クソみたいなやつ
あけましておめでとうございます!
冬休み、息子と過ごす時間が長く、正直気持ちはどんより…
見て見ぬふりをしていた、またはもう大丈夫だろうとおもっていたようなところも、まだまだ発達途上のようで、改めてこの子は非定型なんだなと感じる。
少し前は、非定型だとしても、この子が幸せなら、この子らしく生きてくれれば、と心から思えていたのに、やはり自分のメンタルの状態も我が子へ向けるまなざしを左右する。
去年秋冬頃から仕事面で精神的にきつい状態が続いた。
それはすべて環境のせいではなく、自身の認知の問題や、こだわりやプライド(良くも悪くも)なんかで自分が作り上げた状態。
自分の価値観を大切に、周りに振り回されずに、大切なものを見失わずに社会生活が送れるように少しずつ成長したい…
本心では、クソみたいなやつばっかだな、と思ってるけどwwwそこに蓋をしすぎるのも良くない
でもクソみたいに自分を信じて疑わず、他人のせいにして、言い訳して、正しさをすり替えて、感情論で仕事をやってる人たちは生きていくエネルギーが強いなと思う。
うらやましいくらい…
人に迷惑かけてない?反省点は?効率性は?再現性を高めるには?色んなことを考えてベターベストな方法を考えていると、理屈っぽく機動力の低い人と思われてしまうらしい。
私が懸念することが実際にどれだけ起こっても、事後対応でOK、むしろ挑戦したことが讃えられ、都度変化を起こしていく姿勢が素敵なんだと…
自分にも、息子にもそういうメンタルが必要だなと思う
私も息子も、頭でっかちで、机上の空論レベルに色々と思考を巡らせて、いざ失敗するとそこで受けるダメージたるや半端ない…
他の人は事前の思考で使うエネルギーも少なければ、失敗したときに受けるダメージも少ない訳だから、そりゃあ生き生きとして見えるよな…泣
そんな危機管理能力や検討する過程を評価してくれる人もいるけど、でもたいていの人とは感覚がかみ合わない
LGBTのようにはっきりとした判別はできないけど、やはりマイノリティだな、非定型だなと思ってしまう
そんな自分を「貫く」ではなく、「守る」術を増やして、どこかで思いっきり解放出来たらバランスがとれるかな?と最近思う
本当は仕事なんてやめて、ストレスを減らして子育てに注力した方が良いのかもと思うこともあるけど、私自身も社会の中で苦労して悩んで、その経験から息子に伝えられることが得られればと思う
出産前の私は、先にディスったようなクソみたいなやつだったから、今よりはまだ生きやすかった…ww
きれいごとを言うのは気持ちいいかもしれないけど、きれいごとを体現して生きるのは、板につくまで本当にしんどい
いじめっこの今
いじめっことは私のこと…
怪我をさせるとか、面と向かって酷い言葉を浴びせるとか、そういう類のいじめではないけど、仲間外れみたいなことは中学生の時に何回かやった。
あとは小学校中学年の時に仲良かったグループがのちのやや不良?グループで、決してその子たちのせいにしたいわけではないけど、同じく仲間外れみたいなこともやった。し、あとは図工で作ったみんなの粘土の作品を放課後に壊したり、かわいい消しゴムを盗んだり…
鮮明に覚えているのは、粘土の作品は自分のものも壊したということ。
あまり罪悪感なく、わくわくする気持ちでやったということ。
こちらは記憶が曖昧だが、筆記用具を盗む事件は当時ちょこちょこ起こっていて、流行りに乗って同じくわくわくするような気持でやってしまったのだったはず。
このことは大人になってからも時々思い出しては、自分を嫌いになる材料にしている気がする。
消したい過去、思い出すと何とも表現しがたい負の感情に包まれている。
我ながら気持ち悪いw
何であんなことしてしまったんだろう、私の根っこは悪人なんだろうか?
今は善良な人のようにふるまって、社会や他人を批判的に見ていたりするけど、私にそんな資格あるのだろうか?
親との関係の拗らせが関係あるのだろうか?
色んなことに思いをはせるけど答えは分からず。
分からないのは当然だとして、腑に落ちないというか悶々として暗くなる。
私がやったことはどう考えても悪いことだけど、世の中にはもっと程度の高い悪いことをやったことのある人もいる。
そういう人は自分の過去を肯定したり、反省したり、忘れたり、時々思い出したり、どう過ごしているのだろう?
私は時々こういった過去の自分の悪行や失態を思い返しては消化不良の状態になる。
もう少し若いころはそんなことなくて、「だって」「周りもしていたし」「もっと酷いことをする人もいたし」「別の時にはあんな良いことしたし」と何やかんやと自分の内で決着していたのに。
人の親になって、その子が少し周りとは違って、色んなことの本質を見ようとしてきた。
そしたら自分の本質にある嫌なものがたくさん見えてきて…
そういうものに蓋をするように、ごまかすように、自分を高く評価していたところがあったかもしれない。
悔しいし悲しいし恥ずかしいし情けないけど、自分は今までの自分が思ってきたほど立派ではない。
今気づけて良かったと、自分を評価して一喜一憂する必要がない世界へ一歩踏み出したと、そう捉えてこれからの日常を大切にしようと思う。
息子の体調不良が死ぬほど怖い
最近運動会の練習で疲れてるからなのか息子の地雷の多いこと…
花粉症なのか風邪なのか鼻水出てるし、腹痛もあると
何でお腹痛いんだよー!!!
と自分のお腹に対して怒り狂う
腹痛の波が治まってる間本読んでだいぶゆっくり過ごしてたのに、いざ宿題しようとするとまた痛みだしたみたいで、痛くて宿題できないと号泣
乱暴にやるから鉛筆やら定規が机から落下し、それに対しても
なんで落ちるんだよー!!!
と激怒
怒る元気があるなら大丈夫なんだろうけど、こんな息子と家で二人っきりで引きこもる生活を想像しただけで怖くて怖くて仕方ない
私自身が元々心配性でだの風邪でも気になってしまう質なのに、最近の地雷増し増しの息子と閉じ込められるのは、冗談抜きで死ぬほど怖い
体調悪いし帰宅後から眠いと言ってて、早く寝たら良いのに、布団に入ってからもブツブツ20分くらい怒ってて、私も我慢できずそんなに怒り続けて人に優しくできないんだったら出て行けと言ってしまった
お父さんもお母さんもあなたが好きで仕事したりご飯の用意をしたり宿題を手伝ってるのに、優しい言い方ができないんだったら家から出て自分で何でもやってくれと
無償の愛
心の底安全基地
存在そのものを肯定
息子に与えたいと思っているものとはかけ離れた発言と態度
私はあなたを愛して尽くしてるんだからこうしなさい、というのは愛着障害製造フレーズだよな
息子といると自分がどんどん嫌いになる今日この頃
息子の地雷と私の地雷
最近しょっちゅう息子とぶつかり怒鳴ってばかり…
気持ちのやり場がなくてブログにまとめます。
息子は自分の思い通りにならないことが地雷
あと自分がやろうとしていたことを忘れていて思い出した時も怒り狂う
その怒り方が無茶苦茶だし執念がすごい
お母さんが〇〇してたときにこうしたかったから、お母さんまた〇〇して
9時に寝たかったのに過ぎたから時計を9時に戻して
明日も今日と同じ〇月〇日にして
そう思う気持ちはわかるけど、できないこともある、時計や日にちを家の中のものだけ変えてもみんなの時間や日にちは変わっていないから自分が遅刻したり時間割がずれて困るよと最初は丁寧に説明するけど
ああ言えばこう言うで、話がだんどん意味不明な方向に
私がこれまで怒鳴ったりちょっと物にあたったりしたのを真似してか息子もヒートアップ
これはもう私が悪い、反省しかない
私自身が激怒モードにならないように意識すると、はいはいそうですかーと流すような扱いになってしまい、それはそれで息子がちゃんと話聞いてよと怒る
手だけはあげないようにと思って耐えてるけど、親として最低だと思う
息子はこういう類で手はかからなかった記憶で、遅れてきた自己主張やイヤイヤ期なのかなと思うけど、妙なこだわりとか他人に見られたらぎょっとされるような振る舞いを息子にされると、私は抑えられない怒りが込み上げてくる
それは、私が息子に発達障害があることを受け入れられないからかもしれない
もしくは、幼少期に自分が辱められて育てられて異常に周りの評価を気にしてしまうからかもしれない
頭でどうすべきか分かっていても、気持ちがついてこなくていつも後悔
気がつけば反射的になってしまい、息子がイライラしはじめただけで、私もまたかと思って目の前の出来事以上に怒りが込み上げてくる最近
息子のイライラが私の地雷に
学校ではそんなことせず、放デイや家であることだから、信頼している人への試し行動みたいなのもあるのかな?
だとしたら付き合って、多少本人の要望に応えられる範囲で応えたほうが早く収まるのかな?
毎日毎日ぐったり
アスペっぽい息子がしゃべりすぎな件でしんどい自分をどう受け止めるか
小2の息子、とにかくよく喋る
理屈っぽくて、言い訳がましくて、素直じゃなくて、人の発言の揚げ足をとるような…
話してて、本当に腹立たしい…
黙ってほしい、聞きたくない…
それはそれは私にそっくりだから(;´・ω・)
素質が似ているからというのもあるだろうけど、普段、私自身が息子へそんな接し方をしてるんだろう
息子に対してだけでなく、周りの人へも少し皮肉めいたいいかたをしてしまっている時があるんだろうか…
私はちゃんとやっているのに、この子はなぜこうなんだ
アスペの特性だから仕方ない、私は悪くない
少し前の自分ならそんなことを思って現実逃避していたかもしれないし、もしくは全部私のせいなんだと極端に考えていたかもしれない。
今は少し冷静に考えられるようになって、私は母親として未熟さはあれどそれなりにちゃんと頑張ってるし、子どもがよく喋るのも親のコミュニケーションスタイルに影響を受けるのも当然のことだし、親がみんな人格者なわけじゃないし、アスペといえど十人十色だし、まあ子育てしてたらこういう苦労と付き合っていかないといけないんだなくらいには思えるようになった。
育児は育自というのは、親は子を鏡にして、自分の戒めるべきところを見つめていくということだろう…見つめるというか突きつけられる感じ
ため息が止まらないけど、息子が喋れることに感謝して、いつか息子が喋ってくれなくなってさみしくなるような日のことを思いながら、話を聞いてあげられる時間を増やそうと思う
話を聞かなきゃ、ではなくて、話を聞いてあげられるような余裕を自分に作ること
自分で自分を労い労わること
自分の機嫌は自分でとること
誰かに、家事や育児や仕事頑張っててえらいねすごいねと褒めてほしいような気分だけど、みんなやってるし、もっとやってる人もいるしで、誰も褒めてくれないし自分でもとても褒められるようなことなんかできてないと思ってしまう
でも私なりに頑張ってるわけだし、自分で自分を褒めるしかないよなということも気づいてきた
ちょっとした贅沢とか息抜き、言葉がけのテクニックとか工夫、そういうのが大事なのも分かってるけど、もっと私自身の土台になるところがしっかりしてくれば良いなと思う
自己肯定感と自己評価
久々のブログ、息子のことではなく自分について。
私は親にほとんど褒めてもらったことがなく、しつけも諭されるとかストレートに怒られると言うより、辱められて、という感じだった。
まだ◯◯◯なの?
◯◯◯と思ってたのに
あとはおねしょしたとか、鼻くそほじってたとか、子どもでもいじられたくないことを友達の親とか親戚の前で言われるとか…
衣食住不自由なく、真当に育ててもらったのは間違いないけど、親のことは正直好きではない
全部親の育て方のせいにするつもりはないけど、私はとても自己肯定感が低くて承認欲求が強くて他者評価ばかり気にして、妙なところに完璧主義な感じに育った
ちゃんとしてないと辱められる
人より優れてることが自分の存在価値
私は幼少期からそこそこ勉強ができて、人より自分は頭が良いということを自分の安全基地にしていたと思う
家は居心地が悪いし、いつ辱められるんだろうとビクビクしていたから
そんなこんなで、認知がどんどん自分の都合の良いように歪んでいって、自己肯定感はすごく低いのに、自己評価は高くなってしまっていた
…そういう自分に気づいた今も、まだそこから抜け出せてないから過去形にはできないな
現在進行系で、自己肯定感は低くて自己評価は高い私は、無意識にいつも心のなかで周りの人にマウントをとっている
私はこの人より優れている、という感覚が、私を支えてきた
それがないと、怖くて悔しくて惨めで生きた心地がしない
今日、自分が時間や労力を割いて頑張ってきたこと、自己評価ではなかなか良い線言ってると思ってたことが、周りより低い評価を受けた
周りのことは全部わからないけど、高い志は感じられないし、私の中ではあれやこれやダメ出しをして見下してきた人たち
もう本当に凄くショックで、どうしようもなくて、久々にブログに書くというw
自己肯定感は高く、自己評価は正確にできるのが理想
もう社会人として自立し、人の親となった今、自分のお世話は自分でするしかないよな
よく頑張ったわたし!
ショックだけど大丈夫大丈夫!!
私は私を大切に思ってるよ!
他人の評価がどうであれ、私は私が大好きだよ!!!
親に言ってほしかった言葉を自分で自分へかけてあげる
息子にはこんな思いさせたくないなあ…
最近反抗期で、私もいつも余裕がなくて怒鳴ってばかり
怒っても、お母さんはあなたのことは大好きで、あなたが存在するだけでお母さんは幸せだと伝え続けるようにしたい
言葉で良いこと言っても、態度が伴わなければだめなんだろうけど…
と変に完璧主義にも考えるw
育児は育自って、本当にそうだけど、そもそも自分が育ってないままの育児は本当にヘビーだわ…
カサンドラ症候群
カサンドラ症候群とは、身近な人のASD特性によりコミュニケーションや関係性の構築が上手くいかずにストレスを受けて鬱っぽくなる状態とな。
今そんな感じかもな(;´・ω・)
結構前の記事ですがあれこれ考えるよりも本能的に育児しようという思考に至った時期がありました。(本能的に育児って表現があれですがw)
しばらく実践してきてよかったことは多くありました。
息子の笑顔が嬉しくて、くすぐりあってじゃれあったり、しょうもないことで冗談を繰り返し言いあったり。
特性かどうかはおいといて、あまり深く考えずに息子と過ごすことができた時間は貴重なものでした。
でも、やっぱり、コミュニケーションが独特で、地味にストレスで、そこに常に消耗している感覚があって…
それでタイトルの「カサンドラ症候群」という言葉を思い出したんです。
家族に特性があると、やっぱりしんどいですよね。
プライベートな時間のベースに制限や我慢が存在するわけですから。
そして親としての責任感?みたいなもので色々考えて対処していく課題も少し多い訳で。
そしてこれが日常に、当たり前になりすぎると、自覚のないストレスがどんどん溜まっていってしまう感覚があります。
こういう状況が続くとメンタルに支障きたして、「カサンドラ症候群」と言われる状態になってしまうんだろうなと。
じゃあどうするのかというと、ストレス発散とか息抜きする時間作るしかないですよね。
そもそも子どもが発達障害うんぬんじゃなくても、育児に悩みは付き物だし、人間関係とか仕事のこと、介護とか経済的なこととか皆外には出さなくても色々あるもんです。
自分はカサンドラ症候群だからーーーーとレッテル張ってないで、やるべきことは自分を労わること一択です。
まあ限られた時間でどう労わるかというのが意外と難しかったりするんですけどね…
しばらくは日常的に付き合っていくストレスなので、ストレスケア自体も日常的に取り入れていきたいところですね。
私は無趣味で好きなことや興味のあるものもコロコロ変わるので、特定のストレス発散法を見つけるのが難しい性分です、たぶん。
ストレス発散のレパートリーを増やしていこうかなと思ってます!
あとはやはり息子の特性から目を背けすぎず、息子のために何か行動を起こすことも必要ですね。
それが息子の発達障害の改善に繋がらなくてもいいんです。
(本音は繋がってほしいですよ、切実に。笑)
自己満足だとしても何か息子のために母親らしいことをやっていることが安心感になって、それで私の精神が落ち着くのであればそれで大丈夫。
息子の人生は息子のもの、私の人生は私のもの。
私は私自身の人生をコントロールすることが最優先課題です。
やはり何事もバランスですね!
何にも考えずに育児をすることも、現実的にあれこれ思考を巡らせて情報収集していくじをすることも、どっちもメリットデメリットあります。
少し現実的に息子の特性について建設的に考える時間を作ろうかな。
ただググるだけでなくて、建設的に、というところが胆。
精神的に辛いけど、出す結論は少し成長したかなと、自分では思っています。