ワンパンで不妊治療のラスボス「顕微授精」となった悲劇

30代の不妊治療(顕微受精)体験ブログです。

医療費控除の確定申告は必ずやろう

不妊治療にかかったお金は医療費控除の対象となります。ですが、不妊治療でいただいた助成金は「保険金などで補填される金額」に該当するので、1年間にかかった医療費から助成金額を差し引いたものが対象です。

医療費控除の申告は1月から12月までの年間締めです。1年間に支払った医療費が10万円を超える場合は家族分を合算して医療費控除の申告ができます。不妊治療で10万円を超さないことは稀ですし、医療費控除を申告すると翌年の所得税や住民税の納税額も見直されますので、漏れなく申告しておきましょう。

また、医療費控除は還付申告に該当しますので、通常の確定申告期間中(2月16日~3月15日)に行う必要はありません。還付申告については、支払った年の翌年から5年間の猶予期間があり、その期間であればいつでも申告することができます。あの混雑した税務署に行かなくていいのです!ですが、5年の猶予があると言っても、翌年の納税額に関わる申告ですので、3~4月中には済ませておくことをおすすめします。

準備する書類は以下の通りです。
1、確定申告書
2、医療費控除の明細書
3、源泉徴収票
2017年分の確定申告から領収書の提出の代わりに〝医療費控除の明細書〝の添付が必要となりました。ですが、医療保険者から交付を受けた医療費通知を添付すると、医療費控除の明細書の記入も省略できます。ですので、申告に行くのはこの医療費通知が来てからの方が楽だと思います。なお、医療機関が発行した領収書の原本は5年間保管しなければなりません。

我が家はこの医療費控除のおかげで十数万円程還付金をいただきました。ありがたや~ありがたや~。

自治体からの助成金をもらおう

不妊治療に対する助成金の申請は4月~3月までの年度締めです。治療期間が年度をまたがっていても〝治療を終了した時点の年度〝と〝助成金を申請した年度〝が合うようにすれば、助成金の支払い対象となりますのでご安心ください。

また、〝県〝が助成してくれるお金と〝市〝が助成してくれるお金は別々に合算して貰えます。我が家は、県から48万円、市から10万円の合計58万円をいただきました。
応援していただいてるような気持ちになり大変ありがたかったです。自治体によって金額は異なりますが、だいたいこれくらいの金額が補助されるのだなとイメージできるよう我が家の自治体の場合で助成金額を見ていきたいと思います。


県の助成金まとめ


まずは条件として、前年所得が730万円未満、治療開始時点で43歳未満である方が対象となります。
さらに、
治療開始年齢が40歳未満の場合→43歳になるまで通算6回の助成
治療開始年齢が40歳以上の場合→43歳になるまで通算3回の助成
が受けられます。

男性不妊治療は年齢に関係なく15万円の助成金がおりますが、申請をした場合は治療1回にカウントされます。

基本的にタイミング法は対象とならず、人工受精は1年度に3万円を上限に3回までです。

体外受精と顕微授精については、いずれも初回は30万円の助成金がいただけますが、2回目以降は15万円になります。
胚移植をする前に採卵で受けた身体へのダメージを回復させるために一旦胚を凍結保存した場合は3万円が助成されます。
余剰胚があって移植だけ行う場合は7万5千円。採卵したけど、たまごちゃんが取れなかったり、上手く受精や分割をしてくれなくて治療を終了した場合は、初回12万5千円、2回目以降は7万5千円の助成金がいただけます。


市の助成金まとめ


市の助成金は県の助成金に上乗せで支給されるイメージです。ですので、県の助成金を受けた方を対象に1年度に1回、実費から県の助成金を差し引いた治療費に対して10万円を上限に5回まで申請できます。


助成金の申請に必要な書類


助成金の申請は市の保険福祉事務所という施設に出向きます。この申請のときに初めて行きました(笑)書類は県と市にそれぞれ提出しますが、先に県に申請をして、助成金がおりたのを確認してから次に市に申請します。準備する書類は以下の通りです。

1、県及び市の不妊治療助成金交付申請書
2、医療機関が証明した不妊治療助成事業に係る受診証明書
3、医療機関発行の領収書
4、戸籍謄本その他の婚姻を証明する書類
5、都道府県から受けた不妊治療費助成金額を確認できる書類
6、所得証明書
7、印鑑
8、振込みを希望する場合は通帳またはそのコピー

医療機関発行の領収書は医療費控除の確定申告にも使いますので、申請後も原本を返していただき保管しておきましょう。我が家は4月から男性不妊治療を開始し、8月に妊娠判定をしたので、つわりの真っ只中の10月に助成金の申請を行いました。3月までに申請すれば良いので11月頃の安定期に入ってからやれば良かったんですけど、安定期に入ったら出産準備をしたくて、その足しにしようと思ったのでした。
申請から1ヶ月程度で県及び市の助成金がどちらも振り込まれて来ました。


凍結保存した余剰胚には蔵本では凍結保存料が1年更新で5万4千円かかりますが、凍結保存をするため〝だけ〝には助成金はおりません。あくまで治療を一旦お休みし、身体を回復させた場合だけです。
不妊治療から離れると、この凍結保存料が地味に高いんですよね。そして、この保存料を支払うと年間の医療費が微妙に10万円を超すことが多い我が家。医療費控除の申告をするか迷うところですが、今のところは毎年行っています。

祝★退院!!!

待ちに待った9日目を迎えることができました!!
いよいよ退院です!

長かった。。。ほんとうに長かった!!!

7日目くらいから監獄にいる気分だった!

さて、10時には病室を空けないといけないそうで、朝から退院の準備をがんばりました。
息子ちゃんは病院の中ではいつも病院支給の肌着を着用させてましたが、ここからは自宅から持参したお洋服にお着替えです。

病院支給の肌着は赤ちゃんの城ってところのかなりしっかりとした生地の肌着だったのですが、そこから西松屋の肌着へチェンジすると…


ぺらっぺらーーー!!!


驚くほどぺらぺらで貧相(笑)

焦るなわたし。。。とりあえず、かわいいセレモニードレスを持ってきているではないか!!

と言うことで、上からお洋服を着せてお写真をパチリ。

きゃー!かわいい!!←はい、親バカ(笑)

これからこんなことを何度もやるのでしょう。まぁ、良いのです。親になると言うのはそんなものなのです!きっと☆

ちょっとくらいママ友でもできるかなと思ったけど、2人目の人が多くてみなさまあっさりしたもの。
1人だけ顔見知り程度のお付き合いの方と巡りあっただけで、全然出来ませんでした。
大学病院での出産だし、それぞれ何かしらあるんだろうし、子供の状態を詮索されるのも嫌なのかなーと、納得しました。

はぁ。みんなどうやってお友達になるのかなー。。。

さて、久しぶりのお化粧をして体型隠しのお洋服に身を包み…体重を測るように言われたので体重計へ。。。

あれ?ぜんっぜん減ってないけど???

入院中の病院食で丸々と太っております!だか!今の私にはそんなことはどーでもいー!とにかく外へ出たい!!

ってことで土日だったので休日出入口まで歩きはじめました。。。

遠い。。。

旦那は入院中に増えに増えた荷物を車に運び込むので精いっぱいだったので、赤ちゃんは私が抱っこして車まで連れていかないといけなかったのですが、3キロちょっとの赤ちゃんと言えども、抱っこして歩くのが一苦労。
出血がまだまだ続いているので、すんごい勢いで血が出てるなぁって分かるほど。途中疲れて一休みしながら、なんとか出入口までたどりつきました。

外に出ると、良い天気すぎてまだ4月なのに日差しが暑いくらい。産前にちゃんと準備しておいたチャイルドシートに息子ちゃんをセットすると、首が前にカクンってなっててすんごい危ない感じ。。。

新生児から使えるとは書いてあったけど、どれだけ付属のカサ増しシートを調整しても、赤ちゃんが小さすぎて不安定。

えー!こんなん見てらんないし!

何より車に乗せるときの中腰姿勢辛すぎ!ってことで、もう捕まっても知らん!こどもの首がどーかなる方が怖いわ!と開き直り、抱っこして帰りました。

チャイルドシート…首すわるまでいらないです。

そしてやっと!念願の我が家!!

床に座り込んだわたしは、もう動けないほど疲れていて、何もできません。荷ほどきをしないといけないんだろうけど、全てを後回しにして、赤ちゃんの面倒だけみることに専念しました。

産後、無理は禁物ですしね!!

入院生活も6~8日目になると退院したくなる

病院食が…まずいです。。。お家に帰りたくなってきました。旦那のおばあちゃんが入院してるときにお見舞いに行ったら、ほとんど食べずに残してたのを見て、食欲ないのかな~なんて思っていましたが、

違う!

まずくて食べれないのだ!!!

いくつか食べれるものもあるけど、全ての献立がおいしいと言うことは絶対に無く、味がほぼ無かったり、どうしても受け付けない味付けだったりで、食べたり食べなかったりしていたのですが、それにすら飽きてきて、どうしても口に持っていけない状態になりました。

まぁ、この数日間結構しっかり食べてきたので体の調子はだいぶ良くなってきている実感はあり、これまでのように朝食はコーヒーだけなんてことしても大丈夫かななんて思いましたが、全部母乳に出てくると聞いて、妊娠中から続く食事制限は卒乳まで続くのかと思うと、かなり鬱々とした気分です。

そして6日目の今日は抜糸の日!抜糸した後にはスキントンテープと言うテープを傷口に貼っておくことが義務付けられていて、下の階のコンビニで買ってきてくださいねと言われていたのですが、入院初日から旦那にお願いしていたにもかかわらず、ぜーーーんぜん買ってこない。
ついに今日必要ですよ!って日になっても買ってこない。

クソ旦那!とイライラしつつ、しょうがないから自分で買いに行こうと売店へ向かい、帰りのエレベーターに乗ったところでまた貧血症状が発生!どうやらエレベーターというものは上にあがるときに頭の血液が下に下がる圧力がかかるようで、そんな程度でフラフラになるほどまだまだ体は弱っているようです。

自分の病室の階で降りることは出来たのですが、フラフラしてるところを看護婦様に発見され、またまた車椅子で部屋まで運ばれてしまいました。
看護婦様からは、『ちょっと動きすぎたね』って言われましたが、旦那がスキントンテープを買ってきてくれなかったからと伝えると、看護婦様は『言ってくれたら買いに行きましたよ~』とのお返事。。。
患者からのおつかいなんてものはよく頼まれてやってることだそうです。

知らなかった…orz


旦那は結構長く入院してたときがあるそうなので、世渡り上手な人たらしだし、最初から看護婦様に頼めよって思ってて行ってくれなかったのだろうか???

そんなもん初めてなんやし知らんわ!ってことで、無事、スキントンテープをゲットしました。
ついでに病院食がまずいのでおにぎり買ってきちゃいました。うふふ。

まぁ、とりあえずはまだ気持ち悪いので、後のお楽しみと言うことで。

さて、こんな貧血症状いつまで続くのかな?わたしの血液状態はどうなってるのかな?と思っていたら、ちょうど今日は血液検査の日だったようで、採血されました。
後日発表された結果は…

8!!

おい!あんだけ鉄剤飲んで血管から変な色の点滴注入までして8て!!!
1しか増えてないやんけ!!!
んもーーー。。。

体の本格的な回復にはまーだまだ時間がかかる模様です。

その夜、沐浴の参考ビデオを見といてくださいと言われたので、とりあえず適当にかるーい気持ちで見て、ビデオを返却していたら、翌朝いきなり沐浴指導の本番でした。ややや、翌日朝から実技しますよって言っといてくださいよ!!そしてビデオ見たくらいでいきなり本番なんて出来ませんて!!勝手が違うし覚えてないし!!やりながら指導してよー!!と、突っ込みどころ満載なご指導を受け、練習を開始しましたが、貧血でとにかく腰が痛く、前かがみ状態の姿勢にとても耐えられず、『旦那様に任せることになってるので大丈夫です。』と、練習を早々に切り上げてもらいました。

その後はまた病室で授乳の練習。

やってきたのは見るからに性格悪そうな看護婦様。練習中、わが子の後頭部を持ち、口をわたしの胸に押し当て、母乳を飲む角度はこのくらいとか吸わせる時間は左5分・右5分で交互にとか、色々とご指導くださるのですが、新生児にとって母乳を飲むのはとても疲れることなので、うちの子が次第に眠くなってしまい吸い付かなくなってしまいました。
わたしとしてはよくがんばったね~。また起きたらやろうね~と終わろうと思ったのですが、その看護婦様はあらんことにわが子の足の裏に爪を立て、かなり思いっきり引っ掻いてきました!!!

おかげで生まれて初めてのギャン泣き!明らかに痛い!やめて!と訴える泣き方です。それなのに、その看護婦様…全くやめようとしません。

一瞬思いっきりそいつの顔面に裏拳してぶっ叩いてやろうかと思いましたが、さすがにまだ入院生活は続くのでやめときましたけど、まじでアリエナイ。
今思い出して書いてても決して忘れることのできない出来事でした。

入院生活3~5日間はこんな感じ

やっと来ました!背中の麻酔を抜く日!
午前中に抜いてもらって、午後にはじわじわとゆっくりですが、ちゃんと左足に感覚が戻って来ました。

よかった~。。。本気で泥沼の医療裁判かと思ってた~。

そこから歩く練習をして、夕方にはやっと赤ちゃん達が寝ている新生児室に行けるようになりました。
初潜入の新生児室。かと思ったら、入れるのはその手前にある授乳室まで!

そりゃそーだ(笑)

まずは初のオムツ替え。手を洗って~、オムツを外した途端…
ぴゅ~~っと飛び出すおしっこ!!
アーーンドぷりぷりうんこまで!!

息子よ…初めてのサプライズ…ありがとう(笑)

あたふたとしている新米ママに看護婦様が呆れ顔。

『まずは手を洗ってください。』

と、冷静なご指示をいただきました。その後なんとかオムツを替え終わり、続いてはミルクの準備に取りかかります。
が!他のお母さん達は二人目だったり、普通分娩で回復が順調だったようでしっかりその時間を取って教えてもらってたようですが、わたしはその辺にいる看護婦様をつかまえて聞くしかありません。
ちょーーーーめんどくさそーーーーにテキトーーーーに教えてもらいました。そんな感じだから教わった感覚が薄くてあまりしっかり覚えてないんですよね。

でもまぁ、やってることがちょっとお母さんっぽくなってきて楽しくもありました。

その後、母子同室を希望していたので、しばらく新生児室を抜け出して同じ病室で過ごしてみることにしました。
しばらくは調子良く過ごしてくれていたのですが、ミルクを飲み終わり少し寝て起きたところで泣き出す息子ちゃん。
いくらあやしても泣き続けるので、おっぱいを飲む練習に疲れたのかなぁ。どうして泣くのかな?と原因が全然分からない。
ドアの向こうでお医者様が看護婦様に『何で泣いてるの?泣かせすぎじゃない?見てきたら?』と言っている。。。汗
しばらくは様子を見られていましてが、全く泣き止まないのでとうとう看護婦様がやってまいりました。
すぐに原因を指摘され〝おむつが濡れてますよ〝と教えられました。

おむつの替え方は習っていたものの、気付かなかったことにすっごい無力感を感じました。
はぁ~。。。わたしは何て何も出来ない母親なんだ…と自己嫌悪になりました。

◆4~6日目◆
大学病院に転院したのは息子の脳の大槽部分が大きいと指摘されたからです。
お腹の中にいたときも胎児MRIを撮って診察されたけど結局は「生まれてみないと分からない」との診断で、なんだかモヤモヤする出産を迎えたのですが、GCUに入院して詳しく検査することになりました。
GCUとは「Growing Care Unit」の略。「 継続保育室」「回復治療室」「発育支援室」など、さまざまな訳語が当てられています。 NICU(新生児集中治療室)で治療を受け、低出生体重から脱した赤ちゃん、状態が安定してきた赤ちゃんなどが、この部屋に移動して引き続きケアを受けます。

結果から申し上げますと、致命的な欠陥は見つかりませんでした。ただ、〝個性〝として小脳が少し小さいと言うことだったようです。現時点でできる全ての検査は終えたので、後は成長していく様子を観察し、3ヶ月頃の首据わり、その後のお座り、つかまり立ち、つたい歩き、歩行までを順調に出来るようになるか観察する検診の機会を儲けて、問題が発生すればその都度対応を検討していくことが求められるとの結論でした。
後になって思うのですが、わたしの後頭部…絶壁なんですよね。旦那はキレーなまん丸後頭部。生まれてきたときは息子の後頭部はキレーなまん丸。でも中身の脳みそは左側がわたし由来の絶壁脳みそ。
だからじゃない??これが大槽肥大の理由なんじゃ?って思って息子に申し訳ないと思ったのはヒミツ。

診断結果を聞いて、なんじゃそりゃ!転院なんてせんで良かったやんけ!と思いましたが、横切開にしてもらえただけありがたいと言うことでおさめようと、、、あ、おさめてあげようと!思います(笑)

それにしても、GCUに入院させている間、子供の面会には行っていいですよ~と言われてましたが、うちの子の横のベッドに寝かされてる水頭症の子の姿に面食らってしまって、中々行けませんでした。
何ともなかったうちの子でさえ、小さな体に管を繋がれて麻酔で眠らせられてる姿は痛々しくて見てられませんでしたが、水頭症の子は、もう本当に胸が潰れる思いでした。

息子ちゃんがGCUに入院している間は、お世話から解放されて自分の時間でした。体力回復に努めて、腰痛改善の体操をしてみたり、産後の腰ベルトを試してみたり、自宅での食事の参考に入院中のメニューを書き留めてみたり。
あ、旦那がいい加減着替えを持ってこないから院内の洗濯機を回しに行ったり?(イライラ)
マイペースに快適な時間を過ごしてました。

このときが一番ゆっくりできる時間ってことだったんですかねー。。。


話は変わりますが、ここでひとつ看護婦様から教えていただいた豆知識でおすすめできるものがあります!

それは、『乳酸菌食品を毎食2種類組み合わせてとると、腸内環境が驚くほど改善します!』と言うものです。
病院では、必ず毎食発酵食品が2種類出てきました。例えば、お味噌汁+乳酸菌飲料や、乳酸菌ゼリー+お漬け物です。組み合わせは色々でしたが、しばらく食べていると1日に2回お通じがあったりして、ものすごい効果でした。
どうぞお試しください!

大学病院出産の入院監獄生活9日間のまとめ(1~2日)

とある知り合いの奥さまは、わたしと同じ時期に不妊治療の末、双子の出産を控えていたのですが、個人病院の先生からは大学病院への転院を勧められたそうです。ですが、かたくなに断っていると言ってました。
何も知らなかった頃のわたしは、リスキーな出産だったら、大学病院に転院した方が良くない?と思っていましたが、この度大学病院出産の現実を知り、意地でも転院しなかった知り合いの奥さまの選択を『正解!!』と褒め称えたいと思います。

ってことで、個人病院で産めるんだったら出来るだけ個人病院にお世話になった方がいいですよってことをお伝えするために、わたしの入院9日間を改めてまとめておきたいと思います。
重複する内容もあると思いますので、日頃から読んでくださってる皆様は読み飛ばしていただいて大丈夫です(笑)

あ、あと、どうしてもお伝えしたいことがありまして。
わたし、帝王切開って『手術』だってことを完全に失念してました。自分が手術を受けて出産するまで『帝王切開』なんてみんな当たり前にこなしてるし、生きて生還できるのなんて当たり前でしょって思ってたんです。
なので、ゲーム感覚で言うとヒットポイントのHP100のうち最大のダメージを食らってもHP50くらいで乗り切れるくらいに思ってたんですが、身をもって体験すると…

HP13って感じです。
もう1擊あったらゲームオーバーな感覚です(笑)。

またまたぁ、大袈裟だなぁ!なんて思ってる人には、是非体験してもらいたい(笑)
手術で大量出血したら他に病気があろうがなかろうが命が危ないってことを!
脅すつもりはないんですけど、これだけは何故かムショーーーに伝えておきたいのです。。。
さて、本題に入ります(笑)


◆1日目◆
体を作るのは何と言っても『血液』!でも、その血液を大量に失ったわたしの体は、体力回復にとても時間がかかりました。
採血での鉄の数値は術前14あったのが7!なんと半分!!
ちなみに4までいったら輸血!結構ギリ!!

手術前の説明でも、術後は絶対に一人で歩きださないでくださいと何度も言われました。
最初は『何言ってるの?歩くだけで人間どーにかなったりしないでしょ!』なんて思ってましたが、初めて歩いてトイレに行く練習にチャレンジした際、事件は起きました。
尿管を外す予定スケジュールから遅れていた私は、そのメニューをさっさと終わらせたい看護婦様の無言の圧力を感じとりました。

歩いて部屋の中に付いてるトイレまで行く。
用を足してベッドに戻る。

まぁ、できるっしょ!と思ったわたしは、看護婦様と一緒にトイレまで歩き無事用を足しました。ショーツを上げようと立ち上がったまでは大丈夫でしたが、そこから2歩前に進むともう大変。
目の前に黄色い砂嵐が現れました。

わたし:きもちわるい・・・きもちわるい・・・(ボソボソ)
看護婦様:ベッドまで歩けますか?
わたし:ダメです。(5~6歩だけど、とてもとても遠くに感じる距離で本気で無理!)
看護婦様:では後ろの便器に座れますか?
わたし:無理です。(ちょっと後ろを見て確認したけど、立つのが精一杯でたった2歩なんだけど本当に無理!)
看護婦様:車椅子持ってきます!

結局、ほんの5~6歩くらいの距離を車椅子に乗せられて、ベッドの上に雑な感じにうつ伏せにポイ投げされました。
そこから2時間くらい?本当に動けなくて、ずっとそのポイ投げされたうつ伏せの体勢のまま眠ってました。
巡視で訪れた看護婦様は、そんな状態で寝ているわたしを見てベッドにきちんと寝るよう手伝うでも促すでもなく、『いつまでも寝てないでくださいね~。』と言い放ち立ち去っていかれました。

え?ありえんくない?

具合悪くてぶっ倒れてる人間に言う言葉?????
看護婦ってまじ最悪!
性格悪すぎ!!
敵認定決定!!!

俗に言う〝入院〝と言うものをしたことがなかったわたしは、ここに来て、なぜ〝入院〝が嫌なものなのかを理解しました。そりゃあんな暴言吐く看護婦いたら嫌にもなるわ~。

その日は手術後初の食事が予定されていて、〝重湯〝だけどちょっと楽しみにしていたのに、そんな一件があって体調は最悪で、食欲も失せたし、気持ち悪くて全く口に出来ませんでした。

◆2日目◆
昨日1日何も出来ていないので、朝から看護婦様の無言の圧力がすごいです!普通の回復状態だと今日は朝から赤ちゃんにミルクをあげる練習をするようですが、わたし…まだまだ歩けません。って言うか、麻酔の管がまだ背中に通されていて、その麻酔が効かなくていい左足にまでしっかり効いています。
左足に感覚がないと気付いたのは歩く練習をしていて足が上がらなかったから。

検索魔のわたしはすーぐ検索します。

「帝王切開 麻酔 麻痺」

出てくる出てくる。恐ろしい検索結果の数々!中にはそのまま足が動かせなくなり、病院を相手取り裁判を起こしている方も。
町医者ならともかく大学病院を相手取った医療裁判なんて勝てる気がしません。
看護婦様にどうやら左足が麻痺してておかしいって症状を伝えてみたら、お医者様登場。

左ももをつねる

無反応

右ももをつねる

『イッタイ!先生ドS!』

『や、わたしSではないですよ(笑)』

(お前の趣味なんざ聞いてないわ!)

また左ももをつねる

『え?感覚ないってこと?こわっ!』

先生困り顔
『明日になれば背中に入れてる麻酔の針抜けるんで大丈夫だと思います。』

背中に針刺さったままとか知らなかったし…orz
てか、明日針抜いても痺れたまんまやったらシャレにならないんすけど!

と言うことで、歩けないのでまたしばらくベッドの上で過ごすことに。
数回ミルクの時間に看護婦様が赤ちゃんとミルクを運んできてくれて、ミルクやりをさせてくれました。幸い息子ちゃんはゴキュゴキュたくさん飲んでも全然吐かないタイプ。胃腸が旦那似で良かったです。

しばらくすると、次はまた別の看護婦様の登場。助産師の資格を持った母乳が良く出るように指導してくれる人らしいんですが、いきなり来ていきなり人の乳首拝見しまーすとつまんできて、ギューーーーっとかなり痛めにつねってくる。

え?何だろうこのいきなり人に敏感箇所を思いっきりつねられる感じ。

なんか…すごいイヤ!

そして母乳の原料は血液。大量出血の影響でまーったく出ません!
こんなもんでいーだろって感じで助産師様はさっさと帰って行かれました。

昨日は夜になると歯磨き用のお水なんかを持ってきてくれた看護婦様ですが、今日は予定では歩けているはずなので何も持ってきてくれません。
スケジュールがあるのは分かるけど、患者の容態がスケジュール通りに回復しないことなんて日常茶飯事じゃないの?そんなイレギュラーに少しくらい対応してくれても良くない?

なんだかとっても不信感が沸き起こりました。

硬膜外麻酔を研修医にされるとこうなります。

今回のわたしの帝王切開に使われた麻酔は腰椎麻酔と硬膜外麻酔でした。

ですので、手術中の先生達の声は聞こえてましたし、赤ちゃんの産声を聞くこともできました。


ですがですが!


この硬膜外麻酔…一歩間違えて神経を刺激してしまうと、そのまはま足が麻痺状態になってしまったり、先日のニュースでは死者まで出てました。

そんな恐ろしい麻酔だとは露知らず…背中を丸めて麻酔される準備の姿勢をとっていると、麻酔科の二人の声が聞こえてきました。


『え?今入ってますかね?抜いてもう一度やってもいいですか?』

『そうねぇ。じゃあもう一度。』

『あ、さっきの入ってたみたいですね。』


おいおいおい!実験台になんてなりたくないし!とにかく早くやってよ!と言いたいところをぐーーーーっと我慢して、なされるがままに大人しく待ってました。
ですが、胎動が激しくてどうしても動いてしまいます。

すると、『今大事なところなので動かないでくださいね!』と、めっちゃ焦ってる感じに注意喚起されました。
その時は動いちゃうなぁくらいにしか思ってませんでしたが、後から考えると、とてつもなく恐ろしいタイミングで動いちゃってたなと反省。

結果、術後3日かけてじわじわと左のおしりからヒザまでの感覚が麻痺していき、医療ミスされたのかな~とか、今後一生このまま麻痺した足のままだったら子育てできるのかな~とか、帝王切開で足が麻痺する障害を背負うことになった人のブログを読みふけったりしながら不安な日々を過ごしました。

4日目に腰に刺さったままだった麻酔を抜いた後は、段々と感覚が戻ってきて、やっと歩けるようになりました。

どうやら、ただの麻酔の効きすぎ?ちょっとしたミス?だったようです。
とてもホッとしました。