悲観主義と振り返れば微笑ましいものだ。ただそれは、私のセクシュアリティーとか、それに基づいた将来展望に関係したものでもあった。どうせ人並みに幸せになれないとか、老齢になって孤独に過ごすとか、そういう惨めな状況がだらだらと続くくらいならば、いっそ若く、活力のある状態のまま人生を終わらせたいと思うことがあるのは今でも理解できる。自分のことだし。

現在、状況が大きく変わっているという訳ではない。おそらく私は、しばらくは愛する人もできないだろうし、もちろん、子供など望むべくもない。十中八九、孤独な老年期を過ごすだろう。多様性が謳われる世の中にあって、それでも一般的な人生の喜びを享受できなさそうな見通しだ。それらに絶望していないか、と問われれば、やはり絶望していると思う。つらかったり寂しかったりすることは、どうしたって嫌なのだ。でも、昔よりも素直にそういう弱点を正視できるようになった点は、私が自分を大切にしてきた証として認めてあげたい気持ちがある。

悲観的な将来を打ち砕くべく、何か大きなことを成し遂げたことはない。強い意志や、克己心があったわけでもない。ただ惰性で、30歳まで生き延びてきた。それでも、18歳の私が想像し得なかった30歳になった。それはやはり、言祝ぐべきことなのだと思えるようになった。だからきっとこれは、めでたいのだ。そう思いたい。それで、冒頭に至る。

 

前年転勤となり、現在は運良く社宅に住んでいる。自分の親より年上の古い建物で、無駄に間取りが広い。物を置きすぎると転勤するときに困るので、2部屋は使用しないでいる。数回、後輩達が自室に遊びに来たのだが、その殺風景な私の部屋の様子を見ていつも唖然としていた。曰く、「本当にここで生活しているんですか」。もちろんしていると答えたが、その非人間的な生活ぶり(とはいっても、実際に生活しているのでそこまで異常ではないと思う)にあらゆる心配の声を掛けられた。思えば、私の生き様は後輩達からすれば、どこか投げ遣りに映ったのかもしれない。

つい先日、転勤する後輩らから、やや高価なボールペンをもらった。私が指導役として密に交流があったのは確かだが、さすがにもらえないと一度断った。それくらいの値段のものだ。後輩は言った。

「先生はどうしていつも安いボールペンを使うんですか、と私達が聞いたことがありましたね」

あった。私は廉価な(100均で10本入りのボールペンなど)文房具をいつも使う。失くしても、惜しくないからだ。そう後輩らにも説明した。

「先生は物とか、人とかに、もっと執着するべきだと思います。それで、これなんです」

私は大人しくボールペンを受け取ることにした。嬉しさ半分、戒め半分といったところだった。私はこれでも、様々なものに執着を見せるようになってきたはずだったのだが、後輩らからすれば、まだまだらしい。40歳になった自分は全然イメージできないが、少なくとも、向こう10年は「途中で消えたい」とは思わないだろう。私を知る様々な人とのやり取りやしがらみ、それへの執着が確かにあると、分かるからだ。

 

人生の節目節目で「おめでとう」と言われてきたことに、これまで何の感慨も抱いてこなかったものだが、ようやく三十路になって、漠然と分かるような気がしてきた。存在し続けることそのものに価値があると、他者に認めてもらえているということ、なのかもしれない。まあ別に、誰かに認めてもらわなくったって私は存在しているし、存在できるのだが、人から肯定的に接してもらえることは決して無条件でも、無価値でもないのだ。祝意としてわざわざ表明するだけの価値は十分にあると思う。

折角だからと使い始めた例のボールペンを置くための、ペン立てを選んでいる。そいつが私の机に居場所を作ったとき、少し寂しい気持ちはあるが、慣れ親しんだ悲観主義とはしばらくお別れなのかもしれない。まあ、それできっと良いのだろう。そう思いたい。

11/7 田舎暮らしから街にやってきたので物価の高さで毎日泣いているんだけど、ようやく定価で成城石井の商品を買えるようになってきた

草間彌生とパズルと弟について

すっかりブログを更新せず、最近やったことばかりを報告する場となりつつある。Twitterでやれ(やってる)。

去年から、弟が私にパズルを送りつけるようになった。なぜかは全くわからない。

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しかもいちいち難易度が高い。おそらく、嫌がらせなのだろうと思う。ちなみにこの白色パズルは「NintendoのDLソフト2本分のチケット」を賭けて行われた。私が年内に完成できたら弟から景品がもらえ、私が完成に失敗したら弟に景品をやるという甚だ一方的かつ私の負担の大きい戦いとなった。

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1度完成半ばまでいったパズルをうっかりぶち壊すというハプニングはあったものの、弟は裏面に模様(ガイド)があることを知らずに挑戦状を叩きつけたため、私はこれを利用して12/31の夜10時頃にこれを完成させたのであった。

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(完成図)実家で取り組んでいた。横から母親が次々と適当にピースを取っては全然違う場所に無理矢理押し込めるという妨害にあったが、何とか完成を見た。

 

結果、私はゼノブレイドDE(途中までしかやっていない)とゼノブレイド2(まだやってない)を手に入れたわけである。

そもそも私は別にパズルが得意というわけではない。どちらかと言えば苦手である。細かいし。細かいことはかなりどうでもいい性質なので、前回はほぼ発狂寸前であった。白色パズルは軽くて小さいピースでできていたので、溜息をつくだけでも数ピースは軽く吹っ飛ぶし、形状の弁別もかなり難しかった。比較的、2度とやりたくないものの内でも上位に入る。

 

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また来た。草間彌生のかぼちゃである。今日はその制作過程をダイジェストでお送りしたい。なぜならめっちゃ大変だったから。


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(本当にいい加減にしろよ、という気持ちに溢れている)(前回よりピースがデカくてしっかりしているのでそれについては満足している)

 

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ご丁寧に額まで来た。

今回は意図が全くわからないものの、まあ作れということなのだろうと思って作り始めた。多分、完成させたら「ちょうだい」とか言うんだろうなと思っている(これはネタバレだが、完成報告時にその通りに言われた。丁重にお断りした)。


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糊付けするつもりなので、クッキングシートの上でピースを組み立てている。大きさを見誤っているのでこのクッキングシートは完全に無意味だったが、取り去るのも面倒だったのでこの先もずっと現れる。


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(意欲が削がれる図)


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何事も地道な作業から始まる、というくだらない事実を確認するのに、パズルほどうってつけなものはない。まず外枠を作り、中を埋めていく以外に道はないのだ。あと整理整頓がとにかく大事。


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(驚くべきことに、ここまでで4時間程度経過している)私はここで「このパズルがめちゃめちゃでかいこと」に気がつくのであった(額で気付け)。


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テーブルを変更。クッキングシートのサイズが私のイメージサイズであった。ちなみに現物は40インチのテレビ画面と同じくらいのサイズである。


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ヘタの部分は水玉模様の色味が反転している(黒の地に黄の水玉)ので比較的製作が早くできる。


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外枠は黒地に黄色の単線が交差し、無数の三角形を作っている。これを先に埋めることを決意。水玉よりも目に優しい以上の理由はない。


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(当然のように難航)


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かぼちゃの輪郭が浮かんでくるあたりで一安心。ピースの使用量としては1000ピース中の3割に近い。


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わかりづらいが、かぼちゃ部分は無数の完全な円と半円から成る。センターラインの水玉が一番大きいので、ピースの中の黒字の部分が多いものを選ぶと作りやすい。
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(良いペースで埋まってきたが、ここから全て同じような水玉にまみれてしまい、頓挫しがちになる)
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机上のスペースがあまりにも足りない。水玉がごちゃごちゃになるので、まめに整理整頓をした方が良い。


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(水玉が蠢いて見え始めたのでギブした回)


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隙間を埋めるように水玉を描く草間彌生。何となく、ここにこのサイズの水玉があるだろうなというイメージが掴めてくる。全然掴みたくはないし、今後一生役に立つことはないが……


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(左部のピースのごちゃごちゃ感でその日のメンタルがわかる。これは最悪の日)


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意を決してピースを整理。ここからは早い。


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右半分が終わると、水玉の向き(小さい方から大きい方へ転じる向き、ばらつきなど)が一意に定まるので極端に簡単になる。ここから完成までは1〜2時間程度であった。


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いつもの鳥瞰図

そして
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あっさり完成


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前回同様大体2週間強といったところ。仕事の片手間としては上出来である。


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折角なので糊付けし、適当に飾ってみたがどう考えても邪魔である。とにかくでかい。まあ若干のオシャレムードは出ているので良しとしたい。

 

パズルが好きなわけではないが、負けず嫌いなのかもしれないと思った。何事にも自己洞察と気づきがある……ということにならないだろうか。ならない。はい……。いいか、パズルだけは俺に送るなよ。絶対に送るなよ。

ベネとエオルゼアと私

〇前書き
約50日前にFF14を購入し、それから今の今まで虚構に入り浸っていた訳である。新生から始め、さきほど漆黒のメインストーリーが終わったところだ。これ以上のめり込むと人生に支障が出かねないため、外出自粛要請期間+αで終えられたことを素直に喜びたい。お前はフルタイムの仕事をしているんだぞ?と常々同僚に言われているわけだが、50日間の内、13日間程度の時間をFF14に費やしている。まあGWもあったし仕方ないね。
この記事は自分の備忘録として、せっかくストーリーやったんだから感想を付けてもいいんではないですか、と思って書くものである。だからネタバレもする。ただし、私の中のエオルゼアの話なので、事実や一般的な解説とは大きく違うところがあると思う。それも後で自分が見返したときに面白いと思うので、良しとしたい。

この記事で言いたいことはただ一つ、十三機兵防衛圏をやれ。

〇発端
そもそも私はFFを愛している。スクエニの上顧客と自称してみたりする。FF1~10、12~15まで遊び、外伝も嗜んでいるわけで、多少はそう言い張ってもいいだろう。ただネトゲには手を出したことがなかった。というのも、ネトゲに手を出すと人生が破綻してしまうことが目に見えていたからである。ペルソナ5を一週間でクリアしたりする人間はゲーム如きで容易に社会性を捨ててしまおうとする。私は心理学を修めているので、それがよく分かっていた。
ゲームを月額課金で遊ぶシステムもよく分かっていない古のゲーマーなのである。お金を出せば出すほど強くなるソシャゲにも思うところがある。だから「FF14……面白そうだけどネトゲはなあ。友達もおらんし」ということで参戦を見送っていた。ところが。

FFTのシナリオ(リターン・トゥ・イヴァリース)がFF14内に実装されているというのである。

FFTは10回やった。ほぼラムザ(FFTの主人公)の夢女と化しているといっても過言ではなかろう。そして何より、FFTはそのシナリオ・ゲームシステムの雑さと完成度によっておそらく永遠に続きが出ないゲームの一つである。多分もうリメイクもしない。プレイ動画を見て満足するか、と思ったこともあったがコンテンツを十分に楽しむにはFF14の知識も必要となることもまた明らかであった。心がぐらついている中、しばらく期間が空いた後、周知のとおり「家から出ない」ことが正当化される社会に移行してしまう。これはやるしかないのでは?と思い、数少ない友人の勧めもあって単身エオルゼアに乗り込むことになったのであった。
目標は当然、FFTのシナリオプレイまでだったのだが、FFTのシナリオに行くにはゲームディスク3枚分の道のりが必要と知り、心が挫けたことを申し添えたい。ちなみに私がリターン・トゥ・イヴァリースしたのは先々週の話だ。

〇総評
FF14は一人でやるには実に退屈なゲームである。特に初期のシナリオやゲームシステムは古典か?と思わされるような要素で満ちている。意味のないクエスト、知らない人と知らない地名がバンバン登場する会話、やたら広くて死ぬほど見づらいマップ。しかしながら私はよく訓練されている古のゲーマーなので「やっぱりね」と思いながらこれらをこなすこともできる(最新話の漆黒でも草を毟るように依頼されたときは笑うしかなかったが)。レベル制限に引っかかるくらいでしかメインクエストの進行は妨げられず、それくらいの難易度である。
ただし、ネトゲなので複数のプレイヤーと協力して進行しなければならないコンテンツもある。インスタンスダンジョン(ID)及び討滅戦だ。前者はいわゆるダンジョンを4人のパーティで攻略しなければならないもの、後者は4~24人くらいで攻略するコンテンツとなっている。これが難しい。何が難しいかというと①人が集まらない(人が集まるとシャキーンと大きな音が鳴るのでシャキ待ちとか言われる)、②パーティメンバーがIDや討滅戦の内容を理解していないと全滅してやり直しになりやすい、この2点である。心が挫ける人も少なくないのではないだろうか。友人を集めてやれる人は幸運だが、私のように友人があまりいない人はランダムでマッチングして見知らぬ人とダンジョンを攻略するほかない。相手がコンテンツ内容の予習を怠っているような人(私はそれが悪いことだとは思わない。コンテンツ内容をあらかじめ知ってから行くことが不文律となっていることは退屈さに拍車を掛けていると思う)と当たると、ボスにドカンと大技を放たれてダンジョンの出口に送り返されることになる。それはそれで楽しい、と思えない人には向いてないシステムだ。
ストーリーはネトゲらしく、いつまでも敵が出続けるという話なのでこれは割り切るしかない。ラスボスが現れた時はサ終なわけで、これはプレイする前に理解しておくべきことだろう。ドラゴンボール形式で強い敵が登場し、帳尻が合うように事後的な説明が次々に足されたりしがちである。矛盾しない、というのは複数人かつ長期間シナリオを作っているととても難しいのだと思う。が、テコ入れが目に付かないといえば嘘になる。最近のプレイヤーと昔からのプレイヤーの間で認識の差があることもある。タイトルごとに話が一区切りするのでそれぞれ評価が変わると言われればそういう側面もあるだろうが、一連の話で考えると紆余曲折や変遷、その場しのぎの展開が少なくなく、良くも悪くも最近のゲームという印象で凡庸な内容である。やはり真髄は友人とわちゃわちゃ会話しながらプレイするところにあるのだろう。

〇雑感:キャラ中心。思いついた順で。
〇新生エオルゼア
・あらすじ(前日譚)
3国同盟と帝国で戦争中にうっかりバハムートが召喚されてめちゃくちゃになった。
・あらすじ(本編)
各地の蛮族が蛮神を召喚してしまうのでこれを叩きつつ、帝国と戦うことになった。
・キャラメイク
ララフェル(小さくて可愛い種族)で作成、友人らから即地雷認定される。こんなところでも人種差別が横行しているなんて、と悲しい気持ちになる。それはそれとして我が分身ながら可愛い。
・主人公
無口。ドラクエ主人公タイプである。ストーリーが進むにつれてふざけた選択肢が出ることもある。ハイデリンというぴかぴかのクリスタルに贔屓されており、『超える力』というイマイチなネーミングの力を付与されている。具体的には「蛮神に襲われても信徒化しない」「たまに人の過去が見える」「死ぬと攻撃力とHPが10%ずつアップする」が、任意で発動しないので多分「鬱陶しいな~」と思ってると思う。
・ロールとジョブ
職業を最初に選ぶ。まずロールという括りがあり、タンク・DPS・ヒーラーの3種類がある。タンクは盾役で、HPが高く攻撃力が低い。IDの攻略に1人必要で、要職だがめんどくさいことが多いのでみんなやりたがらない。DPSは攻撃役で、敵に攻撃されるとすぐ死ぬがソロプレイだと楽。みんなやりたがるのでシャキ待ちが大変。ヒーラーは回復役で、死んだりタンクを殺したりすると大体ダンジョンの入り口に戻されるので責任が重い。これもみんなあんまりやりたがらない。私は攻略サイトに騙されてタンク(斧術士→戦士)で始めたので泣きを見た。
・『暁』
成り行きで主人公が参加するちょっと怪しい団体。合言葉は「のばら」。蛮神ハンターが集う。ほうれんそうが誰も出来ないので主人公を世界中にテレポさせまくる。
・ミンフィリア
『暁』のリーダー。砂の家とかいう辺鄙なところに住んでいて、ことあるごとに主人公を呼びつけてヘイト1位に躍り出る。後に光の巫女とかいうクソダサい役職と恰好になり、あれこれ頑張ってみるが漆黒編で全部失敗していたことが詳らかにされる。
・サンクレッド
『暁』メンバー。軟派な登場なのだが操られる、役に立たないで良いところがない。この傾向は最新作まで続く。ヤシュトラに次いで全裸になる頻度が高い。多分テコ入れでジョブがころころ変わる。
・ウリエンジェ
『暁』メンバー。話が迂遠で長い。多分みんなから弄られているんだろうなと思わされる。アリゼーの尻に敷かれがち。いつも大事なことを黙っているので口下手かな?と主人公から思われている。
・ヤシュトラ
『暁』メンバー。意外と性格が悪い。特殊な魔法を使うが、それが何なのか私を含めて誰もわかっていない。よくエーテルの中から全裸で救出される。
・イダ
『暁』メンバー。陽キャだが陽キャには陽キャの悩みがある、みたいなアプローチで私とパパリモを閉口させた。仮面キャラだが外しても主人公は「何?」みたいな顔をしていた。
・パパリモ
『暁』メンバー。まさかの中年。ヤシュトラよりすごい魔法を使って主人公と私の度肝を抜いた。
・アルフィノ
『暁』メンバー。可愛くない方。世間ずれしているのにエオルゼアを救いたい!とか言って主人公を苦い顔にさせる。自分で作った組織に裏切られるというレアな芸風を持つ。良いとこなしだが、基本的に育ちが良いのですぐ人を好きになってしまう。主人公の知らない間にエスティニアンガチ勢になっていて熱量のやばさから主人公と国と竜を動かした。
アリゼ
『暁』メンバー。可愛い方。すぐにブチ切れて敵を殲滅しようとする。会談とかでもいきなり相手にリミブレを撃ちやしないかと主人公をひやひやさせている。単身バハムートの調査に乗り出してガンガン謎解きをするアグレッシブさもあり、アルフィノとウリエンジェを地の果てまで引きずり回す。
・シド
お前いつも飛空艇作ってんな……

〇新生エオルゼア(パッチ)編
・あらすじ
良い感じに帝国の一部を倒したが、内乱とかやばい遺跡の発掘とか外交とかの問題が山積みなのであった。
赤魔道士
タンクが辛すぎたのでDPSに転向。突然の難易度低下に別ゲーと化した。
クリスタルタワー
古代文明が遺したやばい建物。24人で入り、敵はぼこぼこにされる。
・グラハティア
自分探ししてる。色々あって主人公のお陰で出自の謎が解け、クリスタルタワーでしばらく寝ることになる。
・ナナモ
すぐ泣くのじゃロリ。ウルダハという一国を統治する大任を追っているが、民度が低いので暗殺されかけたり、反乱を起こされたりして鬱屈としている。ある剣闘士を推したら100倍推され返すというビギナーズラックで最強のマウントを手に入れた。
・ラウバーン
ナナモ様専用マウント。切れると勢いで人を殺すことがパッチで判明した。

蒼天のイシュガルド
・あらすじ
隣国イシュガルドは竜と100年くらい戦争をしていて、全然同盟国に協力してくれないのであった。
・タタル
『暁』事務担当。『暁』メンバーが行方不明なのを良いことに存在感を出してくる。裁縫が得意で衣装チェンジに一役買った。
・オルシュファン
イシュガルドの騎士。筋肉に興奮する変態さんから主人公の友達にランクアップした変態。筋肉目当てに主人公を追い掛け回すが、その余波でうっかり死ぬ。
・フォルタン卿
オルシュファンの父親。貴族。オルシュファンが持っていた盾をくれるが「それ防御力低いやつでしょ~」と主人公に訝しまれる。後年、日記がみんなに回し読みされることになり、アルフィノ級の黒歴史となってしまった。
・アイメリク
イシュガルドの騎士団長。戦闘と事務、そして終盤には政治もやらなくてはならなくなり、めちゃくちゃ忙しい。聖人君主なので文句を言わない。偉い。
エスティニアン
竜騎士。FFにおける典型的な竜騎士の格好をしているのでもちろん操られる。アルフィノに推されていたので一命を取り留めた。
・イゼル
いつの間にか死んでいたお姉さん。ストーリーでは邪魔はするが役に立たないのでアルフィノに推されなかった。
・ミドガルズオルム
一番強い竜。主人公の『超える力』を封印して試練としたが、任意に発動できない力を封印されたところで特に影響はなかった。何なら主人公は「快適~」と思っていたかもしれない。小さい竜になったりマウントになったり色んなバージョンが存在する。
フレースヴェルグ
竜。実はこいつが一番悪い。
・ニーズヘッグ
人間絶対殺すドラゴン。めちゃめちゃ強い。折角やっつけたのにアルフィノと主人公が雑に眼を捨てたので禍根が残る。

蒼天のイシュガルド(パッチ)編
・あらすじ
別世界から闇の戦士が来たり、帝国の属州がトラブったりしてアリゼーがブチ切れた。
・イルベルド
アルフィノの黒歴史の中核を成す人物。アラミゴ(帝国属州)を奪還したい思いが空回りして「あかんやろ……」と思いつくことを全てやり抜く。長城のIDでいつでも殴りに行けるので主人公は5回周回した。
アルバート
闇の戦士。別世界から来たとか言い出して主人公を困惑させる。『超える力』で何回も復活するが、アリゼーにリミブレを撃たれて退場することになった。漆黒編で再登場、主人公の隣でネガティブなことを呟く幽霊になり、主人公から「もう寝たいんだけど」と正式にコメントされた。
・リセ
仮面を取っても驚かれなかった人。「あたし頭が良くないから分からないけれど」という枕詞でアラミゴの人々を超不安にした。
神龍
フィールドから人を落とすのが得意。

〇紅蓮のリベレーター編
・あらすじ
ドマとアラミゴ、2つの帝国属州で次々と反乱を起こすのにうっかり手を貸しちゃう主人公なのであった。
・ラウバーン
ナナモ様に解雇されて無職になる(一番の見どころ)。
・フォルドラ
帝国兵。アラミゴ出身だが諸事情で軍属になる。主人公がやってほしくないことをやることが得意。髑髏の処刑人とかいう中2ネームを擦られてブチ切れたところ、アリゼーにそれを上回るブチ切れをされた上にリセに殴られまくるという不名誉な退場となった。人工『超える力』で相手の攻撃を見切る機能が付いたが、主人公から密かに「いいな~」と思われている。
・ユウギリ
ドマのドラえもん便利アイテムを次々主人公にくれる。
・ヒエン
ドマの若殿。登場人物の中では比較的まともな思考をしているが、アジムステップに引きこもっていたのでミンフィリアを想起させたため主人公からの心象は悪い。
・ゴウセツ
ドマの侍。ターミネーターかなってくらいダメージを負っても死なない。俯瞰で見るとリセとキャラ被りしているので、主人公から認知されていない。
・ヨツユ
帝国側のドマ統治者。人が嫌がることをするのが好きなタイプだが、それ以上に人から嫌われていたので周りに人が居らず、欲求不満に陥っている。幼児退行してみたものの、スタッフが扱いに困ったのかすぐに記憶を取り戻して敵側に回る。
・ゼノス
帝国の皇子。たまに部下を切り殺すので友達がいない。対人関係の認知がバグっているので、敵対する主人公に(おそらく単純接触効果で)好意を抱き、友達だと思い込む。当然、主人公は困惑していた。
・アサヒ
顔芸担当。主人公的には登場から体感30分で退場した。
・リターン・トゥ・イヴァリース
解釈違いだったけどそれはそれとして音楽も構成も良かったので始めて良かった。

〇漆黒のヴィランズ編
・あらすじ
ガチャで召喚され、闇の戦士の世界に来たらミンフィリアがやっぱりやらかしててほぼ滅びかけてた。
・水晶公
クリスタルタワーから出てきた」「最初から主人公との絆レベルがマックス」という2点をもってして速攻で正体がばれた人。『暁』ピックアップガチャで主人公を呼ぼうと頑張ったが失敗しまくって5年越しのピックアップガチャでお迎えした。
・エメトセルク
FF14のアーデン。手伝いはしないがなんだかんだ漆黒のストーリーに面白味を与えてくれる。NPCの発言通り意外と真面目なんだなと主人公も多分思っている。
・ミンフィリア
「待っていたわ」じゃないんだよ。
・罪喰い
設定がこれまでと比べて割とえげつない。まあ信徒化(テンパード)もそこそこきついか、と思って主人公に割り切られた。

 

5/1 きっと何者にもなれないお前たちに告げる

【私と弟について】
改元したらしい。伝聞調なのは実際に目で見て確かめていないからである。何となく正月のような雰囲気があり、スーパーの総菜売り場なんかも賑やかであった。
そういえば、年末年始に父親が家に居たことがなかったなと思い出す。父親もまたスーパーの店員で、世間一般が休みの時に働くサービス業の権化のような職業なため、私達兄弟は大型連休にどこか出掛けた記憶が無い。母親も人ごみが苦手な性質だったので、家でごろごろとしていることが多かった。先日帰省した際に、父親はそのことを後悔していると言っていた。「もっと遊びに行けばよかったと思ったけど、もう二人とも大人で、仕事や勉強があって、一緒に遊びに行くようなところも思い付かなくなっちゃったな」。悔恨とは都合の良い言葉だ。人から赦しを得られたような気分になるのだろう。
私は良く日に焼けた同級生たちを思い出す。「よういちは夏休みどこに行ったの?」。どこにも行かなかったとは言えず、祖母のいる田舎に行ったと応える。嘘ではなかった。ただ、自転車の圏内に祖母宅はあるのだが。そういう思い出はおそらくずっと心に残るんだろう。だからといって愛されていないとか、恵まれていないということはなかったし、そう感じなかった。ただ、活動性の低い人間たちはこうなんだと思っただけだ。もしかしたら、少しだけ僻みっぽい性格になってしまったことには寄与したかもしれない。
一方、弟は家の中でじっと収まっているような逸材ではなかった。夏も冬も家を飛び出し、友達と日暮れまで遊び、得体の知れない生き物や得体の知れない棒切れなんかを持って帰ってきた。私はそれをいつも少しだけ羨ましく思っている。私は魅力的じゃないし、周囲に遊んでくれるような友達もいない。いいなあ、と思って見ていた。それでも、まあ、弟には弟なりの悩みなんかはあったのだろう。他者とトラブルを起こすのはいつも弟だった。中学生になっても泣きながら家に帰ってくることさえあった。これは別に父親の所為ではないが(こういう一文を入れて客観性を担保したい。無論、文章の展開から無理だということは承知している。ごめんね父)、私は歪みを持って早熟し、弟はいつまでも純粋で傲慢なままだった。良くも悪くも、私達は相似形でいて、相補性や互換性のないまま大人になった。時代の節目に、そんなことを思い出す。

【回想について】
本当は昨日の内にこれをしておけば良かったのだが、今日思い出したのだから仕方がない。祝意に満ち溢れた日にこんな内容の文章をしたためるのは気が重たい。本当だ。まあ、気持ちの整理とかこれまでの人生のセーブポイントみたいなものだと思って割り切ろうと思う。私(ときには私と弟)が平成に置き去りにしたかったもやもやを書くことにする。実際に体験したことについてのもやもやなので、正解とか、解釈のようなものはない。やまなし・おちなし・いみなし、というやつだ。

・A君の話
私が中学校3年生の時の話だ。A君という車椅子の男の子と同じクラスになった。A君の障害の程度については分からない。教えられなかったからだ。両脚は完全に不自由で、指先もかなり硬直しており、もしかしたら知能にも軽い遅れがあったかもしれない。A君の両親が「勉強などは普通にできるので」という理由で、私達と同じ小学校を出て、同じ中学校に通うことになったようである。
A君は明るい性格だった。ただ、私達は彼のようないわゆる障害者とどのくらい密に関わるのが適切で、どのくらい立ち入ると無作法になるのか分からなかった。だから、級内への導入は円滑とは言い難かった。補助員の存在も、大人に対する一定の抵抗感が生じ始める季節として良くないタイミングだったと思う。よく言えば「不快感の生じない距離感で」、悪く言えば「腫れ物に触るような」彼との学校生活が始まった。
私は出席番号がたまたま近く、彼の介助に当たることが多かった。必然、会話をすることが多くなる。A君は良いヤツだった。電車に乗るのが好きで、将来は車掌になりたいと言っていた。私は、もう少し彼の手が自由に動くことが出来れば可能かもしれないと思ったが、それを判断する立場にないので「そっかあ」みたいな返事をしていたように思う。「よういち君は何になりたいの?」と訊かれたことを覚えている。その時は「大人」と答えたように思う。
部活を引退した後は、A君と放課後を戯れて過ごすことが多くなった。A君は母親が迎えに来るまで下校が出来ない。一人では通学が困難なのだ。その時間を同級生と潰すことは、中学生らしいことだと思った。私は半分くらいは義務感で、もう半分くらいは友人としてA君と放課後を過ごしていた。トランプをして、オセロをして、将棋をして、こっそり漫画を持ち込んで、遊んでいた。私だけでなく、他のクラスの友人も遊びに来た。そういう緩い輪を作るような明るさが、A君にはあった。1時間から2時間すると、母親が大きな車で迎えに来る。若くて、綺麗な人だった。「いつもありがとうね」、と私達に必ず声を掛けてくれた。私は、そしてA君も、このような日々に満足していたのではないかと思う。多分。

A君に変調があったのは2学期の初めからだった。

夏休みの話をしようとなった。私は相変わらず「祖母宅に行った」と繰り返して伝えていた(それでこの話を思い出した)。
A君は、もう忘れたが鉄道のイベントに行く予定だと話していたのを思い出す。私が話題を振ると、A君は戸惑いの表情を見せ「行けなかったんだよ」と答えた。どうして、あんなに楽しみにしてたのに。実際、彼からその話を5~6回は聴いたように思う。私は彼の体調が心配になった。でも、それ以上の言及はなく、その日は終わってしまった。いま考えれば、それが予兆とも言えなくもなかった。
それからA君は口数が段々と少なくなっていった。端的に言えば元気がない。そして、そういう自分を鼓舞して明るく振る舞う場面が目立つようになった。私は、今日は聴こう、今日は聴こう、と思ってそれをついつい先延ばしにしていた。思い過ごしではないかと思ったこともあるし、何故自分がわざわざ聴かなくてはならないのか。お節介じゃないのかと思うこともあった。結局のところ、私はきっと迷うフリをしてA君の悩みとか、それらしきものに触れるのが億劫だったのだろうと思う。そうこうしている間に、A君は学校を休みがちになり、10月の後半からはほとんど学校に来なくなってしまった。私も高校受験を控えていたので、放課後に学校に残ることもなくなり、少しずつ、少しずつA君と作ってきた慣習がなくなっていった。トランプはロッカーに仕舞い、オセロは家に持ち帰り、将棋は先生に返し、漫画はこっそり他の友達にあげた。

春になって、高校が合格した次の日に私の母親から、A君の話を聞いた。
夏休みの間に、A君の母親は実家に帰ってしまったらしい。当時はそう聞いたが、本当はほとんど錯乱した後の失踪だったそうだ。A君の介護疲れとか、A君の父親家からのプレッシャーとか、まあ、そんな色々があったらしい。伝聞調なのは実際に目で見て確かめていないからである。とにかく、A君の母親はいなくなり、A君はそれをきっと自分の所為だと感じていたのだろう。そこまでは、きっと確かなことなのだ。父親はA君の介護をほとんど母親に任せていたので、通学させることはおろか普通の生活もままならなかったようである。その状況の全てがA君の尊厳を踏みにじっていたのだろうな、と思う。いつも私は思うだけで、何かを行動に移せない。
卒業式の前日に、A君は父親に連れられて登校した。父親の疲労は明らかで、何もかもが大変、といった顔をしていた。母親の話は本当なんだろうと確信した。放課後にはトランプをした。ロッカーの奥底から取り出して、以前の仲間も呼んで、賑やかにやろうと思った。A君は養護学校に通うことになったと言った。欠席している間も、通っていたのだろうと思った。「それが一番誰にも迷惑掛けないから」と付け加えた。
結局それがA君を見た最後になった。卒業式には来なかったのだ。理由は分からない。私は泣きたかったが、泣かなかった。相応しくないような気がした。いまもどこかで元気にやっているといいな、と思う。
実は、こういう話はありきたりなのだと思う。だが傍観者として体験したそれは私にとって手に余り、今でも強い憤りを残している。それは剥奪に関するエピソードとして記憶されている。本当はA君と私は中学3年生を一緒に過ごすことが出来たのに、ということだ。これはおそらく妄想なのだろう。それでも、今でも捨てられないでいる。

・弟の話
最初は弟の、1個年上の先輩だった。就職後すぐに自宅で首を吊って死んでしまった。
私も顔は知っている程度の付き合いがあったが、弟はかなり親しくしていたようである。彼が最後に連絡を取り合っていたということで、弟は警察から任意で事情聴取を受けることになった。帰ってきたとき、弟の顔は白くなり、手が震えていた。弟が見て欲しいというので、メールの履歴を見た。他愛のない、何でもない普通のやり取りだった。
『それじゃあ、明日も実験がありますのでお先に失礼します。おやすみなさい』
それが弟の最後の送信となっている。弟はこれをかなり気にしていたが、どう考えても普通のやり取りではないのかと応えた。納得はしていなかったが、警察の聴取を終えたあとでもあり、ナーバスになっているのだろうと思っていた。実際、この件についてはそうだったと確信している。

その一年後、今度は弟の同窓生が死んだ。やはり自死だった。詳細は伏すが遺書もあり、計画的な死だったようである。

既に私は社会人になっていたので、弟の電話でそれを知った。弟は相当参っているようだった。弟は話すときに「また」という言葉を使った。遺書の中に弟のことを指すような描写があったそうである。要旨としては、弟のように頑張れず、優秀でもない自分に嫌気が差した、というような内容だったらしい。やはり警察に赴き、事情聴取を受けた。
実家に帰り、弟と話をすることにした。弟は訥々と、これまでの経緯を話す。友人だと思っていたこと、研究と金銭について悩んでいたこと、一緒に色々な手伝いをしたこと、それらが回り回って、友人を追い詰めていたこと。そんな内容だ。今回はほとんど名指しされていることもあり、弟の落ち込みもひどく、食事も喉を通らないと言う。
正直に言うと、こいつツイてないなと思った。
だが、弟にすれば自死が出来事のインパクトとして大きいだけで、これまでも弟の振る舞いや能力に対して嫉妬や何やらを向けられてきたのだろうと思い直した。これは彼にとって大事なテーマなのかもしれない。即ち、「俺は他人が死を選ぶほど受け入れられないような人間なのだろうか」というバカげているけれども深刻な問い掛けなのである。贔屓目はあるにしろ、私の弟はそれなりに優秀である。勉学に関しての話である。研究論文も数本ある、なんてことを言っても仕方がないと言えば仕方がないのだが。私が彼を評価しているのは、好きなことや興味を持ったことに対して真摯に、それでいて継続的に努力を積むことができる点だ。それは、得難い特性であるだけに、時には他人の劣等感を刺激するのだろうと思う。
そう言われれば、弟は昔から周りから煙たがられるようなところがあったと思い出す。何てことは無い、典型的な委員長タイプなところがあるのだ。自分が出来ることであれば、誰でも同じように出来ると思っている節があるし、正論を突き付けることも致し方ないといった行動が他者の神経を逆撫でするのだ。最近は大分丸くなってきた方ではあると思うが、出来ることが膨大な人間は確かに他者を巻き込んで破滅させることもあるだろう。弟はそれに間違いなく当てはまる。真面目なヤツなのだ。どこまで行っても。
人は誰かと同じように努力できない時、色々な言い訳や逃走をするべきだと思う。自他を守る為に。それが互助的にできないとき、コミュニケーションは破綻するのだろう。
かと言って、弟が同窓生を追い詰めたと私は考えていない。自死の要素は常に複合的だし、衝動性も無視できない要因である。信念を持って既遂することもある。自死はその人自身のものであって、誰か一人が担うには重く、傲慢なことなのだ。私は最終的に弟に甘い。それは身内だけの特権だ。
休学の話も出たが、結局は継続して研究を続けている。弟は私に比べてタフではないので、ふとした時に泣き出してしまうことがまだあるらしい。だからこの文章は、弟の目に触れないところで私から送る見解の一つである。誤解を恐れずに記すならエールだ。

【悔恨について】
後悔先に立たず、と言うが、これからもたくさん後悔をしていくのだろうという予感がある。私も。弟も。願わくば、その悔恨が父親のように、取り返しの付くことであってほしいと祈る。そんな新しい日々である。

4/22 あなたのために歌うことがこんなにも辛いことだなんて

子供じゃないので夜中にもお菓子を食べるよういちです。

 

※出先でメモりながら文章を書いているので校正はおろか、後悔をする余裕もない文章となっております。

 


【恢復について】

色々な業務が重なり、久方ぶりの休みとなった。何をするわけでもなかったが、外に出ようと思った。これもまた久方ぶりのことである。職場と自宅を往復するだけの毎日に変化を与えたかったのだろう。多分、そういう欲求が私の中にもある。


・経緯

白状すると、3月から心身不調だった。軽いうつのようなものだろう、休みの日になると何もやる気にならなくて無限に寝ていることが多かった。思いのほか食事制限がうまくいき痩せてしまったことと、仕事の緩急の激しさと、あとは記すことができないささやかな課題があれこれあったことに由来すると思っている。とはいえ、出勤できないなど社会適応を損傷させるほどのことでもなかったので退勤後や休日はゴロゴロと寝転んで映画を見、寝すぎて寝られなくなれば朝までゲームをし、おかげでグラブルのランクは上がり、大奥でロードの長さに耐えながら大回転することができた。だからあらかじめ断っておきたいのは、さほど深刻ではなく、生得的な「ちょっとダルい」が比較的強かった時期だったということである。


・お腹ブレイク

滅多にないことだから、何が私の心的活力を奪っているのかそろそろ実験してみることにした。仮説として一番有力だったのは「思うように物を食えないストレス」だったので、一昨日ドミノピザのLサイズとポテト、ナゲットを発注し、一人で平らげた。久しぶりの暴飲暴食(コーラも飲んだ)だったので、腹が苦しくなった。翌日、すぐに元気になった。単純なものである。腹が全壊したので1日行動不能ではあったが。(真似しないでください。トイレに引きこもる場所が変わるだけです)

そして今日、腹の調子を整え、こうして外出に漕ぎ着けた訳である。ショッピングモールに行き、無印良品に行き、本屋に行き、ブックオフに行き、ケーキ屋に行き、喫茶店に行こうと思う。過活動気味だが、基本的には徘徊であって買うべきものもほとんどない。傍迷惑な輩である。


・躁的活動

テンションが高いので、いわゆる躁状態なのではないかという期待がある。いつもはあれでも内容を取捨選択し、ほどほどに洗練させて日記を作成しているのだが、今日は試しに思いのまま書いてみることにする。記録として黒歴史にならないことを祈るばかりだ。


・昔取った杵柄とプレイヤーランク

ショッピングモール内にあるゲームセンターでチュウニズムという音ゲーを見かけた。院生の頃にはまり、さして上手くもないのだが通っていたことがある。財布を開けてみれば丁度良いことに100円とAimeカードがあるではないか。私は3年ぶりに音ゲー(ゲーセン)に挑み、突き指をした(ところでポプテピピックの譜面めっちゃ爽快感があるのずるくないか?)。活動的なのは良いことだ。経済を回すこともできる。清貧という名の吝嗇なので、1クレでも世界を大奥の如く大回転させたような錯覚がある。躁かな?(これはダジャレです)


文明の衝突

仄かな疑惑を弄びつつ、本屋に突撃して「Fate/strange Fake」の新刊を探す。県内で一番大きい本屋に行ったが、取り扱っていなかった。田舎には伝来していないという。文化的な断絶が厳然としてあり、ちょっと泣いた。結局は「こころの科学」という心理オタク専門誌の最新刊を入手しただけに留まった。就職してから良かったことは(就職したのは3年前なことをいつも忘れているのでこうした書き出しになる)、3000円くらいの買い物なら即決できるようになったことだ。期待外れでもあまり後悔しない。


・全然行きたくない

無印良品に来た。ところで私は無印良品のあれこれが嫌いである(いきなりdisる人間として最低の行いである)。客層と店員どちらをとっても「私には分かってますよ」「自然派」「少し高くても良いものを」みたいなニュアンスというか雰囲気が肌に合わないのだ。没個性的という個性を放つから、本当にこの世から消えてしまいたいとか、社会の背景になりたい私などには敷居が高い。なぜ来たかというと、洗濯カゴが欲しかったのだが100均では思うようなデザインや大きさがなかったため「用途不明な馬鹿でかいカゴ」が置いてありそうなところとして思い浮かんだからである。想像通りあった。プラカゴで良いのだが、隣に同じ大きさの籐カゴもあったので検討した。4000円だった。「4000円!」と声に出ていた。ナチュラルメイクの「ご理解している」店員さんがチラリとこちらを見て微笑んでいる。100均で買おうとしていた40倍の値段設定に目眩がした。迷わず1000円くらいのプラカゴを買った。企業側のストラテジーを感じ(被害妄想)、無印良品に対する憎悪はより一層加速した。


・パンとケーキを食べればいいじゃない

腹が減っていた。だが昨日の惨状を思い出すと、おかゆちゃんなどが良いのではないかと思う。現在肚の中には何も入っていない状況となっている。トイレを気にする必要がなく、論理的に正しい。しかしお腹が空いた。ステーキ屋がある。唐揚げ弁当もある。そしてまたピザもある。「ものすごいゆうわくだ!」ドラクエ調のウインドウだって出る。しかし今日はケーキを食べると決めていたので、ここでやらかすわけにはいかない。即ち、カロリーオーバーである。計算と理性により、昼食はみんな大好きサブウェイとなった。音楽と野菜が全てを救う。

「チリチキンひとつ」

サブウェイのチリチキンは最高である。バイトのお姉さんはおそらく新人さんであった。チリチキンがガッツリはみ出している。野菜乗らないよ、と言いかけて我慢をする。野菜を乗せる。乗らなかった。物理的な問題があるのは明白だった。オリーブを乗せればピクルスが落ち、ピクルスを乗せればチキンが溢れる。ひとつ積んでは父のため……という気持ちになってきた。彼女は強引にあれこれを巻き込み、サンドイッチをほとんど「梱包」とでも言うべきタイトさで仕上げた。ケーキを買った後、自宅でサンドイッチの包みを開ける。オリーブとオニオンが「待ってました」とばかりに散逸し、テーブルを汚した。


・天敵

迷ったのだがもう一度外に出ることにした。近所にカフェができたそうなので、行ってみたかったのである。

定休日だった。今日は月曜日。迂闊を絵に描いたような人間である。

だからこの文章は何の変哲も無いサンマルクカフェでほうじ茶ラテを啜りながら書いている。何も書くことはない。高校生が思ったよりもたくさんいて、自分が高校生の時は喫茶店なんかに入ったことはなかったなと思う。お金持ちなんだろうきっと。と僻んでみる。本当は近所に喫茶店がないほど田舎だっただけである。

事情は伏すが、私は未成年者にとってほとんど死神みたいな存在なのでこうして近くに子供いると緊張感がある。昼食にフードコートを避けたのもそうした理由があり、これまで気付かなかったが、昔よりもかなり子供一般が苦手になってきていることを認めざるを得ない。文章をこれ以上割けないし、うまく説明できる気もしないので割愛するが、端的に表現するならば愛憎があるのだろう。


・休日の終わり

あっという間に1日が終わろうとしている。寂しいものだ。振り返るとやはりおかしなテンションと文章ではあるが、まあ、許容範囲だろう。いつもとさして変わりはないけれど、それはそれで落ち込む。文脈のつながりのようなものが断裂気味なのは、やはり推敲の問題だろう。けれども、日記というのは推敲されないで書くものだから、こんな形であっても良いはずだ。

比較的元気である。ぐったりすることがあるのも人生だろう、と思って心理学徒ならではのしおらしい態度をしていたら、ピザ一枚でこんな調子だ。安上がりな人間である。もちろん、きっとそれだけではなく、時間やらタイミングやらあれこれ重なったことが大切なんだとは分かっている。それでも、今日はピザで復調したことにしたい、訳だ。そんな日もある。人間的だ。あまりにも、人間的な気持ちに満足している。

3/4 好きな漫画は何?って聞いたら『ビリーバーズ』って即答する女の子となら結婚したい

TSUTAYAについて】
5年ぶりにTSUTAYAに行った。
〜回想〜
5年前のある日、私は研究室でファミマのエクレアを食っていた。レジが混んでいたので、ビニール袋にレシートとTカードを入れて足早に退店したのだが、それらを財布に戻すことなく、ついにはエクレアの空袋と一緒にゴミ箱に捨ててしまったのであった。
〜回想終わり〜
かくしてTカードを紛失した私は、TSUTAYAに行かなくなったのであった。社会人になってからはAmazonプライムのおかげもあり、そもそもDVDをレンタルする時代は終わったのだとさえ思っていた。だが不思議なことに、あの膨大なAmazonプライムのラインナップにも飽き、無限に見続けてしまう空虚さ・無為さに耐えかね、結局再度TSUTAYAを利用することとなった。
というのも、ロード・オブ・ザ・リングスペシャルエクステンデッドエディションを観たかったのである。先日『指輪物語』を読み終えた記念に映画を見ようと思ったのだが、このなんたらエディションの方が未公開シーンも多く、優れていると評判だったからである。Amazonプライムは優秀であるが、このような「特別枠」「追加版」などにはやや不向きだ(それにしてもスペシャルエクステンデッドの響きは一種異様である)。
さて、5年ぶりにTSUTAYAに入店したが、まずTカードを作り直すという厄介な仕事があった。この面倒さを避けてTSUTAYAを利用しなかったと言っても過言ではない。申し込み用紙を探す。大抵こういうものはレジ横にあるものだ。と徘徊すること約5分、全く見つからない。そもそもレジがフルオートなので店員がレジ付近にいないのである。帰ろうかな、と思った。しかし私は既に7km近く自転車を漕いでいたので、ここでケリをつけたい気持ちの方が最終的に勝った。DVDをあるべき場所に戻すという尊い仕事をしている店員の背後から、襲い掛かるように声をかけた。
「Tカード作りたいんですけど」
「は?」
私と店員の間で世界が静止した。その瞬時、私の脳内に去来したのは友人が『眼鏡市場で『JINS PCをください!!』と叫んでしまった』というエピソードである。即ち、ここはTSUTAYAではない?まさか?
しかし私は目の前の店員があのTSUTAYA特有のクタクタになったポロシャツを着ているのを見て考えを改める。最悪ブックオフの可能性があるのではないかとも思ったが、やはりここはTSUTAYA。紛うことなきTSUTAYAのアトモスフィアに満ちている。私は勇気を出して再度チャレンジした。単純なコミュニケーションの問題は要するに単純なコミュニケーションの回数の問題であるはずだ。
「Tカードを失くしてしまって、新しく作り直したいのですが」
「わ、わかりました。店長呼んできますね」
私は不出来な生徒よろしくレジ横に立たされ、会計客の見世物にされることとなった。私はぼんやりとなぜ店長(店長とはつまり、店で一番偉い人なのである)という権力者とやり取りしなければならないのか、ということについて考えていた。それはまず、店員とのディスコミュニケーションにヒントがあるのではないかと考える。
思うに、日本でTSUTAYAに入店するほとんどの人間は既にTカードを持っているのではないだろうか。何らかの方法で入手した、もしくは天賦のTカードがあり、店頭でTカードを作成する人間はいないのでは?だから店員はこう思ったのだ「この人、TカードないのにDVD借りにきたの……?」と。
恰幅の良い店長が愛想よく対応してくれて、即座にTカードは発行された。様式は記憶していたものと大差なく、デザインも失くしたものと同じだった(ただし年会費のことを忘れており、支払い時に少し面食らった)。
「アニメとコラボしてるデザインのTカードもありますが」
店長は如才なくリコメンドしてくれたが、生憎近所のドラッグストアで使うのにはハードルが高いので諦めた。ありがとう店長。目的のロード・オブ・ザ・リングを探すこと20分、ようやく特設コーナーにあるのを発見し、帰途についた(その途中、ウテナ劇場版とペルソナ3劇場版も借りた)。
やはり5年間も遠ざかっているとかなり使い勝手が違うので何事にも驚かされる(VHSがない、セルフレジ、セルフTSUTAYA袋など)。今度は誰にも特集されないホラーなんかを借りてみようかな、と思うのであった。

【就活について】
弟が本格的に就活を始めた、らしい。らしいというのも、弟はやや特殊な技能と知識があり、私とはまた別のベクトルのマニアックな仕事をすることになりそうなので通常の就活とは異なる期間、異なるアプローチで始まり、そのうち終わるということだそうだ。私も弟も履歴書(昨今はエントリーシートと呼ぶらしい)を作るのも面接も下手くそなので、結局のところマニアックな人々がマニアックなことをしているマニアックな集団に帰属することになってしまうのだが、まあそれも仕方がないのだろう。
ところで私はいわゆる普通の就活をしたことがない。現職に至ったときには普通の就活をしたように思ったのだが、実際にはそうではなかったようだ。だから大卒者の就活事情のようなことにひどく疎い。そもそも、私の人生の重要な部分は仕事にはないので、金銭を得る手段としての仕事というニュアンスでは企業に採用され難いようであると知り、信じられないという思いだ。会社が個人の人生全体の面倒を見る(だからあなたも会社に尽くしてね)、という前時代的な背景を感じるが、私は不況に生まれ、不況を日常として青少年期を過ごした人間であるので、こうした信仰を持っていない。私達世代の就活はこうした世代間のギャップに直面しているからきっと違和があるのだろうな、と思う。企業に残留した人々は、まだそうした信仰の中で生きられるからこそ企業に残留しているわけである。
そんなこんなで私は就活を知らないし、世間一般の仕事のありようも知らないまま今日まで生き延びてしまった。残念ながら弟に対するアドバイスはない。多分、弟もそうなると思う。どうも我々兄弟は「一般」から外れたいという強い欲求があるように思えてならない。弟はさておき、私自身は普通に生きたいのだが、ままならないものだ。